第83話 家出したメイドさんです! その二

「まだかなまだかな〜。可愛いメイドさんはまだかな〜」


 黒乃はボロアパートでメル子の帰宅を待っていた。近所のスーパーマーケットに食材を買い出しに行っているのだ。

 夕日を活力に愛しの我が家へと急ぐ通行人達を窓越しに眺めていると、緑色の和風メイド服をバサバサと翻しながらメル子が走って来るのが見えた。


「お、帰ってきた」


 メル子は勢いよく小汚い部屋の扉を開けた。バタンと大きな音をたててメル子が部屋に飛び込んできた。


「ご主人様大変です!」

「どしたの?」

「メイドロボが川辺に倒れています!」

「またなの!?」


 二人は大慌てでボロアパートの近くを走る隅田川の川沿いへ向かった。川に並行して走る歩道の片隅に何かが倒れていた。


「アレ?」黒乃は指を差した。

「アレです!」


 二人は倒れているメイドロボに駆け寄った。


「コレ!?」

「コレです!」


 そこには金髪縦ロール、シャルルペローの童話に出てくるようなドレス風のメイド服を着たセクシーなメイドロボがうつ伏せに倒れていた。


「アン子じゃん!」

「アン子さんです!」


 黒乃はアンテロッテの肩をユサユサと揺さぶった。ついでにふわふわの金髪の匂いをスンスンした。


「ふわー、よく眠りましたわ」アンテロッテがむくりと起き上がり、腕を上に伸ばして欠伸をした。

「道端で寝るのまで被せなくてええじゃろ……」


 アンテロッテは周囲をキョロキョロと見渡すと慌てておでこに手を当てた。


「あら黒乃様、メル子さんごきげんようですわー! オーホホホホ!」

「女の子がこんな所で寝たらいかんでしょ」

「ここで何をしていたのですか?」


 アンテロッテの顔が急に曇った。いつもは快活な表情を浮かべている美しい顔に影が差し独特の色気が現れる。

 アンテロッテは後ろを振り向くと隅田川に面したフェンスに手をかけた。しばらくの沈黙の後ポツリと語り出した。


「実はわたくし、家出をしてきましたの」

「アン子さんが家出!?」

「家出にしてはボロアパートからの距離が近すぎる……」


 アンテロッテはふぅとため息をついてフェンスにもたれかかった。すぐ前を水上バスが通り過ぎていった。


「アン子さん、何があったのですか? 聞かせてください」

「私達で良かったら相談にのるよ」

「はい、ですの」


 アン子は背を向けたまま語り出した。


「昨日マリーお嬢様とヘアカットをしておりましたの」

「ほうほう」

「そうしましたらわたくし、切り過ぎてしまったのですわ」

「何をです?」

「前髪を切り過ぎてしまったのですわ!」

「あらら」


 アンテロッテは肩を震わせて川面を見ている。


「あちゃー、あの年頃の子は前髪一つで大騒ぎするからね」その背中を黒乃が優しく撫でた。

「それでマリーさんに怒られてしまったのですか?」

「はいですの」アンテロッテはこくんと頷いた。「メイドロボ失格でありゃしゃんすわー!」

「変なお嬢様言葉でた!」


 アンテロッテはプルプルと震えている。


「でも前髪なんてすぐ生えてくるじゃん。マリーには我慢してもらおうよ」

「一緒にマリーさんのところに謝りに行きましょう?」

「違いますの……」


 アンテロッテはフルフルと首を振った。


「ん? 違うって何が?」

「切り過ぎたのはお嬢様の前髪ではありませんの」

「どゆこと?」

「わたくしの前髪ですの!」


 アンテロッテは振り返った。金髪が夕日を受けて赤く輝く。その前髪は見事なまでに水平に切り揃えられていた。パッツンである。


「ブー!」黒乃は吹き出した。

「ププー!」メル子も吹き出した。


 その風でアンテロッテの前髪がさわさわと揺らいだ。


「どうして笑うんですのー!」

「ぷふふ、ごめんごめん。あまりに見事な水平だったから」

「うぷぷ、水平線に沈む夕日のようです!」

「なんですのー!」


 アンテロッテは顔を真っ赤にして抗議した。


「いやいやごめんごめん。パッツンでもアン子は可愛いよ」

「幼さが強調されて素敵ですよ!」

「そんな慰めはいりませんの!」


 二人があまりに笑うのでアンテロッテは怒って走り去ろうとした。慌てて二人で取り囲んで引き止める。


「悪かったって。でもさ、おかしくない?」

「何がですの?」

「アン子の前髪が短くなってなんでマリーが怒るのよ」

「マリーちゃんの前髪がパッツンになってマリーちゃんが怒るのならわかるのですけど」

 

 アンテロッテは複雑そうな顔を見せた。


「それは……わたくしの姿が変わるという事は、アニーお嬢様の姿と違ってしまうという事なのですわ……」


 黒乃はハッとした。元々アンテロッテの姿はマリーの姉であるアニーの姿を模したものなのだ。マリーはアニーの存在をアンテロッテに投影していたのだ。


「しかし困ったね。ロボットの髪の毛ってすぐ伸ばせないの?」

「すぐに伸ばしたいのならば頭髪を植え替える事は可能です。しかし普通はナノマシンがゆっくりと修復するのを待つしかありません」


 ロボットの頭皮には毛髪を育成するナノマシンが住んでおり、毎日少しずつ有機物から毛髪を生成して伸ばしている。


「しかし前髪切り過ぎたくらいで工場行くのもね〜。大袈裟すぎというか」


 その時夕暮れの隅田川に世にも恐ろしい声が響き渡った。

 オーホホホホ……オーホホホホ……。


「ぎゃあ! なんですか!?」


 黒乃とメル子は周囲を見渡した。そして現れたのは金髪縦ロール、青い瞳、シャルルペローの童話に出てきそうなドレスを身に纏った小柄な少女だ。


「あ、マリーが来ちゃった。どうしよこれ」

「オーホホホホ! お久しぶりですわー! わたくしアニーお嬢様のメイドロボ、マリエットですわー!」

「んん!? マリエット!? え? だれ!?」


 そしてさらに横から登場したのは金髪縦ロール、青い瞳、シャルルペローの童話に出てくるドレスを改造したメイド服を纏ったセクシーな女性だ。


「オーホホホホ! お久しぶりですわー! マリーの姉のアニー・マリーですのよー!」


 二人は口元に手を当てて大声で笑い始めた。「「オーホホホホ!」」

 

「うわわわわわ! なにこれ!? アン子が二人いる!? なんで!? あれ? 頭が痛い! 何かを思い出しそう!」

「お二人ともお久しぶりです。ロボット大運動会以来ですね」

「思い出したああああああ! あれ夢じゃなかったのおおおおお!」


 アニーの登場にアンテロッテはすっかり怯えてしまっていた。ご主人様の期待に応えられないメイドロボなど何の意味があるのだろうか。目にはそう書かれている。

 しかしアニーはアンテロッテにゆっくりと歩み寄ると怯えるアンテロッテを優しく抱きしめた。


「アニーお嬢様……」

「これ自分を抱きしめてるようなもんでしょ。どういう気持ちなんだろ」


 アニーはアンテロッテの前髪をさらりと撫でた。アンテロッテの目からこぼれ落ちた涙を拭いとった。


「くわー! なんて美しいシーンだ! そっくり美少女同士の濃厚な百合シーン! これは映像に残したい!」

「ご主人様! 黙っていてください!」


 アンテロッテは俯いたまま言った。「申し訳ございませんの。アニーお嬢様の姿を傷つけてしまいましたわ……」

「アンテロッテ、そんな事ありませんのよ」


 マリエットがアニーに何かを手渡した。ハサミだ。アニーはハサミを構えると自分に刃を向けた。


「アニーお嬢様、何をなさるんですの!?」

「わたくしとアンテロッテの姿が違っているからいけないのですわ」


 そしてアニーは自分の前髪をバッサリと切り落とした。


「うわわわわ! パッツン被りだ!」

「ダブルパッツンです!」


 アンテロッテはアニーの所業に声もないようだ。


「アニーお嬢様……」アンテロッテは涙を流してアニーと抱き合った。


「ふわー、ええ話や」

「ご主人様! 私感動してしまいました!」


 そしてその時一人の少女が現れた。金髪縦ロール、青い瞳、シャルルペローの童話に出てきそうなドレスの少女だ。


「アンテロッテ! 探しましたのよー!」

「あ、今度こそ本当のマリーだ」


 マリーはつかつかとアンテロッテに歩み寄る。相当に怒っているようだ。


「マリーお嬢様……わたくし」

「どうして家出なんてしましたの」

「それは……」

「家出つっても家から百メートルないけどな」


 マリーは腰に手を当てて仁王立ちをしている。下からアンテロッテを睨め上げた。


「アニーお嬢様と違う姿になってしまって、申し訳なくてそれで」

「違いますわ!」

「え?」


 黒乃とメル子とアニーとマリエットは呆然とした様子で成り行きを見守った。


「わたくしが怒っているのはアニーお姉様と違う姿になった自分を恥じている事ですのよ!」

「お嬢様……?」

「アンテロッテはアンテロッテ。お姉様はお姉様ですの! 前髪が何ですの! 関係ありませんわ! 自信をお持ちなさい!」

「お嬢様!」


 二人は走り寄り強く抱き合った。背の低いマリーの足が浮かび上がった。


「おおお、感動のシーンだ!」

「ご主人様! 私感動してしまいました!」


 そして二人は手を握りながら夕日の中へ消えていった。


「さて、私達も仲良く帰ろうか」

「はい!」


 黒乃とメル子も手を握りながら夕日の中へ消えていった。

 

 川辺にはアニーとマリエットが取り残された。カーカーというカラスの鳴き声が二人の間を通り抜けた。


「わたくしが前髪切ったのはなんだったんですの……」

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