軟体妖の囲い方(4)
ダストンは紐で束ねられた書類をアレンに手渡す。
「今日の作業終了報告に来たぜ」
「あ、ああ。お疲れ様……」
「また逃げ出したみたいだなそいつ」
ダストンは顎でしゃくって軟体妖の入った瓶を指す。
まるで
「どれ。まだちゃんとは見てなかったんだよな、俺」
呼び止める間もなく彼は
「おわっ!」
驚いた声を上げてのけぞる大男。突然のことに、またもや逃亡を図ろうとしたのかとアレンたちは身構えたが、それは杞憂だったようだ。
スラタローは勢いよく瓶の外に飛び出したものの、そのあと床に落ちるといつもの緩慢な動きに戻っていた。
「びっくりした。こいついつもこんな元気なのか?」
「いえ。私も初めて見ました。餌をあげる時だってこんなに活発じゃないです」
「ううむ。一瞬であればあれほどに素早く動けるもんなんじゃなあ……」
老人も初めて見る様子らしく、髭をいじりながら唸った。
「ダストンさんが襲われたかと思いましたよ……」
安心した様子でセトが胸をなでおろす。彼ほどではないが、アレンも一瞬そのことを警戒した。
「なあ、こいつ今までこの瓶の中にいたんだよな?」
「あ、ああ。逃げないように閉じ込めてた」
ダストンの問いかけに戸惑いながらアレンが答える。
「どのくらい?」
「捕まえたのは……かれこれ一時間くらい前か?」
「俺は魔獣に詳しくないんだが。こいつは呼吸しなくても生きていけるヤツなのか?」
「え? ああ、いや……」
唐突な質問を受け、アレンは視線を老人に移す。助け船を乞われて老人は「うむ」と頷く。
「わしの知る限り、魔獣とは
「じゃ、じゃあさっき勢いよく飛び出して来たのは……」
「息苦しかったんじゃねぇか?」
さも当然というようにダストンは言った。
老人が言うように、アレンたちは重要なことを失念していた。
それを密閉された水瓶などに入れられれば呼吸困難は必至である。
「待てよ。じゃあ樽から逃げ出したのって……」
「まあ木樽なら瓶ほど密閉状態じゃないだろうが、それでも息苦しいことに変わりはなかっただろうな」
しかも、とダストンは続ける。
「ここは窓の無い地下空間だ。空気が淀んでもおかしくない。今俺達がいるこの部屋も、五人入った状態で扉を閉めたらすぐに酸欠になるぞ」
「あっ。じゃあ扉の下の隙間って……」
思いついたようにサラが声を上げる。
「もちろん部屋自体を密閉させない為だ。っておい。まさかそこも塞いじまったのか?」
「…………」
そうだ。そしてその所為でこの地下室は密閉状態となった。さっきスラタローを閉じ込めた水瓶と、スケールこそ違うが状況は同じだった。密閉された空間で、次第に酸素は減っていき……。
だが何故スラタローは屋外で見つかったのだろうか。酸欠状態を発見した誰かが救助し外に逃がしたというのか。それならばそうと誰も名乗り出ないのはおかしい。
「いや待てよ。完全な密閉空間とは言えなかったかもしれないぜ」
「どういうことです?」
顎をさすり考える素振りをするダストンに、アレンが問う。
「この建物も結構な年期だ。ここ数年は誰も住んでないような、な。当然メンテナンスも行き届いちゃいない。んでもってこの壁や床のシミ……。昨日今日でできたようなもんじゃない。おそらくだが、雨の日なんかはここに浸水して来てたんじゃないか?」
「水……」
「一度水が流れると、どんどんそこに水は集まる。砂利や土を押しのけて、岩の隙間にも空間を作り出す……」
言われて全員が天井や壁を調べ始める。暗くて見えづらいので、アレンやセトは魔導の力で光を灯す。しばらくした後「あっ」というセトの声が響いた。
「こ、これじゃないですか?」
指さす先、天井と壁の境目に小さな亀裂が走っているのが見える。遠目には傷や模様と区別がつかないようなものである。アレンは樽についた亀裂を思い出していた。大きさはそれ程変わらないように見える。
「人や鼠は無理でも。あの軟体生物なら脱出可能か……」
ならばひとつのシナリオが思い浮かぶ。朝サラが覗き窓から存在されたあと、スラタローはこの亀裂を見つけ脱出を試みた。気温や湿度が比較的棲息環境に似ていたこの地下室を出て、本来苦手な屋外を目指したのは何故か。
室内が極めて密閉空間に近く、酸欠寸前の状態だったからである。スラタローは生物の生存本能として大気を求めて脱出を図ったのだ。
「ぅわーん。ごめんよスラタロー!」
ことの真相に気づいたサラは泣きつくように水塊を抱え上げた。結果的にはひとつの生命を酸欠に陥れ危険に晒したのである。気づかなかったでは済まない過ちを犯すかもしれなかったのだ。
アレンはこの変幻自在な身体を持つ奇怪な生き物に対し、どうすれば囲い込んで閉じ込めることができるかばかりに注視してしまっていた。その結果、密閉された空間では生物は生きていけないという当たり前の事実を失念してしまっていたのだ。
「しかし難儀だな。僅かな隙間でも逃げ込める。完全に閉じ込めちまったら窒息死。どうやって管理するんだ、これ?」
気怠そうに頭を掻きながらダストンが訊く。この軟体生物を飼育するにしても展示するにしてもその箱物を作るのは彼ら技術班である。
「一応、わしに考えがある」
「ほう」
「
「ど、どれです……?」
サラが腕の中のスラタローに向けて目を細める。「これじゃ、これこれ」と老人のしわがれた指がゼラチン質の身体をつつく。その先にぼんやり小さな球体が見える。身体の色と同系色で分かりづらいが、人間の眼球ほどの大きさのものが確かにある。
「つまり、これより小さな空気穴がいくつも空いた箱であれば、逃げもできないし窒息もしないということですか?」
「ほう。それならできねぇ話じゃねぇな」
大男が笑みを見せる。
「どれ。試しに手運びできるサイズのものを作ってやる。そこの水瓶よりかは住み心地は良いはずだぜ」
「わぁ! ありがとうございます!」
おう、と頷いてダストンは部屋を出て行く。さっそく作業にとりかかるつもりのようだ。
「…………」
少し考えてからアレンはその背中を追いかけた。
「ダストンさん!」
地上に続く階段の途中で呼び止める。
「どうした?」
「お礼を言いたくて。ありがとうございました」
律儀に頭を下げるアレンの姿を見て、面食らったように男は頭を掻く。
「なんのことだ? 俺は思いついたことを言っただけなんだが」
「お陰で気づいたことがありました。危うく僕は、とんでもない間違いを犯すところでした」
最初の間違いは、状況分析が甘いままで身内を疑ったことである。冷静になって部屋内をよく調べていれば、
そして最悪の場合、彼は思いついた個人面談を慣行していたかもしれない。スタッフの中に敵が紛れていると思い込み、いもしない犯人捜しに躍起になっていたかもしれない。
そうなれば、言うまでも無く組織の空気は険悪になる。無実の罪で疑われた者は、犯人を憎み、互いが互いを疑い合ってしまう。最初から犯人などいないのに、だ。
そしてその要因を生み出したアレンに対しても、不満の矛先は向いたことだろう。そんな状態で、プロジェクトが円滑に進んだとは考えづらい。
幸運にも今回は、その最悪な状況は回避できたのである。
「まあなんだ。確かに俺達は寄せ集めだ。それにまだ計画が始まって一か月も経ってねぇんだ。信頼関係って呼べるものが俺らに無いのは仕方ねぇのさ」
ダストンは静かに言う。
「だがだからって助け合えねぇなんてことはねぇ。さっきみたいに爺さんの智慧があって箱物のイメージができることだってある。それぞれがそれぞれのできることをやって進めていくしかないのさ」
「……」
「あんただってそうさ。俺は戦時中のあんたのことは知らない。けど、今回のプロジェクトであれこれ難儀してるってのは伝わってるさ。みんなこの計画に対する思いはそれぞれだろう。俺だって、随分と酔狂な話だと内心では思ってる。だが、仕事として関わる以上やれる限りのことはやるつもりだ。あんたが先頭に立って汗水垂らすってんなら猶更だ」
言って男はアレンの肩に手を置く。
「あんたが頭だ。シャキッとしてねぇと誰もついて来なくなるぞ?」
それから二回、軽く肩を叩いたあと一人納得して頷くと、彼は背を向けて去って行った。
アレンの感謝をどのように解釈したのか知る由も無いが、ダストンの言葉にアレンは確かに勇気づけられたような気がした。
そして同時に自戒の思いも生じた。
囲い込むのが難しいのは魔獣だけではない。
人間の感情も、変幻自在で移ろいやすく、動きの読めないものなのだ。
天才魔導軍師に学ぶ魔獣の飼育方法 汐谷九太郎 @izuco409
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