File3 儀式

 三日前の人気のなさが嘘のように、その日処刑台のある広場には、大勢の人間が集まっていた。

 遠くでは花火の上がる音が聞こえて。屋台の売り子が声を張り上げて、酒やサンドイッチを売っている。

 だがそんな喧騒とは裏腹に、中心に位置する処刑台の周囲には、ある種の静寂が漂っていた。

 規制線が張られているというのもあるが。汚れを清め、祈りが捧げられ。処刑人が淡々と準備を行う光景は、どこか神聖であり儀式めいていた。

 ギロチンのセットが終わると、髪をきっちりと撫でつけ、正装に身を包んだ司祭が、民衆の前に進み出る。

 どこかエマニュエルと似た面影のある司祭は、咳ばらいを一つすると、懐から羊皮紙を取り出して広げた。

「えー静粛に」

 低い声で言って、司祭ははきはきとした言葉で、今回の処刑の説明と、鎮魂を願う祈りの言葉を述べていく。

「罪状は、その正義の代償として、余りにも多くの命を奪い過ぎたこと。敵兵とはいえ、命を奪ったその罪を、彼女は自ら償うと申し出ました」

 まるで誇り高き出来事を自慢するかのように、司祭は原稿を読み上げていく。これは説教でも演説でもなく、処刑の説明だというのに。

「主よ。どうか聖女の穢れを雪ぎ、その魂を天に還してくださいませ。罪を浄化し、救済を!」

 司祭の宣言と共に、少し離れた場所にある、聖貴教会の入り口がゆっくりと開かれる。

 数人の兵士に囲まれて、教会の中から「彼女」が姿を現すと、群衆たちは割れる海の水面のように、左右に避けて道を作った。

 真っ直ぐと伸びた、長い蒼色の髪に。髪と同じ蒼をした瞳に、透き通るような白い肌。

 髪の毛は丁寧に梳かされて結われ、衣服は清潔感のある白い木綿のローブを見に纏っていた。唇には油が塗られてうっすらと輝き、足には布製の靴を履いている。

 手首にはめられた、金属製の無骨な手錠さえなければ。今の彼女を見たものは、天使かなにかだと思ってしまうだろう。

 司祭の演説の後、ざわめいていた群衆は。「蒼の聖女」が姿を現した瞬間、しんと静まり返って。兵士たちの足音と、手錠の金属音だけが、静寂の中に響いてゆく。

 誰しもが息をのんで見守る中。蒼の聖女は長い髪を揺らしながら、開かれた道を一歩一歩歩いてゆく。

 その顔には微かな笑みすら浮かんでいて。まるで今日の日の為に、今までの人生を送って来たと言っているかのようだった。

 兵士たちに付き添われた蒼の聖女は、処刑台の前に辿り着くと、一歩一歩階段を上がってゆく。

 まるでヴァージン・ロードを歩く花嫁のようだ。群衆の中の誰かが、ぽつりとそう呟くのが聞こえた。

 処刑台の前に立った蒼の聖女の周囲から、兵士たちの集団が離れると。彼女の傍には、予めそこに待機していた、処刑人一人しかいなくなる。

 司祭が再び高らかな声で、祈りの言葉を囁く中。黒い服に身を包み、白に近い銀の髪を撫でつけた処刑人の男は、蒼の聖女と二言三言言葉を交わすと、彼女の体を支え、ギロチンにしっかりと首を固定する。

 あとは紐を引いて、吊り下げた刃を下ろすだけ。それで全てが、全てが終わる。

 隣国との戦争も、蒼の聖女の活躍も―――依り代となった、一人の少女の人生も。

「……ふざけるな」

 小さな声で、俺は吐き捨てるように言った。

 処刑人が、紐に手をかけた瞬間。俺は懐からナイフを抜いて、短い文言を唱える。

 直後、地面に魔法陣が現れた。ギロチンに直接術式を仕込むことは出来なくても、その下の地面になら可能だ。

 処刑までの三日間に、警備の目をかいくぐって仕込むのは大変だったが、今こそその成果が発揮されるべき時である。

「な―――」

 待機していた教会の神官たちが、司祭の合図で動き出すが。生憎、その程度のことは想定済みだ。

 群衆の間から一筋の閃光が迸り、神官たちの体を貫く。司祭は即座に己の杖を取り出すが、弾けるような光によって吹き飛ばされ、歯を食いしばって後ずさりする。

「……父さんの行動の全てが、この国を想ってやった事だというのは分かっています」

「エマニュエル―――」

「でも。それでも。正義の名のもとに、僕の愛する人を犠牲にしようというのなら、僕はあなたを許さない!」

 一呼吸を置いて、伝搬した混乱と衝撃のままに、逃げ惑う群衆の間を突き抜けて。己の杖を手に持ったエマニュエルが、司祭に向かって突っ込んでいく。

「周囲の雑魚は、任せてください。スカイヴェールさんはその間に、リインを!」

「ああ、任せろ」

 悪魔祓いとしては二級でも、神聖魔術の才は十分にある。体勢を立て直す神官や魔術師、兵士たちの集団を、神聖魔術で片っ端から蹴散らすエマニュエルに頷き。俺は逃げ惑う群衆の間を突き抜けて、真っ直ぐ処刑台に向かう。

 処刑台の周囲には、俺の展開した魔法陣によって、光の結界が張られていた。もちろん普通の結界ではなく、術式に工夫を施し、文言を組み込んだ特別製だ。

 俺が結界の中に入ると、処刑台の傍に立っていた、処刑人の男と目が合った。

 無言で処刑人の男に、ナイフの刃を向けると。処刑人の男は目を閉じて息を吐き、俺に背を向けた。

 処刑人も悪魔祓いと同じく、特定の魔術の修得が義務付けられているはずだが。その男は攻撃してくることもなく、そのまま処刑台を降りて、結界の外へと歩いていく。

 彼の意図は分からないものの、彼には彼の、矜持があるのだろう。あっさりと身を引いた処刑人の男に、俺は心の中で感謝しながら、ギロチンへと改めて視線を向ける。

 その瞬間、ギロチンが弾け飛んだ。

 セットされた刃は粉々に砕け散り、木製の外枠はみしみしと音を立てて弾け飛ぶ。

 すぐに防壁を張ったものの、刃のかけらが俺の頬をかすめ、切り裂いてゆく。鋭い痛みと共に血が流れるのが分かったが、今はそんなことはどうでもよかった。

 自らを処刑するはずだった、ギロチンを消し飛ばし。蒼い光を放って、手に掛けられた手錠を粉々に砕いた、「彼女」は。

 リインと同じ顔をしながら、はっきりと違う存在であると思い知らされる、蒼い瞳で俺を見つめ。顔に微かな笑みを浮かべて、凛とした声で言った。

「それで」

 リインの姿をした悪魔、蒼の聖女アルバストゥルは。どこまでも楽しくて仕方がないというように、自由になった手を組んで、微かに首を傾けて見せる。

「あなたはわたしを、祓うつもりなんですね……悪魔祓いさん」

「ああ。名乗っておこう、シェーマス、シェーマス・スカイヴェ―ルだ」

「シェーマス。良い名前ですわね」

 うっとりと目を細めてから、アルバストゥルは空を見上げる。空は気持ちのいいぐらいの晴天で、雲一つない青空が広がっていた。

「あなたに一つ、教えておきますわ……これは『契約』ですの。己の力を以って、この国を守護する代わりに、還すときは依り代の魂ごと。遥か昔に結ばれ、今までずっと守られてきた契約」

「……」

「ですから……あなたが悪魔祓いとして、わたしを祓うということは。契約に背いたことにより、この国はもう二度と、蒼の聖女の守護を受けることが出来なくなるということですわ」

「なるほど」

「それでも、あなたはわたくしを悪魔として、祓うつもりなのかしら」

 アルバストゥルの言葉に、俺は即座に頷いてナイフの刃を向ける。

 そんなくだらない契約のせいで、リインが犠牲になるというのなら。この国が滅ぼされようと、どうだっていい。

「ああ。悪魔祓いとして、俺はお前を祓う」

「そう……残念ですわね」

 心からがっかりしたように、目を閉じてため息を履くと。アルバストゥルの背中から、二枚の大きな翼が広がる。

 この世のものではない物質で構成された蒼い翼を、アルバストゥルは軽く動かすと。目を開き、恍惚とした表情を浮かべて、俺に向かって片手を伸ばした。

「でしたら……わたしも悪魔らしく、抵抗させてもらうことにしますわ。シェーマス・スカイヴェールさん」

 うっとりと言った直後、蒼い翼から無数の矢が生成され、一斉に発射される。

「ツッ!」

 雨と言うにはあまりにも苛烈な無数の矢の襲撃。防護壁を張っても、幾つかは腕や肩に突き刺さり。そこから芯の凍るような冷たさが広がって行く。

 防戦に回るだけ無駄だ。すぐに防護壁を解除し、刺さった矢を抜いて文言を唱えて浸食を防ぐ。流れ弾を被弾したことによる、背後からの悲鳴も。今はもはや、俺の耳には届かない。

 息継ぎは、忘れろ。足元に蒼い光が見えた直後、弾ける魔法の爆発を交わしながら。俺はナイフの刃をきっちりとアルバストゥルに向けて、詠唱を始める。

 文言と神聖魔術の複合術式。組み合わせは全部頭の中で済ませ、そのまま口に出していく。

 ナイフの刃から、光の筋が伸び。アルバストゥルの翼に突き刺さるが、開いた穴はすぐ再生して埋まる。この程度じゃ、意味がない。

 なんて思っていたら、刃物と同じように鋭くとがった翼が、俺の胴体を真っ二つにせんとばかりに、直接襲い掛かって来た。

「クッ」

 さすがに防護壁を張って、ギャリギャリと受け流すように対処するものの。刃の切っ先が服と脇腹の皮膚を裂き、痛みと共に血が流れるのが分かった。

 危ない。防護壁を張るのが少し遅ければ、内臓まで届いていた。流れ出す血を無視して、詠唱により文言を組み込んだ無数の光球を出現させ、アルバストゥルに向かって放つ。

 しかし今度は翼を盾のように体に巻き付け、放った光球はあっさりと、蒼い翼に防がれ吸収される。

 直後お返しとばかりに、蒼く輝く無数の光球が翼から生み出され、一斉に襲い掛かってくる。

 すぐに追加の光球を出現させ、ある程度は相殺するものの。かすっただけで、そこから凍るような冷たさを含んだ、浸食が始まっていく。

 文言で対処できるとはいえ、対処すればするだけ後手に回ることになり。かといって対処しなければ、あっという間に蝕まれ動けなくなるだろう。

 これ以上、悠長なことはしていられない。短い文言で浸食を食い止めると、俺は両側から襲い来る翼を背後に飛びのくことで回避し。ナイフの刃を、真っ直ぐアルバストゥルに向ける。

 アルバストゥルに憑依されているのがいささか癪だが、元々この命はリインの為にある。

 だから。ナイフの刃から二本の光の杭を出現させ、俺はアルバストゥルの翼の付け根に向かって放つ。

「あら―――」

 俺の狙いにすぐに気づいたアルバストゥルは、即座に翼を体に巻き付け盾を作る。

 だが。光の杭がアルバストゥルの翼に触れた瞬間。翼を貫いて通り抜け、両翼の根元に突き刺さった。

 貫通力だけを、極限までに高めたうえで、文言を上乗せした杭だ。

 翼の穴はすぐに塞がるものの。繋がった根元を抉り、翼の接続を危うくするのが真の目的だ。

「これは」

 今だ。一瞬だけ息を吸い込むと、最高速で詠唱を済ませる。光り輝くくさびが周囲に出現すると同時に、ナイフから光の刃が伸びる。

 アルバストゥルもすぐに蒼く輝く光球を出現させるが、断ち切られる寸前の翼を繋ぎとめ再生させているせいで、光球の数は少なく、輝きも少々鈍い。

 このチャンスを逃したら、彼女はもう二度と隙を見せないだろう。

 勢いよく地面を蹴って。俺は真っ直ぐに伸びて襲い掛かってくる翼の間を通り抜けて、アルバストゥルの本体に向かってゆく。

 翼はやはり刃物のように鋭くなっているものの。根本に傷を負っているせいで、動きは鈍く十分間に合う。邪魔な光球は光の刃で斬り伏せて、ただひたすら彼女の元へ。

 リイン。名前を呼びたいが、それは全て終わった後でいい。アルバストゥルの、蒼い瞳が見開かれるのが分かった。

 唱えるべき文言は、初めから決まっている。遥か昔から、どうしようもない邪悪を打ち払うのに使われてきたもの。文言の中でも、もっとも強力とされるもの。

 ナイフを持っていない手をアルバストゥルの顔面に伸ばし、力を込めて口を塞ぎながら。俺は歌うように、祈るように。その文言を口にした。

 リイン。何を言ったって、俺がルインの、お前のたった一人の家族の命を、奪ってしまったことには変わりない。

 でも、それでも。リイン、俺はお前のことを、これでもずっと大切に思ってきたつもりなんだ。

 大切な、妹として、娘として、弟子として。家族として、ずっと。

 口に出す資格はないけれど、お前にはずっと幸せな人生を送って欲しかった。悪魔祓いになんてならずに、どこかの魔導学校に入って、子供のころからなりたいと言っていた、魔術師になって。普通の少女と同じように着飾って、普通の少女と同じように恋をして、普通の少女と同じように幸せになって欲しかった。

 俺の自分勝手で傲慢な願いだと、分かっているものの。でも、それでも。

 かつてリインの、家族だった男として。


「……お前のことを、愛してる。リイン、リイン・インソード」


 文言の最後の言葉を口にした瞬間。俺の口から大量の血が溢れ出した。

 アルバストゥルの手には、蒼い槍が握られていて。その切っ先が真っ直ぐ、俺の旨を貫いている。

 麻痺した思考のせいか、不思議と痛みは感じなかった。それとも、もはや手遅れだからだろうか。

 不意に目の前のアルバストゥルが、蒼い目を見開いたのが分かった。直後彼女は槍を手放すと、頬に手を当てかきむしり、この世のものとは思えない絶叫を上げる。

「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ―――わたしが、こんな、こんな」

 繰り返しながら頬をかきむしる彼女の体から。蒼い靄が立ち上ったかと思うと、靄は蒸発するように消えていく。

「嫌だ―――わたしは、この国の」

 青空に輝く、太陽の光のせいか。最後にきらりと碧色に輝くと。上級悪魔アルバストゥルは、跡形もなく立ち消えた。

 直後、彼女は頬から手を離し。がっくりと膝をついて、座り込んだ。

「―――う」

 微かに体を震わせ、彼女はゆっくりと目を開く。その瞳は、綺麗なオリーブ色をしていた。

「ここは、私は、一体」

 意識を取り戻したリイン、リイン・インソードは。戸惑った様子で周囲を見回し、そして。

 胸の傷口から大量の血を流して、今にも息絶えようとする俺の姿に、ようやく気付いてくれたようだ。

「シェーマス!」

 叫ぶように名前を呼んで、リインは俺に駆け寄ると、胸の傷口に触れる。蒼い槍はアルバストゥルの消滅と共に消えているが、傷口から血と共に空気の漏れる音が聞こえていることからして、どうやら肺をやられたらしい。

「誰か、誰か回復魔術を――――」

「い、いい……もう、手遅れだ」

 実際に、体の感覚が徐々になくなっているのが分かっていた。死が近づくのを、はっきりと実感できる。

 後悔はない。やったのはアルバストゥルだとはいえ、俺は元々リインに殺される約束だったのだ。その約束が今、果たされただけなのだ。

 不意に、顔に何か水滴が滴る感触があり。うっすらと目を開けると、リインがオリーブ色の瞳から、大粒の涙を流しているのが分かった。

「死ぬな……死なないでくれ……お願いだ、お願いだ……」

「……ごめん」

「シェーマス、お前、お前まで、お前まで私を、遺していくのか……」

「……そうだな。きっと俺は地獄に落ちるだろうけど。それでもルインを、探しに行くよ」

 もし死後の世界なんていうものがあるのなら、俺はたとえどんな苦しみを味わおうと、必ずルインを探し出し、彼女に会って話をする。俺のやった事を包み隠さず伝え、謝って許しを請う。

 ……ルインならきっと、許してくれるだろうから。

「シェーマス、嫌だ、私を一人にしないでくれ、お前が死んだら、私は」

「大丈夫。一人じゃないさ」

 俺が死んでも、エマニュエルがいる。彼になら、リインを任せても問題ないだろう。

 もう目がかすんで、リインの顔がまともに見えなくなってきた。血で汚れた手を伸ばし、傷ついたリインの頬に触れる。

「俺のことは、忘れろ……」

「嫌だ!絶対に、絶対に忘れるもんか!シェーマス・スカイヴェール!潜りの悪魔祓いで、私の、私の……私の掛け替えのない、家族のことを。絶対に、忘れるもんか!」

 ぼろぼろと泣きじゃくりながら、叫ぶリインの言葉を聞いて。俺は少し申し訳なく思いながらも、静かに目を閉じた。

 ああそうだ。たった一つ、心残りがあるとすれば。

「……事務所、ちゃんと畳んでおけばよかったな」

 擦れた声で呟いた瞬間。意識がすっと、遠のいていくのが分かった。

 リイン。俺はずっと、お前のことを愛している。これからも、この先も、ずっと……。

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