嘘と裏切りのラブコメ

蒼井青葉

第一章

第1話 あやしい愛の告白

 「何だよ、改まって」


 彼女の口には穏やかな笑みが浮かべられていた。だがその笑みがどこか不気味で、かと思えば儚げに見えた。降りしきる雨の音がやけに大きく聞こえる。嫌な予感がした。


 しばしの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。


 「…私、他に好きな人が出来たんです」


 一瞬、時が止まった気がした。


 何を言っているのか理解できなかった。無論、言っている内容は分かっている。けれど、頭に入ってこなかった。心が、突き付けてくる事実を受け入れようとしなかった。


 彼女は表情を変えずに話を続けた。


 「だから、もう…これまでです。連絡先も削除しておきますので。それじゃあ、どうかお元気で」

 「待って…くれよ」

 

 言い終えてすぐに踵を返して立ち去ろうとしたが、弱弱しい声で彼女を引き留めた。引き留めなければならなかった。彼女は少しだけこちらを向いたまま俺を見つめている。その黒々とした瞳が何を映しているのか、奥には何があるのか、まるで読めなかった。


 「大好きって、言ってくれたのは…嘘、だったのかよ。それだけ、教えてくれ」


 俺の言葉に間髪入れず「はい」と答え、すたすたと去っていった。


 傘を放り捨て、俺はその場にガクッと頽れた。


 「っくしょう…ああっ…ちくしょう」


 あの日から、ずいぶんと経ったが俺の胸に空いた空洞は埋まる気配を見せていない。


 ***** 


 天気わりーな。帰りてぇ。マジ帰りてぇ。

 傘持ってきてないし。


 国語教師の言葉などそっちのけで俺はそんなことを考えていた。俺は授業を少しくらい聞かなくてもヤバい点数を取るような人間ではないのだ。


 っていうのは嘘で数学は先生のとてもとてもありがたいお話を拝聴させていただいております。数学の片霧先生マジリスペクト。


 キーンコーンカーンコーン、という俺の短い人生の中で何度聞いたか分からない音が鳴り響いた。そう言えばチャイムってどうしてキーンコーンカーンコーンなんだろうね。『ねぇ知ってる?』でおなじみのあのキャラなら知ってるかな。それとも、永遠の5歳を名乗る少女なら知ってるんだろうか。


 嬉しいことに国語が本日最後の授業だったため、すぐに掃除の準備をした。ああ、掃除があった。さっさと帰りてぇよー。


 「鬼灯。ごめん、あたしちょっと用事があるから掃除ちょっと頼んでいい?」


 同じ教室掃除担当の女子が手を合わせて頼み込んできた。


 「ん?ああ、りょーかい」


 俺は即座に了承した。これでも俺は心が広いのだ。琵琶湖級だ。微妙だな…


 もちろん知っている。押し付けられたことなど。だが俺は『誰にでも優しくて、よく見るとイケメンな』鬼灯優でなければならない。だから俺は人からのお願いを断ることなどできはしない。表面上は単なるお願いであっても裏には様々な思惑があったりするから人間という生き物は油断ならない。ああ、なんか腹が立ってきた。


 「いでっ」


ああ、ほら言わんこっちゃない。机の脚に思いっきり足をぶつけたじゃないか!!


 「はは、鬼灯何してんだよ」


同じく教室掃除担当の男子が茶化してきた。へらへら笑ってやがる。


 「てへっ☆ぶつけっちゃった」


 右の拳を額に当て、舌をぺろっと出してふざけてやるとその男子はまたへらへらと笑った。


 馬鹿馬鹿しい。


 こんなクソみたいなやり取りに何の意味などない。だがそれが若者。俺も含まれてんだよな…


 俺が皮を被ることなく、演じることなく素を見せることのできる相手などこの世に存在しない。


 今は、もう。


 *****


 帰りのHRが終わって、超速で帰るため鞄を持って教室を出ようとしたところで声をかけられた。


 「鬼灯。ちょっと…いい?」

 「ん、いいよ。何?」


 えーっと、誰だっけこいつ。まだ2年になってから日が浅いから名前覚えてない人も多くいるんですよね。ああ、でも可愛い奴がいるってそこらへんの連中が騒いでいた気がする。


 思い出した思い出した。花陽かようだ。名前はシオンだっけ。漢字でなんて書くかは知らない。


 「ごめん。すぐ、行くから2階の空き教室で待っててくれないかな?」

 「ああ、おっけー。いつまでも待ってられるのでのんびり来ていいよ」


 ざけんなよ、さっさと帰りたかったのに。


 当然、そんな言葉は口に出せはしなかった。


 俺の言葉に花陽は「あはは。ありがと」と返し、俺は今度こそ教室を出た。廊下は多くの生徒が行き交っていた。部室に向かう者、友達の元に向かう者、さっさと帰る者、様々だろう。


 最悪だ、くそっ。あったかハイムが待っているのに帰れないじゃないか。


 俺は同じ棟の2階、1年の教室が並ぶフロアにある、空き教室に向かった。足取りがくっそ重かった。『あれ、修行用の重りつけてたっけ?』って感じだった。やった強くなれる。


 ふと窓の外を見ると、どんよりと曇っていた。今にも雨が降り出しそうだった。


 「はぁ」


 思わずため息が漏れた。すごく嫌な予感がする。


 花陽が俺に用事?俺、あいつのことほとんど知らねぇし、関わりが深い訳でもない。事務連絡か…?


 後輩たちの波を通り抜け、空き教室へと辿り着いた。そう言えばなんでこんなとこを指定してきたんだか。分からない。あいつは何を…

 

 ああ、やめだ。考えたってどうにもならないことを考えすぎてしまうのが俺の悪い癖だ。いいや、悪い癖じゃない。慎重である証拠だ。物は言いようなのである。ポジティブシンキングは大事。


 窓際後方の席に座った。ここは俺の特等席なのである。


 窓から入ってきた風が俺の髪を揺らした。生徒たちの話し声が遠くから聞こえる。実際、遠いんだけれど。


 「まだかよ…」


 思わず口に出た。黒板の上方、壁に掛けられた時計を見ると、あれから10分しか経っていなかった。ただ長く感じていただけらしい。でもあるよね、少しの時間が長く感じること。そしてその逆も。


 「…お待たせ」


 控えめな声が耳に届いて、俺は窓の外から教室の入り口付近へと視線を巡らせた。当然、花陽がいた。


 「大丈夫。待ってないよ」


 笑って返事をした。付き合いたてのカップルじゃねぇんだが、こう言うほかない。


 ゆっくりと、けれど確実に彼女は俺の席に近づき、右にひとつ空けた席に腰を下ろした。


 どこか落ち着きがないように見えたので、俺は黙って様子を窺っていた。


 花陽は何度か深呼吸をし、それから俺にこう告げた。


 「鬼灯のことがずっと前から好きでした。私と付き合ってください」


 声音に含みがあるようには感じなかった。瞳もしっかりと俺を捉えていた。

 

 けれど。


 どこか、あやしい雰囲気を漂わせていた。


 


 


 


 


 

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