第9話 最悪の不意打ち

 「少しだけ、昔話をしてあげる」

 

 なぜそんな気になったのか俺には知る由もない。もしかしたら、俺の思惑など見透かしており、その上で切り出してきたのかもしれない。もしそうなら、俺はこいつの手のひらの上で弄ばれていることになる。


 俺は無言で先を促した。


 「むかーしむかし、あるところに王子様とお姫様がいました。ふたりはとても仲が良くて、いつも楽しそうにしていました。しばらくして、ふたりは結ばれました。けれど、お姫様に嫉妬する醜い女たちがたくさんいました。彼女たちのボスだった女は、部下に命じお姫様に雑用を押し付けたり、彼女の私物を隠したりさせました。ボスは賢かったので、露見することはありませんでした。ついには彼女の思惑通り、ふたりは別れることになってしまいました。ボスの女は、王子様のことが本当に大好きでした。いけると思った女は、彼に求婚しました。けれど、うまくいきませんでしたとさ」

 「…ふざけた昔話だな」


 素直な感想を口にした。ここで追及したって無駄だからだ。自分の昔話をするとは一言も言っていない。シラを切られるに決まっている。


 抑えろ。今は、まだ。


 「そうだね。面白かったでしょ」

 「ああ、超面白かった」


 温度の低い声音で感想を求められたので、俺も同じようにして返した。静かな怒りを込めて。


 しばらく、ひりつくような沈黙が流れた。やがて、交差点に差し掛かった。水仙が足を止めたのを見て、俺も歩みを止めた。


 「ボスの女のこと、許せないって、思った?」


 当たり前だろ。


 「…いや」


 言葉少なに答える。水仙は三歩ほど前に歩き、そこで再び足を止めた。その後、背中を向けたまま口を開いた。


 「わたしも許せないって思うよ。けどね、」


 続いた言葉には、確かな力があった。行き場のない想いをぶちまけるような感じでもあった。俺に。あるいは世界に。


 「人間って、そういう生き物なんだよ。醜くて醜くて、穢れだらけで、本当に…どうしようもない」


 若干、気圧された。少しして、「ああ」と返した。


 確かに、人に宿る善性を疑いたくなることはよくある。本当はそんなもの存在せず、すべて打算で動いているのではないか、と。


 水仙が振り返った。首だけ。


 「じゃあね、ダーリン」


 張り付けた笑みだったが、声音はいつも通りだった。その事に少しだけ安心している自分がいた。


 「またな、乃亜」


 俺は、口の端を上げて、別れを告げるのだった。



*****


 翌日以降、俺たちの関係は周知のものとなった。最初はいじってくる野郎どももそれなりにいたが、一週間もすれば、皆興味を失くした。普通、そんなもんだと思う。


 ただ一人だけ、ずっと俺のことを遠巻きに観察している人間がいた気がするが気には留めなかった。留めないよう努めた。


 俺は水仙から提示された条件の下で生活した。他の誰に対しても素を見せることはなかったし、彼女の目の届く範囲外に出ることもなかった。まだ、しばらくは続ける必要がある。


 現在は放課後。テストが近いため、俺と水仙は教室に残って勉強をしようということになった。俺らの他にはひとりくらいしかいない。机をくっつけて、対面には彼女が座っている。


 「ねぇー、優くーんここわかんなーい」

 「嘘つけ。お前、そこすらすら解いてたじゃねぇか。っていうか、俺が知りてぇわ」


 お前、数学得意だろ。『数学なんて息をするように解けるし』とか『教科書読んどけば全部理解できる』とか言ってやがったのを俺は覚えている。記憶力は良いんだ、俺。


 「確かに得意だよー。でも、真の天才じゃないから分からない問題もひとつくらいはあるよ」

 「ひとつかよ。俺なんか20はある気がするわ。いや、100かな」

 「あはは、100もあったらテスト0点だねー」


 机をバンバン叩いて笑っていやがる。やめろ、うるさいから。冗談に決まってるだろ。


 俺は問題集の一部分をシャーペンで指し示した。


 「ここ、どうやって解くのか教えてくれ」

 「え?教えて・・・くだ、くだ・・・」


 耳に手を当てて『聞こえないなぁ』みたいな仕草を見せてきた。


 ああああ!!うっざ!!


 仕方がないので外面だけの笑みを張り付けながら言った。


 「乃亜ちゃん。どうか、教えてください」

 「……」


 まさかの無言。しかも真顔で。


 こいつ、消えればいいのに…。ウザすぎるだろ。


 数分微動だにしなかったが、その後、何もなかったかのようにシャーペンをカリカリとノートに走らせ始めた。はぁ、とため息を吐き、それから俺も解き方を考え始めた。まずはしっかり自分で考えることも大事だからな。


 しばらく沈黙が流れた。耳に届いてきたのは時計が時を刻む音、部活に励む生徒たちの声、吹奏楽部の演奏の音。それからシャーペンの音。


 静寂を破ったのは水仙だった。


 「はい」


 顔を上げる。ノートが差し出されていた。なんだろうと考えて、すぐに思い至った。


 「あ、ああ。助かる」

 「いい?ここ見て。この問題は—」

 「…っ」


 彼女のノートに視線を向けた瞬間のことだった。対面から二本の腕が伸びてきて細い指が俺の頭を捕らえた。そして、そのまま引き寄せられ…


 俺の唇が、彼女のものと重なった。キスを、させられたのだ。してしまったのだ。


 俺の頭は、思考を停止していた。


 *****


 え、あ…ああ。あああ、あああああ!!


 思わず身を引いて、廊下の壁に背中を預けた。そのままへたり込んだ。


 自業自得だけれど。


 なんてものを、見てしまったのだ。私は。


 あの人のことだ。きっとわざとだ。私がどこかから見ていることを知って仕掛けたのだ。なんて、小賢しくて、醜くて、汚れているのだろう。


 悲しかった。怒りたかった。叫びたかった。


 けれど、今そんなことをするわけにはいかない。美樹ちゃんが私のために動いてくれている。情報を、集めてくれている。


 耐えろ。耐えるんだ。


 目が、潤んできた。何度か瞬きをした。滴が頬を伝って床に落ちた。


 クソ、クソ!!


 静かに立ち上がって、その場を去った。静かな、けれど確かな怒りを内に秘めたまま。


 絶対に、許さない。


 


 

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