第4話

 ダレスたちが帰ったあと、あたしはお茶を片付ける。カップとソーサーを台所まで運び、きれいに洗い食器棚にしまう。


 作業場に戻ると、お嬢様はドアから入ってきたあたしを見ていた。


「事件、すぐ解決してよかったですね」

「そうじゃな」


 小首をかしげるお嬢様。


「ところでな」

「はい、なんでしょう」

「さきほど出したお茶。初めて嗅ぐ匂いじゃったが、あれはなんじゃ?」

「東方産だそうです。珍しいので、特別な機会に淹れようと買ってきました」


 たしか、緑茶という名称だったかな、とあたしは言った。お嬢様が小さく頷く。

 質問が終わったようなので、あたしは念の為掃除をもう一度しなおすことにした。埃払いもまだ途中だし、それにロナルドが落とした大理石の欠片が他に落ちているかもしれないし。


 ハタキに雑巾、箒と塵取りを準備する。


 お嬢様は、駒を削る作業をいまだ再開していなかった。深く椅子に座り、アームレストに肘を突き両手を尖塔にしている。顎を親指に置き、鼻先を人差し指に着けている。

 まさに沈思黙考。お嬢様がふかく考え事をするときの姿勢だ。


 悩んでいてもお嬢様は美しい。嵌めた眼帯は左の眼球が失われたことを如実に語っているが、それでもお嬢様の可憐な美しさを損なうことはない。むしろ妖しくも神秘的な印象を与えるのだ。

 そんなお嬢様が彫像みたいに硬く物思いに耽っていると、まわりは硫黄に焼かれ石化した森のように沈黙が訪れる。


 死の静寂は、こんな感じなのだろうか。


「いや、矛盾があるの」


 お嬢様が口中で呟く。かそけき声で、あたしに聞こえたのは偶然だろう。話しかけられたわけではないので、音を拾うのが精一杯だった。


「しかしどうやったのじゃ」


 独り言を続ける。なにやら真剣にお悩みのようだ。

 こういう場合、あたしには掛ける言葉が見つからない。お嬢様の思考を邪魔するつもりはないので、ハタキをできるだけ静かにぱたぱた鳴らし棚の埃を払い始めた。


 お嬢様がもう一度じっとあたしを見る。

 ひええ、そんなに見つめないで下さいよ。ひょっとして、うるさかったでしょうか? でも怒っているのでもなさそうだ。なんだか気恥ずかしくて、もじもじしてしまう。


「アイオン、それ」

「なんですか?」

「埃がよくとれそうじゃの」


 あ、そっちでしたか。自意識過剰だったみたい。

 あたしは羽毛を模したハタキをふりふりする。


「とってもよくとれますよ」

「静電気で埃をくっつけて回収するのじゃな。ふむ」


 注目していたのはあたしじゃなかった。正確にはあたしが持っているハタキだったようだ。お嬢様はまるで猫が猫じゃらしの跳ね回るさきっぽに好奇心をそそられるみたいに、あたしの掃除を凝視している。


 やがてお嬢様は姿勢を解くと背もたれに頭をあずけた。ため息ひとつ。


「なるほど」


 そういって、あたしににんまりと笑いかける。白い歯が純銅色の肌と対象的に輝く。妙なる音楽にも似た笑顔。

 蒙が開けた、というのはこういう表情を指すのだろう。


「内心で自説を否定していたが、たしかにそれなら説明がつくの。わしの思いつく理論が正しければ精製が可能じゃ」


 お嬢様が手を伸ばし、作業机の端に乗っていた本を取り出す。帝国通信管理局発行の電話目録だ。金持ちが所有している直通電話以外のすべての公的な連絡先が収録されている。

 ページをめくり、指先が印刷をなぞっていく。なんどか往復すると、お嬢様は目的の連絡先を見つけたようだ。流れるような手付きで万年筆を使い、メモ用紙にさらさらと筆記する。


「アイオン、ひとつ頼まれてくれんか?」

「はいはい、なんなりと。お嬢様とでしたら連帯保証人でも養子縁組でも頼まれちゃいますよ」

「そんな胡乱な話におぬしを誘わんわい」

「では、なんでございましょう」

「インテイク空調設備社。ここの営業部に電話をかけておくれ」


 掃除を中断し、メモを受け取るとあたしは廊下に出る。メモにはお嬢様の丁寧な字で企業名が記されていた。あたしは電話機の前に立ち、受話器を手に取った。帝都中に張り巡らされた電話網は便利なもので、こうして家にいながら望んだ場所に連絡できる。


 すぐに交換手がでた。糖蜜のように甘ったるい、愛想のいい声音だ。

 あたしは要件を伝える。インテイク社に繋がるのを待つ間、あたしは電話機をひっぱっていった。背後にながい蛇を思わせコードが続く。


「どうぞ」

「すまんな」


 受話器を手渡すと、ちょうど相手が電話口に出たようだ。お嬢様が二、三やりとりをする。アポイントメントをとっているようだった。あたしは電話機の本体を両手で抱え、大人しくお嬢様に傅いていた。


 電話が終わる。お嬢様は受話器を戻すと、優雅に立ち上がった。


 腕を伸ばす。お嬢様はドワーフなので背が低い。精一杯つま先立ちになり、両の掌であたしの頬をむにむにと包んだ。

 繊細で心地よい感触。


 あたしの心臓が跳ねた。


「おおおおおお嬢様! どうなされたのですか突然!」

「なんとかなりそうじゃよ。礼を言うぞ、アイオン」

「そそそそんな! もったいないお言葉です!」

「おぬしのおかげじゃよ」

「ええっ、なんだかわかりませんけどお役に立てたのならうれしいです」


 お嬢様があたしにお礼を言う理由はわからない。

 でも、お嬢様に褒められるのはあたしのなかで最高の喜びだ。ましてや、愛撫していただけるだなんて。とてつもなく気分が高揚する。あたしは火にかけすぎたヤカンのように真っ赤になっていたにちがいない。気恥ずかしいといったらない。


 どきどきが止まらない。あたしがのぼせながらも電話機を片付けると、お嬢様は作業着からよそ行き用の一張羅に着替え始めていた。眼福です。半裸が目の保養になります。

 ゴシックな赤い刺繍で彩られたオートクチュールの白いドレス。着飾ったお嬢様は素敵な艶姿になられた。


 アダマン鉱製の斧とともにご実家から持ち出してきた数少ない財産のひとつだ。


「ちと出かけてくる」

「どちらまでですか? 馬車を呼びましょうか? お電話ですぐ呼べますよ」

「なに、徒歩でちょっとそこまでじゃ。確認したいことがあるでな」

「ご夕飯はどうしましょ?」

「むろん、屋敷でとる。おぬしの料理以外食べようと思わんわい」


 うれしいです、そう言っていただけると俄然家事に精を出したくなる。お嬢様が戸口から姿を消す直前、あたしを振り返った。


「それから、夕飯に出してほしいものがあるのじゃが」

「はい、なんなりと」

「ワインを頼む。わしにはをな」


 あたしは承知する。なら、来客用に秘蔵していたワインをお出しするとしよう。


 でも、お嬢様はどんなご要件でお出かけになられたのだろうか。疑問に思いつつもあたしはお掃除を再開するのだった。頬を撫でられた心地良さを反芻しながら、あたしはにやにやが止まらない。


 夕飯、なにをつくろうかな。

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