File4 後日談
神聖マルガリア王国の地方都市、ヴァルベロンにある裏通りレクイエム横丁。
その一角に建つビルディングの二階に、その「事務所」はある。
目立った看板はなく、入り口の郵便受けに書かれた「スカイヴェール悪魔祓い専門事務所」の文字しか目印が無い。まあ、潜りの悪魔祓い事務所である以上、大っぴらに看板を出すわけにもいかないため、これで妥当と言えば妥当なのだが。
下の店で話を聞いたところ、ここで間違いないという。青年は扉の前に立ち、何も言わずにしばらく見つめていたが。やがて意を決したように、扉をノックする。
「どうぞ、お入りください」
中から、凛とした女性の声が聞こえた。少々驚いたものの、青年が言われた通り中に入ると、そこには声の主が待っていた。
蒼く長い髪を一つにまとめ、きっちりとした黒いスーツに身を包んだ、オリーブ色の瞳の美しい女性。いや少々幼さの残るその顔立ちは、少女と呼んでも差し支えないだろう。
「いらっしゃいませ、ようこそ、スカイヴェール悪魔祓い専門事務所へ」
「あ、あの、あなたは」
「申し遅れました。私はこの事務所の所長である、リイン・インソードと申します」
女性、リインは丁寧にお辞儀をしたものの、青年はまだ困惑が抜けきらず、眉をひそめて彼女を見つめる。
「あの、失礼かもしれませんが」
「はい、なんでしょうか」
「この事務所の所長さん、悪魔祓いさんは、男性の方だと聞いてきたのですが……」
青年の言葉に、リインは少し黙ってから。やがて微かな笑みを浮かべて言った。
「前の所長、私の師匠のシェーマス・スカイヴェールは、半年前に亡くなりました」
「え―――」
「それで、私がこの事務所を引き継いだんです。まだまだ新米ではあるものの、悪魔祓いとしての腕は確かですので、どうかご安心を」
「は、はあ……」
「立ちっぱなしもなんですし、ソファーの方へどうぞ。今、お飲み物をお持ちしますね」
勧められるままに青年がソファーに座ると、リインはてきぱきと珈琲を用意して、カップをテーブルに置く。
「さて……依頼内容について、お聞かせ願いませんでしょうか」
それから。青年が友人に憑依した悪魔について話し。リインが彼の元に向かって、憑依していた悪魔の煙を祓うのに、半日もかかることはなかった。
最初の不安は百八十度逆転し、青年はリインにたっぷりと報酬を祓うと、友人と共に遠方の地へ旅行に出かけて行った。
業務日誌を書き終えた後、私は事務机の上に置いた缶から、キャンディーを一つ取り出して口に含んだ。蜂蜜の甘さが、口の中に広がるのを感じながら、私はキャンディーを舌で転がしつつ窓の外に視線を向ける。
シェーマスは仕事が終わった後、必ず煙草を吸っていたらしいが。私はどうも煙草の味が苦手なため、こうしてキャンディーを舐めることにしている。お子様だと、笑われてしまいそうな気もするが。
シェーマスが死んでから、半年が過ぎた。時がたつのは早いものだが、まだあの日のことは忘れられそうにない。
あの後私は聖貴教会と取引をし、見聞きしたことの全てを話さないという魔術式契約書に著名した後、教会から追放されることとなった。
といっても半ば同意の上での追放であったため、今でもエマニュエルを始めとした聖貴教会の悪魔祓いとは、それなりに交流があるのだが。
追放されたのち、私はシェーマスの亡骸をヴァルベロン郊外の墓地に埋葬した後、彼の事務所を引き継ぐことを決めた。ここの大家のスアンさんや、バー「サンダー・クラウド」のイエナさんなど、シェーマスと関わりの深かった人々は快く私を受け入れてくれて。
初めての事務所経営で、大変なことはあるものの。みんなの支えもあり、とりあえずは何とかやって行けている。
エマニュエルは、私に戻って来て欲しいようだが。私は戻るつもりはない。そもそも私のいなくなった穴は、一級悪魔祓いとなった彼自身が十分に埋めてくれているのだ。だったらもはや、戻る必要もないだろう。
私はここで生きていく。シェーマスの遺したものを継いで、このレクイエム横丁で生きていく。
なってみて初めて分かったが、潜りでも十分に食べていけるぐらいは、仕事の依頼が舞い込んでくるもので。人の心に巣食う悪魔がいる限り、食いっぱぐれることはないだろう。
口の中のキャンディーを舐めきって、冷めた珈琲を一口飲んだとき。事務所の扉が、ノックされる小気味の良い音が響いた。
私はカップを置いて立ち上がると、出入り口の扉に向かい、ノブに手をかけてゆっくりと開いた。
「ようこそ、スカイヴェール悪魔祓い専門事務所へ」
「悪魔祓いシェーマスの業務日誌」END
悪魔祓いシェーマスの業務日誌【連載版】 錠月栞 @MOONLOCK
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