第2話
殺された、という言葉に場が緊張する。
お嬢様が説明を求めた。
「殺人事件の疑いがある、と。しかし帝都ともなれば高名な法医学者は幾人もおるはず。検死から他殺か病死かはわかるのでは。なぜわしに?」
「むろん邏卒隊も医師の協力を得て捜査を進めている。だが死んだラナマンは大商人だ、迂闊な捜査はできん。慎重にやる必要がある、だから参考にお前にも話を聞きにきたのだ」
あくまで意見のひとつとして聞いている、それ以上のものではない、と言いたげだ。尊大な物言いのダレスに、あたしは辟易とする。ようは捜査に行き詰まっているということではないか。
なにかとお嬢様を頼っているくせにえらそうなやつだ。
あたしが頬を膨らませていると、機嫌を損なわれてはたまらないとばかりにロナルドが割って入る。さすが紳士は空気を読むのがお上手だ。
「貴女はこういった事件に精通しておられると聞き及びまして。私個人としても、ぜひお話を聞かせていただきたく、こうして馳せ参じました」
こほん、とひとつ咳払い。ロナルドはパット・ラナマンと最後に会った日のことを説明しだす。
内容は、以下の通り。
ロナルドが次の事業についてパットに相談に行くと、彼はベッドの上で食事を終えたところだったそうだ。
料理長に特別に拵えさせた薬草スープなのだろう、銀食器に配膳されたスープからはハーブの香りがする。森を想起させる甘やかな匂いだ。作った者の心遣いを感じさせる。だが食欲がないのか、半分以上が残っていた。
パットの灰色の顔は浮腫み、ひとまわりは大きくなっている。なのに手足はやせ細っていた。スプーンを握る手の動きも痺れているようにぎこちない。以前よりもさらに体調を崩しているのが見て取れた。
「こんなところですまんな、最近は書斎にも行くことができん」
「つらそうだな」
「億劫でな。なにより残念なのが、いつも楽しみにしていたお前との食事にも行けんことだ。すまんな」
「いつかまた行けるさ」
「もっとも」
そう言ってパットはグラスを掲げてみせた。真紅の液体が揺れている。植物の芳醇な香りがした。果実というよりも花に近い匂いだ。
「だがこれだけはやめられん」
「ネッビオーロを使ったバローロか。ワイン好きは変わらんとみえるが、渋いだろうに」
「酒こそが生きていることを実感させてくれる」
たん混じりの声でパットが言う。ちらりとベッドサイドに視線を送る。最近は歩くこともままならないのだろう、傍らには車椅子があった。
「そうか。まあ好きに飲めばいい」
応える横で、長年パットに仕える執事が配膳係のメイドに食器を下げさせる。老執事もまた重苦しい顔をしていた。パットは厳しいが公正な男で、ラナマン商会のだれしもが主人の不幸を嘆いているのだ。
二回りは若い妻から愛情の証に送られたという銀食器に注がれたスープは、主人の病苦に悲しみに揺れているようだった。気の毒に思い、ロナルドは再度友人に目を向ける。
ワインを病人とは思えぬ勢いで飲んだパットが咳き込む。バローロは渋い、渋さが喉に堪えたのだろう。言わんことではない。
「大丈夫か」
あわててロナルドはサイドテーブルに手をのばす。分量を見定め水差しから銀カップに水を注ぎ、渡してやる。
パットは受け取るとゆっくり飲み始めた。落ち着いた頃合いを見計らいロナルドは言う。なんとも口に出しづらかった。
「すまないが私はしばし帝都を離れる。採掘場に直接出向く必要があるようだ」
「行ってくれ。俺がこうなってしまった以上、事業は君に任せるしかあるまい」
「任せてくれ。長久をな、パット」
それがふたりのした最後の会話だった。
ロナルドが採掘場に旅立った三〇分後、パット・ラナマンは容態が変わり亡くなった。急な発作が老身を襲ったのだという。ロナルドは現地で電信を受け取り訃報を知ったものの、どうしても席を外せぬ商談だっため帰還が遅れ、戻ったときにはすでに不審死のために邏卒隊が遺体を運んだあとだったそうだ。
看取った医者によると、パットの死の原因は多臓器不全という診断だった。
年齢の割にあれだけ壮健だった男が、こうも急激に衰えるとは。そう鎮痛な面持ちでロナルドは語った。商売をともにした長い付き合いだったのだろう、いまだ突然の死を受け入れかねているようだった。
あたしたちが見守るなか、ロナルドは苦渋混じりの説明を終えた。
友情が終わってしまうのはさぞかし悲しいことだろうとあたしは思う。あたしだって、お嬢様に亡くなられたら途方に暮れてしまう。
でも、お嬢様はロナルドの悲嘆を気にかけていないようだった。ある一点に俄然興味を示している。
「ハーブ。ハーブ入りのスープですとな」
顎に指を当ててお嬢様は思案する。なぜお嬢様はそこに着目するのだろう、別段重要な部分とは思えなかった。体調が悪ければ食事にだって気をつけるのはふつうだろうに。
ロナルドも同様に思っているのか、戸惑いながら応える。
「そうです。嗅いだことのある香りでした、たしかあれは……」
「森を感じさせる甘い匂い。つまりは、リコリス。だがそれだけではありますまい。思い出せますかな?」
「そうです、あれは
ロナルドはまたも目を丸くする。自分すら忘却していたことをその場にいなかったはずのお嬢様に指摘され驚愕していた。
数年間お仕えしているあたしだった信じられない。どこをどう推理したら、嗅いでもいないハーブの香りがわかるのだろう。
一同の驚きをよそに、さらにお嬢様が推察する。
「スープに使われていたもの、もうひとつは生姜ですな」
ロナルドが記憶を奮い起こす前に、お嬢様はまたもや言い当てた。正しいのだろう、ロナルドは口を開けて押し黙っている。ただゆっくりと頷くだけだ。
これにはあたしも感嘆とするしかなかった。
「さすがですお嬢様」
拍手しながらあたしは言う。
「でも、昼食にワインなんて帝国の方にしては珍しいですね」
「パットは大陸人に似た気質の持ち主だったものですから。
ロナルドはあたしの疑問にもきっちり答えてくれた。
お嬢様が「それと」と話題を変える。
「最初に倒れた発作のあと、ラナマン氏は医師の診察は受けていなかったので?」
これは当然の疑問だろう。体調が悪いのならお医者様に相談するべきなのだから。
「無論、診てもらいました」
「医者はなんと?」
「はい、それが」
ロナルドが押し黙る。しばし悩んだすえに口を開くが、話あぐねる口調だった。
「医師によると、この症状はなんらかの金属中毒ではないかと」
あたしは驚いた。中毒症なら病気のはずがない。何者かに明確な悪意を持って毒性のある金属を使われた可能性だってある。
だから殺人を疑っているのだろうか。でも、誰がそんなことをしたのだろう。
お嬢様は唇に人差し指をあてて考える。
「このことをラナマン氏は知っていたので?」
「本人には知らせていません」
「なぜですじゃ?」
「自分の命を狙っている者がいるなどと、余計な心配をかけたくなかったもので……内密にしたまま、私達のみで対処しようと決めました」
「私達?」
「私と、パットの妻マーガレット。それに長年仕えている執事のオリバー。診察したジョージ医師を除けば、この三人です」
なるほど、とお嬢様は言った。しばし虚空を見つめ、疑問点を確認するように質問する。
「ときに食事は料理長が特別に作っていた、これは間違いないですかな?」
「ええ、それは。私も知っている男ですがパットの専任といっていい人物で、彼の食事を任されていました。ブラウンという男です」
「料理を運ぶのは執事が行う?」
「片付けと同様に、執事がつきっきりです。直接運ぶのはメイド長のアンナですが。どちらも昔から商会に仕えているふたりです」
「ふむ」
一旦会話を切り、お嬢様はまた別の質問をし始めた。
「ラナマン氏が恨まれているようなことは? とくに、自宅内で仕える者たちのなかで」
「はい、ええ」
「心当たりが?」
「恨み、というほどではありませんが」
前置きするロナルド。慎重に口を開く。
「実は、料理長のブラウンには借金があります。といっても博打や女遊びなどの人の口に遡上させるのを憚られるものではなく、母親の病気の治療費をパットから借り付けていたようで。商会の金ではなく、個人の資産からです」
「まっとうな理由に聞こえますな。それ以外には?」
「残念ながら。パットは公正明大な男でしたから。たしかに商売敵はいましたが、直接的に危害を加えようなどとなると、誰の顔も思い浮かびませんな」
お嬢様が考え込む。ダレスもロナルドも口を閉ざす。洞察力に優れたドワーフの姫が次になにを言い当てるのか見守っている。
それにしても、お嬢様は食事に使われていた材料がなんでわかったのだろう。不思議に思いあたしはぽつりと口に出す。
「リコリスと生姜、お腹にいいですよね。ごろごろしてるときに効きます」
「腹痛がどうしたっていうんだ。さっきから料理の話にばかり口を挟みおってからに、どうでもいいぞ。それとも腹を空かせたか?」
ダレスが口を突っ込む。うるさいおっさんだ、茶化さないでもらいたいんだけどな。あたしは料理が好きなのだ。気にして悪いのか。それに、料理が事件に絡んでいるかもしれないでしょうに。
「お前がいちいち余計な質問をすると、会話が進まんのだ」
ダレスが叱りつけてくる。
あたしがしょぼくれていると、お嬢様は優しげに微笑んだ。
「良い線をいっておるな、アイオン」
「えっそうなんですか、あたしなんか言っちゃいました」
お褒めの言葉にあたしは戸惑う。ダレスが「どこがだ!」と声に出す。何気ないつぶやきのつもりだったのだけれど、どこが良かったのだろうか。
「ラナマン氏はおそらくは消化器を患っていた。疝痛や下痢に悩まされていたはずです。アイオンの言う通り、リコリスと生姜を配した薬草スープは腹痛に効きますからの」
「しかし、それがパットの死の原因だと?」
「原因のひとつではありますじゃ。問題は、それがなぜ引き起こされたかにある」
あたしは考えてみる。お嬢様の真似事にすぎないけれど、あたしだっていろいろ勉強しているという自負はある。
中毒症。ロナルドが最後に会ったパットの姿。お腹に優しいスープ。料理は専属の料理長が作り、もし毒がもられたと仮定するのなら、犯行が可能なのは三人だろう。
料理長はもちろん、あと怪しいのは運んでいる執事、メイド長だ。
電撃が、あたしを直撃した。
「あー!」
「うわびっくりした!」
叫びにダレスが竦む。あたしは反応が必要以上に大きいおっさんを無視する。
あたしの気分は上々、饒舌だった。
「あたし犯人わかっちゃいました!」
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