第20話 オーディエンス

 今日も今日とて夏らしく、じめじめむしむしとした熱気が室内に満ちていた。窓は開けているが外から入ってくるのは生暖かい風。終業式を終え、明日から夏休みを迎える生徒たちは、皆めいめいに夏休みの予定について話し合っているようだった。外からは

「なぁなぁ、プール行かね?」

「あー、俺半分くらい部活なんだわー…」

「どっか旅行いかへん?」

「いいねいいね!東京?京都?」

みたいな会話が聞こえてきた。いかにも嫌そうな感じを出しているが、二番目のやつ部活好き好き大好きくんだろ。本当に部活が嫌な奴はな、俺みたいにそもそも部活に入らねぇんだよ。


 まぁ、友達が入ったから自分も入っただけというやつもいるだろう。中学時代の俺もそうだったんでね。どうでもいいか、俺の話なんか。


 さて、俺が今何をしているかといえば。


 廊下の方から、足音が聞こえてきた。


 「ねぇ、美樹ちゃん話って——」


 声と共に現れたのは。


 俺は振り返り、言った。口の端を歪めながら。


 「待ってたぜ」


 俺の姿を見た瞬間、彼女は逃げ出そうとした。だが俺は咄嗟に鞄を掴んで引き留めた。


 「っ、放しなさい」

 「嫌だよ。お前、こうでもしねぇと話してくれねぇだろ」

 「…美樹ちゃんを使ってまで、私に…何の用があるっていうのよ」


 背中越しなので表情は窺えなかった。けれど握りしめられた拳と声音から怒りが漏れていることに気づいた。


 「騙して悪かった…とは言わねぇぞ。騙される方が悪いんだよ、結局。お前の親友に罪はない。画策したのは俺だ」

 「………」


 少しの間、沈黙が流れた。考えているようだった。恐らく、俺の話を聞いてやるべきかどうかを。


 ちなみに俺たちは、俺とこいつが妙な関係を築くことになったあの教室の前にいる。なぜ彼女をここにおびき寄せたのか。


 ここが、最適だと考えたからだ。もう一度、繋ぎなおすための場所として。


 しばらく経ってから、彼女、花陽紫音は言った。諦観の念を滲ませながら。


 「分かったわよ……」


 その言葉を聞いて、俺は彼女の鞄から手を放した。そして何も言わずに教室に入ると、いつかのように窓側の一番後ろの席に座った。彼女が座ったのは俺の二つ前の席。その距離はきっと、今の俺たちの距離を表しているんだろう。


 十分に間を取ってから、俺はゆっくりと口を開いた。


 「最高に面白いショーをやることになった」

 「……」


 言葉が返ってくることはなかった。けれど俺は続ける。


 「この計画は俺が面白いと思ったから始めた。けど、オーディエンスがいないんじゃショーとは呼べない。だから…お前を招きたいんだ」


 今度は返答が返って来た。 


 「なんで?」


 私じゃなくてもいいだろ。


 恐らくそう言っているのだろう。


 「キャストがな、ちょっとアレなんだよ。苧環なんかに見せてもあんま面白いものにはならん」

 「……」

 「これ以上、説明する気はねぇぞ」


 言ってしまったら、何の意味もねぇんだ。どうか、許してくれ。


 少しの沈黙の後、花陽が顔を微かに窓の外へ向けた。その拍子に長く美しい髪がさわさわと風に揺られた。口元は笑っているように見えた。


 「あなたは…恋人でなければ友達でもない人を、ショーに誘うの?」


 お前、分かってて言ってるだろ。


 「俺が本当に信用してるのは、薄っぺらい友達なんかじゃなくて俺自身だ。それと」


 窓の外に顔を向けてから、続けた。


 「真の意味での同族だけだ」


 認めるしかなった。こいつのことを無意識に信用している自分がいることを。なら、なぜ信用しているのか。そんなの、言うまでもない。


 微かに、けれど確かに聞こえた。ふふっ、と優しく笑う声が。


 「まぁ……いいわ。今はそれでも」


 声音から彼女の喜びを感じ取れたことが少し意外に思い、顔を戻すと首だけで後ろを向いた彼女の視線とぶつかった。なんだかむず痒くて、また外へ視線を逸らした。


 「ありがとな」


 *****


 「8月31日。夏休み最終日だ。月山公園で待ってろ。時刻は追って伝える」

 「そう。楽しみにしてるわ」


 あの…隠してても漏れてるんですけど。ワクワクオーラが。そこまで期待されても困るんだが…


 「ま、あんま長く居座ってると誰か来そうだし、帰るか」

 「そうね」


 俺が教室を出ると、彼女も後ろから付いてきた。近くの階段から一階に下り、昇降口に向かうと、見慣れた人影を見つけた。


 「あ、先輩…と花陽先輩。こんちわっす」


 ドアに背を預けて待っていた苧環が俺らを見るなりよっ、と手を挙げた。


 「まだいたのかよ」

 「先輩たちこそ」

 「俺らはそこそこ忙しいんだよ」

 「え~、ほんとですかぁ~」


 マジだっつーの。ジト目を向けるな。進路の事とか文化祭のこととか、体育祭(これも9月)、そして修学旅行といろいろありすぎんだよ二学期は。だから準備がいろいろとある。なんつータイトなスケジュールだって毒づきたくなる。


 靴を履き替え、外に出た。駐輪場へ向かうと、二人も勝手に付いてきた。


 「そういえば、花陽。お前、部活は?」

 「今日は午後からなの。まだ時間もあるし、一度帰るわ」

 「そうか…」


 俺のレーダーが異常を察知して左へ顔を向けると、苧環がなぜかニヤニヤしていた。


 「おいてめぇ、なにがおかしい?」

 「いや~別にぃ~……あだっ」


 妙にウザったい顔をしてやがったので、頭に一発チョップを食らわしてやった。


 「もう、ひどいじゃないですか。私は別によかったなぁと思ってるだけですよ」

 「…は?なんだ、よかったって」


 言ってから、何となく理解したが顔には出してやらなかった。おい、右のやつ。なに顔を背けてるんだよ。なんもねぇだろ別に。


 なんかいろいろと面倒になってきたので駐輪場から急いで自転車を出して、逃げるように全速力でペダルをこぎ、校門を抜けた……のだが。


 「うりぁぁぁぁぁ!!」

 「・・・・・・・・・」


 あっさり追いつかれる俺でした。花陽なんか澄まし顔をしてやがる。


 まったく、騒がしい帰り道だぜ。


 *****

 

 夏休みに入って数日後。梨華さんからメッセージが届いた。定期連絡である。


 『今のところ順調だよ。今日は彼とスタバ行ってきましたぁ~』


 写真もついでに送られてきた。すげぇ、楽しそうですね。まぁ、の信用を得てもらう必要はあるからいいんですけどね。


 『うむ。よろしい』というメッセージを送ってスマホを机に放った。玄関の方から音がして、足音が聞こえてきた。


 「…優、起きてたのかよ」

 「悪いかよ。ま、おかえり」


 愛すべき弟が部活から帰って来たようだった。額からは汗が滴っており、前髪はべったりと張り付いている。あー、そういやあ今日の最高気温35度とかだっけ。おうちにいる俺でもちょっと暑いくらいだから、運動後のこいつはもっとだろう。


 エアコンのリモコンを取って電源をつけ、冷蔵庫から麦茶のボトルを取り出してコップに注いだ。それをソファに座る秀のもとへ持っていってやった。


 「ほらよ」

 「ん」

 「汗流してから着替えてこい。その間に昼飯用意しとくから」

 「わかってるっつーの」


 ぶっきらぼうな反応にちょっとだけショック。俺の事なんか見ずにスマホ見てるし。スマホが家族なんですか秀くんは…


 ま、いつものことだ。気にはしてない。


 「お前、彼女でもできたわけ?」


 キッチンに向かおうとしたところでそんなことを言われてしまった。思わず足がガクッとなる。


 俺はばっと振り返って言った。


 「大丈夫か秀!!熱中症か!!熱あるんじゃないのか!!」

 「お前の方が大丈夫じゃねぇだろ」


 クール…コールドな返事が返って来た。ごもっともである。


 仕切りなおすように咳ばらいをしてから口を開いた。


 「んなわけねぇだろ。俺にできると思うか?彼女なんか」

 「最近、誰かとやりとりしてるだろ。それに、真理ちゃん…いただろ」


 苧環のことについて口に出した時、少しだけ口調が穏やかになった気がした。


 「お前……」


 まぁ、秀と苧環、結構仲良かったしな。俺とあいつが別れたと聞いた時、すげぇ喧嘩になったけ。そういやあ。


 話してやるべきだろう。最近あったことについて。


 だが。

 

 「汗臭いからさっさと風呂いけ」

 「うっせぇバーカ」


 話はディナーならぬランチの後で、ということで。


 *****


 昼食後。俺は食器を洗いながらリビングにいる秀に向けて口を開いた。


 「実はな、秀。苧環、俺と同じ高校入ったんだぜ」

 「へぇ…」


 何でもないことのように装ってはいるが、多分驚いてるはずだ。分かるんだよ。兄弟だから。


 「あいつ、俺と別れるまでずっと嫌がらせを受けてたらしい。耐えられなくなって俺に別れを告げたんだとよ」

 「…お前が悪いんじゃん、それ」

 「はは、否定できねぇな…。ま、けどちょっと前に嫌がらせの問題は解決したよ」


 秀が微かに俺の方を向いた。


 そして、こんなことを言った。


 「じゃあ、もう一度……付き合えよ」


 思わず、反応が遅れてしまった。


 「……それは、な」

 「は?お前、未練あるんじゃなかったのかよ。それとも、他に好きなやつができたのか?」

 「………」


 参ったな、どう答えていいか分からん。ここは思っていることをそのまま言うしかない。


 「ちょっと、距離感が掴めてねぇんだ。あいつにフラれた後、人間不信っぽくなってさ。まだ俺の事好きだとは言ってくれたけど…それをそのまま信じられる人間では、なくなった…っていうか、なんていうか」


 皿を洗っていた手が止まっていることに気づき、再び手を動かし始めた。


 「……ふーん。あっそ。俺は真理ちゃん…いい人だと思うけどな」


 お前、苧環の事好きすぎだろ。思わず笑ってしまった。


 「今度、会わせてやるよ」


 *****


 数日後。俺は割と真面目なので文化祭の準備のため学校を訪れていた。


 夏休みだというのに、どこのクラスも人がいて騒がしかった。隣のクラスからはバカ騒ぎしている声が聞こえてきた。うっせーうっせーうっせーわ。


 「ちょっといいか」

 「ん、何ほーずき君?」


 皆が大きな紙に絵を描いたり、飾り付けを作ったりしているなか、俺は華畑に接触していた。


 「協力してほしいことがあるんだ」


 

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