姥捨て山法

碧美安紗奈

姥捨て山法

 世界は変わった。いや、世界より自分が変わった。

 昔は単純な詐欺に引っ掛かる老人をバカにしたものだった。


 おいおい、何でそんなのに騙されんだよ。そんな変な話あるわけねーだろう!


 そんな風に若い頃は笑っていた。なのに今や自分が老人だ。


「あたしよ、おじいちゃん。うん。誕生日プレゼント、ナノプリンタで送ったから。スマホでもいいから接続して」


 確かな孫娘の姿と声に従い、慣れたスマホを使って慣れないナノマシンプリンタを操作する。過去の3Dプリンタの強化版みたいなもので、データさえ送れば生物以外なら大きさの問題がなければ複雑なものでもおおよそ構築できる。

 孫娘はそれでプレゼントをくれると言ったわけだが。

 どういうわけか、ネット銀行から貯金を抜き取られただけだった。


「だめじゃないおじいちゃん」後にの孫娘に注意された。「おじいちゃんは詐欺に引っ掛かって自分のスマホのデータそのものを送信しちゃったの、で、向こうでクローン携帯を作られてネットバンクからお金取られちゃったわけ」


 理屈はわかるがなんでそうなったのかわからない。警察の説明も同じようなものだった。物体の現金ももはや存在せず、金のやり取りはもうデータだけなので実感もわかない。

 そもそも、あれは今目の前で話しているホログラム通信と同じ孫娘だった。容姿までそっくりだったのだが。


「声なんていくらでも変声機で偽造できるでしょ。ホログラムも同じ、スキャンしたモデルCGだよ。注意しなきゃ」


 しかし、孫娘の名前も個人情報も知っていたのだが。


「だから、おじいちゃんNS波出しっぱなしでしょ。初期設定から変えないと。ていうか今どきスマホ使ってるからよ。量子コンピュータで暗号なんかすぐ解読されて丸見えになちゃうんだから。今度ibotアイボット買ってあげるよ」


 エヌエス波がなんの略かもよくわからない。最新のインターネット接続技術らしいが。

 ガラケーやらスマホやらならまだしも、さらに世代を経てきた最新の携帯電話であるボットなど、いくら説明を受けてもちんぷんかんぷんだ。

 これが老いるということか。頭の働きが鈍い、なのに自分はかつて、現代文明から取り残された老人たちを嘲笑っていた。それが、こんなことになろうとは。



 孫娘とのホログラム通信を終えると、スマホで、昔ながらのミニブログに接続して、そんな愚痴を呟く。こんなものを使っているのはすでに同世代の年寄りばかりだ。


 そこに、割り込んでくるものがあった。

「おい時代についてけない老害ども、こんなとこで愚痴ってねーでとっととくたばれ!」


 かつて自分が言っていたような書き込みをされる。

 罵倒にはリンクが貼ってあり、どういう仕組みかは不明ながら勝手にその先の動画が開かれた。


 街中で、老人がスマートフォンで何気ない日常会話をしている映像だった。その周辺を、迷惑そうに若者たちが避けて通っている。

 別に電話で話してはいけない場所ではなく、老人の声量も特別大きいわけではない。

 昔だったら何が迷惑なのかわからないような光景だが、コメント欄にはこんな誹謗中傷が並ぶ。


「声出してしゃべんなよ。おまえの個人的事情なんて知りたくないんだわ」

「マジ迷惑だよな、いつまで令和のつもりでいんだよ」

「体内通信も知らないに100億ベルスケス」


 最後のは何のネタかもわからない。流行りの立体アニメかARゲームかなにかだろう。


 とにかく、現在は脳波を送信しての体内通信とやらが携帯の主流で、声でしゃべるのはマナー違反と見なす向きが出てきている。

 ボットで思考を伝えられるわけだが、これがどうにも慣れない。自分たちの世代はつい口に出してしまう。昔年老いた親が、テレビ電話でもないのに受話器の向こうとしゃべりながらお辞儀などをしていた癖が思い出された。


「また、高齢者の事故です」

 付けっぱなしのネットテレビのニュースからは、そんな声が聞こえた。

「――自動運転車がファーストフード店に衝突しました。警察は、自動運転過失事故の疑いで――在住の無職、――容疑者を逮捕しました。――容疑者は、『手動操作に切り替え間違えた』と供述し、概ね容疑を認めているとのことです」


 たちまち、ネットは高齢者への罵詈雑言で氾濫する。


「どうやったら自動運転装置の操作ミスんだよ」

「もうジジババからは強制的に免許取り上げろ」

「早く死ねばいいのに」


 そんなことを言われても、足腰は弱まる一方。都会のように自動運転車の補助AIなど同乗していない。免許を取り上げられたらどうやってどこに移動したらいいのか。


「こんな奴らの年金のために高い消費税払ってると思うとうんざりするわ」


 もはや年金制度は崩壊し、消費税で賄うようになっている。超高齢化社会のぶん、その税はさらに高くなっていた。

 若者たちは、年金制度を素早くなんとかしなかった高齢者たちに責任があると恨んでいるのだ。


「次のニュースです」

 ネットテレビがまた話しだした。

「〝高齢者安楽死法案〟が可決されました」


 は?


 なんと言った?


「この制度は、社会に有害となる要素が大きいと判断された高齢者を本人の同意なく安楽死させられる法案です」


 バカな!?

 いつの間にこんな話が進んでいたんだ!

 自分が若い頃にも、高齢者がろくに扱えないネット上でパブリックコメントをこそこそ募集して国民の意見を聞いたなんてのたまう政府にはどうかと思ったが、似たようなことをやっていたのか!?

 さすがに、こんな法律は――!!


「お~、――政権もやるときゃやるじゃないか。見直した」

「賛成、これで若い命が救われる。まあ金持ちは大金握らせて見逃されるんだろうけど」

「ジジババ涙目w」


 歓声がネットには溢れる。

 なんでだ。みんな老いるのに、そんな当たり前のこともわからないのか?

 テロメア制御による老化停止療法が自分達が老いる前に完成するとでも思っているのか?

 だとしても、同じ人だぞ、命だぞ。人命に人間の勝手な価値観で優劣をつける、そんな社会でいったいなぜ自分は幸せでいられると思えるんだ!?


 ……いや、だが自分も若い頃はそんなこと考えちゃいなかった。老害老害と、見ず知らずの老人たちをひと括りにして叩いていたのだ。

 まさに、自分が吐いた台詞のように、社会のしっぺ返しがきたというわけか。

 いずれこいつらも思い知るのだろうか……。



『はい、体験はここまでです』


 プシューという音がして、頭部を覆っていたヘッドマウントディスプレイがはずされる。

 自分は、ウェアラブルスーツを着て機械類に囲まれたSF染みた部屋で、座席に掛けていた。


 ……ああ、そうだった。


 完全没入型のVRシミュレーション世界に入るに当たって、一時的に塗り替えられていた現実の記憶が戻ってくる。


 老化の重たい身体はもうない。

 肉体を改めると、自分はまだ若者だった。年老いた未来を想像再現した仮想世界にいたのだ。


 差別対象の生活を体感することでそれを解消できるという画期的な施設。

 巷で流行っていて本当に効果があるのかと疑っていたが、受けてみてよかった。


 老人だけじゃない。

 人種、性別、障害……。自分で選べたわけでもないカテゴリで人は人を貶す。

 みないずれそうなるはずの老人への誹謗中傷など、その最たるものではないだろうか。


 だが、このシミュレーションでみんなが考えを改めるかは疑問だ。

 所詮、興味のない者はこんなもの使ってみようともしないだろう。


 自分はただ、あんな未来が訪れないように祈りながら席を立ち、光溢れる部屋の外の現実へと歩んでいった。



『……ご臨終です。安楽死プログラムは成功しましたよ、お孫さん。最期は、幸せな夢を見ながら旅立たれたことでしょう』

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