第7話

 お嬢様が斧を持ち上げる。

 身の毛もよだつほど大きな刃が備わり、反対側にはラッパ状の増幅器がついている。ドワーフの工房が作成した火刑の斧ステイクアックスだ。頭上高く斧がかまえられると、どかんという爆発音。耳を劈く轟音に参列者たちが色を失った。あらかじめ身構えていたあたしでもびっくりすほどの音と衝撃なのだ、当然だろう。

 火薬の爆発により加速された斧が勢いよく振り下ろされる。


 刃の先にあるのは、パット・ラナマンが納められた棺だ。


 小さな体躯に圧倒的な筋力が詰め込まれているドワーフの膂力に耐えきれるものは数少ない。ましてやお嬢様の斧は爆発により増速される火刑の斧だ。帝国製の装甲車だってぶち壊す。破滅的な音ともに木片が飛び散り、繊細な彫刻を施された棺が一瞬で破壊された。


 死化粧を施された遺体が、割れた水槽から飛び出す魚のように転がり落ちる。


「これは死者への冒涜だ!」

「ああっ、パット! なんてこと」


 司祭が抗議する。夫人も悲鳴をあげていた。愛する人がまたも傷つけれたからか、あるいは、愛した人の遺体があまりにも無惨だったからか、あたしには判断がつかなかった。


 参列者が息を呑む。死者を丁重に送るために死化粧が施されているというのに、覆い隠せぬ瑕疵が肉体にあった。黒ずみ、色素沈着を起こした肌。手脚には豆のように膨らんだ無数の角化症もみられた。

 かわいそうな遺体だった。きっと、苦しんだろうにとあたしは思った。


 お嬢様が目配せする。


「アイオン、頼んだ通りにな」

「かしこまりです」


 あたしは気を取り直す。予め打ち合わせしていた通り、隠してあった折りたたみ台を運んでくる。台の脚をひろげ、天板に活栓付き漏斗とフラスコ、試薬入り瓶、塩カルチューブ、内部が中空のガラス管、燃料ランプを用意する。

 あたしはこれらの道具をどう使うかは聞いていない。ただ、言われたとおりに持ってきただけだ。でも、お嬢様には深い考えがあるにちがいない。


 お嬢様は斧を置くと、屈み込んだ。代わりにピンセットを取り出す。


「ご遺体になにをするのです、死者を傷つけるのは神の教えに背きますぞ」

「あいにくドワーフはそのような宗教倫理を持っておらぬので」


 司祭を黙らせる。ピンセットを使い、パットの遺体から髪の毛を一本、引き抜く。あたしは遺体が怖くて直視できないけれど、お嬢様は平然としている。たぶん、帝国との昔の戦争で死体なんて見慣れているからなのだろう。


「髪の毛をどうするつもりなのだ?」


 聴衆を代表しダレスが聞く。あたしの隣に戻っきたお嬢様が説明を始めた。


「わしらドワーフは、砒素を『愚者の毒』と呼びまする」

「愚者? なぜだ」

「砒素は検出が比較的容易なためですじゃ」

「馬鹿な、砒素は無味無臭だぞ。そのため暗殺に多用されたのだ」


 口髭をしきりにしごくダレス。お嬢様の言説を理解しかねているようだった。

 凛とした声音でお嬢様が説明を再開する。


「ある化学者が考案した砒素の検出方法がござりまする。発案者の名をとり、マーシュ式試験法と呼ばれますじゃ。残念ながらラナマン氏を最初に診断した医師は知らぬようでしたがの」


 お嬢様の弁によれば、帝国は突出した科学技術力により世界一となった。だがそれは軍事に『全振り』しているからであり、化学に関しては歪な発展を遂げているという。

 鉱物に関わる知識量では、お嬢様は帝国を凌駕しているのだ。


 こちらがそうじゃ、とお嬢様が天板にある道具を指し示す。一同が興味深げに見る。

 あたしはフラスコの中に金属片を設置した。


「いまアイオンが入れたのは、亜鉛ですじゃ。さらにここにあるものを投入しますと」


 お嬢様があたしにうなずきかける。あたしは事前に言われたままに、漏斗に茶色い瓶から試薬を流し込む。活栓を緩め、滴下。試薬が投下されると亜鉛からじゅわわっと泡が生じる。


「注意をな、アイオン」

「? なにをですか?」

「下手をすると爆発するでな」


 ええっ、あたしそんなこと聞いてないんですが! 本番でいきなり宣告するのやめてください!

 おっかなびっくりながらも、次にあたしはマッチを擦ってランプに火を付ける。揺らめくオレンジ色の炎は横向きになっているガラス管を炙る。ガラス管は塩カルチューブが繋がれ、片方の端はL字に曲がっていてゴム栓を貫入してフラスコのなかに伸びている。


「いま、ケモミミ小娘はなにを入れたのだ?」

「希硫酸ですじゃ。亜鉛と反応した希硫酸は水素を発生させ、フラスコ内を満たしつつガラス管へと流入していく。塩カルチューブは除湿のために繋がっておりまする」

「まるで化学の実験だな」


 ダレスの感想にお嬢様が首肯する。


「ご覧になって下され。現状では、ガラス管にはなにも起こっておりませぬ」

「たしかにそうだ。加熱されているだけだ」

「しかし、フラスコに調べたいもの、この場合はパット・ラナマン氏のご遺体から借り受けました髪の毛ですじゃな。専門的には検体と称しますこれを加えますると」


 そう言ってお嬢様がピンセットから検体をフラスコに投入する。

 途端、熱されたガラス管が黒ずんだ。鏡みたいな金属光沢を伴った黒色だ。


 なんらかの反応が起こったことに一同がざわつく。


「これは俗に言う砒素鏡ですじゃ。砒素化合物は水素と触れ合うと砒化水素、猛毒のアルシンを発生させますのじゃ。その後に水素の気流によりアルシンはガラス管に流れ込んでいくのですな。じゃが、アルシンは熱により容易く還元される。つまるところ、昇華され砒素を生じさせますのじゃ」


 ダレスが得心したように何度も首を縦に振る。


「砒素は人間の髪の毛や爪に蓄積されやすい性質をしておる。つまり、今しがたのマーシュ式試験法の実験結果は、ラナマン氏が砒素により殺されたことを如実に証明しておりますのですな。人体から得られた被検査物の成分分析を行うことを検体検査というのですが、こうした検査による検出の容易さがためにわしらドワーフは砒素を『愚者の毒』と呼ぶのじゃ」


 と言い、ダレスをちらりと一瞥する。


「この方法はアンチモンにも反応し偽陽性を示しまする。だからこそ輝安鉱製の食器を用意したと思われまする。おそらく帝国法医学者が同様の試験を行うことを前提に、誤謬と誤認を狙っていたのでしょうな。故にブラスシティ邏卒長も騙されそうになったわけじゃ。ですが、アンチモンの使用はさきほどの説明通り否定されておりますのじゃ」


 斧を肩に担ぎ直し、お嬢様は淡々と言い放つ。


「定期的に行っていたという会食や、そして最後の見舞いのときに飲ませた水。こうおっしゃっておりましたな――と。あのタイミングで砒素を混入させましたな、御仁?」


 ロナルドはいまや怒り狂っているようだった。赤い斑点がぽつぽつと頬に湧く。いつも被っていた老紳士の仮面をかなぐり捨てている。


「なんという言い草だ! この私が殺人者だと? でたらめに決まっている!」

「お話を聞かせていただく必要がありそうですな。捜査本部までご同行願います」


 ダレスが冷静に告げる。丁寧な口調だが要請でなく命令だった。部下に号令をかける。

 腕を取ろうとした若い邏卒の手を、ロナルドが振り払った。


「下賤な輩が私に触れるな! 自分で歩く」言い捨て、お嬢様にがなりたてる「後悔するぞ、デミ風情が!」


 老人の侮蔑の言葉をお嬢様は涼しげに受け流す。代わりにあたしが舌を突き出してやる。べーだ。お嬢様への暴言は従者であるあたしの怒りを掻き立てるのだ。


「取り調べに際し、お前に助言を求めるかもしれんな」


 と、ダレス。たしかに、現時点ではお嬢様の推測にすぎないところはある。

 でも、お嬢様の推理が正しいのなら、砒素の大掛かりな精製装置を所有できる人間はごく限られている。ロナルドは第一に疑われるはずの人間だ。


 そのままロナルドは邏卒隊とともに霊園から離れていった。あとはダレスたちの仕事だ。お嬢様がもう役目は終わったとばかりにあたしを見た。呆然と見守る参列者を残し、お嬢様とあたしも帰宅することにする。


 こんどこそ、事件の解決だった。

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