第23話 「ショー」
気づいたら、高校二年の夏休みが終わろうとしていた。
けれどそれも仕方がない。友達と遊びに行くことよりも私は部活の方を優先したのだから。
つい最近まで部活と勉強に励む毎日だった。朝から昼過ぎまで部活、昼ご飯を食べ、夕方からは勉強。そんな感じの毎日だった。別に嫌という訳ではなかった。自分で決めたことだから。部活と勉強の両立、端的に言えば文武両道の達成。これは母を納得させるために自分で自分に課した課題だった。
去年は県大会どまりだったけれど、今年は東海大会に出場することができた。まぁ、目標は全国、インターハイに出ることだから道のりは険しい。
部の人たちは私のことを「すごいね」「やったね」とか褒めてくれたけれどちっとも響きはしなかった。やはり言葉というのは何を言うかよりも誰が言うかの方が大事らしい。嫌な現実だと思う。
欲しい言葉を、本当に欲しい人から貰えることなんて滅多にないのだ。
ベッドから体を起こし、着替えを済ませてリビングに向かった。8月も終わりだけれど、朝から暑かった。部屋中に熱気が籠っている。とりあえず窓を開けて扇風機をつけた。どうやら風はそこまで熱を帯びてはいないらしい。
時刻は8時過ぎ。まだ時間はある。キッチンに向かい、朝食の準備を始めた。食パンを取り出してトースターに放り込む。それからフライパンで目玉焼きを作り、ついでにウインナーも焼いた。最後にレタスをちぎってトマトを切った。すべてを皿に盛り付けたら完成。食卓へと運んだ。
「いただきます」
食事を始めた。静かすぎるのもあれだなと思ったので、テレビをつけた。すると天気予報が表示されていた。30度を超える真夏日になるようだったが、夕方からは曇になるらしい。一応、傘を持って出かけよう。
それにしても、やっぱり気になる。
あいつは一体、何を見せる気なのだろうか。何やらいろいろと動いていることは知っていたけれど詮索するようなことはしなかった。無粋だからだ。
不安と高揚感が入り混じった不思議な感覚に体が包まれていることに気づいた。ほんの少しだけ笑みが零れた。
まぁ、楽しみにしているわ。
*****
私が月山公園に着いたのは9時50分ごろだった。私はできる人間なので目的地にはいつも10分前に着くようにしている。
ここは広い公園だ。池の周りを覆うようにランニングコースがあり、高校の運動場二つ分はあるぐらいのグラウンドがあり、西側と東側の両方に遊具で遊べる場所がある。富士山の滑り台もある。私は違うけれど、近くには中学校もあり、きっと生徒たちはここで遊んでいるのだろう。
私は公園の西側にある屋根のついたベンチに腰掛けた。まだ朝が早い方だからか人はあまりいなかった。時間を潰そうとスマホを取り出そうとしたそのとき、声が掛けられた。
「あれ、紫音ちゃんだ」
声の主が分かり、即座に顔を上げた。何で…
「美樹ちゃん…?何でいるの?」
問うと、彼女はこてんと首を傾げた。
「え、なんか用がなきゃ公園に来ちゃダメだった?私が知らないだけ?」
「…そういうわけでは、ないけれど」
確かにその通りだけれど。散歩のついでに公園に寄る、みたいに特に用事がなくても来る人なんていくらでもいるだろう。けれど、とても偶然とは思えなかった。
私が訝しんでいることに気づいたからか、彼女は打って変わって口角を上げた。
「うふふ。まぁ、思ってる通り偶然じゃないよ」
やっぱりか。
私は彼女の目をじっと見据えた。
「知ってるの…?」
問いには答えず、彼女は私の隣に腰を下ろした。
そして一言だけ言った。
「どう思う?」
親友の顔を見た。瞬間、理解した。
やはり、美樹ちゃんは知っているのだ。何が起こるのか。
「分かったから、いいわ」
私が言うと、「そっか」とだけ返して正面を向いた。横顔はいつになく真剣な感じだった。
「何が起こっても、見届けてあげて」
*****
10時00分ちょうどになった。
美樹ちゃんが向いている、公園西側の入り口に目を向けるとふたりの人物が公園に足を踏み入れようとしていた。
少女ではないもう一方の少年の姿を見て、私は驚きで目を見開いた。見間違いかと思った。
え……?
いや、あれは…まさか、そんなはずは…
私が何かを言おうとした瞬間、横から口を押さえられた。ちらと見ると彼女は首を横に振っていた。確かに彼女は「見守ってあげて」と言っていた。なら言葉を発してはならないのだろう。
私は黙って二人の方を見た。すると会話が聞こえてきた。
「ね、ねぇ…梨華。何、話って」
彼は背中を向けている彼女に話しかけていた。けれど梨華さんはすぐには返事をしなかった。
「あの二人、付き合ってるんだよ」
は…?
はぁ……?
隣から小声で聞こえてきた言葉にまた声を上げそうになったが、ぐっとこらえた。一体どうなっていのか分からない。まさか、これはあいつが——。
しばらく、沈黙が流れた。風がさわさわと木々を揺らした。なんだか見ているこっちが緊張してきた。心なしか、彼の顔色が悪いように見えた。
やがて梨華さんが振り返った。顔には笑みが湛えられていた。けれど私にはそれが薄っぺらいものに見えた。
そして、彼女は告げた。
「別れよう」
………。
私は一体、何を見せられているのだろうか。すごく複雑な気持ちになった。
隣からは笑いをこらえるような声が聞こえてきた。い、いや、まぁ…笑えるかもしれないけれど…?もしかして美樹ちゃんって結構性格悪い?
それを言うなら、これを「ショー」だと言い放ったあいつも相当性格悪いのだろうけれど。
梨華さんの言葉を聞いて、彼、桂樹月は何も言えずにいた。きっと何を言われたのか分からなかったのだろう。昔の私が、あの男にやられたから分かるのだ。
遅れて理解したのか、樹月は口元をひくひくさせながら言った。
「ど、どうして?梨華、僕の事…好きだったんじゃ、ないの?」
「そんなわけないじゃん」
梨華さんがにこにこしながらバッサリと言い切った瞬間、樹月が膝から頽れ、地面に手をついた。それを見て隣にいる親友は肩を揺らしながらも声を出すまいと必死にこらえていた。いや、笑いすぎでしょあなた。
追い打ちをかけるように、彼女が言った。
「だって他に好きな人いるし」
言い終えて、梨華さんは入口の方に目を向けた。私も見やると、狙ったかのようなタイミングで現れた人間がいた。
私はあいつの姿を見た瞬間、呆れてしまった。同時になんだか私も笑えてきた。
なんとなく分かってしまった。鬼灯のやりたかったことが。
「よう、梨華……って、あれ、もしかして樹月か?」
私には分かるわよ。そのクサい芝居。
鬼灯のもとへ、梨華さんが駆け寄っていった。声の主に心当たりがあったのか、樹月が素早く彼の方を向いた。信じられないという顔をしていた。
「な…なぁ、優君。これは…どういうこと、かな?」
問われた鬼灯は、ふっと表情を変えた。ゴミを見るような目をしている。
「どういうこともなにも、そういうことだよ樹月。梨華は最初からお前の事なんか好きでもなんでもなくて、嘘ついてお前に好きだと告げた。なんで梨華がそんなことをしたのか、知りたいか?」
鬼灯が口の端を歪めた。ほんと、悪い顔をしている。
「俺がそうさせたからだよ。他でもない、この俺が」
鬼灯が言い放った瞬間、樹の顔が怒りの色に染まっていくのが分かった。彼は立ち上がり、鬼灯の元へ詰め寄ると胸倉をつかみ上げた。
「ふざけんな!!ずっと僕を騙してたのか!!お前はどんな気持ちで僕と会ってたんだよ。なぁ!!言ってみろよ!!」
体を揺らされても、鬼灯は歪んだ笑みを崩さなかった。
「知ってるか、鬼灯の花言葉」
「あ?」
樹月が力を弱めたのだろうか。鬼灯は彼の手を振り払った。
「偽り。欺瞞。ごまかし。つまり俺はそういう人間だってことだ」
——私だって知っていたわ。けれどあなたの名前は「優」でしょ。なら、完全なる悪ではないわ。
樹月がふらふらと倒れ込んだ。そして、何度も何度も地面を殴りつけていた。
「周り、見て」
親友の言葉を聞いて、周囲に目を向けてみた。すると数人が樹月を見ていることに気づいた。
「あの人たちは?」
「樹月の被害者、それと樹月を知っているけれど向こうは知らない人」
聞いて、何のために集められたのか理解した。確かに見せてやるべきだろう。あれが、あのみっともなくて惨めなのが桂樹月の真の姿であるのだから。
あんな男を好きだった自分が恥ずかしく思えてきた。きっとあいつは何人もの女子と付き合い、飽きたら捨ててきたのだろう。薄っぺらな偽りの愛を囁くクズだ。
「スマホも見て」
言われて、スマホを取り出した。するといつの間にか美樹ちゃんから動画が送られてきていた。
「……な、何、これ?」
ちょっと吹き出しそうになっていた。再生した瞬間にまず、『M.Hさんが語る彼の姿』という文字が現れてきた。そして次にはある人間の胸から下が映し出された。
分かるわよ、これ。あなたでしょ美樹ちゃん。
ジト目を向けると、彼女は下手な口笛を吹いた。全く音が出ていない。
美樹ちゃんは樹月のことをぼろくそに言っていた。声は加工されていて誰のものか分からないようになっていた。
「平気で嘘を吐くカスですね」
「親友を傷つけられました。許せません」
「皆さんもその眼で確かめてみてください」
そんなことを美樹ちゃんは語り、動画は終了した。ちょっと面白かった。
顔を上げて、親友の方を見た。すると彼女が口を開いた。
「ひとつだけ、紫音ちゃんに謝らないといけないことがあるの」
美樹ちゃんの顔が少し、悲しそうに見えた。
「ん、何?」
問うと、彼女は言った。
「私、樹月とは幼なじみなんだ。隠してて……ごめん」
——そんな、心底申し訳なさそうに言われたら何も言えないわよ。
驚いたけれど、咎めることはできなかった。
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