第7話 優しい嘘

 嘘の裏に隠された真実。嘘によって覆い隠されてしまった真実。


 もしくは、真実。


 そんなものが、存在するって言うのかよ。


 疑念と怒りが籠ったまなざしで彼女の方を見た。茶髪のショートヘアーがそよ風に揺られていた。当然だが、記憶よりも顔立ちが大人びていた。


 苧環はゆっくりと、話を続けた。


 「信じて、もらえないかもしれませんが…あのときの言葉は嘘です」

 

 ああ、信じねぇよ。


 「先輩のことは、今でも好きです。大好きです」


 優しくて、穏やかな愛の囁きだった。本心から、そう言っている。そう感じた。


 けれど。


 「…じゃあ、なんで」


 いつの間にか頭の熱は冷めていたようだ。いつもの声音に戻った。


 苧環は前を見たままだった。


 「それは……」


 俺の方に、視線を向けた。顔には悲しげな笑みがたたえられていた。


 「私が、弱かったから」

 「…は?」


 何を、言っている?


 「待てよ。何言ってんだ」

 「…先輩って、今でも結構モテるんですか?」

 「だから、何を」

 「いいから、答えてください」


 穏やかな口調は変わらなかった。だが俺が答えるまで何も言う気はないという意志が感じ取れた。全く何も理解などできていなかったが、ひとまず与えられた問いに答えることにした。


 「…モテねぇよ。俺より顔が良くて性格がいい奴なんていくらでもいやがる」

 「嘘ですよね」

 「嘘じゃねぇよ」

 「今日、一緒にいたあの人。彼女さんじゃないんですか?」


 ちっ、と舌打ちした。


 何で見てんだよ。やはり俺は運がないなと思う。じゃんけんには勝ったためしがないし、くじを引いても碌なものが当たった記憶がない。電柱にぶち当たった記憶ならあるが。


 「違う。あいつとは『オトモダチ』以上のなにものでもない。話を逸らすんじゃねぇよ」

 「そこまで逸れてもいないんですよ。先輩を狙っている人は、意外とたくさんいる。いや、。そういう話です」

 「…」


 何かが、見えてきた気がする。まだ形を成してはいないが。


 「まぁ、簡単に言えば、私はその人たちに屈したんです」

 「…それって、まさか」


 急速に顔から血の気が引いていった気がした。とてつもなく嫌な予感がした。


 「私は…その人たちに、嫌がらせを受けていたんですよ」

 

 穏やかながら咎めるような口調だった。それも、仕方がない。


 俺が見逃してしまったのだから。気づくことが出来なかったのだから。


 嘘は言っていない。直感でそう感じた。


 真実は残酷だ。どうしようもない正しさを突き付けてくる。正しいものは鋭く尖っている。鋭利な刃物のように。


 「……」


 俺は言葉を失った。


 なぁ、お前俺のために嘘を吐いたっていうのかよ。


 優しい優しい、嘘を。


 「『あんたなんかじゃ鬼灯先輩と釣り合わねぇんだよ』って、何度も何度も言われ続けました。同年代の子だけじゃなかった気もします。クラスではのけ者にされて、部活の仲間も大半が去っていきました。先輩は、優しいから…きっと、話したら自分のせいだって言ってしまう。傷つけてしまう。だから、必死に…隠して、誤魔化して、嘘、ついちゃいました」


 言い終えて、彼女は俯いた。表情は窺えない。


 俺は、話してくれなかったこいつのことを、


 異変に気づいてやれず、彼女の優しい嘘でさえ許容できない自分自身のことを、


 取り繕って何でもない風に装いやがった周りの人間のことを、


 許せない。


 なら、俺はどうすればいいのだろうか。


 言葉が出てこなかった。長い長い沈黙が流れた。耳に届いてきたのは鳥の鳴く声と草木が揺れる音だけ。いつもなら何でもない沈黙が、ひどく苦しかった。


 しばらくして、ようやく口を開くことが出来た。


 「お前に…俺と別れるよう、催促してきた奴は…誰だ」


 俺は下を向いたが、苧環は顔を上げたようだった。


 「何人も……いますが…」

 「いるだろ、リーダー」


 いつの時代も、どこであっても階級は存在する。緩やかかそうでないかの違いでしかない。女子は特に顕著なように思われる。表面上はみんな仲良くしているように見えるが、実態は大きく乖離している。コミュ力高くて見た目がいいグループ、穏やかな性格のグループ、そして一人が好きなやつら。大体、そんな風に分かれている。


 人間は、学ばない生き物だなと思う。真の平等が実現する日は来るのだろうか。


 ダイバーシティとかいうお題目はよく耳にするが、掲げて終わりなら意味などない。


 考えているような間があった。それから、彼女はひとりの人間の名前を口にしたのだった。


 ***** 


 事情は理解はした。だが、あんな形で別れた元カノとどう接しろというのか。距離を測りかねる。


 だから、俺は連絡先だけ聞いて帰宅した。引き留める声が聞こえた気がしたが気のせいだろう。


 うーむ、しかし、何か大事なことを忘れているがするなぁ。


 まぁ、何かのきっかけで思い出すだろう。


 別れ際、苧環は言った。


 『私はまだ、先輩のこと好きですから。それだけは、忘れないでいてくださいね』


 彼女の愛はきっと本物だろう。できることなら返してやりたかった。だが、今の俺は歪んでしまっている。醜いほどに。こんな姿を直視して欲しくなどない。


 それに、やらなければならないことがある。


 まぁ、それは連休明けということで。


 残りの休みはほぼ寝て過ごした。いろいろあったせいで疲労が溜まったのだろう。愛すべき弟、秀に何度も蹴り起こされた。不思議と痛くなかった気がするなぁ……


 そうして迎えた連休明け初日の昼休み。今日もまた、ひとりの生徒を呼び出していた。


 「何か用?」

 「お前、まだ俺のこと好きか?」


 ポカンとしていた。それも無理ない話だ。


 やがてふふっと笑った。


 「そりゃあ、好きか好きじゃないかで言えば、好きかな」

 「そうか、じゃあ」


 口の端を歪めながらこう、言った。


 「俺と、付き合ってくれないか?」

 


 

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