第27話 安心しろ
自転車をちゃーっと走らせて向かった先はいつかも来たミスドである。夕方なのである程度の客が入っている。年齢層はバラバラだ。俺と同じくらいの人もいれば、スーツを着た社会人と思しき人もちらほらいる。目的の人物はすぐに見つかった。髪色が派手だからなぁ。目立つんだよなぁ。僕は目立ちたくないんだけど。
彼女、木元梨華は外が見えるガラス壁付近の席に座りスマホをいじっていた。向かいの椅子に荷物が置かれており俺の席まで確保してくれている。うーん、ありがたいんだけどちょっとご迷惑でもありますよね…
俺はコーヒーだけ注文し、席へと向かった。近くまで寄ると、彼女も俺に気づいたようで、手を止めて視線をこちらへ向けた。
「ごめん。待たせちゃったね」
「待ってないよ……って言うのが優しさだよね」
「え?ああ、うん…」
ちょっと要領を得ない発言だったので俺の反応も濁ってしまった。どゆこと?
俺が首を傾げているのを見て、梨華さんは薄く笑みを浮かべた。
「鬼灯くんってそういうの、求めてないんじゃないかなと思って」
「……何のことか分からないな」
本心だった。彼女の言葉にはいくつもの意味が込められている気がして、そのどれもが正解なような気がして、たった一つを導き出せはしなかった。
梨華さんは数秒俺の目をじっと見てからふっと微笑み、それから向かいの席の荷物をどかして「座ったら?」と促してきた。心の内にはもくもくと雲が立ち込めていたが、とりあえず席に着いた。まぁ、いい。別にさほど興味はないし。
梨華さんが何かを言う前に俺から口を開いた。
「いろいろありがとう。助かったよ」
「うん。だからこうしてドーナツおごってもらってるんだよね」
彼女が視線を向けたトレイの上の皿にはすでにいくつものドーナツが置かれていた。やっぱり大好きなんですね。待ちきれなかったんですね。けどそんなに食べてだいじょぶ?
多分、大丈夫なんだろうなぁ。この人…その…大きいし。
胸元へ視線がいきそうになったのをぐっとこらえ、代金を計算した。あれ、なんかこの前より高いような気がするぞ。ま、まぁいいや。いいぞ!もっと食べろ!
っていうのは冗談。
俺が財布から札やら硬貨やらを出して、ほいとテーブルに置くと梨華さんは「さんきゅー」と言って受け取った。しかし何やら疑問を抱いたようで視線を俺に向けてきた。
「よく代金分かったね?」
「ははは。俺、ミスドの常連なんだよ。だからほとんどの商品は見ただけで分かる」
「へぇ、すごいね。まぁ…私も大体分かるけど」
俺が苦笑しながら言うと、梨華さんもふふっと笑いながら返してきた。なんだか自慢げだった。あー、私も常連ですよアピールか。まぁ、そうだろうね。だったら俺のどこがすごいのか教えてくださいよ……
まぁ、どうでもいいや。用事はお礼以外にもあるし。
「あの後さ、桂がどうなったか知ってる?」
俺が話を切り出すと、梨華さんはもぐもぐしながらうんと頷いた。ごくりと飲み込んでから口を開いた。
「自業自得だけど本性が知れ渡った結果、かなりの人たちが彼から離れてったね。特に女子」
「は、ははは…」
乾いた笑みがこぼれた。女子って怖いね。すぐ掌返しする。結局そいつらも奴のことを本気で好きではなかったということか。黒い部分が見えた途端に態度を変えてるみたいだし。
ただ、自業自得なのは事実だ。女をとっかえひっかえしてきたあいつも悪いんだ。その報いは受けてしかるべきだ。優しさなどかけらもない嘘を吐き続け、女子の好意を裏切ってきた罰だ。
正直言ってこうなることは想像がついていた。俺が仕向けたようなもんだし。だが少し罪悪感がないわけではない。それに俺、何様なんだろうな。
気づかれないようにそっと、自嘲気味の笑みを漏らした。
いつのまにかコーヒーへ落としていた視線を再び彼女へ向けるとまた話し始めた。
「けど、盗み見た感じ彼にも親友はいるみたいでね。完全には孤立してないみたいだよ」
言って、彼女は優しく微笑んだ。なぜだろうか。梨華さんの言葉と、その表情は俺を擁護してくれているように感じた。ちょっとむず痒くて思わず視線を外に向けた。最近は少しずつ日が短くなり始めている。薄暗い駅前の街を車のライトや街灯、店から漏れる光が照らしていた。
「そ、っか」
「うん…」
短いが、感慨深い感じの相槌が返って来た。それから少しの間沈黙が降りた。周りの客の話し声や店内を流れる音楽ばかりが耳に入って来た。コーヒー、手つけてなかったなと思い、ごくりと飲んだ。不思議といつもより苦みを感じなかった。だが苦みというのは舌にとっては強めの刺激なようで、しばらく口の中に残っていた。
秀、そのうち帰ってくるだろうし長居したくねぇなと思い、また話を切り出した。
「桂とか、他の人とかから…なんかされてない?」
「うん、大丈夫」
「ならよかった」
「心配、してくれてるんだね…」
少し声音が変わった気がして彼女を見ると、食べかけのドーナツに視線を落とし、手に持ったまま微動だにしていなかった。前髪で顔は隠れており、表情は窺えなかった。
少しして俺が黙っていることに気づいたのか、梨華さんは顔を上げて慌てた様子で話し始めた。
「え、あ、いや特に深い意味はないよ?ただ、優しいんだなぁって思っただけだから」
本当に、深い意味などなかったのだろう。けれど俺は即座に反応することが出来なかった。
『優しい』
俺はこの言葉を何度言われただろうか。何度か否定してきたが、こうも言われるとそうなんだろうなと思うしかない。けれど俺は素直に喜べなかった。少し前の、苧環とのやりとりを思い出してしまったから。
『優しいところだけは…変わってないんですね。けど、』
あの後に続いた悲痛な叫びのような言葉が、俺の優しさをただ肯定するものではないことを物語っていた。
昔がどうだったかは覚えていない。もしかしたらただただ純粋な優しさをもって人と接していたかもしれない。だが、今は違う。押し付けられるようにして掃除を任される度、内心では黒い感情を抱いていた。何かを決めるときはいつも余りものを選んでいるが、あれもただ面倒事が嫌いという自分本位な理由ゆえだ。争いを避けているだけだ。人と深くかかわると碌なことにならないから、心に蓋をし続けてきたのだ。
「鬼灯くん…?」
梨華さんの声に、思考の沼から引きずり出された。少し大げさな反応をして彼女の顔を見てしまったかもしれない。
「あ、ごめん。なんでもないよ」
上手く笑顔を作れたかは分からない。梨華さんは訝しげな表情を浮かべながら無言で俺のことをじっと見ていた。俺も目を逸らさなかった。しばらく睨み合いが続いた。折れたのは彼女の方だった。ため息を吐いてから、口を開いた。
「隠せてないから、それ」
呆れたような口調が少し癇に障った。だから、思わず荒い口調で言ってしまった。
「なんの話を、してんだよ」
「ふふっ。ようやく見せてくれた」
梨華さんは不敵な笑みを浮かべながら俺を見上げていた。そうか。そう言えばこの人、水仙の親友だったな。だから、こういうところがあるんだろう。ちっ、乗せられた。
ここはとぼけるしかない。綺麗な微笑みで隠しながら俺は口を開いた。
「本当に、何のことか分からないよ」
「そう。まぁ、いいよ。けど、案外分かる人には分かると思うよ」
だからなんだってんだよ。そんなのどうでもいい。いくら勘ぐられようと俺からは簡単に見せてやらねぇよ。
さっさと切り上げよう。
「俺、弟が返ってくるまでに帰りたいんだ。もう、いいかな」
「ちょっと残念だけど、それなら仕方ないね」
梨華さんの言葉は半ば聞き流し、コーヒーを飲み干して席を立った。彼女もついてきた。トレイを返して外に出た。昼間とは違い、涼しい風が吹いていた。季節が着実に秋へと向かっていることを悟らせた。
「もう…こうして二人で会うこともないだろうね」
背後からそんな呟きが聞こえてきた。その声から寂しさを感じとったからだろうか。慰めのような言葉が口から漏れそうになった。ぐっと飲みこんで代わりの言葉を口にした。
「文化祭…来週の土日にあるから」
やっぱ甘いな、俺。ほんと、どうしようもない。というか、こんなこと親友から聞いてるだろうに。
彼女がどう感じたかは知る由もない。というか知る気がなかった。すぐに「じゃあ」と告げて自転車置き場へと向かった。
どこかから安堵の吐息が聞こえてきた気がした。
帰宅途中、少しだけ周囲に目を向けた。どっかから視線を感じた気がしたんだが。店内も外にも特に怪しいやつはいなかったな。そりゃそうか。そういうことをするやつがわざわざ目立つ行動をとるわけがない。
*****
翌日。クラス内では小さな問題が発生していた。
文化祭関係の総括を務める水仙乃亜が学校を休んだのである。どうやら親戚の葬式かなんかのようで、二、三日は来れないそうだった。実際はもう少しかかりそうな気がする。
起こった問題とは、言うまでもなく取り仕切り役がいなくなってしまったことである。一応、クラスメイト達も作業工程とか諸々のことは大体把握しているようだが、生徒会役員たちも交えて行われる会議に出席しているのは水仙だけなので結構大事なところを知らなくてどうすればいいか分からないようだった。どこに行けば備品を借りられるかとかそういう部分だ。
「どうする?隣のクラスとかに訊いてきた方がいいかな?」
「いや、訊くなら水仙さんみたいな文化祭実行委員じゃね?」
「それあるな」
みたいな会話が放課後の教室で行われていた。俺も席で黙って様子を見ていた。そういえば、休んだ時のこと考えてなかったな。代わりの仕切り役を決めた方がいいだろうか。今までで見てきた感じ、作業が遅れているというわけではなさそうだがこういう不測の事態が起こってしまうと話し合いに時間が割かれてしまい、作業の時間が削られてしまう。結果、今までの感じでは間に合わなくなってしまい休みの日も準備…ということになってしまう。嫌だ、休みの日はできるだけ休みたい。だって休日だから。
っていうか、どういう組織形態でも副部長とか副社長とか決めてるじゃん。何で思いつかなかったのバーカバーカ。
俺が提案しようかどうか迷っていると、「ちょっと、いいかしら?」という声が聞こえてきた。声の方を見やれば、花陽がぴんと腕を伸ばして挙手をしていた。全員が黙ったのを確認して、花陽はゆっくりと口を開いた。
「私、去年は実行委員をやっていたから。そういうことも分かるのだけれど…」
ああ、そうなのか。活躍していたとは聞いていたが、実行委員をやっていたとまでは知らなかった。
だが、花陽は何を言いたいのだろうか。何となく察したが、それは推測に過ぎない。
花陽の発言に、クラスメイトの一人が挙手をしながら言った。黙ったのを確認してから言えや。
「じゃあさじゃあさ、花陽さんに水仙さんの代わりになってもらうのってどうかなー。私的に結構いいと思うんだけど?」
少し嫌な予感がしていたがまさか当たるとはな。こいつ、結構目立つやつだったな。校則ギリギリな感じで制服着崩してるし、似合ってもいない濃いメイクもしている。無駄に光っている長い金髪はまるで自分の存在を見せびらかしているかのようだった。まぁ、端的に言ってギャルというやつだ。
キラキラギャルの言葉に賛同する者は多いらしく、「いいんじゃね」「いけるいける」みたいな声が聞こえてきた。みんな上には立ちたくないよな。気持ちは分かる。俺だって本音はそうだ。だがこういうのは、気に入らねぇ。
気づいたら俺は立ち上がっていた。
「ちょっと待てよ」
俺が発言したことに驚いたからか、皆一様に何事かと俺のことを見ていた。
待てよ、しまったな。けどもうめんどくせぇしどうでもいいや。
花陽の方をちらと見ると常よりも目を少し大きく開きながらじっと俺のことを見ていた。俺も彼女を見返しながら話を続けた。
「花陽。お前、部活あるだろ。そっちはどうする気だよ」
東海大会出場を決めたようで、夏休み明けに表彰されていた。これから大事な大会があるんだろ。
俺の言葉を聞いて、花陽は目つきを鋭くした。
「私を舐めないで。両立くらい、やってみせるわよ」
穏やかながら強い意志の籠った言葉が返って来た。確かに文化祭までの数日間くらい問題ないのかもしれない。事実できそうだとは思う。だが万一のことはある。怪我でもして大会に支障が出たら目も当てられない。
「確かにお前ならできるかもしれないな。けど、練習時間削っても大丈夫なほど余裕なのかよ。それに、怪我でもしたらどうする」
一瞬、花陽が顔を険しくしたのが見えた。だがすぐに俯いてしまったので今どういう表情をしているのか分からなかった。
しばし、教室内に沈黙が流れた。気づけば俺と花陽の会話をクラスメイトたちは黙って聞いていた。花陽の親友である華畑美樹は俺のことを見ておらず俯いたまま沈黙していた。微かだが、視線は親友へと向けられている気がした。彼女はこうなることを知っていたのだろうか。なら、なぜ止めなかったのだろうか。
「なら……どうするの?代わり、なしでいく…?」
しばらくして、そんな呟きが聞こえてきた。平坦な口調だった。一体、何を考えていたのだろうか。何を迷っていたのだろうか。
まぁ、そういう返答は予想できた。
だから俺はふっと笑ってからこう言った。
「安心しろ。俺がやる」
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