第19話 「うるさい」

 「これ、結構私任せの作戦だと思うんだけどいいの?」


 俺が話を終えた後、彼女が言った。


 「まぁ、それは否めないね。けど、雰囲気できそうだなと思ったからこうして頼んでる」

 「…やってみないとなんとも言えないけど」


 少し、複雑そうな表情をしている。俺は手を合わせて頼み込んだ。


 「なんとか、お願いできないかな」

 「……ひとつ、聞かせて」


 言って、彼女は俺の目をじっと見据えた。俺は無言で頷いた。


 「これは……誰のためにやるの?」


 まぁ、訊かれるかなと思ってはいたけれど。やっぱりか。


 誰のため?そんなの、決まってる。


 俺は張り付けた笑みを浮かべながら言った。


 「俺のために決まってるじゃん」


 俺の言葉を聞いて、彼女は一瞬驚いたような顔をした。それから、興味深いものを見つけたかのように目を細めた。


 「そう。ま、いいや。やってみるよ」

 「ありがとう。成功の暁にはお礼させてもらうよ」

 「じゃあ、ドーナツで」


 そう言って、彼女はニッと笑った。俺も笑みが零れた。


 今日の分の代金を彼女に渡し、緊急連絡先を交換してからふたりで店を出た。昼の太陽が空高くから燦々と地上を照らしている。眩しさに目を細めた。


 「じゃあ、私電車だから」

 「うん、それじゃあ」


 彼女が駅の方に消えていくのを見て、俺も駐輪場に向かった。


 別れ際、背中の方で声がした。


 「嘘つきだね」


 *****


 週が明けて月曜日。学校においても、俺がやるべきことがあった。


 いつもなら、適当に先生たちの話を聞き、適当に近くのやつらと薄っぺらい話をし、掃除を押し付けられて終わるのだがそうは問屋が卸してはくれなかった。


 放課後。


 「なぁ…ちょっと、いいか?」


 話しかけたが、彼女は俺の方を向いてはくれなかった。彼女の手はせわしなく動いており、教科書やら何やらを整理していた。


 「悪いわね。部活あるから」

 

 声音はひどく冷たいものに聞こえた。気のせいだろうか。


 「少しも、時間ないのか?」

 「ええ。それじゃあ」


 言い終えるや否や、流れるようにすっと席を立ち、教室を出ていってしまった。


 「お、おい…」


 手を伸ばして引き留めようとしたがやめた。どうしても時間がないのであれば仕方ない。それに、まだ時間はある。それまでに修復…いや構築できればいい。


 「せんぱーい。かえりーましょー」


 底抜けの明るい声が響かせながら、苧環が現れた。


 廊下の方に顔を向けた。


 「帰るか」


 *****


 翌日。朝は時間がなかったので、昼休みに話しかけようとしたらいつの間にか花陽は消えていた。うーん、親友さんあたりに居所を訊くべきか…


 悩んだが、別に訊かんでもいいかと結論づけた。きっと別のクラスの知り合いと会っているのだろう。どこにでも生えてる雑草みたいな俺とは違ってあいつは特別なのだ。去年も学校行事やらで活躍したらしいし、部活でもある程度結果を残しているそうだ(by華畑)。


 ただ少し。少しだけ、彼女の様子に違和感を感じていた。


 けれど、きっと思い過ごしだ。そうに違いない。そもそも俺と彼女はそこまで深い仲を築いてはいない。こんなこと、思うこと自体間違っている。



 放課後。


 苧環からメッセージが届いた。


 『今日はとってもとっても大事な用事があるので先に帰ります!!すいやせん!!』


 はは、そうかよ。


 少し、笑みが零れた。まったく眩しい奴だ。ちょっと明るすぎる。俺が苧環と付き合ったのは、苧環真理という存在が放つ光に誘われたからかもしれない。虫かよ俺は。


 そういえば、一人で帰るのは久しぶりかもしれない。ま、満喫させてもらうことにしよう。


 ちなみに花陽はすでに教室を去ったようだった。まぁそうだろうなと思っていた。明日は絶対に話をしよう。そう決意した。


 俺はゆっくりと席を立ち、教室を出た。みなさんおしゃべり大好きですねと思いながら廊下を通り、階段を降りた。昇降口で靴を履き替え、外に出るとセミの喧しい鳴き声が耳に入って来た。ああ、うるせぇ。ミンミン鳴きやがって。しかもクソ暑い。夕方であるのに太陽は猛烈な熱気を放っており、この地域特有の湿気も合わさって蒸し焼きにされるかのようだった。最悪のコンビネーションだな。


 急いで涼しいおうちに帰るため、全速力でペダルをこいで帰宅したのだった。


 *****


 「花陽先輩。一緒に帰りませんか?」


 昇降口で待ち構えていた私の前に現れた先輩に向かって、私は言った。


 彼女は一瞬、驚いたような顔をした。それからすぐ、いつもの顔に戻った。綺麗だけど、どこか憂いを帯びた顔。存在からはどこか脆さを感じさせた。例えるなら雪や桜だろうか。


 「ごめんなさい。部活があるから」

 「嘘ですよね。今日、陸上部はないって友達から聞きました」


 ちなみに友達というのはあの元下僕三人衆のことである。


 「…別の、用事があるから」


 それだけ言って先輩は去ろうとしたが、追いかけた。


 「なら帰りながら話しましょう」


 私がここまで食い下がるのは。


 「訊きたいことがあるんです」

 「鬼灯のこと、いいの?」


 話を逸らされた。


 「いいんですよ。一日ぐらい一緒に帰らなくても」


 私は続けた。先輩の端正な顔をしっかりと見ながら。はっきりと。


 「だって付き合っていないんですから」


 何も言葉が返ってこなかった。なぜか少し、申し訳ない気持ちになる。


 けれど、折れるわけにはいかない。鬼灯先輩の為、そしてなにより花陽先輩の為にも。


 人の少ない校門を抜けると先輩が歩く速度を上げた。私も必死に食らいついた。


 「何で、鬼灯先輩の事、避けてるんですか」

 「避けてなんかないわよ」


 少し、苛立っているようだった。冷たい声音にちょっとビビる。


 「信頼できる情報筋からはっきり証言を得ていますから。誤魔化せませんよ」


 先輩がさらに速度を上げた。もはや走っていた。


 ああ、もう。


 私も走った。けれど隣に並ぶことはできなかった。速いのだ。先輩の足が。


 キラキラと光る綺麗な髪をなびかせながら走る先輩の姿も、やはり美しかった。


 けれど今はそんなことを思っている場合ではない。


 「鬼灯先輩の事、っ、ほんとうは、どう、思ってるんですか!」


 叫ぶ形になってしまった。息が切れてきたので仕方がない。ちょっと恥ずかしい。


 悲しいことに返事が返ってくることはなかった。けれど私は勝手に続けた。


 「別に、っ、私の事なんかっ、気に、しなくても、いいんですから!」


 あまり関係がないはずの花陽先輩が水仙先輩の一件に首を突っ込んだ時点で、そうじゃないかと思ってはいた。今日のこの様子を見て、確信に変わった。


 意地を張って、嘘を吐いている。


 全く、なんで私の大好きな先輩たちはこうも嘘つきなんだろうか。実にめんどくさい。まぁ、私も人のことをいえないんですけどね…


 「まずい、この先は曲がり角だ」と思った瞬間、数メートル先の先輩が半身だけ振り返った。


 そして、一言だけ言った。


 うるさい、と。


 私は思わず足を止めてしまった。体力が限界に近かったのもあるが、それ以上の理由があった。


 先輩は、泣いていたのだ。瞳にいっぱいの涙を溜めて。


 「っ、はぁ、はぁ、ずるいなぁ。なにも、言えなく、なっちゃうじゃん」


 膝に手を当てて肩で息をしながらも、思わず言葉が漏れてしまった。


 難しいなぁ、ほんと。どうすればいいか分かんなくなってきちゃった。


 二、三回深呼吸をした後に体を起こして空を仰いだ。西に沈んでいく太陽が夏の空を茜色に染め上げていた。


 もしかしたら、私は何もしない方がいいんじゃないか。


 だって、私は気を使われてる方の人間なのだから。なら、本当に何かをすべきなのは。


 私はひとりぼっちの帰り道を再び駆け抜けたのだった。


 

 

 


 

 

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