Goodbye,Lullaby~ある少女の半生~

青二才

プロローグ 最果てからの贈り物

その時までその実験体に情が湧くなんて考えもしていなかった。

私はこれまでにいくつもの人体実験を繰り返してきた。もちろん一人の科学者になって、初めてその研究に関わりだした当初は人間的な感情があったものだから、いつも実験の最中に嫌でも見ることになったその残酷すぎるありさまで気分が悪くなり、その日食べたものを吐いてばかりだった。子供のころから夢にまで見ていた、”あの方”たちと共に世界の未来のためこの実験に参加すること。それが叶ったというのに、私の心の中にはいつも喜びだけじゃない、後悔や葛藤までもが渦巻いていた。


いったいいつから、忘れていたというのか。


なぜこんなことをするのか。

これが人々を救うのか。

私のこれまでは本当に正しかったのか。


「これは我々にしかできないことだ。そして君は今、この重大な役割を担えるほどの人間となって、この場所に立っている。それは誇るべきことだ」


今思えば、”あの方”たちの言葉は麻薬と変わりなかった。現に私はその言葉を受けたというもの、これまでのことが嘘だったかのように飄々と実験をこなすようになっていった。頭の思考回路が完全に壊れてしまい、辛かったそれまでを忘れ、本来なら異常な事態もどこまでも正しく美しいものとして捉えるようになっていた。

 そんな言葉だけで簡単に人の心が変えられるほどの力が、”あの方”立ちにあったのか。それとも催眠のようなものが、幼少のころから私の頭にかけられていたのか。

もしかしたら催眠なんて関係なく、私が最初から狂っていただけなのかもしれない。

実験に参加したての頃はごく一般的な人間のように振舞っていた、つまりは演技していただけで、その心の中にはすでに悪魔が潜んでいたのかのかもしれない。ただ、それまで憧れていた存在のたった一言で、本性が現れただけなのかもしれない。


「ごめんなさい・・・・・・ごめんなさい」


私の目の前で、何もかもを信頼し、心配事ひとつ無いような顔をして眠っているその実験体に、私はひたすら謝罪するばかりだった。人類の未来を守るために私は生きていたはずなのに、冷静に考えれば実験のすべてが異常そのものだと気付くことが出来ていたはずなのに、いつの間にか私の手は血にまみれていた。


 学生の頃に読んだ古い本に、ユートピアとディストピアがテーマとなった物語があった。主人公の男はユートピア、つまり理想郷の住人だった。その理想郷では人は生まれた時から死ぬ瞬間までどこまでも幸福な人生を歩んでいた。事件や事故で死に絶えることは無い、病気にだってかからない。人が誰かを憎み、妬んだりすることのない、もはや善意だけに満ちた世界がそこには広がっていた。

そしてそれは全て機械技術によるものだった。ユートピアの住人は人間ではなく、それよりももっと発達し、優れた存在の恩恵を受けながら生きていると考えながら過ごしていた。最後までその理想郷に居続けるのだと、男もそう思っていた。


しかしここでイレギュラーな存在が登場する。それはユートピアの外の住人である一人の女性だった。彼女は言った。男が暮らしていたユートピアは実際のところは閉鎖された社会で、世界のほんの一部分でしかない。完璧に閉ざされたその場所から人々を開放するために、外から侵入してきたのだと語ったのだった。

最初はその言葉を全く信じようとせず、更にはユートピアに彼女を引き入れようとまでした男だったが、結果的には誘拐されるような形で、外の世界に連れ出されることとなってしまった。

そして男は外の世界で様々な人種の人間たちに触れ、人間の本来の姿を目の当たりにする。そして女から逃れた後に、かつて暮らしていたユートピアを目にして気づいてしまう。あれはディストピアだ。地獄でしかない、と。

 完璧な統制の取れた社会。機械に監視され続ける人々。人間の行動心理学上で幾人もの学者が語る欲望など忘れ、ただひたすらに、操作されることで得られた善意のみを振舞うことしかできない道化だけが暮らす、”幸福な社会”。


確か物語の結末は、男が自殺して終わるものだったように思う。どうしても外の世界を受け入れられない、それでも二度とあの理想郷に戻ることはできない。そのはざまで耐えられなくなった彼が死を選択し全てから解放されることで幕を閉じる。そんな物語だったか。


(私も、道化でしかなかったということなのか)


目の前で眠る実験体、人間の子供は、眠りながら私の手をつかんで離そうとしない。これまでほとんど切ったことのない、艶のある長い黒髪。先月8歳になったばかりだったか、まだまだ幼い。今は目を閉じていて見えないが、瞳の色はほんの少しだけ赤みがかった茶色だ。寝言なのか、私の名前を呼んで、微笑んでいるようにも見える。

私は静かに天井を見上げて、自分のこれからについて考えていた。あたりは施設の消灯の時間のためうす暗く、申し訳程度に付けられた小さな窓から入り込む月明かりだけが頼りの、何もかも無機質な空間が広がっているだけだった。


これから私がすることは、今この子をここから解放することは、きっとこの世界を破壊することとほとんど変わりがないだろう。”あの方”たちはきっと私を生かしておくことはしない。処刑され、これまでの私に関する記録がかき消されてしまうことで終わりを迎えることになる。人類史上最悪の科学者としてなら、もしかしたら名前だけは残されるかもしれない。なんとも不名誉なことではあるが。

それでも、私の判断は人類の未来を照らす可能性だって秘めているのも一つの事実だ。それが結果的に完全な救いになると今はまだ思えないが、少なくともこの子は正常な生活送ることが出来る。


(そしてそんな時間は・・・・・・)


「××××せんせい?」


ふいに、その子は目を覚ましたようだった。今度は寝言などではなく、確かに私を認知したうえで名前を呼んでいた。


「××××××、起こしてしまってごめんなさい」


ほかの実験体の子供もそうだったが、皆が共通の名前で呼ばれている。

そしてこの子にはなんとも似つかわしくない名前だ。


「ううん、それよりどうしたの? いつもならもう研究室に戻ってる時間でしょ?」

「ああ、なんでもないわよ。心配しなくても・・・・・・」

「せんせい、私の病気が治ったら、外の世界に連れてってくれる?」


もちろん、実験体は私たちの研究の真実を知らない。子供たちの中では私たち科学者はどこまでも善良な大人たちで、自分たちの命を救ってくれる唯一の存在だと認識している。そのように操作されているのだ。さながらあのユートピアの住人のように。

しかしその中でも、この子はこれまでに出会った実験体とは違った。具体的に説明することはできないのだが、その今までに無かった何かが、今の私を目覚めさせたのだだ。


「約束するわ・・・・・・ねえ××××××」

「なあに?」


私は今考えられる限りの、伝えたい思いを言葉にした。


「これからあなたが元気になって、外の世界に出た時は、驚くことばかりが目の前に広がっていると思う。これまでの時間がどんなに異質だったのか・・・・・・そして素晴らしかったのかを考える時が来ると思う。そしてそのせいで、立ち止まってしまうことになるかもしれない。そんな時は、周りの本当の善良な人たちに頼りなさい。あなたのことを必要としてくれる人が必ずいるから、きっと助けてくれる。それだけは忘れないで。あとは、どんな時でも、正しいと思う道に進んでいきなさい。大丈夫、あなたは賢いからなんだってできるわ」


 そうしてその夜、私はこの小さな命を解放した。

  私なりの懺悔だったのかもしれない。

 この果てに待っている運命なんていうものがどんなものになるかなんて関係ない。恣意的な、世界に対する告白だったのかもしれない。


その瞬間だけは誰からの支配も受けない、一人の人間として生きることが出来たという証になるだろう。


でもこれは、誰にも語られることはない。

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