第39話 ぐっどらっく・はぶふぁん!
「結局私のおかげで勝てたわね」
「……一理あるな」
「じゃ、じゃあ、私、お願いが――」
しかし、浮ついた空気は玄関の扉を潜ると一気にかき消された。
凱旋したというのに、誰も蒔奈を出迎えないどころかメイド達は皆一様に忙しそうに廊下を走り回っている。俺が少しでも走れば怪訝そうに眉を顰めるのに。
玄関でどうしたのか様子をうかがっていると、芽吹が額に汗を浮かべながら走って来た。
「おお芽吹」
「帰って来たんだな。宴は後だ、早く来い。蒔奈も」
珍しい。こいつが蒔奈を呼び捨てにするとは。いつもはちゃん付けで呼んでるのに。
蒔奈はビクッとして背筋を正している。
その視線は、玄関にある一足の靴に固定されていた。
「どうした、蒔奈?」
「お母さまが、帰って来てる……」
メイドに案内され、俺達はある一室に通された。入ったことがない部屋だ。
何となく襟を正しながらドアを開ける。
校長室のようだ、というのが最初の印象だ。左右の壁に沿って本棚が並べられており、分厚い本がびっしりと詰まっている。奥の壁は一面大きな窓になっており、その前には黒い高級感のあるデスク。ついでのように、部屋の隅には観葉植物が置かれている。
社長室を想像しろと言われればこんな感じの部屋を想像する。
そして、机の前にはスーツを着た女性が腕を組んで座っていた。
蒔奈は背筋を伸ばし、美しい気を付けの姿勢で直立している。それがまた俺にプレッシャーを与えていた。
「君が、潜木君ですか」
びっくりするくらい想像通りの声だった。琴を弾いたような、壮麗な声だ。
「は、はい」
「この子たちの母の、葉咲と申します。まずは謝罪させてください。どうやら随分と強引に仕事を依頼してしまったようですね。後で手厚く報酬を用意しましょう」
「い、いえ。最初は流されてやってましたけど、俺が選んだことですから」
「ふむ、では報酬はいらないと」
「え、いや……はい……」
「冗談です。きちんと労働には対価を支払います」
何の仕事をしているか知らんが、間違いなくやり手だ。流れるようにただ働きを取り付けられてしまった。
「それから蒔奈。大会で優勝したらしいですね、おめでとう」
褒められた蒔奈の顔が、ぱあっと明るくなる。
「ありがとうございます、お母さま。それでは約束通り――」
「これで満足したでしょう」
一瞬にして、蒔奈の表情が凍り付く。
「蒔奈、ゲームはもう卒業なさい」
短い言葉。親なら、子供なら、何千回と口に、耳にする言葉だろう。
でも、この人が言う「やめろ」は意味が違う。一旦じゃなく、永遠にだ。
蒔奈は拳を握りしめたまま震えていた。言い返したいけど、言い返せないといった風だ。これも鹿子前家の掟とやらの一つなのだろうか。
「お母様、待ってください」
扉を開けて間に入ってきたのは、芽吹だった。
「約束だったはずです。目に見える実績を残せるのなら蒔奈の自由にさせると」
「正確には違います。目に見える経歴を残せるのなら、です。お父様ともそういう約束だったでしょう。果たしてゲーム大会での優勝が経歴と呼べるのでしょうか。履歴書に記して、どの企業への就職になるというのです」
確かに、もっともかもしれない。けれど、そうじゃない。
――でも、いいのか? 他人でしかない俺が、他所の家の教育に口を出しても。
「しかし何度も説明したように、ゲームの競技性はスポーツの域にまで達しています。ただの遊戯としてではなくスポーツ、Eスポーツとして互いを高め合って――」
「黙りなさい、芽吹」
有無を言わさぬような迫力のある声。芽吹の脅しとは訳が違う。
芽吹も逆らえない様で、口を閉じ唇を噛み締めた。
「だいたい、Eスポーツなんて名前がおかしいのです。どれだけ名前を変えようとたかがゲームではないですか」
「俺は」
重い唇をなんとか開き、喉を震わせ声を絞り出す。
「俺はGoMが、Eスポーツがスポーツかどうかなんてどうでもいいと思っています。たかがゲーム。でもそのたかがに命を懸ける者たちが……そして命を懸けた勝負に魅せられた大勢の人がいる。それは確かな事実です」
「だから何だと言うのです。失礼ですが、部外者が私達家族の問題に口を出さないでいただきたい」
「部外者なんかじゃない!」
そう叫んだのは、蒔奈だった。
両手の拳を握りしめ、顔を上げる。
「駆音は私の師匠よ! 大切な、尊敬できる、私の新しい家族よ!」
「蒔奈……」
「反抗期には少し早いですね。蒔奈、これ以上の問答は無用です。部屋に戻りなさい」
「嫌だ!」
蒔奈の頬を雫が伝う。きつく、目の前の母を睨んでいた。
「やりたい、止めたくない……! やっと見つけた、私でも輝ける場所。私が本気になれる、私の好きなものだから‼」
一瞬だけ、葉咲さんの目が見開かれた。そっと瞬くように目を閉じ、開いたときには会ったときとは違う、優しい母の顔になっていた。
「あなたのせい……というのは身勝手ですね」
溜息をつき、俺に視線を移す。
「改めて感謝します、潜木さん。あなたのおかげで、蒔奈は大きくなった」
「俺の……?」
「蒔奈の悩みには薄々感づいていました。そんな蒔奈が、ようやく自分の居場所を見つけた。親として、子供にやりたいことをやらせてあげるのは当然です。でも――」
「それが、ゲームだった」
ゆっくりと、葉咲さんが頷く。
「私は、判断しかねました。何しろ全く触れたことのない物でしたから。ですから、確かめようと思ったのです。この子がどれほど真剣なのかを」
葉咲さんが芽吹と視線を合わせる。芽吹が無言で頷いて、勢いよく俺に向かって頭を下げる。
「すまない、潜木。お前を巻き込んだのは私の判断だ。校内でGoMのポータルサイトを開いているところを覗いてしまってな。驚いたよ、運命だと思った。身近に、信頼できて腕の立つやつがいたんだからな」
「な……」
なんだって‼
いや、こいつが俺を調べたんだろうということには気付いていた。順当に考えればそれしかありえないし。頭を下げたのにも驚きはしたが、まあ想像の範囲内だ。見られるかも、程度には考えていた。
驚いたのは、俺を採用した理由だ。こいつ今、「信頼できる」と言ったのか⁉ あれだけ空気と化していた俺を、こいつは見ていたということになる。
なら。
「いや、気にすることはない。頭を上げてくれ」
それだけで、俺には充分すぎる礼だった。
「むしろ、礼を言いたいのはこっちだ」
葉咲さんと向きなおる。その前でぽろぽろと涙を流しながら佇む蒔奈とも。
「芽吹が俺を巻き込んでくれたおかげで、俺はこいつと出会えた。忘れかけてたことも、思い出した」
俺が元々GoMを始めた理由。
それは些細なきっかけで、GoMじゃなくても、何だって良かったのかもしれない。
ただ、俺の居場所が欲しかった。誰かに認めてもらえる場所が。空気じゃない、誰かと話し、触れることができる場所が。
忘れていた、「負けたくない」に押しつぶされた、俺の原点を。
「本当に、あなたで良かった」
葉咲さんが、どこか楽しそうに優しく微笑む。
「そういえば、お父様には……?」
「私から一言いっておきます」
え、怖い。一瞬にしてこの家族の上下関係が理解できてしまった。理解したくなかった……。
「では、部屋の片づけ等は私の方で手配します。報酬はその後、相談に応じて――」
そうだ。全て片付いたということは、この不思議な生活も終わりを告げるということ。完全に忘れていた。
いや、なにも終わるわけじゃない。ただ自分の家に帰るだけ。だというのに、こんなに寂しいと思ってしまうのはどうしてだろう。
ん? 待てよ。だったら――。
「報酬なら、俺から提案させて頂きたいのですが」
「ええ、出来る限りご要望にはお応えします」
「……俺をもう少し、この家に住まわせていただけませんか?」
夏休みはまだ続く。だったらその期間だけでも、蒔奈の兄として生きたい。こいつの面倒を見ていたい。
泣きそうな蒔奈を見ていると、どうしてだかそう思ってしまった。
「駆音……!」
「ええ、構いませんよ」
葉咲さんはノータイムで返事してくれる。
ノータイムで。考える素振りさえ見せず。
「え……?」
「ふふ。あなたのご両親の許可はとってあります。たった一週間でしたからね、まだまだ不安はありますし、何かあったら責任はとってくださいね♡」
――この人はいったいどこまで……。
「駆音!」
「ごふっ」
蒔奈が抱き着いてくる。というか飛びついてくる。だからお前の身長だと丁度みぞおちに頭が……。あと俺の服で涙を拭くな。
蒔奈が顔を上げ、俺と目が合う。
「そんなに私と一緒に居たかったの?」
こそっと、俺にだけ聞こえる声で、蒔奈はそう言った。
その笑顔に、否応なしにドキっとさせられる。
でも、最後の最後までこの親子に掌で踊らされるのは癪だ。だから――
「ああ、そうだよ」
素直にそう返すと、今度は蒔奈が耳まで真っ赤になる。顔を見られたくないのか、俺の服に顔を埋める。
「……
「え?」
「何でもない。とにかく――」
パッと俺から離れ、蒔奈がいつもの悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「決まった以上は早速特訓よ、駆音!」
俺の手を引きながら、蒔奈は心底楽しそうに笑った。
(続く……?)
ぐっどらっく・はぶふぁん! 気向 侭 @kinomukumama
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