第29話 ふたりの様子

 翌日。いつものように登校し、昇降口で靴を履き替え教室へ向かおうとしたところで足を止めた。見知った顔の人間と出くわしたからだ。


 「あ、先輩。おはようございます」


 苧環真理は俺を見るなり立ち止まってにこっと笑い、ぺこっと可愛らしく頭を下げて挨拶をしてきた。よかった。どこもおかしなところはない。


 「おう、おはよう」

 「はい、ぐっもーにんです☆」


 挨拶を返すと、苧環は右目のあたりに横ピースを掲げてウインクした。ち、なにげに可愛いな。


 って、いかんいかん。


 照れ隠しのため一瞬だけ瞑目して咳払いをし、それから口を開いた。


 「あー…聞いたと思うが、しばらくは準備が忙しい」

 「もっちろん聞いてます」

 「そうか…。そういやあ、お前のクラスは何やるんだ?」


 少し気になったので訊いてみると、苧環は右手の人差し指を立てて説くようにしながら話し始めた。


 「ふふん。喫茶店をやるんですよ。男子がメイド服着ます」

 「うげぇ、男子が可哀そうだな…」


 公開処刑か何かなのか?アイデアは面白いと思うが、一部の人間にとっては地獄だろ。笑わせたいやつらには楽しいかもしれないが、それ以外の人たちにとっては見せ物にされるだけじゃないか。


 俺が苦い顔をしたのを見て苧環はむっとした。


 「ちゃんと女子もウエイター服着ますよ」

 「心配してるのはそれが理由じゃねぇよ…」


 まぁ、俺のクラスの話じゃないからあまり口出しはしないけど。


 「なんか準備することってあるのか?」


 何を出すかとか、どういう空間を作り出すかとかを決めたら当日まであまりやることがなさそうだと思ったので訊いてみた。やはりというべきか、予想通りの言葉が返って来た。


 「机を配置して、ちょっとした飾りをして、服の準備したら後は当日までやることはないですねー」

 「そうか」


 なら、やはり。


 「俺らはやることが結構あるから、先帰ってていいからな」


 待たせるわけにはいかないし、手伝わせるわけにもいかない。


 そう思ってかけた言葉だったのだが、苧環はなぜか首を傾げた。


 「待ちますよ?昨日は、ちょっと先に帰っちゃいましたけど」

 「いや、でも遅くなるし…」


 口元には笑みが湛えられていたが、目は真剣だった。譲らない、という意志が伝わって来た。じっと俺の瞳を見る目には力が籠っていた。そういやあこいつ、意外と強情なやつだったけ。少しだけ昔の光景が頭に浮かんだ。


 俺は嘆息してから口を開いた。


 「分かったよ。けど、駐輪場で待ってろ。その…あんま人目に付くのは、あれだから」


 何を今更。馬鹿みたいだな。


 思わず視線を床に向け、髪をいじりながら言ってしまった。何だか居心地が悪い。さっさとこの場を去ってしまおうと思い、踵を返したところで声がした。


 「はい」


 その声には、嬉しさに加え小さじ半分程度の悲しみが混じっていた。


 *****


 今日も水仙は欠席なので俺と前野が準備に関する指揮を執る。


 現在は6限。文化祭が近くなると総合の時間はまるまる準備の時間に当てられる。授業中なので当然全員が参加をしてはいる。しかし、俺の他にも文化祭にさして興味がないやつはいるらしく、ほとんど手を動かさずに友達とおしゃべりに興じている人間がちらほら見られた。主に男子。


 こういう時って決まって男子の方がやる気がないのである。中学の頃の合唱コンクールとかが典型。学校行事って、ダルいだけで何がいいのだろうかとずっと思ってました。


 絵の色塗りを手伝いながらどうしたものかと首をひねっていると横から声を掛けられた。


 「やぁやぁ、ほーずき君」


 のばし棒が入ってるかのような呼び方をするのは一人しかいない。


 筆を動かす手を止め、声のした方を向くと予想通りの人物がいた。


 「どうかしたか、華畑」


 クラスTシャツ、いわゆるクラTを着た華畑美樹が秋の紅葉のような赤茶の髪を左手で押さえながら立っていた。床に座っている俺を楽しそうな表情で見下ろしている。ちなみに俺はクラTを着ていない。ダサいから。俺は当日しか着ないぞ絶対。


 「手伝ってたところが終わっちゃったからそっち手伝おうと思って」

 「ああ、なるほど。んじゃ、ここ頼むわ」


 水仙とか絵描き担当の人から出来上がりのイメージ図的なものは渡されている。それを指し示しながら言うと華畑はうんと頷き、そこらへんに置いてある筆を取り絵の具をつけると俺の隣にすっと腰を下ろした。髪をゴムでまとめて結っている。え、何で隣?いくらでも空間あるんですけど…


 俺が少し距離を空けるとまた華畑がにじり寄って来た。ああ、ダメだこれ。逃げられんやつや。


 諦めて俺も色塗りを再開しようと筆を動かし始めると、隣の華畑が口を開いた。


 「紫音ちゃん…結構やりたかったんだと思うよ」


 一瞬、筆が止まりかけたがすぐにまた動かし始めた。ちらと横目で華畑のことを窺う。彼女は俺のことを見てはいなかった。視線を紙に戻してから口を開いた。


 「どうして、そう思うんだ」

 「根拠はないよ。あんまり自分語りしてくれないからね。けど、親友だから」


 親友だから。その言葉も根拠にはなっていないはずなのに、不思議と納得させられている自分がいた。きっと華畑は今までの時間を花陽とともに過ごしてきて、その中で少しずつあいつのことを知っていったのだろう。本当に、美しい友情だ。


 人のことを知るのに、必ずしも言葉は必要ではないと俺は思う。人の性格は行動にこそ出ると聞く。もちろん、演技が上手い奴はそうそうぼろを出したりしないが注意深く観察すれば皮を被っているかそうでないかは分かるはずだ。


 いつだったか、前野が言った言葉を思い出した。


 『鬼灯、無理しなくてもいいんだぜ』


 俺も前野に観察されていたわけか。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだという。俺が集団の外側から皆を観察していたのに対し、あいつは集団の内側から俺のことを見ていたということだろう。やっぱあいつ俺の事好きなんじゃね…


 まぁ、前野のことは今は置いておこう。


 「お前でも…あいつのこと全部知ってるわけじゃないだろ」

 「まぁね。けど、少なくともほーずき君よりは知ってるよ」

 「…だろうな」

 「あ、私はちなみに吹奏楽部入ってます。小学生の時にピアノ習ってたからその延長線上…みたいな。まぁ、紫音ちゃんも音楽の嗜みはあるっぽくて中学の合唱コンではピアノ弾いてたよ。超上手かった」

 「お、おい。ちょっと待て」


 なぜいきなりこんな話をし始めたのだろかこの子は。思わず色を塗る場所間違えそうになったじゃないか。


 手を止め眉根を寄せながら華畑を見た。すると彼女も俺の方を向き首を傾げた。その拍子に結わえられていた髪がふぁさっと揺れた。


 「ん、なんかおかしかった?」

 「いや…急に何の話かと思ってな」


 俺の言葉を聞いて得心がいったようで、華畑は「ああ」と漏らしてにやりと不敵な笑みを浮かべた。


 「ほら、将を射んとする者はまず馬を射よっていうでしょ。だから私のことを教えてあげたんだよ」


 んだよ、それ。まるで俺が誰かを狙ってるみたいじゃねぇか。それにその論法でいくと君は馬ということになるが。


 「別に…知りたくねぇし」

 「またまたこの嘘つきはー。っていうかこっち見て言いなよー」


 俺が目を逸らしてしまったので、華畑から肘でぐりぐり小突かれまくった。やめろやめろ、近いから。


 まぁ、周囲の人間から対象の人物の特徴を洗い出すのはおかしな手法ではない。警察なんかしょっちゅうやってるだろうし。


 「前野君しか代わりやってくれる人がいなかったら、紫音ちゃん何が何でも自分がやるって言ってたと思うよ」

 

 急に雰囲気が変わったので向き直ると、華畑は俺ではなく離れたところにいる親友の方を見ていた。表情からは安堵の色が感じ取れた。


 「そう、か…」

 「ただ…」

 「ただ?」


 いくら待っても言葉の続きが聞けることはなかった。じっと花陽のことを見るその姿からは、何か心配事があるのではないか、そう思ってしまった。


 やがて華畑はばっと振り向きにこっと笑顔を作って言った。


 「さ、やろやろ。あそこらへんの男子なら前野君がどうにかしてくれるよ」

 「……まぁ、そうだな」


 少し気がかりだったが、ひとまずは置いておくことにしよう。


 話題に上がっていた花陽は前野と何やら会話をしながら作業をしていたのだった。


 *****


 6限が終わると、掃除が始まった。昨日の俺の言葉のおかげかどうかは知らないが、俺に押し付けてくる者はいなくなった。代わりに一部のクラスメイトたちから距離を取られているようだが。まぁ、もとよりそこまでクラスメイト達と親交を深めていたわけではないから気にはならない。程よい距離感を持って人と接することがストレスフルな社会を生き抜くコツだと俺は思うんだっ。


 箒で床を掃いていると背中を軽く小突かれた気がした。誰やと思い、振り向くとそこにいたのは花陽だった。真剣な面持ちをして立っている。こんな風に呼ばれることはなかったから軽く面食らった。


 「お前…廊下の掃除だろ」

 「そうね。けれどすぐに戻るわ」

 「用事は?」

 

 端的に訊くと、じっと俺の目を見据えながら花陽は言った。


 「HRが終わったら、少しだけ時間を頂戴」

 「……は、はぁ」


 思わず微妙な相槌を打ってしまった。


 何か話があるということだろう。だが一体何を話すことがあるのだろうか。文化祭関係のことか。いや、それとも何か別の——。


 「じゃあ、また後で。渡り廊下で待ってる」


 俺が思考回路を巡らしているうちに花陽は踵を返して去って行ってしまった。まぁいい。すぐに分かることだしな。


 再び箒を動かして掃除を始めると、同じ教室掃除の女子たちの話し声が聞こえてきた。


 「最近さ、花陽さん、前野くんとよく話してるよね」

 「ねー、それ思った。もしかして、ってこともあるのかな?」

 「んーどうだろうなぁ。ちょっとあからさま過ぎる気もするし。けど、お似合いではあるよね。二人とも頭良くて運動もできて容姿もいい。神様はちょっと与え過ぎだね」


 余計なことを聞いてしまった気がする。くそっ、なんか胸がざわついてきた。


 彼女たちから距離を取るべく、窓の近くへと足を進めた。街の光景はすがすがしいほどにいつもと変わらなかった。俺のちっぽけな悩みなど世界にとってはどうでもいいことなのだ。


 思わず、ため息が漏れた。


 *****

 

 HRを終えると、準備の事について一旦前野に任せ、俺は足早に教室を出た。既に花陽の姿はなかった。俺よりあいつの方が出入り口に近いからな。


 どこのクラスも騒がしくしているはずなのに、あまり耳には届いてこなかった。緊張、しているからだろうか。必死に抑えつけても、心臓の鼓動が鳴りやむことはなかった。


 右に曲がれば階段、左に曲がれば渡り廊下というところで左に曲がった。ここは胸の高さくらいしか壁と呼べるものがないため風が良く通る。足を踏み入れた瞬間風に前髪を揺らされ視界が隠れた。ええい鬱陶しいと思い手で髪を押さえながら中間地点まで行くと、彼女はいた。


 花陽紫音は柵に近い壁の上に両腕を乗せて外を眺めていたが、俺に気づくとゆっくりとこちらを向いた。


 「待ってたわ」


 


 

 

 

 

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