第9話 衣裳チェンジです!

 午後。黒乃は仕事を早めに切り上げることに成功した。黒乃は既に済ませたが、昼食時ということもあり、ただでさえ混雑している町は更に大混雑だ。

 ここは浅草。誰もが知る観光名所。その景観は二十一世紀初頭から百年以上ほぼ変わっていない。


 『人間環境保全法』

 新ロボット法と共に公布された法律である。二十一世紀から猛烈な勢いで進化を始めたAI、ロボットと人間が共存共栄できる環境を作ることを目的としている。

 ともすれば科学技術の進化により生活環境が『ロボット側』に偏りかねない状況(ロボット依存)を抑制するべく、生活環境や身近な技術を無理矢理二十一世紀初頭レベルまで落とすことで、『人間側』の優位を保とうとするものである。

 AIやロボットの技術に様々な制限が加えられてようやく『ロボット側』と『人間側』の均衡が保たれている状況である。

 浅草の景観が百年前のままなのも、この法律によるものだ。


 今日はここでメル子と買い物の約束をしている。そう、メイド服を買うのだ。メイドロボを購入する際のカスタマイズページには、オプションとしてメイド服が付くようになってはいたものの、金額がやたら高いのといかにもなメイド喫茶風のデザインしかなかったため、購入を見送ったのだ。

 そのためメル子をジャージいっちょという可哀想な状況にさせてしまったのは、申し訳なく思っている。

 浅草には老舗の呉服店が多くあり、なんとメイド服を仕立ててくれる店も少なからずある。


 メル子との待ち合わせの場所はまさしく雷門である。黒乃があえてこの場所を選んだのには理由がある。

 

 これ程の混雑の中でも黒乃は一瞬でメル子の姿を見つけることができた。それもそのはず、メル子は明らかに周囲から浮いているからだ。お昼の強い日差しを反射しキラキラと輝く金髪に白い肌。小柄な姿には似つかわしくない程の盛り上がりが、ジャージのファスナーをはち切れんばかりに押し上げている。


「あ、ご主人様ー!」


 すぐに黒乃を発見したメル子が胸元をユサユサさせながら走り寄ってくる。もう注目の的だ。


「ははは、メル子。待たせたかい?」

「いえいえ、89分59秒だけです」

「ははは、参ったね」


 ようするに目立ちたかったのだ。自慢のメイドロボとのイチャイチャを見せつけたくて、この場所を待ち合わせに選んだのだった。陰キャにはあるまじき思考だが、それ程自慢のメイドロボなのであった。


 二人は並んで歩き始めた。観光客がほとんどこない数本外れた路地に入っていく。先程までの雑踏や喧騒が嘘のように消え、古い町ならではの緊張感が漂ってくる。

 中程まで数分進むと、そこには明治創業と書かれた呉服店と大正創業と書かれた呉服店があり、その二つに挟まれるようにお洒落な洋装店が軒を連ねていた。

 ここはいわゆるコスプレショップではなく、古い時代のレトロな服を仕立ててくれる店である。黒乃はこの店に入ったことはないが、ウィンドウに古いスタイルのメイド服が飾られているのを発見し、時々訪れては眺めていたのだった。

 

「いい雰囲気のお店ですね」

「う、うん。そうだね」


 黒乃は少し震えながら答え、ドアノブに手をかけた。普段スーパーマーケットの二階にしかいかない黒乃には敷居が高すぎる店に感じる。しかしメル子のために門を開かねばなるまい。


 チリンチリン。

 客は誰もおらず、BGMもなにもない完全な静寂の店内にベルが響く。店内は思ったよりも広く、衣装が間隔を空けてディスプレイされている。

 すると奥から店主らしき人がやってきた。着物を着ている年配の女性だ。

 

「いらっしゃいませ」


 店主は穏やかに挨拶をした。すると次にメル子の方に視線を移して、少し驚いた感じで「おや」と言った。


「ひょっとして、メイドロボちゃんかしら」

「わかるのですか?」メル子も少し驚いた感じで言った。

「綺麗すぎるもの」


 実際の所、人間とロボットを区別する方法は簡単だ。首の後ろにユニークIDが表示されているからだ。暗号化されて記号に変換されているため、見ただけでは数値はわからない。政府のデータベースにアクセスして初めて数値を知ることができる。

 この表示は新ロボット法により、全てのロボットに義務付けられている。

 しかし店主は首の後ろを見ることなく、メル子をロボットだと見抜いた。


「でもね、昔のメイドロボの方がもっと綺麗だったのよ」

「えー? 私よりもですか!?」


 まるで自分より綺麗な存在などいないとばかりにメル子が不満を漏らす。


「じゃあ見てみましょうか。ルベールさん」


 店主がそう呼ぶと、奥から妙齢の女性が姿を現した。


「はい、奥様」


 驚くほどの美しさを秘めたメイドロボだった。伝統的なヴィクトリア朝のメイド服を着こなし、黒髪を結い上げキャップの中におさめている。


「ほえ〜」

「はえ〜」


 二人は美しさに見惚れてため息をついた。しかしこの美しさは……。


「綺麗でしょう? お人形さんみたいで」


 そうだった。彼女の美しさは人形のような造形美によるものなのだ。

 店主(どちらかは忘れたが、隣の呉服屋の店主もしている)が言うには、以前のメイドロボはカスタマイズして注文ができずに一点ものばかりだったそうだ。

 ルベールと呼ばれたメイドロボは有名デザイナーの作品らしい。


「こちらのお嬢さんは本当に人間味に溢れているわね。それが今のメイドロボの新しい美しさなのかもしれないわね」


 あらごめんなさいと呟き、店主は黒乃たちがメイド服を買いにきたのを確認すると、何点か衣装を見繕ってくれた。

 採寸や着付けをルベールが行い、これぞというメイド服が一つ見つかった。

 オーダーメイドの衣装は予算的に厳しいので、店にあったものをメル子用に調整してくれることになった。仕上がるまで数日かかる。


 黒乃たちは店主とルベールに礼を言ってその日は店を出た。やや日が落ちかけている路地を歩き始めた。


「ご主人様、いいメイド服があってよかったですね」

「うんうん、毎日使うものだから、しっかりしたものを買わないとね。本当にいい買い物したよ」

「……あのルベールさん綺麗でしたね」

「うん」


 メル子はなにか言いたげである。もちろん黒乃にはそれがわかっている。


「メル子!」

「はい」

「メル子の方が綺麗だよ!」


 メル子は両手を胸の前で合わせてにっこり笑った。


「はい、わかっています。ご主人様がカスタマイズしたメイドロボが世界一です!」


 陰キャ女と世界一可愛いメイドロボはスキップしながらスーパーマーケットに入り、夕飯の食材をたんまり購入し家に帰った。

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