第31話 時間がない

 放課後。


 あれ、もう放課後?光陰矢の如しどころか飛行機の如しとか新幹線の如しくらいの感覚だったんだが。正直、矢の飛ぶ速さって引き手とか弓の張りの強さとかに依存するから意外と速さが分かりにくいと僕は思うんです。現代風に言い直してみようぜ?


 「はぁ」


 俺は自席でひとりため息を吐いていた。部活に行ってしまって今はいない花陽の席に目を向けた。彼女は明らかに俺を避けていた。今日は一度も話していないし近づいてすらいない。こちらに目が向くこともなかった。それが何かおかしなことかと聞かれれば、そうでもないのかもしれない。二年になるまで彼女のことは知らなかったのだ。言ってしまえばその時の状態に戻っただけ……のはずなのに。


 寂しさのようなものを感じている自分がいた。ああ、気持ち悪すぎる。俺は人に好かれる男なんだと勘違いしているのだ。自意識過剰も甚だしい。本当に吐き気がする。


 ぐわぁぁぁっと髪をぐしゃぐしゃといじってから「よし」と気持ちを切り替え、立ち上がった。すると前にいた男、フロントマンに話しかけられた。


 「はは、どうしたんだよ鬼灯」


 見やれば前野が口元に手を当ててくっくっと笑っていた。あ、そうだったこいつ真ん前にいたんじゃん恥ずかしいとこ見られた死にたい。


 「あ?なんもねぇよ」


 恥ずかしさを誤魔化すため強めの口調で言うと、彼は苦笑した。なんかうぜぇんだよなこいつ。

 

 細められた目をこちらに向け、前野が口を開いた。


 「まぁそう言うなって。俺とお前の仲じゃねぇか」

 「……は?誰と誰の仲だって?」


 一瞬マジで何言ってるのか分からなかった。距離感バグってんだろうか。そこまで仲良くはないと思うんですけど。これだからチャラ男は。まぁ、こいつは単なるチャラ男ではない気がするが。


 俺の言葉は無視して前野が言った。ニヤリと不敵な笑みを浮かべている。


 「当ててやろうか?」

 「意味ねぇっつーの。たとえ当たってても違うって言うし」

 「お前、結構顔に出るけどな」


 ちっ、と心の中で舌打ちした。梨華さんが言った通り見る人が見れば分かってしまうんだろう。俺のはその程度の防壁でしかないのだ。弱っちいATフィールドだぜ。


 追及されると面倒なので話をすり替えることにした。


 「っていうか、お前部活あるだろ」

 「まぁな。でも俺クラスの選手ともなればちょっとくらい遅れても許されるのさ」


 前野がカッコつけて前髪をさっと手で払いながら言った。中の上程度の男(俺とか)がやるとキモいだけなのだが上の上、特上の男がやると様になっているように感じる。けっ、やっぱムカつくわこいつ。悪い奴じゃないんだけどさ。


 「そういやあ、お前何部入ってるんだ?」


 ちょっとだけ興味なくもない気がしないでもないので(どっちだよ)訊いてみた。すると前野は「んー」と前置きしてから答えた。


 「庭球部さ」

 「テニスって言えよ。逆に頭悪く感じるぞ」


 ちなみにバスケは籠球、サッカーは蹴球、バレーは排球だ。連載が終わってしまったかの有名なバレー漫画は大好きです。僕にもあんだけジャンプ力あればなぁ……


 それにしてもテニスか。悔しいが似合う気がする。王子様とか呼ばれてたらちょっとウケる。「まだまだだね」とか言ってたらもっとウケる。


 「まぁ、いいや。行くぞ」


 残ったやつらはぼちぼち準備を始めていた。俺たちもやるべきことをやらなければならない。隣の空き教室へと足を進めた。


 多分、心配しなくてもいいぞ。


 そんな言葉が背後から聞こえてきた。馬鹿野郎、なんの話だよ。勝手に分かった気になってんじゃねぇ。


 *****


 「これ、どうすんの?」


 扉を開く前から不穏な空気を感じてしまった。この声、聞いたことあるなぁ。がらっと開くと案の定、絵が描かれている紙の前で数人が頭を抱えていた。中には金髪キラキラギャルもいて、彼女の向かいにも女子がいる。バチバチやり合ってるなぁ…


 「っつーか、これ誰やったのさ。あんた?」

 「ち、違うって。私じゃない!!」

 「じゃあ、あんた?」


 近くまで寄ってようやく事態を理解した。数日掛けて描いた4枚の絵が上からぐちゃぐちゃに描きつぶされていた。完成まであと少しというところだった。「うわっ」と前野も驚いていた。


 彼女たちが怒るのも無理ない話だ。努力が水の泡になったんだから。まぁ、世の中は理不尽に溢れているもんだが許せないもんは許せない。そしてこういうときまず決まって犯人探しが始まってしまう。不意に、朝のことを思い出した。あの暴言が書きなぐられた紙。今もポケットに入っている。いや、まさか。たまたまだろ。だがあり得ない話じゃないか。なら、俺がどうにかしなければならない。


 どうする?今から全部書き直す?

 

 だがあと2日しかない。時間が限られている。朝昼夕めいいっぱい使っても足りないかもしれない。当日の朝も使ってぎりぎりどうにかなるか、ってところだ。それにみんな都合がある。協力者は限られてしまう。


 俺が思考を巡らせているうちにも前野は割って入って彼女たちを宥め、話を聞いているようだった。


 「やめろって。まずは話を聞かせてくれよ。これ、いつからだ?」

 「…今日、はじめてここに入ったよね?」


 キラキラギャルが問いかけると、周りの女子たちもうんと頷いた。っていうか偉く静かになったな。さっすが前野。好かれてるなぁ。


 前野は彼女たちの様子を見て、話を聞いて難しい顔をしていた。


 「…そうか。けど、犯人探しをしても仕方ない。この状況をどうにかしないと」

 「け、けどさ爽人そうと。あたしらのこの怒りはどうすればいいの?」


 前野に対しても抑えず、悔しそうに唇をかんでキラキラギャルは俯きながら言っていた。いい加減あの人の名前知りたいな…。前野の名前とかどうでもいいから。ちっ、そうとっていうのか。覚えちまったぜ。俺の記憶力は侮れないな。


 怒りという感情は強いエネルギーを持っている。ゆえに制御が難しい。スーパーサイヤ人が強いのは怒りを力に変えているからだ。怒り以外のエネルギーをもってしては境地に到達できない。


 怒りを力に、か。だが熱しやすいものは冷めやすい。すぐに切れて彼女たちのやる気が失われてしまっては困る。俺はどうでもいい方だが、俺以外の多くの人たちが文化祭の成功を強く願っている。それに俺は水仙の代理だ。どうにかしなければならない。


 前野もどうすればいいか分からないようだった。視線を紙へと向け、俺はゆっくりと口を開いた。


 「時間もないから端的に訊く。お前ら、もう一度描きなおす気力はあるか?」


 キラキラギャルが顔を上げてキッと睨んできた。怖いよぉぉ。他の女子たちも渋い顔をしていた。


 「は?なにそれ、バカにしてんの?」


 確かにそう聞こえたかもしれない。だがこの言い方しか思いつかなかった。


 「樹里華きりか。鬼灯にあたっても仕方ないだろ」


 前野に言われ、彼女は気まずそうな表情を見せた。顔を赤くして「で、でもさ」とかなんとかぼしょぼしょ言っている。おかしいな、なんかこの人が可愛く見えてきた…


 「まぁな。今のだと、お前らやる気あんのかって訊いてる風に感じる」


 からかうように言った前野が俺をじろっと見てきた。うっせー仕方ないだろ。きりかさんはじめガールズもうんうんと激しく同意していた。うっ……


 確かに、雑用しかやってこなかった俺は彼女たちから見ればたいして何もやっていないやつとして映るのだろう。ちょっと不服だがしかたない。


 「悪い。謝る」


 俺が首を垂れると頭の上からふっと鼻を鳴らす音が聞こえてきた。


 「別に。あたしも、この子たちもあんたなんかよりやる気はあるんだから。まぁ、あんたが何もやってないみたいに言ったあたしも悪かったわよ」


 顔を上げると、気まずそうにそっぽを向いているきりかさんの顔が視界に入った。多分この人いいやつだな…


 仕切りなおすように咳払いをしてから俺は口を開いた。


 「だが、どうする?残りの時間じゃ俺達だけでできるか怪しいぞ。まぁ、俺が人の百倍働けばいいだけか」

 「いや、みんな協力してくれるって。樹里華たちも、怒りを力にばりばりやってくれるしさ。な?」


 前野の問いかけに、「そうね」とか「うん」とか言いながら頷いていた。めっちゃ従順ですね…。そんな姿を見せられたら俺も頑張らなければならない。柄ではないんだがな。


 「最後に一つ。これ、描きなおす以外に方法ないか?」


 言ってはみたものの、難しいだろう。ぐちゃぐちゃに描かれている以上、別の絵にするのも厳しい。やはり皆も同意見なようだった。前野は顎に手を当て考え込み、ガールズはうーんと唸っていた。可能ならば他の皆の意見も聞きたかったがとにかく時間がない。こうしている間にも刻一刻と時計は進んでいる。


 「俺も少し手伝ったし、お前らは力を入れてた。これを無駄にするのは俺も納得できない。けど、実際難しいよな。描きなおすか。紙をもらってくるわ」


 前野に視線だけで少しの間頼むと伝えると、頷きを返してくれた。それを見届けて、俺は生徒会室へと急いで向かった。


 *****


 事情を説明したところ、実行委員は納得してくれた。新しい紙をもらい空き教室へと戻る途中で見知った顔の四人に話しかけられた。


 「あ、先輩。どうしたんですか?」

 「鬼灯先輩。どうかしたのですか?」

 「なにやらお急ぎのご様子ですが」

 「よろしければわたくしにお聞かせください」


 きぃぃっと急ブレーキをかけたかのようにして足を止めると苧環と猿飛、服部、風魔の忍者三人組がいた。


 「え?えーっとなぁ…」


 こいつらは俺の為ならなんでもやってくれそうではある。だが簡単に甘えてしまっていいのだろうか。忍者三人組はともかく苧環は…


 ああ、やめやめ。考えてる時間も勿体ない。


 「お前ら、暇か?もしそうなら、頼みがある」


 俺が頼れる人間は少ない。俺なりの精一杯の誠意を込めて俺は頼み込んだのだった。


 

 

 


 


 

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