第5話

 幾日かのち。


 故人へ司祭が諳んじる赦禱しゃとうが捧げられる。神への慈悲を乞い願う響きが伸び上がり、ついに終りを迎えた。やがて重たそうなインロー棺を喪服姿の男たちが担ぎ歩いてくる。


 パット・ラナマンの葬儀だ。


 葬列は短く、故人の旅立ちが覚悟されたものではなかったことを示していた。

 見知った顔がひとつある。ロナルド・ニューベリー。よろめきすがりながら棺についていくほっそりとした女性は夫人のマーガレット・ラナマンにちがいない。顔はベールに覆われ見えなかったが、沈痛さを全身から発散させていた。執事らしい老人が傍らで夫人を支えていた。最後尾を歩く体格のいい女はメイド長だろうか。


 深く掘られた穴に、棺が厳かに降ろされていく。長く尾を引く女の声。別れのときが差し迫り、夫人が人目をはばからず泣きはらす。

 ここはザイオン霊園。パットはまもなく地に葬られる。葬儀は、いままさに幕を下ろそうとしていた。


 霊園は市街地を望む小高い場所にある。

 ここからだと、帝都が一望できた。電力を生み出す蒸気機関から放出される靄が午前の光を乱反射している。まるで川面のようだ。中央街にある時計塔が、天に楯突くように屹立している。太陽光とはちがう、渦巻く靄のなかでぼうと輝くのは人工照明の光だろう。


 帝都は昼夜関係なく人々が動き回っている。常にまどろみのなかにある不眠症の街。

 だから、目覚めながら悪夢を見るひともいるのだろう。殺されたパット・ラナマンのように。


 お嬢様とあたしは、立派に彫刻された墓標の群れに隠れながら見守っている。葬儀には招かれていないので、闖入者として息を潜めているのだ。


 なんでか理由は聞かせてもらっていない。「どうしても手に入れたいものがあるのじゃ」とはお嬢様の弁。ただいつもより早い時間に朝食を取り、ここへとやってきた。あたしは必要な荷物を持ち、ただお嬢様のあとをくっついてきただけだ。

 葬儀の正確な時間がわからなかったので、始まるまでずっと待機していた。おかげであたしはトイレに行きたくてしょうがなかった。


 お嬢様はなにを考えているのだろうか? お嬢様の深慮遠謀なんて、あたしには想像もつかなかった。


 とつぜん、どたどたという足音が響く。誰も彼もが故人を偲び、静謐さが求められる霊園にしては無遠慮きわまりない。

 赤と黒の制服を着た邏卒の一団だ。


「また面倒なのがきましたね」

「いや――役者が揃ったとも言えるの」

「そうなんですか?」


 ひそひそ話をしていると、邏卒隊が葬儀中の一行を取り囲んだ。案の定、先導しているのはダレス・ブラスシティ邏卒長だった。


「なんですか、あなた方は? ここは死者が眠る地ですぞ、お静かに願います」

「邏卒だ、手間はとらせん。捜査に協力してもらうぞ!」


 制止しようとする司祭をダレスは大声で遮る。参列者たちを値踏みするように見渡す。何が起こるか知れず、幾人かが不安に目を逸らした。

 皇帝より治安維持を賜っている邏卒の権力が、市井の人々を圧倒するのを楽しむようにダレスはふんぞり返る。やがて夫人を高圧的に指差す。


「邏卒隊本部までご同行願えますかな、マーガレット・ラナマン夫人」

「いったいぜんたい、これはどういうことですか!? 夫が亡くなったばかりだというのに」


 ヒステリックに夫人が叫ぶ。はずみでベールごと帽子が落ちる。鋭い目は当惑と恥辱を孕んでいる。まあ、無理もないだろう。悲しみに暮れているというのに、こんな無体きわまる態度をとられては。


「そのパット・ラナマンの死についてあんたに嫌疑がかかっている」

「そ、そんな。なにかの間違いだわ!」

「昨日証拠品として押収した銀食器、あれはあんたが夫の誕生日に送ったものだな」

「たしかにそうだけど……」

「鑑定の結果、装飾に輝安鉱が使われていたことが発覚した。ラナマン氏は毒殺されたんだ。俺の推理によれば、犯人はあんた以外にありえない!」


 鼻息荒く断言する。いやお前の推理じゃないだろ、とあたしは半眼でツッコむ。もちろん声に出さず心の内のみでだけど。


 夫人は青ざめ、心の底から動揺しているようだった。

 しかしそれは、殺人がばれたからというよりも、悲しみのなかにあるのに予想もしていなかった疑義が我が身を襲ったことを受け入れかねているように見える。


「わ、わたし。なんのことだかさっぱりで」


 すがるように夫の友人であったロナルドを見る。だがロナルドは眉間に皺を寄せ、首を左右に振るばかりだ。明確な拒絶。よそよさしさと不審を顕にしている。


「残念だよ、マーガレット。年こそ離れていたとはいえ、君はパットに惚れているものだとばかり思っていた。まさか彼を毒殺するなんて」

「なにを言ってるの、ロナルド。わたしがそんなことをするわけが」

「大方、あの若い銀細工職人と密通していたのだろう。君はずいぶんとあの若造に入れ込んでいたようだからな。足繁く工房に通っていた」

「夫の好みを正確に反映してもらうためよ!」


 ため息をつくロナルド。ダレスが部下に命じ、夫人を捕縛しようとする。


 お嬢様は墓標から姿を現した。タイミングばっちり、突然の逮捕劇に右往左往する人々の耳目を集めるのにもっとも効果的な瞬間だろう。あたしも続く。


 お嬢様は屋敷から運んできたドワーフ製大斧の刺先スパイクを、がんと地面に突いた。耳を聾するほどだった。人間の身の丈を超える特大武器は超重量で、見た目通り豪快な音をたてる。全員の視線が集まった。

 お嬢様の朗々たる口上が響く。


「その捕縛劇、しばし待たれよ」

「シ、シンシャ! なぜお前がここにいる」


 驚いたのは誰よりもダレスだった。幽霊でも見たように泡を食っている。ロナルドも目を見開き呆然としていた。


「これはいったい、どういうことですかな。あなた方を参列者として呼んだつもりはありませんが……」


 疑問を口に出すロナルド。ダレスもそうだとばかりに頷く。いやあんたも部外者だろ。


「そもそもあなたは誰なの? なぜ私達の葬儀に乱入してきたのよ?」


 青ざめながらも夫人が言った。元来気が強い人物なのだろう、一度は疑われたものの逮捕の中断に我を取り戻したようだ。まわりの人々が同意するように首を縦に振る。

 お嬢様は数多の視線を正面から受け止め、臆することなく名乗った。


「わしはシンシャ。故あって邏卒隊の捜査に協力しておりますじゃ」

「捜査って……探偵気取りということなの」

「そう思っていただいてかまいませんじゃ」


 探偵。夫人のセリフにあたしはにんまり笑う。いい響きだ。お嬢様が探偵なのなら、さしずめあたしは助手といったところだろう。「なんでお前が嬉しそうなんだよ」とダレスが毒づくが、あたしは無視した。


 夫人がお嬢様を上から下まで眺め回す。ドワーフの短躯なので行って戻ってくるまでが短い。値踏みするような視線。


「それに、あなた人間じゃないじゃない……」


 あたしは身を固くした。夫人の言葉のあとに続くのは、亜人を差別する言葉にちがいない。帝国での亜人は立場は低い。あたしは慣れているけれど、お嬢様が侮辱されるのは悲しかった。

 

「ドワーフ? そうか、皇帝陛下の客人だという!」


 恰幅のいい中年男性が思い出したように大声を出す。夫人が彼を見る。


「なにを仰ってるの、ボイドさん?」

「以前、聞いたことがあるんだ。捜査に行き詰まった邏卒隊を手助けし、サラマンドル社の犯罪を暴いたドワーフの名探偵がいると。陛下に伝手もあるそうだ。帝都ではドワーフは珍しい、邏卒に協力するドワーフがそう何人もいるはずがない。もしやと思ったんだ、きっと彼女がそうなんだろう」


 参列者たちがざわざわとどよめく。俺も聞いたことがある、私も、と少なくない声が上がった。思わぬ助け舟というやつだった。お嬢様の隠れた名高さにあたしはうんうん頷く。

 夫人が戸惑う。周囲の反応を確認し、もう一度お嬢様を見た。


「……どうやら多少は信用していいみたいね」

「信任、痛み入りますじゃ。しかし」


 お嬢様は頭を下げた。


「じつは、謝罪せねばなりませんでな」


 お嬢様と夫人のやり取りを黙って眺めていたロナルドが再び口を開く。


「謝罪ですか」

「ええ、そうですじゃ」


 真紅の視線がひたとロナルドに据えられる。ぱりっとした喪服に身を包んだ老人が居心地悪そうに身震いした。

 まるで隠し事を見透かされることを恐れるかのように。


「恥ずかしながら、わしの推理が間違っていましたのじゃ」

「間違い? 間違いと申しますか。ですが、毒殺の凶器は貴女の言う通り輝安鉱製の食器だったとブラスシティ邏卒長も断言しましたが」

「それじたいが犯人の仕掛けた罠だったのですじゃ」

「そうは言いましてもな。現に凶器はみつかっている」

「わしの屋敷へと来る前。推理を聞き気色ばんだブラスシティ邏卒長に押収されるのを前提に、あらかじめ本物の銀食器とすり替えられていたに違いありますまい。うまくわしを誘導したもんですな」


 こんどははっきりとわかるほど、ロナルドが身構える。まるでお嬢様の言葉に心当たりがあるとでもいうように。


「まるで私が嘘をついていたとでもいうようですが」

「そうですじゃな」

「侮辱だ。不愉快極まりない」

「毒殺に使われたのが輝安鉱となると、重大な矛盾点があることに気が付きましてな」


 きっぱりとお嬢様が言った。


 重苦しい沈黙が生じた。水面に投げ込まれた石ころが水面を波立たせたあと、耳の中の血流が聞こえるほどの静寂をもたらすのにも似ている。

 ロナルドが眉間に皺を寄せる。


「矛盾? 矛盾とはいったいなにをおっしゃいます。貴女の推理は理にかなっていた」

「光栄ですな。だがたったひとつ、御仁は不必要な情報を話してしまったですじゃ。ご自分ではそうと知らずに」


 そうなんですかお嬢様? 余計なことを喋ったと言われても、あたしにはなんのことだかわからなかった。でも、ロナルドが怪しいということなのだろうか。

 ロナルドは動じていなかった。シラを切り通せると考えているのだろうか。あくまで老紳士然とした態度のまま、抑揚をより深くし尋ねる。


「なんですかな、それは?」

「ラナマン氏が好んでいたというワイン。なんというお名前でしたかな?」

「バローロだ。ワインの王とも言われます」

「そう、バローロ。食にうるさいピエモンテ人により品質が厳しく管理され、彼らの住まう半島でのみ生産されるぶどう品種ネッビオーロを原料としたワイン。このワインの特質はなんですかな? 御仁も語っておったはずじゃ」


 ピエモンテ半島は海を越えた大陸にある場所だ。帝国本島から出たことないあたしには、遠い場所だということしか知らない。お嬢様はお酒にもお強いのでご存知なのだろう。

 やや逡巡しつつロナルドは続ける。


「……渋さだ」

「然り。バローロはたいへん渋いのじゃ。では、この渋さはなにからきますかの?」


 知らないのか、知らないふりをしているのか、答えあぐねるロナルド。かわっていままで事態の成り行きを見守っていたダレスが口を開く。


「タンニンだ。ぶどうに含まれるタンニン。赤ワインの色もタンニンからなっている」


 お嬢様がうむと首肯する。

 おお、ダレス、ぶっちゃけ無能な官吏だと思っていたけど意外とものを知っているじゃないか。あたしは素直に感心する。たぶんこいつアル中なんだろう、いかにも仕事終わりに酒飲んでますへべれけになっていますという顔をしているし。


 そんなあたしの内心での褒めなぞ関係なく事態は進んでいく。


「バローロに含まれるタンニンはワインのなかでも群を抜いておる。いや、あらゆる飲み物のなかでも最高峰ですじゃ」

「ワインの話なぞどうでもいい! 御託は勘弁していただきたい、人が死んでいるのですぞ!」


 激高するロナルドをお嬢様はかくりと無視する。そのままワインの解説を続けることを選んだようだ。


「ラナマン氏はバローロを愛飲していた。金がかかりますでしょうに、羨ましい。しかし、これは事実ですじゃな」

「ええ、その通りです。旦那様はバローロを食事のたびに嗜んでおられました。止めねばいくらでもお召し上がりになるほどでございました。病の渦中にあってさえすら」


 執事が打ちひしがれながらも口挟む。お嬢様は確信を得て頷いた。


「バローロに高含有されるタンニン。このタンニンは体内で特別な振る舞いをしましてな」

「ええい、もったいぶるな」


 ダレスが苛立つ。劇的な逮捕を演じようとしたのに、お嬢様の登場ですっかり役どころを奪われて所在なげに突っ立っているばかりだったくせに、タンニンを言い当てて多少自信を取り戻したらしい。

 さっそくいつもの傲岸不遜ぶりだ。


「輝安鉱、つまりはアンチモンと深く結合されるのじゃ。タンニンと結びついたアンチモンは毒性を発揮できず多くが体外に排出される。東方では輝安鉱中毒の解毒として緑茶という飲み物が使われますが、理由はタンニンを含んでいるからじゃ。そして、バローロのタンニンはこの緑茶を凌駕しておる」

「つまり、どういうことなのだ?」

「ラナマン氏が、たかが装飾程度から溶出する量でのですじゃ」


 あたしはどきどきしながら聞いた。そうか、これがお嬢様の思い至った矛盾点というわけなのだ。


 ダレスがなるほどと漏らし言葉を失う。こうして最初の推理は否定されたのだった。

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