第33話 お願い

 文化祭を明日に控えた金曜日。


 いつものように登校し、活気づいた廊下を歩いて教室に入った。席に座って辺りを見回すと、ある人物のことが目に入った。彼女も俺の視線に気づき、こちらに向かってきた。俺は手を軽く上げて挨拶してやる。


 「よう。久しぶりだな」


 彼女、水仙乃亜は俺の席付近で立ち止まった。一度目を閉じると呆れたような、安堵したような息を吐き、それから目を開き微かに口角を上げた。


 「ええ、久しぶり。…聞いたわよ。いろいろとお疲れ様。ありがとう」


 言って、すっと頭を下げた。真面目な水仙らしい乱れのない所作に一瞬呆気にとられたがすぐに気を取り直して口を開いた。


 「…ああ、まったくだ。超疲れた」

 「そうでしょうね。今日明日明後日は特別に楽させてあげるわ」

 「え、マジ?水仙って神様?」

 

 鬼総括って感じだったのに…。びっくりしたから変なこと言っちゃったよ。ま、受付の仕事はそこまで大変じゃないっぽいけどね。知らんけど。


 水仙は神のような慈愛に満ちた微笑みを湛えながら言った。あ、あれれおかしいぞ。冷汗が出てきた…。


 「あ、ごめん。やっぱ今日だけしか楽させてあげられないわ」

 「はは…だろうな」


 思わず乾いた笑みが漏れ出た。うん、やっぱり鬼。だが今日だけでも楽させてもらえるならありがたい。


 「ところで」


 水仙は仕切りなおすようにそう言い。


 「花陽、どう見える?」


 水仙が花陽の席に目を向けたので、俺もそちらに目を向けた。今しがた教室に到着したようで鞄やら何やらが机に置かれている。


 いまいち要領を得ない質問だったので聞き返した。


 「どう、って?」

 「疲れてるように見えない?」


 ふむ、観察してみよう。遠くからなのではっきりとは見えないが、息を切らしているように見える。肩がわずかに上下している。走って入って来たのか。時間は…と思って時計に目を向けると水仙が口を開いた。


 「毎日朝練してるみたいよ。けど、こんなギリギリに滑り込んでくることはなかったわね」


 ああ、そういえばそうだっけ。思い返してみると、いつも俺が教室に入った時には既に座っていて澄ました顔で勉強したり本読んだりしてたな。


 まぁ……けれどね。


 「あいつにだって、そういうときはあるだろ」


 どんなにすごい功績を残した人でも、能力の高い人でも失敗の一つや二つくらいあって当たり前だ。猿も木から落ちる、弘法にも筆の誤り、っていうしね。


 「まぁ、そうだけど……」


 そう言う水仙の声には憂いが感じられた。何かあるのかと視線で問うと、彼女は続けた。


 「何か、嫌な予感がするのよ」


 気のせいだろ。


 そう言おうとしたが、やめた。確かに気にはなるし、言いようのない不安が胸の奥に蟠ってもいたからだ。


 俺は恐れているのだ。彼女と話をすることを。声を掛けることを。あんなことがあったのだから。まだ、心の準備ってものが整っちゃいない。だからつい、逃げたくなる。


 俺はただ、


 「そうか」


 とだけ言うのだった。


 *****


 昼休み。昼飯でも買いに行こうかと思い、席を立って教室を出ようとしたところで声を掛けられた。


 「やぁやぁ、ほーずき君。私もお供していいかな?」


 俺をそんな風に呼ぶのは一人しかいない。立ち止まって首を巡らせると赤茶の長髪が目に入った。


 「お前、弁当じゃなかったっけ?」


 俺が言うと、華畑は数秒間無言で目をぱちぱちと瞬かせた。驚いているようだ。だがそれも束の間のこと。すぐにふふっと穏やかな笑みを浮かべた。


 「そーだね。でも、今日はお母さん忙しいみたいでさ。だからだよ」

 「なるほど。まぁ、行くか」


 俺も同じようなものだから理解できた。うちの場合は毎日だけどな。


 再び足を進めて廊下に出ると華畑が隣に並んできた。何かあるのだろうかと横目で様子を窺っていたのだが‥‥


 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 あ、あのー何か言ってくれませんかねぇ。なんか超気まずいんですけど。それに君、何か用があったからあんなこと言ったんでしょー?ねぇ、何とか言ってくださいよ?


 必死に目で訴えかけたが効果はいまひとつのようだった。どうやら俺と華畑ではタイプ相性が悪いらしい。仕方がないので訊いてみることにした。


 「なぁ、華畑」

 「んー?」


 目は真っ直ぐ前に向けられたままだった。


 「違ってたら悪いんだが……何か用があるんじゃないのか?」


 俺が問うと、ようやくこちらに目を向けた。


 「ほーずき君はさ、自分が人から好かれるはずがないと思ってるでしょ?」

 「……いや、ま、まぁ」


 思いがけない言葉だったので、曖昧な相槌しか打つことが出来なかった。それに、図星だったのだ。


 俺の反応を見て慌てたように手を振りながら華畑は続けた。


 「あーごめんごめん。別に責めてるとかそういうのじゃないよ。ほんとほんと」

 「いや、大丈夫だ。それは分かってる」


 俺の言葉に華畑はほっと安堵の息を漏らした。


 「私が言いたかったのはさ、『何かなきゃ話しかけちゃだめなの?』ってことだよ」

 「ああ……」


 納得した。確かにそうだ。俺の悪い癖が出た。「悪い」と謝ると華畑は首を振って「謝る事じゃないよ」と返した。


 「それに、用があったのは事実だしね」


 ほらやっぱり!僕の勘は当たってたじゃないですかー!


 「そうか…」

 「うん。実はさ…ほーずき君に、お願いがあるんだよね」

 「そうか………ん?」


 危ない危ない聞き流してしまうところだった。え、お願い?華畑が、俺に?


 顔ごと華畑の方を向くと、照れているのかぎこちないはにかみ笑いを浮かべていた。ちょっとだけ顔も赤い気がするし。


 一体何を告げられるのかと身構えながら待っていると、華畑はこう言った。


 「明日、私と文化祭回ってくれないかな?」

 「……いや、悪い。があるんだわ」


 一瞬、呆気にとられたがすぐに気を取り直して言うと華畑は顔を俯かせてしまったがまたすぐに顔を上げた。


 「無理なのは分かってた。けれど、だからこそこうしてお願いしてるの。どうにか、できないかな?」


 顔には微笑みこそ浮かべられていたが、折れる気はないという強い意志が宿っていた。うーむ、参ったなぁ。だが一体、何が彼女をそこまでするのか。まずはそこを聞かないとどうしようもない。


 「ひとつ、聞かせてくれ」

 「うん」

 「俺にこんな頼みごとをする理由は、何だ?」


 しばし考えるような間を置いた後、華畑は言った。

 

 「いいよ」


 *****


 購買でパンやら何やらを買った後、俺と華畑は外に出てベンチに座った。普段はもう少し人がいるのだが、今は文化祭関係のことで皆忙しいのだろう。中庭は比較的人が少なく静かだった。


 パンを一口かじり、飲み込んでから口を開いた。


 「それで?」


 華畑もコーヒー牛乳をストローでちゅるちゅる飲んでから口を開いた。


 「うん、それなんだけどさ、今から私が言うことは確信に近い推測だってことは頭に入れといてくれないかな?」

 「…了解」


 何だか気になる言い回しではあったものの話を聞いてみなければ何も言えはしない。ひとまず首肯した。


 「最近さ、紫音ちゃんと前野くん、よく話してるよね?あれ、何を話してると思う?」

 「は、はぁ……文化祭のこと、とか?」


 いきなり質問を投げかけられて少々戸惑ったが、とっさに良さげな回答を思いついたのでそれを口にした。


 さて、判定はいかにと思って華畑をじっと見ると、彼女はにこにこスマイルでこう言った。


 「うん、半分正解で半分不正解」

 「なんじゃそりゃ……」


 思わずじとっとした目になってしまった。


 「そりゃ文化祭のことも話してるだろうね。でもそれ以上にさ、」


 太陽が隠れたのか華畑の顔に影が差した。


 「私の事について、話してるんだよ」

 「は………?」


 思わず間抜けな声を出してしまった。


 華畑は推測だが確信に近いと言った。俺よりも花陽や他の人間のことに詳しい彼女が言うのだからそれは真実と言って差し支えないだろう。ならば俺は花陽のことで何か思い違いをしているのではないか。そういう疑念が鎌首をもたげてきた。


 いや、じゃあ、まさか……


 「ほーずき君?」

 「あ、ああ。悪い、続けてくれ」


 華畑の言葉で引き戻された。今は話を聞くことに集中しなければ。


 俺の様子を訝しんでいたようだが、彼女はまた話し始めた。


 「こんなこと自分で言うのはあれなんだけどさ、前野くん、私のこと気になってるっぽいんだよね。一年の頃から同じクラスで結構知ってるんだけど……正直、付き合いたいとは思わないなぁって今でも思ってるんだよね」


 華畑の視線はいつの間にか地面に向けられていた。顔には困ったような笑みが浮かべられている。


 ははーん、女の勘ってやつか。多分、俺の勘よりも百倍当たるやつだ。何となくいろいろなことが分かってきた。前野の言っていた『アピール』したい相手は花陽ではなく華畑だったのだろう。今までに結構しつこくやっていたのかもしれない。だが、華畑にはすげなくあしらわれている、っていうことか。


 そこで前野が取った手段というのが。


 「ほーずき君も分かったみたいだね。多分、前野くんは紫音ちゃんに『どうにか文化祭で二人きりにしてくれないか』って頼んだんだと思う。紫音ちゃんは別に私と前野くんが付き合ってもいいんじゃないかって思ってるみたいだし」

 「だからお前はあんな頼みごとをしてきたのか。けど……何で俺?」


 はっきり言って華畑も花陽に負けないくらいの美人だし、コミュ力も高い。男子にも人気はあるはずだ。俺のような人間を頼る必要性がない。


 「はぁ」


 露骨にため息を吐かれた。え、何で……


 「ほーずき君はさ、好きな人いるでしょ?だからだよ」

 「い、いや……」


 出し抜けにそんなことを言われたので言葉に詰まってしまった。理解はできるのだ。俺ならば華畑を…好きになることはないと思ったから、ということだろう。他の男に頼もうものなら今度はそいつが華畑に告白してくるかもしれない。頼れるのは親友の…友達で自分も顔見知りの鬼灯だけ。そう思ったのだろう。


 迷ったがこう言うことにした。


 「いねぇよ、そんなの」

 「はいはい分かった分かった。それで?」


 軽く受け流されてしまった。まぁ、それはいいや。問題はこいつの頼みを引き受けてやるかどうかだ。先約がいるのは事実だ。あいつとは文化祭でじっくり話をしようと心に決めていたから簡単に覆すことはできない。だが、当の本人にはまだその旨を伝えていない。本当は今日伝えようと思っていた。


 俺だけでは判断できかねるな。本人に会って聞いてみるべきだ。


 「さっき、先約がいるって言っただろ」

 「うん」

 「そいつに今から会いに行く。俺はお前の願いを聞いてやりたいとは思ってる。

けど、そいつがどう思うかは分からん。だからひとまず聞いてみてからだ。いいか?」

 「いいけど…それって」


 多分、お前が思ってるやつじゃない。じゃなきゃこんなこと言わないしな。


 俺は残っていたパンを詰め込んで咀嚼し、飲み込むと立ち上がった。ちらと華畑の方に目を向けると、彼女も立ち上がった。それを見てから俺は歩き始めた。


 多分、あいつならいいですよって言っちまうだろうな。

 


 


 


 



 


 

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