六 偽装の理想
朝。同級生の女の子名義の手紙が靴箱に入っていた。放課後に体育館の裏に来て欲しい、とある。可愛い娘だった。クラスでも一番人気があった。体育館の裏。あまりにも真っ当過ぎて、逆に変な警戒をした。どうせ悪戯だろう。達観する意識の隅で、一番動物に近い部分だけが、本当に本当かもしれないと浅ましい期待を膨らませた。知り合いに見られぬよう、手紙をランドセルに押し込んだ。心臓が口から飛び出しそうだった。どうした顔が真っ赤だぜ。悪友が笑った。
国語も算数も図工も給食も、全てがうわの空だった。ちらちらと、手紙をくれた子の方を向いてしまっていた。目が合うたびに微笑んでくれた。慌てて目を逸らす僕を、隣の子が不審そうに見ていた。
「来てくれたんだ」
放課後はあっという間に来た。体育館裏に至るまでの道程を覚えてすらいない。体育館の角を曲がった先に、赤いランドセルが見えた。振り返る前に、その声は聞こえた。足音で気付いたらしい。
「う、うん……」
曖昧に頷く。
「一体、な、何の用?」
女の子は振り向き、天使のような笑みを見せた。どきりと心臓が鳴った。微妙な間があった。距離的にも、時間的にも。
「私を殺してくれない?」
慄然とした。女の子は、僕にごつい鉄の塊を差し出して来た。武器に詳しくない僕にも、それが拳銃と呼ばれる凶器だとわかった。
「今、脅されているの。お父さんが、ろくでもないところからお金を借りちゃったらしくて、私の身柄が担保に入れられているの」
女の子の手には拳銃と、金色の弾丸が幾つも握られていた。
「もう、長くないの。今日にでも、その大人達は、私を連れに来る」
「……逃げよう」
子供心に、あまりにも理不尽過ぎると思った。心を締め付ける鎖が擦れ合う、じゃらじゃらという音が聞こえた気がした。
「無理よ。子供に出来ることなんて、本当に限られているもの。どうせ、逃げ切れっこない。逃げても立場を悪くするだけ。結局大人達に売られて慰み者にされてしまうわ。そんな目に遭うくらいだったら、私は潔く好きな人の手で殺されたい」
僕の考えつく限り、最悪の告白だった。その銃を使って大人達を皆殺しにしたい、と僕は願った。だが、そうして待っている未来も大人達に捕まるのと似たようなものかもしれない。
だからこそ、この子は自ら死ぬ道を選んだのだ。
「私、全然悲しくなんてないよ。あなたの引き鉄で逝けるんだもの」
五分だけ、覚悟の時間を貰った。指先の震えが止まらなかった。僕は泣いた。けれども女の子は泣かなかった。最期まで笑っていた。
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