第11話 君の嘘
水仙の家は俺の家よりも中学校に近いところにあった。少子高齢化はずっと騒がれているが、住宅は増え続けている印象がある。彼女の家も住宅街の一角にあった。なんてことない普通の一軒家である。外観は白と黒。二階建てのようだ。
俺はブレーキをかけて自転車を停めた。水仙も荷台からよっ、と飛び降りた。
「とうちゃーく。ご苦労だったね、運転手」
「へいへい。俺は賃金0で働く運転手ですよ」
「あはは、なにそれどこのブラック企業?」
彼女に導かれるまま、門を通り抜けた。花や芝生で覆われた庭を進み、玄関へと辿り着く。水仙が鞄から鍵を取り出してがちゃりと開けた。「どうぞ」と促され、俺は「お邪魔します」と一言添えてから入った。
他人の家特有の空気を肌で感じた。一瞬だけ周りの様子を窺った。
「心配しなくていいよ。親はいないし」
別にそんな心配はしていない。だが緊張のようなものはしている。怖れに近いのかもしれない。
「こっち」
階段を上り、廊下を少し進む。いくつかある扉の内のひとつを開けて入ったのを見て、俺も続いた。ここが彼女の部屋なのだろう。
置かれてある小さなテーブルの前に座るよう促され、とりあえず腰を下ろした。はぁ、落ち着かねぇ。
「優くんはちょっと待ってて。なんか飲み物持ってくる」
「…おう」
言い残して、彼女は出て行った。辺りを見回す。俺の中での女子イメージとはかけ離れた、無機質な印象を感じさせた。もっとこう、派手というかカラフルというか、そういうイメージを抱いていたがそんなことはなかった。カーテンの水色くらいだろうか。本棚、勉強机、ベッド。どれをとっても質素な感じだった。まぁ、性格通りだなと思った。
さて。どのくらいで戻ってくるだろうか。せいぜい3分程度だろうか。まぁ、バレてもそこまで怪しまれることはないはずだ。彼氏なら、彼女の過去を知りたいと思うのは当然の話だろう。昂る鼓動を押さえつけ、捜索を始めた。
見つけなければならないもの。
それは、水仙乃亜が苧環真理に嫌がらせをしていた連中のリーダーだという証拠。
苧環と再会したあの日。彼女の口からは間違いなく水仙乃亜の名前が出された。信じ難くはあったが、少し気になる点もあった。
水仙が俺に告白してきた日の事。
中学2年も終わりに差し掛かろうとしていた頃。俺が苧環に裏切られて2日後に今度は水仙が告白してきたのだ。当然断った。今も大概だが、当時は相当精神を病んでいたと思う。だから思い至らなかったのだろう。
狙いすましたタイミングじゃないか?
もちろん、偶然の可能性もある。苧環が何かしらの理由で嘘を吐いているという可能性も否定できない。そんな可能性はあると信じたくないのだが。事の真相を、真実を確かめるには自らの手で証拠を掴むしかない。そう思ったのだ。
考えた末、思いついたのはこんな最低な方法だけだった。全く自分の愚かさに呆れてしまう。けれど誰の協力も借りることも不可能。ならこの方法でやるしかない。水仙の俺への恋愛感情を利用し、信頼を得て懐に忍び込み、証拠を得たら裏切る。
そんな、俺が最も嫌う嘘と裏切りにまみれた汚い方法で。
まずは中学の頃のアルバムを探した。俺も当然持っているが、最後のページに書かれてあるであろう添え書き。あれは仲の良い人間に書いてもらうものだ。そこに書かれてある名前から交友関係を割り出す。
本棚を漁る。文庫本、参考書、その他もろもろで埋まっていた。裏側に何か入っていないかも入念に、かつすばやく確認した。アルバムは大きいから分かりやすいはずだ。
「ちっ」
思わず舌打ちした。隅から隅まで見たが見当たらなかった。恐らくあまり時間がない。次は勉強机だ。振り返った弾みで何かに肘をぶつけた。がたりと物が落ちたので見てみると、それはフォトフレームに入れられた1枚の写真だった。ああくそ、と思いながら拾い上げると…
「何だ、これ…」
一瞬動きを止めてしまった。異様だったからだ。だが目的とは関係がない。すぐに元に戻し、勉強机に向かった。ノートや教科書が入れられてある小さな棚を漁る。もちろん裏も確認した。
だ、だ、だ、だ
足音が聞こえてきた。まずい。引き出し。乱暴に漁った。けれどどの引き出しからもそれらしき物は見つからなかった。残るはこの、鍵のついた…
くそっ!!
不完全燃焼。けれど仕方がない。立ち上がったところでドアが開けられた。
「優く~ん。お待たせぇ」
ぞわっとした。優しいようで冷たい声音に。
俺は強がるように口の端を歪めながら振り返った。
「はは。マジで待ったわ」
「ん~?何してたの」
探るような不気味な目。背中を冷汗が流れた。
「ああ、ちょっとアルバム見たくてな。中学のとか」
なんとか平静を装えたと思う。
「あー、アルバム。どこやったかなぁ」
水仙は持っていた二人分のコップをテーブルに置き、その場に腰を下ろした。そして、奥を見通せない黒々とした瞳で俺を見た。あの雨の日のことが思い出され、思わず顔を強張らせた。
「何してるの?座れば」
「あ、ああ」
対面に腰を下ろした。沈黙するのはまずいと思い、口を開いた。
「アルバム、どこやったか覚えてねぇのか?」
「そうだね。部屋のどこかにはあるんじゃないかとは思うけど」
平坦な口調でそう言うと、彼女は自分の前に置かれてあるコップを握り、恐らく麦茶であろう液体をごくりと一杯飲んだ。
アルバムのようなものをなくすとは思えない。かといって捨てるとも思えない。やはりあの鍵の掛けられた引き出しは怪しい。けれど上手く開けさせる方法が思いつかなかった。どうすればいい。
「どうかしたの?さっきからぼーっとしてるけど。あ、まさか女の子の部屋は初めてで緊張してるとか」
言われて、自分が呆けていたことに気づいた。咄嗟に顔を上げた。水仙は口だけの不気味な笑顔を浮かべていた。
「あ、ああ悪い。何でもねぇ」
「嘘」
「は…?」
動揺が顔に出ていたのかもしれない。彼女がなぜそんなことを言い出したのか理解できなかった。
水仙はくっくと笑い、視線をコップの中の麦茶へ向けた。表情は窺えない。
「嘘って…悪だと思う?」
唐突な問いかけだったが、とりあえず答えることにする。
嘘。主観を抜きにして一般的な通念に照らしてみれば悪だと言えるだろう。けれど俺は最近、優しい嘘というのも存在することを知った。近しい誰かを守るための嘘。きっとそれは尊いもので、全面的に責められるべき悪ではないだろう。しかし優しい嘘であっても誰かを騙すことに、裏切ることになる事実が変わることはない。
嘘の善悪は誰が、どのようにして決めるのだろうか。
俺は熟考してから口を開いた。
「一般的な話をすれば悪だ。けど、嘘の善悪は吐いた側と吐かれた側の当事者間で決めることだと…俺は思う。第三者が勝手な口を挟むべきじゃない」
「……そう」
つまらなそうな、失望したようなそんな返しだった。
水仙は顔を半ばだけ上げた。瞳は俺を捉えており、睨むような鋭い眼光だった。
そして、こう言った。
「じゃあ、君の嘘は悪だ」
返す言葉がなかった。というより、返せなかった。
なおも彼女は続ける。
「君がどういう目的でわたしと付き合おうなんて言い出したのかは見当がついてる。どうせ苧環ちゃんのことでしょ。君は人の言葉を信じられないからこうして証拠を探しに来た。けど残念。あそこの鍵はわたししか知らない」
絞り出せ。声を。黙ることは肯定と同じだ。
「は、はぁ?何言ってんだ、お前」
多分、引きつった笑いが浮かんでいたと思う。けれど何とか返すことはできた。
「強がっても無駄なのに。可愛いなぁ」
彼女の笑みは慈愛なんかとは程遠い冷淡なものだった。
「ほんと最低だよね、君。好きだなんて嘘、よく言えたものだよ。それに加えわたしの恋愛感情を利用するなんて。でも、そんなのどうでもいいの。もう、君はわたしから逃れられない」
すっと立ち上がった。そして何をするのかと思えば。
制服のボタンを、外し始めたのだ。
猛烈な恐怖が全身を奔った。逃げなければ。本能が告げている。けれど扉側にいる彼女を避けて逃げることなど…不可能だ。制服を脱ぎ捨て、シャツになった水仙が一歩、二歩と近づいてきた。
もう、駄目だ。
そう、心が折れそうになった瞬間の事だった。
ブー、ブーというスマホの鳴る音が響いた。俺の物ではない。彼女の物だ。ぴたと迫ってくる足が止まった。不機嫌そうな顔を見せたが、すぐに真顔になった。そして鞄からスマホを取り出し電話に出た。
「もしもし、梨華。久しぶ—」
恐らく久しぶりと言おうとしたのだろう。だが後に言葉は続かなかった。
俺の耳にも、届いてきた。電話の向こうにいる人間の声が。
『残念。私は梨華さんじゃないですよ』
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