第32話 葉菜川水樹
空き教室に戻ると、なんか人が増えていた。え、こわ。誰こいつら?
「爽人さんの頼みだ。やるぞおめぇら!!」
「「「おォォ!!」」」
なんか四人で円陣組んで叫んでやがる…。女子たちがドン引きしてるぞ。きりかさんなんてひえっひえの目つきで鬱陶しそうに睨んでるし。
前野のもとに向かっていくと、彼は得意げな顔で俺を見ていた。
「おー、鬼灯。遅かったな」
「…なんなんだ、あれ」
俺が指さしながら言うと、前野は苦笑した。
「ははっ、後輩だよ。ちなみに俺は先輩からも好かれるぜ」
「誰も訊いてねぇよ」
部活の後輩だろうか。なんか暑苦しいし。まぁ、手伝ってくれるならありがたい。
「やるか」
「おう」
俺は四枚の紙を広げて地面に置いた。絵描き班に「頼む」と告げると、さっさと鉛筆で滑るように下書きし始めた。一度やっているからだろうか。手慣れている。いや、もともと絵が上手いんだろうな。
俺も手伝いたいところだったが、あいにくと絵は苦手だ。辛うじてできるのは色を塗る事くらい。まぁ、それが結構大変なんだけど。だからこそ助っ人を呼んだのだ。
隣の教室に残っているやつらの様子を見にいったりしてから再び空き教室に戻ると下書きはほとんど終えていた。どうやら前野の後輩たちも手伝ったらしい。あいつら絵うまいんだな…
「わり、鬼灯。俺、いくわ。あいつらのことなら心配いらないぞ。いいやつらだから」
「別に心配なんかしてねぇよ」
前野は俺に向けてひらひらと手を振りながら教室を出ていった。彼ら、部活の後輩ではないってことかな?それとも部活サボっていい代わりに手伝いをやれって言われたのかな?意外と後者な気がしちゃうのはなぜだろう…
「鬼灯さんですよね?やりましょう!!」
「やっちまいましょう!!」
「さっさと塗っちまいましょう!!」
「鮮やかなカラーでペインティングしましょう!!」
でかい声が耳に届き、そちらを見やれば後輩ズが闘志のようなものをみなぎらせながら俺のことを見ていた。いや、やっちまいましょうが別の怖い言葉に聞こえちゃうんだけど…。
やれやれ、やるかと気力を振り絞ろうとしたところで扉が開かれる音がした。
「こんにちは、先輩方。お手伝いに来ました!!」
振り返ると、輝く笑顔の苧環真理と親友三人が入り口付近に立っていた。彼女たちを見て、「誰あの子ら?」「っていうか誰が呼んだの?」「手伝ってくれるならいいじゃん」といったような会話がそこかしこから聞こえてきた。まぁ、無理もないわな。けれど表立って俺が呼んだと知られるのは避けたい。だから先刻にも述べたが改めて、はじめて言うかのようにして感謝の言葉を口にした。
「悪い。助かる。さて、始めるか」
俺の言葉に全員が頷きをもって応えた。
*****
七時を過ぎたあたりで切り上げることにした。できたのは四割くらいだろうか。そこそこの人が手伝ってくれたからここまでやれた。彼ら彼女らがいなければ二割もできたか怪しかった。この分だと明日頑張ればなんとかいけるかもしれない。
後処理は俺がやっておくからと苧環ら以外は全員先に帰らせた。俺はといえば、途中まで色が塗られた絵の前に立っている。ひとつ、考えなければならないことがある。
この絵をここに置いておいていいのか、という話だ。
昨日の遅くか今日の朝早くだろうか。ここに何者かが侵入して絵をめちゃくちゃにしやがった人間がいる。俺への嫌がらせかどうかはさておき、二度目がないとは限らない。ならば念のため別のところへ移して隠しておくべきだろう。だがどこがいいだろうか。どこならいいのだろうか。迷っていると、後ろから声を掛けられた。
「先輩?どうかしたんですか」
苧環の声を聞き、半ば反射的に顔を出入口へと向けた。三人組も物言いたげに俺のことを見ていた。
「あ、ああ。ちょっとな…」
返事は何ともいえないものになってしまった。話すべきかどうか迷った。実は絵が一度ぐちゃぐちゃにされたことは言っていない。言えばなにかしら手伝ってくれるだろう。だがこの件には少し危険な香りが漂っている。もし俺への嫌がらせの一環として絵を台無しにしたのだとしたら、彼女らを関わらせるのは避けたい。今も犯人が学校に潜んでいてこの教室から人がいなくなることを、もしくは俺が一人になるのを待っているかもしれない。
少し考えて、一つの方策を採ることにした。
「いや、やっぱ何でもない。帰ろう」
俺の言葉に彼女らは少し怪しんでいたが、何も言ってこなかった。
*****
四人で職員室まで行って鍵を返しに行き、それから昇降口へと向かった。最近は日が落ちるのが早くなってきたので大分暗くなっていた。学校付近の道路の街灯や家々の明かりが俺たちを照らしていた。
「いやー楽しかったですね。いろんな人とおしゃべりできましたし」
苧環が軽快な足取りで俺の横を歩いていた。その様子に、言葉に思わず笑みが零れた。
「そうかよ。なら、明日も超働いてくれ。よろしく」
「はーい!!」
辺りには部活終わりの生徒たちがちらほら見られた。皆、自転車を使ったり歩いたりして校門へと向かっていく。
駐輪場に着いた。煌々と照らしている蛍光灯の光が少し眩しく感じた。俺は足を止めた。苧環らも俺の様子に気づくと足を止め少し先からこっちを見た。
「あ、わりぃ。忘れ物したみたいだわ。ちょっとここで待っててくれ。すぐ戻るから、待ってろ」
用意していたセリフを口にして、それから昇降口へと駆けだした。途中、ついてきていないか何度も振り返った。念を押したからか駆けてくる姿は見られなかった。靴を履き替え足音を殺しながら階段を上って廊下を歩き、空き教室へと向かった。電気はついていない。音を立てないようにそっと扉を引いてみると動いた。鍵が開けられている。
さて、どうする。小窓から覗いてみても人影は見当たらない。だが死角に潜んでいる可能性はある。
「誰かいるのか」
声を掛けてみたが反応はない。仕方がないので入ってみよう。がらっと勢いよく扉を開いてみた。電気をすばやくつけて中を見たが人の姿はなかった。絵も無事だ。
だが。
俺は即座に頭を低くして後ろを振り返った。そこにはやはりというべきか、人の姿があった。彼女は俺に向かって殴りかかってきていた。腕を掴み、足を掛けると体制を崩したので床に倒して取り押さえた。女子なので背中に跨ったりはしていない。両腕を左腕で押さえ、右手で背中を押さえた。
「っ、放せ!」
「放さねぇよ。お前が落ち着くまでは」
女子ながらすごい力だ。しっかり押さえてないと拘束が解かれそうだ。
「本当に、悪いんだけどさ。俺、お前の名前は憶えてないんだ。けど去年告白してきてくれたよな。おぼろげだけど…憶えてる」
少しだけ、押し返す力が弱まった気がした。
「どうして、なんてことは訊かない。代わりに俺が言えるのは一つだけ。お前を好きになることは絶対にない」
俺の心には既に別の人物がいる。他の人間が入り込む余地はない。なんだかんだ言って狭量なんだよ、俺は。
「っ、ああ、本当に嫌い。憎い。あなたのそういうところが」
苦々しげに吐き捨てられた言葉は針となって俺を突き刺してきた。押さえる力を弱めそうになった。そういうところ、というのは—。
なおも彼女は続けた。口には歪んだ笑みが浮かべられていた。
「訊いたわよ。花陽の代わりに文化祭委員の代理引き受けたんだってね。本人はそんなつもりなかったかもしれないけど、私には嬉しそうに見えたわ。けれどさ、鬼灯くん。あなた、よく他の女子とも仲良くしてるわよね。ははっ、どういうことかしらね」
俺は言葉を失った。彼女は俺を遠まわしに非難しているのだ。
返す言葉などない。返せるわけがない。俺の態度がいろいろと問題を引き起こしているのは事実だから。何度も見ないふりをしてきた罰が当たったのだ。
「すごく、許せなかったのよ。まぁ、逆恨みもいいとこなのは自覚してるわ。けど許せないものは許せない。感情ってそういうものじゃない」
俺も、お前がやったことは許せない。だが俺にこいつを糾弾する資格はない。代わりに抑える力を少しだけ強めた。
「だから、あなたとあなたの周りの人間が少しだけ不幸な目に遭えばいい。そう、思ったのよ。だから手始めにあなたへの嫌がらせと、絵をめちゃくちゃにしてやることにしたのよ。あと、他校の仲良くしてる子?白天みたいだったから知り合い経由でちょっかい出させたわ。あと、」
「黙れ」
これ以上聞いてやる必要なんかなさそうだったので遮った。押さえを外し、距離を取った。
「さっさと出てけ。不意打ちじゃなきゃ俺がお前にやられることはない」
彼女はよろよろと体を起こして立ち上がった。向かってくる力などなさそうだった。制服についた埃を払い、出入り口へ向かった。出る直前で足を止め、背中を向けたまま彼女はこう言った。
「ほんと、お優しいのね。けれど、そんなんじゃ何度も痛い目見ることになるわよ」
分かってる。そんなことぐらい。
俺はため息を吐き出してから外に目を向けた。あいつ、花陽と知り合いらしいな。なら部活関係か。まぁ、去年一緒のクラスだったから付き合いがあるってだけかもしれないが。それにしても、花陽はこいつの本性を見抜けなかったということだろうか。ならば相当厄介なやつだったということになる。
ひとつ、気づいたことがある。そう言えば俺は花陽の部活関連のことをあまり知らない。知っていることとすれば、ただ足が速いことくらいだろうか。けれど何の種目を得意としていて、どの程度すごいのか、部活での人間関係はどうなのか、そういったことはまるで何も知らない。知ろうとしてこなかったからなのだが。
けれど、あいつ何考えてんのかよく分からんのだよな。あの言葉の意味とか。
キモい捉え方かもしれないけど。
俺を試しているかのようにも感じた。
おおっと、そう言えばあいつらを待たせてるんだった。早く行かねば。そこらへんに放り捨てられていた鍵を拾って廊下に出た。鍵をしっかりと閉めて職員室にもう一度鍵を返しに行った。片霧先生に「さっき
昇降口で靴を履き替えて外に出ると駐輪場まで走った。
文化祭ではひとつ、決着をつけようと思う。
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