一六 ノミナリズム

 担任の教諭が急死した。前日のホームルームに変わった様子は無かったので、朝その報せを聞いた時クラスは騒然となった。代わりにやってきた教頭が、死因は心臓発作だと告げた。一分間の黙祷を捧げ、それだけで授業は平常通り始まった。担任の担当科目だった歴史の授業は自習になった。妙な噂が流れ始めた。ついさっき、死んだはずの教諭が校庭を歩いているのを見たというのだ。

 それも、どうやら根も葉もない噂というわけでなく、何人もの目撃者がいるらしかった。挙句、携帯端末で撮影された画質の悪い証拠写真とやらまで出回り出し、やけに信憑性の高い話となって皆を震え上がらせた。僕は友人の一人に言った。

「単なる群集心理による思い込みだろう。少し背格好の似た他の先生を、遠くから見間違えてもおかしくない」

「幽霊なんていない、ってことか?」

「いや、そこまでは言わない。ただ、安易にその存在を受け入れるのが得策だとは思えないだけさ」

 あっという間に放課後が来て、黄昏時になった。僕は学校に残っていた。下校時間が過ぎた後も、掃除用ロッカーの中に隠れて警備員をやり過ごした。学生服のポケットから拳銃を取り出し、弾丸を詰める。誰もいない廊下を、足音を殺して歩いた。生徒たちは皆帰ったが、教師は残っているはずだ。警戒を怠ることはしない。担任の通夜が一九時からあるので、それまでに決着をつけたかった。

 誰にも見つかることなく僕は体育倉庫に辿り着いた。場所には何の根拠もなかったが、自分ならここにすると思った。鍵は開いていた。一見誰もいなかったが、隅の方で一人の人間が座り込んでいた。

「誰? 私のことは放っておいてくれない?」

「基本的には、そうするつもりさ」

 先生が生きているのではないかと、僕は最初そう疑っていた。だが、違った。そこにいたのは確かに担任の教諭と同じような格好をした女性だったが、紛れもなく別人だった。髪型も、似ている。暗がりの中でその表情はよく見えなかったが、晴れてはいないだろう。

「どうして、こんな真似を?」

 その女が誰だかようやくわかった。欠席していたはずのうちのクラスの女子だった。背格好が先生に似ているので、遠目から見れば確かに間違えそうだ。誤認させるのが目的なら大成功だろう

「好きだったからよ……、本当に」

 同性の教師と生徒の間に何があったのか、僕にはそれを想像する勇気はなかった。拳銃を差し出したが、女の子は首を横に振った。僕は頷いて先生の通夜に向かった。

 女の子は次の日失踪した。

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