川縁の猫

帆尊歩

第1話 川縁の猫



野良猫のバーバを見なくなって、半月が立とうとしている。

バーバは、あたしが多摩川のほとりで見つ けた野良猫だ。

叔父さんから空家のメンテと引き換えに、家賃タダで住まわせてもらっている家が、ここ武蔵野の一角府中だ。

府中なんて初めての土地だし、武蔵野と言ったって思い出すのは昔文学史でやった、国木田独歩くらい。

ちなみに読んではいない。

とりあえず、知らない土地バリバリのこの武蔵野を少しでも知ろうとして、近所を徘徊し、さらにその延長線で多摩川まで行った。

そこで出会ったのがバーバだった。

典型的なツンデレで、すり寄ってきたので頭をなでると、プイッと離れる。

別に思い入れも愛着もないから。チェっと舌打ちして離れると、今度は着いてくる。

仕方なくまたなでると、またプイッと離れる。

そんな事を何度か繰り返しながら、河原を後にした。

真正面に巨大な建物が見える。東京競馬場、別名府中競馬場だ。

ちなみに昔あった歌の、競馬場とビール工場というのはこの辺らしい。

競馬場の横を通りながら家に帰ろうとすると、不穏な気配を感じたが、あたしは気付かないふりをしてそのまま家に帰る。

玄関を入ろうとして、振り向くと着いてきている。

猫は生活圏から離れると、生きてゆけないなんて聞いたことがあるけれど、勝手に着いてくるんだから、生きてゆけないならば勝手に河原に帰るだろうと考えた。

ところが、バーバはうちの周辺に居着いてしまった。

決してうちではない周辺だ。

そして決して飼っていた訳ではない。

でも、うちの玄関先のコンクリートの上で、日向ぼっこをしていたり、庭先を歩き回ったりしていると、なんとなく気の迷いで猫缶なんか出したり、早く出て行って貰うための餞別のつもりでチューブ入りのおやつをあげたりしていた。

普通、野良猫はもう少し警戒心が必要だろう。

あたしが上げた猫缶はペロッと完食するし、上げれば上げるだけ食べる。

そんな事をしているこの馬鹿猫は、うちの玄関先でおなかを上にして寝転んで、くつろぎはじめた。

まるで、うちで飼われているような態度をとるようになった。

だから意地でも家の中には入れないぞ、と思っていた矢先だった。


バーバは結構な馬鹿猫なので、ボーッと歩いていて、車にでもはねられていないか。うちで餌をやっているのに、食い意地が張っているから、拾い食いでもして倒れていないか心配になってくる。

いや、川縁に帰ったと思えば良いのだけれど、生活圏が違うので、この辺の野良猫とけんかして怪我をしていないかとか、心配し出すと切りがなくなる。

仕方がなくあたしは、近所を探し回る。


「バーバ、バーバ」声を掛けながら歩き回る。

歩いているうちに、段々不安になる。

まさか本当に事故にあったりしていないだろうな、なんて。


補助輪の付いた自転車に乗った女の子が、前から来たのであたしは

「猫ちゃん見なかった?」と聞く。

「どんな子」と子供のくせに有益な情報を聞き出すような口調で、聞き返して来た。

「馬鹿で、食いしん坊で、ふてぶてしい顔をしている猫」

「そんなんじゃ分からない」と言って、離れて行った。

相手にしてくれないというより、何だか小馬鹿にされたようで、ちょっとイラッとする。有益な情報を提供していないあたしが悪いことを棚に上げて。(最近の小学生は年上を敬うことを知らない)と毒づいてしまった。


「猫、見ませんでしたか?」前と後ろに、子供を乗せるシートをつけた電動自転車の奥さんに尋ねる。

「どんな猫ですか」

「馬鹿で、食いしん坊で、ふてぶてしい猫です」奥さんは笑って。

「その特徴ではね。でも猫自体見てないわね」

「そうですか」

あたしは

(この馬鹿猫が、見つけたら多摩川に捨てに行ってやる)といないバーバに悪態をついた。いや、元々野良猫だから捨てるも何もないのだけれど。


そんな時、後ろから何かが近づく気配がした。

ふり向くと、すらっとした見るからに美しい女性が、猫を抱きかかえて歩いてくる。

ふてぶてしい態度で腕に収まっているのは、バーバだった。

女性は白くて柔らかそうな生地のワンピースを着て、腰まであるストレートの髪をかすかに揺らしながら、ゆっくり歩いてくる。

まさに静と言う感じで、まるでその人のまわりだけ、音という物がないかのような印象。

「バーバ。この馬鹿猫。心配かけるな」と言って、あたしは女の人に近づいた。

「あら、この猫ちゃん。あなたの猫ちゃん?」

「えっ、あっ、いやー」

「バーバって言うの?おばあちゃんみたいね」と言って、女の人は霞のように笑った。

全く実体を伴わない空気のような存在感だった。

「あっいえ、別に私のということでは。うちに居着いている野良猫で、呼ぶ都合上バーバと呼んでいるだけで」と何の言い訳だか分からない言葉を並べる。

「猫ちゃん。探していたの?」

「はい」

「あたしも」

「そうなんですか。見つかりました?」バーバを抱いているから、見つかっていないことは明白なんだけれど聞いてみた。

「それが見つからなくて。そしたら、この子がやって来て抱き上げたら、この態度でしょう。なんか一緒に歩いて来ちゃったの」このバーバの態度を肯定的にとらえられるというのは、まるで天使のようだ。

俄然あたしはこの人に興味がわいた。

「もし良ければお礼にお茶でも。うちすぐそこなんで」

「あら、いいの?」

「ええ」なんであたしはこんな見ず知らずの人をお茶に誘っているのか全然分からないが、あたしはこの人をうちに連れて行ってしまった。

と言うか、この馬鹿猫のお礼を何であたしがしなければならない。


女性は未冬さんと言った。

あたしは未冬さんをリビングに通すと、とっておきの紅茶を出した。

未冬さんは本当に美しいんだけれど、存在感というか実体感がない。

その代わり肌が透き通るように白くて、何だか強く抱きしめたら、壊れてしまいそうに見えた。

言葉だって、冬の木枯らしの音のようだ。

未冬さんは例えるなら、まるで雪女のよう。

今はまだ秋だけれど。

「未冬さんはどんな猫を探しているんですか」

「あの人にもらった猫ちゃん。多摩川のほとりにいた子猫で、あの人かわいそうだから、お前が世話してやれって」

「あっ、そこのバーバも多摩川の河原にいたんです。ここまで着いて来ちゃって」家には入れないので、リビングの外からバーバがあたしと未冬さんを眺めている。


「だからあたしの猫ちゃんに似ていたのね」

ああ似ているんだと、あたしは今更ながら思った。

「いついなくなったんですか?」

「いつだったかしら。あの人と一緒にいなくなったから、もうずいぶんになるわね」

「あの人?」

「ええ。会いにきてくれなくなっちゃったの。いつだってあたしだけを愛してくれるって言ってくれていたのに。だから、あたしはあの人にもらった猫ちゃんを探しているの。あの人が帰って来るように」

あの人が会いにきて来れなくなったことと、猫がいなくなった関係性が曖昧だけれど、まあなんか重ね合わせているんだろうなとあたしは思った。

するとサッシの外から。バーバがカリカリし始めて、そっちを見るとバーバはまるでこっちだとでも言うようにをプイッとした。

「バーバちゃん、あたしの猫ちゃんの居場所知っているのかしら」そう言うと未冬さんは。慌てたように立ち上がると、バーバの後を追った。

なぜかあたしも後を追う。

あんなに存在感のなかった未冬さんが、存在感バリバリで一生懸命歩く、方向は多摩川の方。

あたしはバーバもこんなに早く歩けるんだと、変な事に感心していた。

是政橋に出て、橋を渡らず、土手から下に降りて行く。

そしてイヤってほど歩くと、多摩川の畔に来た。

バーバはなおも草むらを進んで行く。

その足取りは何だかしっかりしていて、まるで確実に自分が行くところが分かっているかのようだった。

そして歩いて行くと、草むらがぽっかり空いているところがあった。

そこには白骨化した、猫の死体があった。

あたしはああー嫌な物を見ちゃちゃったなーと思い、目をそむけた。

つまり未冬さんが探していた猫ちゃんは、ここで死んでいたということか。

かわいそうに未冬さんが彼氏にダブらせて探していた猫ちゃんは、死んでいたという最悪の結末になってしまった。

あたしは茫然自失している未冬さんを見た。

それはショックだろうな。

言葉を失った未冬さんは、一粒涙をこぼしたと思うと、その遺体に近寄って行った。

「あなた、こんなところで。なんで一人で逝ってしまうの。なんであたしを置いて行くの」

あ、あなた?どういうこと。

近寄って行った未冬さんは、急に体が小さくなっていった。

そしてみるみるうちに、綺麗な白い猫に変ってしまった。

あたしは驚いて、恐くて、腰が抜けて、後ろにひっくり返ってしまった。

綺麗な白い猫になった未冬さんは、その猫の遺体の側でいつまでも悲痛な鳴き声を上げていた。

その鳴き声は失った物の大きさが分かり、その悲しみが分かるせつない鳴き声だった。

あたしは、怖さよりその悲痛な鳴き声に、動けなくなった。

その声は、今はもう猫の鳴き声なのに、あまりに大きな悲しみの声で、このあたしが、迂闊にも涙をこぼすような切なさだった。


今、未冬さんから変身した白い猫は、バーバと共にうちで暮らしている。

イヤ、居着いている。

いていいなんて許可した覚えは無いのに、我が物顔である。

そしてこのほどいつの間にか三匹の子猫が走り回っている。

白にちょっと茶が入った子猫なので、バーバと未冬さんの子供なのは明らかなんだけど。

この増殖した猫たちを、さてどうしたものかと、あたしは頭を悩ませている。



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