三 贄人

 夢を見ていた。地獄を見ていた。嘲笑うような顔で僕を見下ろす、紫の肌の悪魔がいた。持っている巨大な鎌には血液が付着している。奇妙なことに、その血が僕のものであると察せられた。

「お久しぶり」

 悪魔が真顔で言った。甲高い妙な声だった。

「前に会ったことがあったかな?」

 僕は訝って訊いた。甲高い妙な声になった。僕の声でなかった。

「前は、女が一緒だった」

 女とは誰のことだろうか。思い当たる節は無かった。

「憶えてないな」

「そうか、それは残念だ。俺のところに二度も来ることの出来る人間は珍しいのに。神懸りなのに」

「これは夢じゃないのか?」

「とんでもない」

 悪魔は、けたけたと不思議な笑い方をした。悪魔の座っているのが人間の頭蓋骨を積み重ねた代物だと気付き、僕は身震いした。

「これは夢ではあるが、君の考える夢とは違う」

「現実でないなら、どちらでも一緒だ」

「そうとも言う。前にも君はおんなじことを言った」

 悪魔は、ぱっと立ち上がると巨大な鎌を振り回した。むしろ鎌の重さに振り回されるような不思議な踊りに見えた。近付き過ぎた僕の右腕に鎌が掠める。灼熱する痛みが脳を貫いた。リアルな痛み。

「何が望みだ?」

 悪魔が訊いた。僕は腕を押さえる。白黒画面で見るような、色のない赤が噴き出していた。生温い感触が指に絡みつくたびに、僕の中から何かが溶け出してくる。不思議だった。思えば、いつも足りなかったのはこの感触なのかもしれない。

「時間が欲しい」

 僕は呟いた。本当に欲しいのはそんなものではなかった。一分一秒たりとも狂うことのない時計を僕は当然持っていて、それをガラス窓に叩きつけて割ったのも僕だった。あの日、僕は気付いた。

「時間ならある。何をする時間も、足りないことはない」

 時計は剥き出しの秒針を晒して床に転がった。痙攣するように震える歯車は時計の死を僕に知らせてくれた。だが、それは時計の死であって時間の死ではない。時間は無事だ。時間はある。

「望みに気がついたら、また来い」

 もう二度と来たくはなかった。だが、もう一度来ることはわかっていた。悪魔の鎌が空気を切り裂いた。僕の喉に鋭く突き刺さった。

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