第34話 一歩を

 階段を上り、一年生の教室が並ぶ廊下を進む。後輩たちに時折ちらちらと見られるのがとても居心地が悪かった。仕方ないんだけどね。何の用だろって思うのが自然だと思うし。


 1年4組の教室付近までたどり着くとスマホを取り出した……のだが「え?」と華畑に不審がられてしまった。そこは察してくださいよ……


 髪をいじりながら理由を述べてやる。


 「いやー、なんつーの。あんま目立ちたくないっつーか、その…」

 「乙女か!!」

 「は?男だが?」


 ツッコミは正当なものだったが、あえてボケた返しをしてやった。すると「はぁ」とこれ見よがしにため息を吐かれた。


 「別に、やましい関係じゃないんだよね?なら、堂々と呼べばいいじゃん」

 「みんながみんなお前みたいな性格をしてないんだよ」

 「……紫音ちゃんのためなら勇気を出せるくせに」


 華畑の呟きはしっかり耳に届いていたが無視した。さくっとメッセージを送りスマホをしまった。数十秒の間、廊下の壁に背を預けて待っていたがすぐに目的の人物は姿を現した。彼女は俺の姿を視界に入れるとぺこりと軽くお辞儀をした。


 「こんちわっす、先輩。それと……」


 俺が紹介するより先にに華畑は自分から名乗った。


 「こんにちは。苧環ちゃんだよね?華畑美樹です。紫音ちゃんから話は聞いてるよ。よろしく」

 「あ、華畑先輩ですか。よろしくお願いしやす!」


 華畑が差し出した手を苧環ががしっと握りぶんぶん振った。このふたり仲良くできそうだなーとかいう何目線で言っているのか分からない謎の感想が頭に浮かんだ。


 もう少しこのふたりのやり取りを見ていたい気もしたが、昼休みはあまり長くない。本題を切り出すことにした。


 「あー、苧環。お前、俺と文化祭回りたいって言ってただろ?」


 一瞬、驚いたような様子を見せたがすぐにいつもの明るい表情に戻り「はい」と苧環が頷いた。


 「それなんだが、華畑と一緒でも…いいか?」

 

 言い終えて視線を華畑に向けると彼女はうんと頷いてから苧環に事情を話し始めた。話が終わると、苧環は「なるほどー」と思案顔になった。


 「華畑先輩に、ひとつ聞きたいんですけど…」

 「何?」


 苧環が質問すると、華畑がこてんと首を傾げた。苧環は華畑の顔色を窺いながらおずおずと口を開いた。


 「そこまでしないといけないほど、その前野先輩のこと…嫌いなんですか?」


 思わず俺が声を出しそうになった。苧環の疑問はもっともだ。華畑と前野の関係がどれほどのものかは分からない。もしそこまで深くないのなら、結論を出してしまうのはいささか焦燥かもしれない。そんなことを思った。


 苧環の言葉を聞いて、華畑は頬のあたりを掻きながら「あはは」と困り笑いを浮かべた。


 「痛いとこ突かれちゃったなぁ。実はさ…私と前野くんはそこまでよく知る仲ってわけじゃないんだよね。去年から同じクラスだから表面的な部分はよく知ってるけど……たまに仲いい友達つながりで話すことがある、くらいかな」

 「じゃあ…何で」


 苧環が訊く。華畑は天井を見ながら話し始めた。


 「まだちょっと…怖いんだよね。彼氏とか、そういうの作るのが」


 俺と苧環は華畑の話に耳を傾けていた。黙って先を促すと彼女は続けた。


 「中学の頃さ、彼氏いたことあるんだよね。相手から告白されて、その子のことは悪いイメージなかったから別にいいかなと思ってOKしたの。一年以上は続いたかな。いろんなとこ行ったし、たくさんおしゃべりしたし……楽しかった」


 華畑の視線が地面へと向けられた。声のトーンが心なしか落ちている気がした。


 「でもね、あるとき私のちょっとした一言が原因で彼をすっごく傷つけちゃったんだよね。そして、それがもとになって別れることになった。それだけならよかったんだけど、彼はその後しばらく学校に来なくなっちゃった。『私のせいだ。私があんなことを言ったから』ってすっごく自分を責めた。まぁ、幸い友達には恵まれたからどうにか踏みとどまれたんだけど。今でも……ずっと残ってるんだよね。傷跡が。ふとした時にそれが痛むの」


 それきり俯いたまま華畑は何も言わなかった。話は終わったようだ。誰かしら傷を抱えながら生きている。俺も苧環も、そして華畑も。青春は痛みなしでは語れないものだと身をもって実感している。だから安易に何かを口にすることはできなかった。苧環もなんて言葉をかけてやればいいか分からないようだった。しばらく沈黙が流れたが、やがて苧環が口を開いた。


 「話は…理解しました。確かに、仕方ないで済ませてもいいことなのかもしれません。でも、ごめんなさい。これだけは言わせてください」


 苧環が華畑の手をそっと握った。両手で包み込むようにして。


 「本当にそれでいいんですか?」


 はっ、という華畑の息を呑む音が聞こえてきた。


 「私も過去にいろいろあったので気持ちはよーくわかります。でも、そのままじゃきっと一生傷を抱えて生きていくことになると……思いますよ」


 苧環の言葉が俺にもぐさりと突き刺さった。気づくと胸の辺りを手で押さえていた。未だに俺も過去に足を掴まれたままでいる。だからだろうか。


 穏やかな口調で苧環が続けた。


 「私も長いこと苦しんでました。目を瞑る度にあの日のことが浮かんできて、眠れない日々が続きました。謝らなきゃ、本当のことを話さなきゃって思ってたんですけど…なかなか勇気を出せずにいました。でも、最近になってようやく一歩を踏み出せたんです。やっぱり、忘れられなくて」


 顔を上げた華畑が俺の方に目を向けた。どうやら何を言っているのか気づいたらしい。妙に熱を帯びた視線だったので、堪らず逸らしてしまった。


 「そしたら驚ほどスッキリしたんです。使い古された表現ですけど…世界が、変わって見えました」


 だから、と苧環は華畑の目をしっかりと見ながら言い。


 「前野先輩と、もっとたくさんお話してみてもいいんじゃないですか?」

 「…そうだね。そうかもしれない」


 華畑は苧環の手を握り返していた。いいもん見せてもらったなぁ、とか思ってしまった。ここいらで俺からも言わせてもらおう。


 「俺も、苧環も見守っててやるから…前野と文化祭回ってこいよ」

 「うん」

 「それと、これは俺の印象だからあてにならないかもしれないが、」


 一度言葉を区切り、華畑の方に体を向けた。


 「前野は悪いやつじゃない。お前の言動一つでどうこうなるような人間じゃない…と思う」


 俺の言葉に華畑は「そっか」と返してニコッと笑った。それから、こう言った。


 「ほーずき君がそう言うなら、そうなんだろうね」


 ****


 やっぱり手伝ったほうがいいよねと思って放課後少しばかり準備のために残っていたのだが、水仙に「帰っていいわよ。というか帰れ」と言われてしまったので久しぶりに早めに帰宅した。家の扉に手をかける。するとあることに気づいた。


 「あれ、開いてる」


 ま、まさか空き巣!?


 なわけないよねマイブラザーが帰ってきてるだけだよね☆


 ただいまー、と言いながら中に入り玄関で靴を脱ぐ。彼の靴を見つけた。やはりいるらしい。リビングに顔を出すと中学の制服を着た秀くんの姿がありました。


 「もう帰って来たの?」

 「え、なにそれ。もっと遅くまで学校に残って仕事しろボケ、ってこと?」

 「ばっかじゃねぇの」


 呆れられてしまった。秀はリビングの食卓に座っていた。ノートやら何やらが広げられている。俺は荷物を下ろし、ソファーにぼふっと腰かけた。


 「ま、今日は早く帰ることが出来たんでな。お前も、今日は部活ない感じ?」

 「まぁ……」


 「そうか」と返してやると会話が途切れた。しばらくぼけーっとしていたが、話題を見つけたので口を開いた。


 「あ、そうそう。お前も知ってると思うけど明日明後日、うちの高校文化祭でな。興味あるなら来てもいいぞ」


 なんなら来てほしいですという念を込めて秀の方を見る。ふいっと顔を逸らされてしまった。悲しい…


 「……行くよ、興味あるし」

 「そうか………え、マジ?」


 聞き間違いかと思った。あっぶねぇ。


 「マジだよ、しつこいな」

 

 ちょっとキレられてしまった。ごめんね難しいお年頃だもんね、僕もだけど。


 「分かった」

 

 とだけ返し、立ち上がった。荷物を持ってリビングを出る。それから階段を上って二階の自室に向かった。荷物を置いて、ベッドに倒れ込んだ。はぁぁぁ、最高。


 文化祭、か。


 俺の自由時間に苧環と回る約束をしている。そこで俺はいろいろ話をしようと思っている。過去の事とか、未来の事とか。


 だが、俺が話をしなければならないのは苧環とだけではない。どうにかして彼女とも話をする機会を作らなければいけないのだが、最近は全く顔を合わせていないし目も合わせていない。だから、話しかけづらい。チキンなんです僕は。


 いやだぁ、話したくないよぉー、違ってたら俺ただのキモいやつだし辛辣なこと言われたら死にたくなる。


 とは思うものの、俺もいい加減一歩踏み出さなければならない。

 

 寝返りを打つと天井が目に入った。体を起こして窓の外を見た。赤々と熱を帯びた太陽が西へと静かに沈みつつあった。


 意味などないと分かっている。そのうえで俺は太陽に向かって「どうか」と祈りをささげた。


 どうか、うまくいきますように。


 



 


 

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