第6話

 では、パット・ラナマンはどのようにして殺されたというのだろう。誰もが、いや墓標の下に眠る死者たちすらもお嬢様が続きを説明することに期待している空気が形成されていく。


 霊園にいる人々のなかで一番小柄なのに、一番の存在感。

 結局のところ、場の中心はお嬢様なのだ。


「これがわしの思い至らなかったミス、そして婦人に濡れ衣を着せようとしていた犯人が想定していなかったミスでもありますじゃ」


 ヒールの高い編み上げブーツをととんと鳴らし、お嬢様は慇懃にロナルドに視線を注ぐ。墓標が並ぶ霊園の空気は冷え冷えとしていた。あたしはこの雰囲気を知っている。


「では――そろそろラナマン氏がいかにして殺害されたか、説明をさせていただきとうございまする」


 鳥肌が立つ冷えた空気。秘密が暴かれる前兆。

 絶対的鉱物知識を持つお嬢様による、殺人事件の解答編が始まろうとしているのだ。


「まず最初にひとつ。スカルンに生じる鉱物は柘榴石以外にもありますじゃ」

「ほう。それがなんだと言うおつもりで?」

毒砂どくしゃ、あるいは硫砒鉄鉱りゅうひてっこう。これを加熱し処理することで、有名な猛毒が得られますのじゃ」


 予期していなかったお嬢様の登場に面食らっていたダレスは、いまやもう失点を取り戻すには話を先に進めるしかないと決断したのだろう。解説を促すようようにロナルドとお嬢様を交互にみやり、言った。


「猛毒? 猛毒とはなんだ」

「かの有名な半金属メタロイド――砒素ですじゃ」

「砒素だと。また古典的だな」

「下痢に疝痛などの消化器不調、むくみ、麻痺を伴う筋力低下、ラナマン氏が悩まされていた症状は砒素中毒と同様のものですじゃ」


 墓石に背中を預け、ダレスが両手を上げる。なにをいっている、勘弁してくれ、そう言いたげだ。


「しかし、砒素は銀食器には使えないだろう。使えば銀が反応し黒く変色する。俺がそこの間抜け面のケモミミ小娘に説明したとき、お前もとくに否定しなかったではないか」

「あれは銀が砒素に反応しているのではありませんのじゃ」

「なんだと。ではなにが反応しているのだ」

「硫黄ですの。純度の低い砒素は、精製法のために硫黄を多分に含んでおりますじゃ」


 あたしはぽんと手をたたく。ぽんといってもタヌキではないので握った右手で左の掌を叩いただけだ。


 昨晩、お嬢様に教えてもらったことがある。


 通常、砒素の精製は焼成炉を使用する。陶器を焼く釜に似たやつだ。一番下の段に砕いた硫砒鉄鉱と燃料となる乾留石炭コークスなどの混合物を入れて燃焼する。発生する煤煙には亜ヒ酸が含まれている。これを収集室に取り込み、結晶となった亜砒酸を集める。

 これが砒素の原料になるのだ。


 亜砒焼きと言われ、硫砒鉄鉱を産出する鉱山付近ではよく見られる光景だという。このとき撒き散らされる有毒な煤煙により周辺では砒素中毒を発生させたりもする。亜砒酸集めは人力なので収集人にも危険性がある。

 こうした亜砒酸は市場に売り出され、や害虫退治にも使われる。


 だが、この方法で得られる亜ヒ酸は純度が低い。原理的に石炭の硫黄分を多分に含んでしまうのだ。硫黄が銀と反応し硫化銀となることで、銀食器は黒ずむ。古い時代の貴族はこの作用を利用し砒素から身を守ろうとした。


「つまり逆説的にいえば亜砒酸の純度を限りなく高めれば銀食器は反応しなくなる、ということじゃ」

「理論としてはそうだな。だが、どうやって純度を高める?」

「ここで必要となるのが、水蒸気発電による電気式集塵機になりますのじゃ」

「な、なんだそれは」

「帝国でも限られた企業が生産している最新式の装置でしての。亜砒焼きの有害な煤煙を無害化するために開発されましたですじゃ。特許を持つのがインテイク社という企業になりますじゃ」


 一拍の間を置き、お嬢様が続ける。


「仕組みを説明させていただきまする。電気式集塵機はクーロン力を利用しておりますじゃ。これは今から一〇〇年以上前に実験が行われ、のちにキャヴェンディッシュ電気学論としてまとめられた理論を元にしていますのじゃ。集塵機は集塵極と放電極を使い、電圧を掛けコロナ放電を発生させる。これにより煤塵ダストはマイナスの電荷が与えられますのじゃ。そして集塵極はプラス。煤塵は空気吹き付け機ブロワーにより装置の奥へと送られると、集塵極に引き付け合られることになりまする。これを回収すれば、硫黄分をかぎりなく含まない純度の高い亜砒酸を精製できるのじゃ」


 ダレスが疑惑の目でロナルドを見る。だがロナルドは鷹揚に笑うだけだ。まるで好々爺然とした仮面を素顔に縫い付けたみたいに不自然だった。

 教師が未熟な生徒を諭すように、ロナルドが喋りだす。


「私も鉱山を所有する者の端くれ、お嬢さんに教えてしんぜよう。硫砒鉄鉱というものはきわめて必要蒸気圧が高く、焼成分離しようと思うとたいへん難しいのですよ。共沸混合物となるので昇華による精製は容易ではないのです」

「然り、然りですじゃ。たしかに原始的な焼成炉から発展し、帝国内で普及している機械式のレトルト・ヘレツショフ炉でも亜砒酸の純度はせいぜいが六〇パーセント代ですじゃ」

「それは高純度とはいえませんな」

「ですな。ですが、インテイク社の最新電気集塵機ならば純度は九〇パーセント超まで高めることができすのじゃ」


 ロナルドが落ち着きを取り戻す。勝ち誇ったようにいう。


「それでも高純度ではありますまい。いま一歩足りない」

「そこで」


 お嬢様は一度説明を区切った。あいてに言葉の余韻が伝わるのを充分待つように間をおく。限界まで張られたクロスボウの弦から放たれる太矢クォレルが、致命的な一撃をいれられる隙を伺うように。

 あらかじめ計算に入れていたのだろう、お嬢様はロナルドを論破するタイミングを計っていたのだ。


「集塵機から回収した粗砒とよばれる砒素化合物を、塩化物による加水分解処理をおこないますのじゃ。これにより亜砒酸の溶解度が最小となることで純度を限界まで高めることが可能となりますじゃ」


 なるほど、だからお嬢様は昨日出掛けたのだ。電気式集塵機の存在と仕組み、亜砒酸の最終処理方法を確認しに行ったのだろう。

 あたしがハタキで掃除をしていたことがヒントになったみたいで、うれしい。あたしはお嬢様のお役に立てたんだ。誇らしさで足元から頭頂部の耳までいっぱいだった。


 その場にいる全員に言わんと欲していることが染み入るのを待ち、お嬢様が続ける。


「調べたところ、ラナマン商会が所有する鉱山にインテイク社の電気式集塵機が納品された実績がありましたですじゃ。商会は元々ネズミ駆除から事業を立ち上げた会社ですじゃ、販売したインテイク社もまさか殺人に使う砒素を生産すると疑いはしますまい。納品先の鉱山はガーネットの産出地としても知られる場所ですじゃ。つまり、硫砒鉄鉱を含んだ大規模なスカルンが存在することを示しているといえますな」


 ロナルドが押し黙った。緊張のためか、右手でしきりに薄い髪を梳く。額にはじっとりとした汗が浮いている。

 お嬢様の可憐な指先が宙を斬る。枯れ木のように痩せた老人を指し示し、きっぱりと断じる。


「パット・ラナマンを毒殺したのはあなたじゃ、ロナルド・ニューベリー」


 それは、裁判官が被告に死刑判決を下したように周囲を森閑とさせた。全員の注意がお嬢様へと集中する。視線には戸惑い、疑惑、あるいは怒りすらも含んでいる。感情が漏出させる雰囲気は、人により千差万別だ。


 一同がどよめく。誰しもが信じられぬ視線を、お嬢様に続けて商会の共同事業者ロナルドに向ける。パットとともにから事業を起こしたという生粋の商人の周囲に、透明な壁が現出したように参列者たちが離れていく。

 ダレスが弁明を求めるように睨みつけるが、ロナルドは気がついている様子はなかった。


「ドワーフを無知蒙昧な亜人、二級市民と侮りましたの。たしかに、わしは一度ひっかかったようじゃ。御仁の望む通りの結論をだしてしまったみたいですな」

「お嬢様、じゃあロナルドさんはあたしたちを利用しようとしたんですか」


 そうだったんだ。あんなに親切そうな紳士に見えたのに、他人を体よく使おうとしていたなんて。人間は見た目通りじゃないんだ。

 あたしの疑問にお嬢様が頷く。


「つまり、御仁は最初からわしたちを誤誘導ミスディレクションするために会いにきたのじゃ。ブラスシティ邏卒長の前でわしが『犯人』を推理すれば官憲はそちらを逮捕すべく動く、そう踏んでいたのじゃろう。そのために輝安鉱製の偽銀食器まで用意したのじゃ」


 ロナルドが反論すべく口を二、三度開く。うまく声が出てこないようだ。動揺しているのだろう、ようやく放たれた言葉は尻上がりに上ずる。


「難癖だ、証拠はあるまい」

「いまからお見せしますのじゃ」


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