軟体妖の囲い方(3)
最初の一回は、彼(?)がこの研究所にやって来たその日に起こった。老人の勧めで保管場所は地下倉庫に決まった。棲息地である洞窟に最も環境が近いのだと言う。地下にも十分な空間があり、いくつかある中の使われてない部屋が彼の部屋にあてがわれた。部屋は四方を石壁に囲われた空間で、鉄扉で隔てられた出入口がひとつ。この鉄扉にはガラスの覗き窓がついていて、もともとは地下牢の用途もあったのではないか、とアレンは思った。
慌ててアレン含むスタッフを呼んで捜索を開始。結局、
続く二回目は、一晩経った翌日に発覚した。木板では逃亡を防げない反省から、蓋を鉄製のものに代えて閉じ込めることにした。鉄板は持ち上げられないことを確認して、その日はそれで良しとした。
しかし一晩のうちに彼はまんまと逃げおおせたのである。翌朝様子を見に来たサラは樽の中に軟体妖の姿が無いことを確認。慌てながらも部屋内もしっかり確認したが、どこにも姿は無かった。扉の下に手を差し込める程度の僅かな隙間があることを発見し、そこから外に逃亡したのだと推測。またも捜索が始まった。
半日に及ぶ捜索の末、地下にある別の倉庫の中で、資材の間に隠れているところを発見された。樽から出た方法については、樽を調べることですぐ発覚した。樽の側面に肉眼で分かるほどの裂け目が走っていたのだ。これはもともとあったものではなく、
鉄扉をどうこうできる力はないと判断し、扉の下にあった僅かな隙間を埋め、部屋に閉じ込めることにした。これにより
「奴の柔軟性は想像以上だな」
地下室へ足を速めながら、アレンはぼやいた。これで三度目。やらなければならない仕事が山積みになっているのに、こんなことに時間をとられている場合ではないのだ。
しかし魔獣を取り逃がしたともなれば組織の責任が問われることも明白であるし、飼育、展示をしていく上で生じる問題はクリアしなければならない。
「朝は確認したんだよな?」
「はい。朝九時には部屋にいました。覗き窓から天井に張り付いているのが見ましたから」
地下室に着く。扉は閉まっていた。扉の下にあった隙間は砂を撒いて埋めている。掘り返した様子は無い。扉自体にも傷や穴は無く、軟体妖とは
扉を開ける。注意深く中を確認する。壁の隅に置かれた、湿度を確保するための水瓶以外にものは無い。扉の裏、扉側の壁面にも目を凝らす。水瓶をひっくり返し、中を確認する。
「……いない」
アレンはそう結論付けた。
出入口はひとつの扉のみ。窓のないこの密室から、いったいどうやって――。
「脱出不可能だとしたら答えはひとつだ。……誰かが故意に逃がしたとしか考えられない」
「そんなっ!?」
サラが驚きを隠さず口元を抑える。
「誰がそんなこと……?」
「それは分からない。扉には鍵が無いから誰だってやろうと思えば簡単にできる。お前が確認しに来た朝九時以降で、ここに来て扉を開け、奴が外に逃げたところで扉を閉める。それだけだ。いなくなってるのを確認した時間は覚えてるか?」
「確か十一時くらいです」
「ようはその二時間の行動が曖昧な奴が怪しいわけだな……」
「で、でもっ。仮に逃がした人がいて、いったいなんの為に……?」
言いたいことは分かる。もし故意に逃がした犯人がいるとすれば、それはこの計画に関わっている人間の他いない。同じ志を持つ仲間のはずであり、そんなことをする動機が不明なのである。
「理由はどうとでも推測できる。もともと敵対組織のスパイで、僕たちを邪魔することが目的だった、とかな」
「そんな……」
「どいつもこいつもこの計画に賛同しているとは限らない。僕たちは所詮寄せ集めだ」
もともとはレストン候の『魔導の平和的利用』という目標が最初にあって、その一環として今回の魔獣園計画があるのだ。国政に携わる諸侯の中には、彼に反対意見を持つ者も存在する。そのような輩の息が掛かった者がこの場にいないという保証はない。レストン候も主任の選考には立ち会っても、雑務を行うスタッフにまで気は回らないだろう。
ふと、アレンが助手の方を見ると俯いた様子でその表情は翳っていた。彼女はここに来てから不特定多数のスタッフたちと親交を深めていた。計画を円滑に進める処世術、というよりは彼女元来の性格や気質がそうさせるのだろう。しかし、仲良くしてきた人の中に信用できない者がいるかもしれないというのは、彼女にとっては信じたくない事実なのである。
「犯人捜しは後だ」
アレンはそんな少女を慮ってか話題を逸らす。
「まずは逃げ出した魔獣の確保だ。サラ、他のスタッフたちに声を掛けて来てくれるか?」
「は、はい!」
言われて彼女はぴっと背筋を伸ばし、足早に去っていった。あれこれ悩むよりも今するべきことをした方がいいと思ったのだろう。
その場に残されたアレンも行動を始める。まずは手身近な地下から捜索を始める。
その後。
スタッフ総出で捜索された軟体妖は意外な場所で発見される。捜索開始から二時間後、研究所陰の外壁付近で大人しくなっているところをスタッフが見つけたのである。
「外にいた……?」
確保され、水瓶に詰められた状態で地下室に運び込まれた軟体妖を見下ろしながら驚いた声を上げた。
今、地下室にはアレンとサラ、そしてセトとクレイマン老人の姿がある。ナオミは所用で首都に出張しており朝から研究所にはおらず、技術主任のダストンは建設現場の監督をしている。
「はい。念のためと建物の外周を探していたスタッフが見つけたようです」
セトが眼鏡を正しながら答える。
「翁。
もともとクレイマン老人の話によると、彼らは低温で湿った場所を好み、太陽の光を避けるほど熱に弱い。その為に地下室で保管しようとしたのに、自ら外に出るのは不自然に感じる。
「自発的に、とは考えづらいのう」
その言葉にアレンは表情を曇らせる。「だったら」とアレンが結論を逸る前に、「勿論」と老人は続ける。
「魔獣にはまだ謎が多い。わしらの考えが及ばぬ行動をとらないとも限らん。例えば、奴らはわしらの想像以上に人間を恐れており、できるだけ遠くに逃げようと思った、とかな」
「ふむ……」
一理あるかもしれない、とアレンは考える。魔獣の研究がまだ初歩で足踏みしているのは、身をもって感じる事実だ。その行動理由を明確に判断する材料は少ない。
しかし同時に、簡単に話がつく仮設も考えてしまう。
だれかが手ずから持ち運べば、魔獣の意志は関係ないということである。
「正直に言ってください室長」
唐突にセトが言った。
「室長は、スタッフの中に犯人がいないか疑ってますよね……?」
「…………」
「そう思うのは自然です。中の軟体妖が自力に外に出られない。ましてや屋外に出る理由もないとすれば、誰かが運び出したと考えるのは当然でしょう。そして、それが可能なのは自分たちスタッフの中にしかいない」
「ああ。話が早くて助かる」
「ですが自分達には無理です。少なくとも魔導スタッフには」
セトはそう断言した。
「一応訂正しておくが、僕はスタッフを疑ってるわけじゃない」
えっ、と言いそうになったサラは口を手で押さえてそれを押しとどめる。先程と言っていたことと違うではないか、と思った彼女だが、彼がこの場で身内を疑うことを肯定すればその後の関係性に亀裂を生む危険性があると判断したのだと瞬時に理解した。スタッフたちはそれぞれ(おそらく)真面目に業務をこなしているのに、反旗の疑いをたてられればいい気はしない。
サラはアレンの心情を知ってるがゆえ、おそるおそる状況を見守っていた。
「状況から見ればその可能性はあるということも理解している。だが僕はスタッフを疑いたくない。だからセト、証明してくれないか? スタッフたちの無実を」
「……わかりました」
一度考える間があって、セトは頷いた。
「話を聞く限り、スラタローが地下室から外に出られたのは午前九時から午前十一時の間です」
「ちょっと待て。っていうかスタッフ内でその呼称は浸透してるのか?」
「はい。それがなにか?」
スラタローというのはいつだったか唐突にサラがそう呼び出したのが最初だったはずだ。
ちらり、とアレンは助手を横目で見る。彼女は何故かどや顔で親指を立てて見せる。スタッフ内での自分の影響力を誇示しているようである。
こほん、とセトは咳払いをする。
「その時間帯、魔導スタッフは八人全員第二研究室にいました。魔力感知による防犯システムの実験のためです。ようは特定の場所を魔力を持つ者が通過した際、それを感知して他の場所にいる人間に伝える実験です。その実験が早くうまく行っていれば、スラタローの逃亡も未然に防げたかもしれなかったのですが……」
「それは今悔やむことじゃないな。二時間、全員部屋にいたのか? こっそり出た行った者はいなかったか?」
「実験係、記録係と班を分けていたので無断でいなくなるのは難しいです。仮に一時的に席を外すことはあっても、違和感を持たせない時間で犯行を行うのは無理です」
「というと?」
「地下室と研究室の位置関係です。お互い建物の対局に近い場所にあるので、走って移動したとしても片道五分は掛かります。そこからスラタローをなにかしらの容器に入れて外に運び出して、また戻って来る。手間を考えれば十五分は必要なんじゃないでしょうか。それだけの時間で息を荒げずに戻って来られるスタッフはうちにはいません」
「……ふむ」
実行可能かはともかくとして、わざわざ犯行を実験の時間帯に合わせるのは心理的に考えづらい。途中で研究室を抜け出すのを見られていれば自分だけが疑われることになるし、犯行にうってつけのタイミングは他にいくらでもあったはずだ。
「それを言うならわしら魔獣スタッフにも無理じゃ」
クレイマン老人が横合いから口をはさむ。
「その時間帯わしらは資料室におった。わしが講師になって魔獣生態の講義をしておったんじゃ。その間、そこの娘が呼びに来るまで資料室を出たものはおらんかったぞ」
「となると、あり得るのは事務雑務のスタッフか……。今日はナオミが不在だから各々の判断で業務にあたっていたはずだが……」
「あのう、そのことなんですけど……」
おずおずとサラが手を挙げる。
「私、ナオミさんから今日の業務引き継いでまして……、その時間帯あちこちに顔を出してたんです。業務計画とか進捗確認に。あ、ちょこっと雑談もしましたけど……」
正直でよろしい。それはともかく。
「なにが言いたい?」
「私の動きってランダムで、犯人にとっては予測できなかったはずなんです。そもそも私が十一時にスラタローを見に行ったのも単なる気まぐれで。そんな中でスラタローを運び出そうと考えるでしょうか? 地下室に入ったり出てきたりしたところを見られるだけでも危ないんですよ?」
物理的にはなんら難しいことではない。だが心理的にはどうだろうか。いずれのケースにしても『どうしてこのタイミングで』という疑問が拭えない。もしかするとなにか見落としがあって、犯人には好機と判断する材料があったのかもしれない。
それとも、単に幸運が重なっただけとでも言うのだろうか。
アレンは頭を押さえて考える。かくなる上は、一人一人面談を行い様子を見るか? 隠し事をしたり嘘をつけば、態度や証言に齟齬が出るかもしれない。ナオミは普段ちゃらんぽらんだがそういった勘は鋭い。犯人をあぶりだすことはできるかもしれない。
――いや、しかし待て。
アレンは思いとどまる。できればこちらがスタッフに疑いを持っているという事実は悟られたくはない。個人への面談など、犯人捜しをしていると伝えるようなものである。先程のセトの態度から分かるように、真面目に働いているスタッフにとってそれは気分の良くないものだ。
できることならば、他のスタッフには気取られず犯人を特定し、水面下で処分するのが望ましい。
だが、いったいどうすれば――。
「おお、ここにいたのか!」
低い声が地下室内に反響した。見ると技術主任のダストンが入口近くに立っていた。
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