第2話 空洞

 あやしい。


 何の根拠もないが俺の第六感が警鐘を鳴らしていた。


 さて、どうしたものか。どう、返事をしようか。大きな目、長い睫毛、整った鼻筋。確かに人に言われるだけあって容姿は整っている。可愛い、というよりは綺麗、だろうか。


 だが、俺はこいつのことをほとんど知らない。何が好きで何が嫌いでどういう考え方をする人間なのか、何一つ。


 だから、俺はこう返した。俺もしっかりと彼女の目を見て。


 「…ごめん。俺、花陽さんのことほとんど知らないんだ。だから、いきなり付き合うって言うのは…ちょっと…」


 無難な答え方をしたつもりだ。これで、お前はどう出る。


 彼女は真剣な顔で窺うような視線を俺に向けたまま、黙っていた。どこか驚いているようにも見える。


 はは、俺のガードは固いんだ。そう簡単に破れねぇよ。


 俺も表情を変えずに黙っていた。膠着状態だった。どれだけ経ったか分からなくなったくらいになって、ようやく彼女が口を開いた。


 「…分かった。じゃあ、」


 続きがあるとは思わなかったので少し動揺した。


 「友達からなら、いいんだ…?」


 囁くような声音、妖しい表情が俺の胸の内をざわつかせた。空っぽの胸の内を。


 確かに、そういう受け止め方もできる答え方をしたからな。うむ、仕方がない。でもなんなんだろうなぁ、こいつ。やっぱりよく分からん。


 俺はにこっと笑って答えた。


 「もちろん。喜んで」


 *****


 「ああ~疲れた~おうち最高」


 帰宅してすぐに、鞄を放ってソファにダイブした。なんか今日はやけに疲れた気がする。疲労困憊。満身創痍…ではないな。


 あの後、花陽は「連絡先交換しようよ」と言い出し、俺はそれに応じ、「それじゃあまた明日」と、颯爽と消えていった。疾風の如く。花陽さん、部活入ってるんだっけ?


 友達、ねぇ。まぁ、俺は友達と呼べる人間はいないから、少し、ほんの少しだけ嬉しく感じなくもなかった気がしなくもない。どっちだよ。


 だが、やはり疑問の方が勝っていた。


 「なーに考えてんだか」


 思わず独りごちた。まぁ、こればっかりはこれから窺っていくしかないが俺から彼女に接近することはない。俺は遠くから俯瞰して観察することの方が得意だし好きなのだ。ただ女子と話すのがいろいろと疲れるだけなんだよな…


 それにしても。


 彼女のあやしい愛の告白が、妖しい囁きが、俺の胸を少しだけ動かした気がしたのはどうしてだろうか。


 俺は、無意識に誰かの存在を求めていた…?


 いや、そんなわけがない。世界に、社会に、何より人間関係に蔓延る嘘偽りに俺は辟易していたはずだ。少なくとも今もそう思っている。高度成長期以降、急速に社会は発展し、情報化によって人々の生活は豊かになった。けれどその裏でSNSによる誹謗中傷、何の根拠もない嘘ばっかりの情報により傷つく人が増えたんじゃないだろうか。


 人間関係も、そんな社会に裏打ちされて成り立っている。きっと彼女も何かしらの思惑があって俺に近づいてきたに違いない。


 「はぁ」


 ため息が漏れた。疲れている証拠だ。今日は早く寝よう。


 *****


 翌朝。気持ち重い気がした足でペダルをこぎながら自転車で登校し、昇降口でスリッパに履き替え、教室へ向かおうとしたところで足を止めた。


 「おはよう。鬼灯」


 お前…待ち構えてただろ。っていうか呼び捨て。最初からか。そういえば友達になったんだよな…


 「ああ、おはよう。花陽」


 俺も呼び捨てにした。友達だというならおかしくはないだろう。


 「シオンって呼んでくれてもいいんだよ?」

 「はは、呼ばないよ」

 「つれないなぁ~」


 うーん、俺的に名前呼びはハードルがですね、すごく高いんですよ。乗り越えられないハードルはない、っていうけれども。


 ずっと立ち止まっているのもあれなので、俺は教室へ向けて歩を進めると、当然のように隣に並んできた。心なしか距離が近い気がする。


 ちら、と横目で窺うと彼女も同じように横目で俺を見た。視線がぶつかった。花陽は「ん?」と小首を傾げている。俺はそれに首を横に振って応じ、再び正面を見た。


 しばらく俺も彼女も無言だった。耳に届いたのは道行く生徒たちの「おはよう」「朝練疲れた」「課題やってねぇ」とかそんな会話ばかりだった。課題は計画的にやろうね。


 3階に着き、教室までもうすぐというところで花陽が口を開いた。


 「似てるって、思ったよ」


 声音は穏やかだったが少しばかり温度が低い気がした。


 思わず彼女の顔を見たが、何も読み取れなかった。


 意味を図りかねた。主語を入れなさいよ…


 「…何が、何に?」


 問いかけたが彼女はただ笑って応じるだけだった。


 やがて教室にたどり着き、「また後でね」と言い残して花陽は自分の席に向かっていった。


 俺は一言、「うん」と返した。


 *****


 俺も教室に入り、自分の席に座った。なんだかやけに騒がしい気がした。


 やれやれ、朝から騒がしいたりゃありゃしない。元気な証拠でよろしい。


 教科書やら何やらを自分の机に入れていると、突然俺の前の席に座っている男子が話しかけてきた。


 「なぁ、鬼灯。聞いたぜ?」


 聞いた?


 「ん、何の事?」


 『何言ってんだこいつ』みたいな顔をされた。いや、マジでわからんからしょうがないだろ。


 彼はこう、言うのだった。


 「お前と女王様が付き合い始めたって話だよ」


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


 女王様って誰?


 そんな場違いなことを思ったのだった。


 


 


 

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