第26話 何もなかったことにして

 「よう。奇遇だな」


 俺の声に苧環は見えない壁にぶち当たったかのようにして足を止めた。驚いたような表情を見せたかと思えば次の瞬間には眉間にしわを寄せ、怒ったような顔になった。それから、ゆっくりと顔だけ俺に向けた。


 「先輩。なんで、いるんですか」

 「言ったろ。たまたまだ」


 俺がおどけながらとぼけて見せると、彼女はなおいっそう表情を険しくした。


 「嘘ですよね」

 「嘘ってわけじゃねぇよ。昼はちょくちょくここに来てる」

 「…先輩、やっぱり変わりましたね」


 そう言う彼女の声音は冷たい。


 だからだろうか。俺が放った言葉も温度が低くなった。


 「前に、言っただろ。俺がこうなったのにはお前にも原因があるんだよ」


 言った瞬間、少し後悔した。思わず奥歯を噛み締める。咎める気なんてなかったのに。こんな話をしに来たわけではなかったのに。


 ただ。それでも。


 こいつが俺の好意を裏切るようにして別れを告げたから、今の俺がある。これはどうあっても変わることのない事実。たとえ、その裏に悲しい真実が隠されていようとも。


 俺の言葉を聞いて、苧環はくしゃりと顔を歪めた。それから、顔を俯かせた。


 ああ、くそ。


 頭をがりがりと掻きながら口を開いた。


 「とにかく…お前が思ってる関係じゃねぇよ。梨華さんとは、そういうんじゃない」


 何も返ってこなかった。上下前後がコンクリートで囲まれた空間だからだろうか。風のびゅうびゅうという音がやけに響いて聞こえた。沈黙を埋めるようにして俺は続けた。


 「悪かったな…何も、伝えてなくて」


 今度は、返って来た。小さな小さな呟きが。この場所でなければ聞き逃してしまいそうな声が。


 「優しいところだけは…変わってないですね。けど、」


 言葉を区切り、苧環が少しだけ顔を上げた。俺の表情を窺うような動作だった。上目遣いで注がれた視線が俺のものとぶつかる。思いのほか真っ直ぐに向けられており、俺は目を逸らせなかった。


 俺の目をしっかりと見据えながら、彼女は続けた。


 「自分の行動の、意味を…よく、考えてみてくださいよ」


 絞り出すようにして放たれた言葉。怒りと悲しみが綯い交ぜになった表情。それらが俺の心を締め付けた。声が、出なかった。


 行動の、意味。


 それはきっと、今俺がしていることの意味だ。俺が、鬼灯優が苧環真理とこうして話をしていることの意味について問われている。


 思えば俺はなぜこうして苧環と話しているのだったか。別に、勝手に向こうが勘違いしただけの話だ。放っておいても問題ないはず。いや、放っておいたら問題があると思ったから俺はこいつと話をすることに決めた…はずだ。


 その、問題とは。一体、何だ。


 俺が沈黙したことに、苧環がどう思ったのかは分からない。気づけば彼女は校舎の方へと足を進めていた。押しとどめるためだったかは分からない。いつの間にか俺は声を発していた。


 「俺は……」


 ぴたと苧環の歩みが止まった。ちらとこちらを窺うような仕草を見せたが何も言ってこなかった。


 何か言わなければ。そう思ったものの、言葉は出てこなかった。当然だ。答えは出ていないのだから。答えを出そうとしても、どこかから声が聞こえてくるのだ。


 苧環真理は信頼に値する人間なのかと。お前の良い部分も醜い部分も受け入れてくれる人間なのかと。


 苧環がとった行動に悪意がなかったことは理解している。むしろ優しさゆえのものだった。けれど俺はそれによって傷を負わされたのだ。きっと、一生癒えることのない傷を。だから俺は彼女に対して釈然としない感情を抱いているのだ。


 これ以上この場にいても無駄だと感じたからだろうか。苧環は再び昇降口へ向けて足を進めたようだった。今更気づいたが、服部・猿飛・風魔の三人はいつの間にかいなくなっていた。


 だが。


 俺たちの方に向かって歩いてきている人物がいることに気づいた。苧環も三歩ほど進んでまた足を止めた。


 「こんなところにいた」


 誰であろう、総括様こと水仙乃亜だった。


 *****


 「わたしとしてはあんたたちのことにあんまり関わりたくないんだけど、頼まれたから……梨華に」


 そう言ってぷいっとそっぽを向いた水仙の顔はちょっと赤い気がした。いいですね、仲が良さそうで。


 少しだけ笑みが漏れた。おかげで調子を取り戻せそうだ。


 「それで、なんて言ってたんだ」


 先を促すと、水仙は言った。


 「『ごめんなさい。苧環ちゃんの気持ちも考えずにいろいろやってしまいました。私と鬼灯くんは断じて恋人ではありません……けどちょっといいなとは思ってます』だってさ」


 えーっと、最後に付け加えられるようにして言われた言葉が気になるのですが……


 すっごく怪しいなと思い、水仙の方をじとっとした目で見ると、彼女は俺に向かってにっこりと微笑みかけながら言った。

 

 「最後のやつはわたしが勝手に付け加えました」

 「「ですよねー」」


 あれ、僕とまったく同じこと言った人がいたような…


 そう思い声の主を探すとすぐに見つかった。当たり前だ。ここには俺と水仙と苧環しかいない。見れば、苧環も振り返って俺の方を見ていた。


 「……」

 「……」


 数秒、無言で見つめ合い。


 それからお互いに苦笑した。笑いが収まったころに苧環が茶化すように口を開いた。


 「もう、水仙先輩の嘘つきぃ~」

 「そうよ。わたしは嘘つきなの。どこかの誰かさんと同じでね」


 言い終え、水仙は俺の方を見た。え、もしかしてどこかの誰かさんって僕のことなんですか?あはは、またまた御冗談を…


 お願いだから僕の方を見ないで!


 まずい、と思ったときには遅かった。苧環も俺のことをじっと見ていた。それもキラキラスマイルで。不思議だ。なんで怖く感じるんだろう…


 「へぇ~、そうなんですねぇ」


 しらじらしい感じの声も聞こえてきた。なんかこの場にいるとさらに面倒なことになりそうだな。嫌だな。


 「ま、まぁとにかく。念を押すようだが俺と梨華さんは恋人じゃない。分かったな、うん」


 早口でまくしたて、相手の反応を見ずに逃げるようにして教室へ戻るべく歩き始めると、苧環も水仙も後ろからついてきた。


 「待ってくださいよー」

 「待ちなさいよ」


 やだよ。待たないよ。


 思いもよらないところで水仙に助けられてしまった。情けなさに心がちょっと痛んだ。けれど、どうか許してほしい。


 まだ、時間が欲しいんだ。


 *****


 国語教師が何かしゃべっているが、ほとんどの耳には届いてこなかった。


 はぁ。私、なんであんなこと言っちゃったんだろう。


 思わずため息が漏れた。


 先の昼休みのことが頭から離れなかった。意地の悪いことを言ってしまった気がする。あんなこと言わなければ、先輩に苦しい想いをさせずに済んだのに。そして、私も傷つかずに済んだのに。


 お前のせいだって言われて頭にきたのかもしれない。私も、私のせいだって分かってる。けれど、分かっているからこそ頭にきたのだ。欠点を指摘されるとつい反発したくなる。そういう類の感情だと思う。


 けど、お前のせいであるって言ってたじゃんか。私のバカ。


 先輩も少なからず負い目を感じているのだ。私と同じ…いやそれ以上に。だから私との縁を切らずにいてくれるのかもしれない。やっぱり、優しい人だ。


 私がどれだけ想いを伝えようと、今の先輩には空虚な言葉にしか聞こえていないのだろう。私が失わせてしまったものは、想像以上に大きいのだ。けれど、諦める気はない。ない…のだけど。


 窓の外に目を向けた。夏は終わったというのに、太陽はギラギラとしていて強烈な熱を地上に降り注いでいた。


 時間が解決してくれることもきっとある。何も見なかったことにして、なかったことにしてこれからの時間を過ごせばいいんだ。どうか、許してください。


 まだ、覚悟ができていないんです。


 *****


 数日が経った。気づけば文化祭まであと一週間ちょいしかなかった。ほんと時間経つの早いな…


 苧環とは以前のようにまたちょくちょく共に帰路を共にするようになっていた。時には花陽と三人で、ということもあった。三人の時は苧環が「帰りに映画見にいこう」とか「買い物しませんか」とか言い出すことが多く、いつも苦労してます…


 HRを終えた後、荷物を整理しながらぼーっと教室内を眺めているとふと気づいた。


 「あれ、前野か…」


 少し離れたところで前野と花陽がなにやら話をしていた。世にも珍しい組合せでちょっとびっくりしました。


 まぁ、たまにはそういうこともあるよなと思い至り、鞄を持って水仙のもとへ向かった。背中に向かって声を掛けた。


 「総括様」

 「……」


 反応がなかった。え、もしかして無視?


 一瞬ショックを受けそうになったが、すぐに気を取り直した。多分名前を呼ばなかったせいだろう。でも文化祭関連の総括をやってるんだから応えてくれてもいいんじゃ…


 やれやれと思いながら、今度は名前を呼んだ。


 「水仙」

 「何?」


 ぶっきらぼうな声が返って来た。顔はこっち向けてないし。紙に線引いたりして作業してるし。やっぱり君、最近俺にあたり強いよね。別にいいけどさ。


 「何か手伝ってほしいことあるか?」

 「ないわ」


 即答だった。さっすがー。


 俺は当日に働く人間なのでそれまではたいして仕事がない。だからこうして協力できることはないかと訊いているのだ。俺は心が広いからな…(市民プール級に)


 まぁ、水仙は俺なんかより優秀な人間だ。それに今日は部活がないのか花陽もいる。あいつもスペックが高い(水仙と定期テスト学年一、二を争っている+足がクソ早い)から協力を仰がれたってとこか。足のことは関係ないけど。まぁ、なんにせよふたりがいれば心配することなんかないだろう。


 このときの俺はそう思っていた。


 俺は教室を出て、昇降口へと向かった。靴箱の前で足を止め、ある人物にメッセージを送る。返信が来たのを確認してからスマホをしまい、靴を履き替え駐輪場へと向かった。


 約束、しちゃったからな。




 


 

 


 


 

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