第5話 空気清浄化
現代は情報で溢れている。だから話題にも困らない。一つの話題がそんなに長く続かんだろと思っていたが見通しが甘かったようだ。だが後悔はしていない。楽観的な方がストレスフルな社会をうまく生きられると思うんだ、俺。
あれから数日が経った。依然として教室内の空気は汚れていて吐き気がした。だが、汚れの原因が少し変わっていた。
それは、表には見えない悪意。具体的に言えば、花陽を排除しようという意志が生徒たちの間で共有されていた。そのくせ、ぶつかろうとせずただ取り繕って、嘘で塗り固めて平和を装っている。気持ちわりぃったりゃありゃしない。
あいつの数少ない友人と見られる女子も未だにどう接していいか困惑しているようで踏み出せずにいた。その程度の仲だったのか、って言ってやりたくなる。
めんどくせぇ。めんどくせぇけど。
これは、決してお前のためなんかじゃない。
昼休み。俺はひとりの生徒を呼び出していた。密かに。誰にも気づかれないように。
「悪い、時間とらせて」
「いいや、わたしは構わないよ」
黒髪ボブカットの眼鏡女子、
俺たちは今、渡り廊下にいる。この時期だけの心地の良い風が心中を浄化してくれるような気がした。
「もう、気づいてるよな」
「…うん」
「なら、何で行動しないんだ」
別に責める気はなかった。けれど、そういう口調になってしまった。
「わたしは、正義の味方なんかじゃないから…」
「たとえ上っ面だけだとしても、お前がクラス長である事実に変わりはない。お前なら、俺よりも影響力はある。なら、お前がクラスをまとめるべきだ」
「…君の素って、そんななんだね」
話を逸らしやがって。
「ああ、悪いか」
「いいや。悪くなんかない。君ほど優しい人間もそうそういないよ。いっつもその状態でいればいいのに」
誰が信用ならない連中に見せてやるものか。あと、俺は優しくなんかない。
思わず苦々しい顔になった。
「うるせぇ、どうでもいいだろそんなの」
「そうだね。悪かった」
「お前がまず花陽の友人に声をかけて説得しろ。そんでそいつらの力も借りて何とかしろ。空気がよどみすぎて気持ち悪い。俺が学校来なくなったらお前の責任だからな」
俺の言葉に水仙は苦笑した。自嘲気味だった。
「花陽さんの友人である君が言っても結構影響力あると思うのに。…まぁ、いいや。うまく君に乗せられたってことにしといてあげる。君が学校に来なくなった責任を問われるのも嫌だしね」
話は終えたので、俺は教室に向かった。
水仙はしばらくその場で遠くを見つめていた。どうやら覚悟のための時間が必要なようだ。
分かっていたことだが。
俺は、最低な人間だ。
*****
数日後。教室内の空気はいつも通りきれいになった。もしかしたらプラズマクラスターを使った方が早く浄化できたのかもしれない。無理に決まってるな……
何だ、水仙のやつ力量あるじゃん。
まぁ、クラスメイトたちの水仙への接し方が変わった気もするが、もとからあいつは一人でいることに抵抗があるような人間ではなかったはずだ。なら、問題ない。
放課後。俺は花陽と共に帰路に就いていた。まぁ、たまには『オトモダチ』をやらないといけないしな。
自転車を押しながら歩いていた。隣には当然、花陽がいる。
しばらくの間、沈黙が流れた。だが俺は沈黙が気になるような人間ではないし、こいつもそういうタイプのやつだろう。
横断歩道に差し掛かり、信号が赤だったので立ち止まった。西日が熱くてまぶしかった。思わず目を細める。
国道を走る車の音ばかりが聞こえてきた。ここらへんの人はかなりのスピードで飛ばすから音がすごい。夜とかもたまにバイクのクソうるさい音が聞こえてくる。死ねばいいのにって思う。
「私は……気にしていなかったのに」
不意に、小さなつぶやきが聞こえてきた。誰のものかなんて言うまでもない。声音にはほんの少しの悲しみが含まれていた。
「…何の話だよ」
「いいえ。何でもないわよ。幻聴じゃないかしら。耳鼻科を紹介しましょうか」
「余計なお世話だ」
本気で罵倒する声音ではなかったので、俺も適当に受け流した。ちらと横目で窺うと、花陽は思いっきり俺を見ていた。大事なものを愛でるような表情に胸がざわついた。咄嗟に目を逸らした。
信号が青に変わった。歩を進める。隣に彼女が並んだ。
「水仙には礼、言っといたほうがいいぞ。あと、仲良くしてやれ」
「あなたに言われなくても、お礼は言ったわよ」
「じゃあ、仲良く」
「…できる限り」
何、世話焼いてんだか。必要ないことを言った気がする。俺らしくない。
はは、俺らしさ、ね。
それきり会話が途切れ、再び沈黙が流れた。互いの足音や衣擦れの音、道行く車の音がやけに大きく感じた。
ここいらでは大きめの商業施設である、なんとかツリー抜け、坂を下る。すると街路樹が増えてきた。この先は住宅街に差し掛かる。花陽が足を止めたのを見て、俺も歩みを止めた。花陽の方を見る。
「それじゃあ、私はここで」
「…ああ。じゃあな」
彼女の別れを惜しむかのような表情にいたたまれなくなって、速足でその場を去った。サドルにまたがりペダルをこぎ始めた。数日前よりずいぶんとペダルが軽く感じて、また胸の内がざわついた。
ああ、クソ。
数百メートルの距離を10分程度で走破し、帰宅したのだった。
その夜。一通のメッセージが届いた。
『今度の休み、ちょっと付き合ってくれる?』
それを見て、思わずため息がこぼれた。ため息を吐くと幸せが逃げると言うが、なら俺には一生幸せがやってこないな。ええーん。
*****
5月に入ると、ゴールデンウィークという嬉しさのあまり飛び跳ねたくなる連休がある。いつもなら、勉強してゲームして飯食って寝るを繰り返している。勉強はしているので誰にも文句は言はせない。
だが、今年は残念なことに貴重な一日を費やして出かける羽目になった。ちくしょう、もっと寝ていたかったのに。
家を出るとき、秀からも「まさか、彼女ができたわけじゃねぇよな。もしそうならぶっとばすぞ」って言われちゃった。ちげぇよ、バーカと返してやった。ほんと可愛げのない弟だな。一周回って可愛く思えてきたわ。
バスに10分ほど揺られ、終点の駅で降りる。そこから地下鉄で目的地まで15分程度ってところだ。断じてデートなんかではないので目的地集合ということになっている。休日の電車は乗客で賑わっていた。俺と同じくらいの年代の男女、ご年配の方々、夫婦、様々だった。俺はドア付近に立ってスマホをいじりながら時間を潰した。
少しして、乗り換えを済ませ、それからすぐに目的地付近の駅に着いた。ここら辺は都心部なので駅もかなりの人で賑わっていた。俺は華麗に巧みに人海を渡って改札を抜け、階段を上り地上へ出た。
出口付近にいたからか、すぐに見つけることが出来た。彼女は俺に気づくとスマホをしまい、近づいてきた。って、そんなに近づかなくてもいいだろ。
「やぁ」
「…待ってねぇよな」
「大分待ったよ」
「嘘つけ」
「嘘だよ。私、嘘つきなんだ」
「知ってる。ちなみに俺もだ」
「誰も聞いてないわよ」
花陽がくすっと笑った。上は黒無地のTシャツ、下はデニムパンツというシンプルな服装も相まってか、どこか大人びた雰囲気があった。やはり、こいつが美人であることに疑いはない。そう思った。
「さて、行きましょうか」
花陽の言葉に頷きで返した。
やれやれ、お買い物に付き合わされるとはな。
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