第24話 ただでは終わらない
私は慎重に慎重に、口を開いた。
「隠してたのには…何か理由が、あったのよね…?」
問うと、美樹ちゃんは目を伏せたまま頷いた。
「幼なじみなんだけど…中学入ってからは、ほとんど話さなくなってたの。昔は、よく遊んでたけど、いつからか疎遠になっていったっていうか。あと私、あいつのこと、昔から好きじゃなかった、っていうか。あはは。そんな感じ…かな」
「そう…」
やはり、彼女を咎めることはできなかった。きっと美樹ちゃんは教えようと思えば私に、樹月の通ってる高校だとか、今何をしているかとかを教えることはできたのだ。幼なじみという関係は否が応でも相手のことは耳に入ってくるもの、だと思う。けれど、疎遠になった相手と連絡を取るというのは勇気がいることだと思うし、苦手な相手と話すのは辛いことだとも思う。それと、もうひとつ。
何より、樹月のことを忘れて欲しかったのだろう。
私が、いつまでも未練があるような様子を見せていたから彼女に不要な配慮をさせてしまった。申し訳なく思う。
「顔、上げてくれない?」
幼子に呼び掛けるように努めて穏やかに言うと、彼女はゆっくりと顔を上げた。親友の顔には不安が滲み出ていた。
「ごめんなさい。私のせいで、気を使わせてしまったわね。でも、もう大丈夫だから」
きっと、あいつは私の為だなんて絶対に言わないだろうけれど。
今日になって、ようやく私は過去の未練を振り切ることができた。だから、もう大丈夫。
決定打となったのは、あいつが、鬼灯が見せてくれたこの趣味の悪い「ショー」だ。これは間違いなんかじゃ、ない。
私の言葉を聞いて、彼女は優しく微笑んだ。
「ありがと、紫音ちゃん」
「どう、いたしまして」
美樹ちゃんが前を向いたのを見て、私も向き直った。
「これを見てさ、どうするの。紫音ちゃんは」
分かっている。
「どうするのが、いいのかしらね…」
私も、応えなければならないことぐらい。
けれど、方法は考える必要がある。
私は、樹月の前に立ちはだかる鬼灯の方に目を向けた。
まだ、「ショー」は終幕を迎えてはいないようだった。
*****
地面を殴り続けていた桂が、手を止めた。顔を上げ、俺に視線を向けた。刺すような視線だった。睨んでいるのだ。
——なんだ、こいつ。まだ何かあるのか。
冷めた視線を向けてやると、桂は不気味な笑みを浮かべながら口を開いた。
「ねぇ、優君。僕って、悪者なの?」
何を言い出すかと思えば。
嘆息してから俺は返してやった。
「言っとくけどな、俺は正義の味方でも何でもねぇよ。強いて言うなら俺の味方だ。お前の本性を見抜けず騙された人のためにこんなアホみたいなことを画策したわけじゃねぇ。俺が、お前のような嘘つきを心底嫌ってるからだ」
俺は不用意に他人を、そして自分を傷つけないために嘘を吐く。自分にも他人にも優しいのだ。だがここにいる男は違う。
ただただ自分のためだけに嘘を吐いている。美学が足りていない。俺とこいつを一緒にされては堪らない。
桂が探るような視線を向けてきた。
「あ?なんだよ」
俺の問いに、桂は「いや別に」と笑って返した。
「分かってるよ、一般的に見て僕が悪者だってことぐらい。けどさ、僕はこの方法しか知らないんだ。父親の姿を見てきたから。これが異性との正しい付き合い方だって、そう刷り込まれちゃってる」
「…お前の、父親?」
桂が看過できない情報を口にした。
「あー、そういえば優君気になってるんだっけ。教えてあげようか?」
「は?何勘違いしてる。気になってなんかいねぇよ」
こいつが何かアホな条件を提示してきそうだと思ったから嘘を吐いた。それに、知りたいことぐらい自分で探るっつーの。
「あはは。身構えなくていいのに。僕の父親はね、旧姓は鬼灯だよ」
「……」
そうではないかと思っていたので、さほど驚きはしなかった。だが、こいつが真実を言っているとは限らない。自分で確かめる必要がある。
「複雑そうな顔。まぁ、そりゃそうだよね」
桂が嫌な笑みを湛えながら言った。いちいち癇に障る奴だ。
母は何も教えてくれなかったが、俺の記憶が正しければ物心ついたころから父はいなかった。つまり、俺が生まれたころには既に離婚していたはずだ。その後に桂の母親と再婚した、ということだろうか。しかし別の可能性もありえる。
ちらと少し離れたベンチの方に目をやった。案の定、彼女がこちらに向かってこようとしていたが親友に押しとどめられていた。俺も目線だけで制止を促した。
まだ本当かどうか分かんねえんだから、問い詰めてくんなよ。
俺は視線を正面に戻した。
「…真実は俺が確かめる。お前の言葉は信じない。とにかく、下手な気を起すなよ。俺はともかく、梨華や周りの人らにに罪はない。手、出すんじゃねぇぞ」
踵を返して去ろうとしたが、背中の方で声がした。
「そういえばさ、ちょっと前に向こうの道路の方からこっちを見てる女の子がいたよ。茶髪ショートカットの子だったかな。すぐ走り去っちゃったけど」
……は?
思わず、足を止めた。一人の少女の姿が頭をよぎってしまったから。
思えば、あいつには何も話していなかった。もしこの光景を、梨華さんと並んで立っている光景を見ていたなら。そして、俺の発言を聞いていたなら。
彼女は、何を思っただろうか。
ただ、この期に及んで桂が俺を揺さぶるために適当なことを言いやがった可能性もある。落ち着け、俺。落ち着くんだ。
汗が、背中を流れていった気がした。二回ほど深呼吸をしてから、梨華さんの方を見た。
「あと、よろしく。また後日」
彼女は俺の顔を見て何か察したのか、ただ無言でうんと頷いてくれた。
俺はその場を後にし、自宅へ向かって走った。
*****
あの後、一度自宅へ戻り苧環に連絡してみたがメッセージに既読はつかず、電話にも出なかった。最後の手段として、記憶にあるあいつの家の住所に向かってみたがそこには全く別の人物が住んでいた。引っ越していたのだ。以前そこに住んでいた人について聞いてもみたが、何も知らないようだった。
帰ったらどっと疲れが押し寄せ、夕飯を食べたら爆睡してしまった。
今日から新学期だというのに、気分は最悪だった。夏休み明けというこの時期は一年で最も少年少女たちが自ら命を落としてしまう時期なのだという。俺は昨日の疲れと、不安でいっぱいだった。そのくせ爆睡できるんだよな、俺。不安で眠れない、なんてことはこの短い人生で一度もなかった…はず。
新学期早々、遅刻ギリギリに登校してしまった。おかげで教室にはあまり人がいなかった。やっべー、急いで体育館に行かないと。
荷物を置いてダッシュで体育館に向かい、クラスメイト達が集まる列に並んだ頃には息も絶え絶えだった。あ~、死ぬ。マジ死ぬ…
校長やら生徒指導の教師やらの話を適当に聞き流し、教室に戻った。自分の席に着くと、「っはぁ~~~」という長い長いため息が漏れた。
「はは、鬼灯なんかあったん?大分お疲れの様子だけど」
どっかから声がして「ああ?」と思い見てみると俺のすぐ前の男が話しかけてきていた。ああ、お前か。最近名前を覚えた…えーっと、
「なんだ前田前田かよ。俺は疲れてんだよそっとしといてくれ」
「はは、ちげーって。前野だから」
さもおかしそうに前野(?)が笑っていた。
あ?そうだっけ?どっちでもいいだろ。
いや良くないな。人の名前はしっかり憶えねば。できる限りで頑張るから許せ。
片霧先生が来るまでの間、突っ伏して寝ようかと思い、机に腕を乗せて顔を埋めた。途切れ行く意識の中、前野が何か言っていた。
「鬼灯、無理しなくてもいいんだぜ」
*****
「ん…」
目が覚めた。黒板上の時計が目に入った。
……。
………。
え、マジ?もう12時?
見間違いかと思って二度見してしまったぜ。だが残念なことに時刻は12時を回っていた。
がばっと起きると横から声を掛けられた。
「おはよう。ずいぶん寝ていたわね」
クラシック音楽負けず劣らず(?)の綺麗な声の主に心当たりがあり、そちらを向くと予想通りの人物がいた。彼女は隣の席に座っており、俺に向かってにっこり笑いかけていた。なんか怖いなその笑顔…
え、っていうか君いつからいたんですか。まま、まさか俺の寝顔を見てたんじゃ…
ものすごい気恥ずかしさが襲ってきた。それを誤魔化すようにごほんと咳ばらいをしてから口を開いた。
「お前、何でいるんだよ」
「先生から伝言を頼まれてしまったのよ。はぁ……」
これ見よがしにため息を吐かれた。悪かったよ。
ちらと周りに目を向けてみた。俺ら以外に人はいないようだった。
「悪い」
「まぁ、いいのよ。今日は部活もないし」
言って、花陽は柔らかに微笑んだ。う、うう。
その笑顔が妙に俺の心をくすぐってきたので思わず目を逸らしてしまった。
「んで、その伝言とやらは?」
「まずひとつ。あなたが寝ている間に来月の修学旅行の班決めをしたのだけれど、あなたの班は……」
「班…は…?」
ためがあったので思わず訊いてしまった。ごくりとのどが鳴った。
なんか、嫌な予感がするな。
「よかったわね。私と同じ班で」
そう言う彼女の顔には満面の笑みが湛えられていた。逆にちょっと怖い。
「…どこがいいんだよ」
「あなたのようなめんどくさい嘘つきに付き合ってられるのは私ぐらいのものでしょう?ちなみに、水仙さん、美樹ちゃん、それからあなたの前の席の…」
ああ、前田ならぬ前野な。
って、そんなんどうでもいいわ。なんちゅう面子だよ。
また思わずため息が漏れた。
「ああ、前野だろ。…っていうか、めんどくさいのはどっちだよ」
俺のぼやきが耳に届いたのだろうか。花陽がキッと目つきを鋭くして訊いてきた。
「今、なんて?」
「なんでもねぇよ。んで、もうひとつあるんだろ」
班については諦めた。俺が寝ていたせいだし。まぁ、起してくれなかった先生も悪い人だなとは思うけれどね。
「もう一つは、起きたら職員室に来なさい、と先生が言っていたわ。今すぐ行きなさい」
「そうだな。こういうのは早い方がいい」
というか早く済ませた方がいい。説教されるんだろうし。
俺は荷物をまとめ、席を立った。俺が廊下に出ると、花陽もついてきた。
「教室は私が閉めておくから」
「ああ。頼む」
彼女の言葉に頷きながら返すと、職員室へ向かった。「また、明日」という声がどこかからか聞こえて思わず苦笑したが首を振って気を取り直した。
俺が話すべき相手は、先生の他にもう一人いる。
説教、早く済めばいいんだがと思いながら階段を降りて行った。
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