エルフの相談

 この国に来て、約3ヶ月が過ぎた。

 カフェ利用者も相談希望者も、少しずつだが着実に増えてきている。10ルカの間に来る相談希望者は、目下のところ3〜4人といったところだ。中には一度のカウンセリングでは問題の解消しない来談者もおり、そういう人には次回カウンセリングの予約を入れてもらうことにしている。

 相談を終え、明るい表情で帰っていく人々の表情を見る度に、この国で仕事が回り始めた喜びを俺は深々と噛み締める。来談者のカルテを管理する棚にも、関係書類を纏めた束が増え始めた。

 しかし、時の経過につれ、不安も少しずつ頭をもたげる。俺の持っているゴールドカードの期限は1年だ。この国の1年間は10カ月であり、あと7カ月後に何も成果を上げられていなければ、1年間にカードで払った金額が全部俺の借金に変わる。

 ——フローラのいう「成果」とは、何を指しているのだろう。この国の救世主となり得るほどの大きな成果など、本当に手にできるのか?

 けれど、それを考えて焦ってもいいことは何もない。自分のカウンセリングスキルを使って仕事をすることが方向として間違えていないことは、フローラとの会話でもはっきりしている。今はただ、目の前のやれることをやるだけだ。


 この世界にも、元の世界同様に気温の高い期間や低い期間があるらしい。最近、外の気温がどんどん上がってきている。日差しが強くなり、午前中に二階のベランダで洗濯物を干しているだけで肌がチリチリしてくる。元の国の夏とそっくりだ。ただ、日本のように湿度が高くなく、空気がさらりとしていることは大きな救いだが。

「イブキ、今日から長期休暇だよ! 休みは2ヶ月!! 学校がないのってやっぱり最高だなー。相談所もいっぱい手伝える!」

 学校から駆け戻ったアイラが、嬉しそうにそう言いながらリュックを放り出し、花のような笑顔を見せる。うーん、キラキラ。眩しい。

 思えば、最初に出会った頃の暗く寂しげな表情は、今はもうどこにも見えなくなった。背もグンと伸びたし、手足も以前よりしっかり健やかに育ちつつある。

「うん、そうだな」

 温かな思いがじわりと胸に込み上げるのを感じながら、俺は彼の笑顔を見つめた。


 アイラの夏休みが始まって数日後のある朝。俺とアイラで相談所の掃除と開店前の準備をしていると、明け放っていた窓から一匹の蝶が店内に舞い込んできた。

「あ、蝶だ。……うわ、綺麗だな……」

 半透明の緑色をした美しい羽を輝かせて舞うその蝶に、俺は思わず歩み寄ろうとした。

「——待って。近づかないほうがいい」

「え?」

 アイラの鋭い声に、俺は思わず足を止める。

「これは、蝶じゃない。——エルフだ」

「え……?」

 驚く俺を後ろへ庇うようにしながら、アイラは蝶へ近づく。

 同時に、彼は何か俺にはわからない言葉で蝶へ向けて呟いた。

 すると、蝶の姿がふっと消え、同時に空中にぽわっと沸いた白い煙から生み出された人影が、店の床にふわりと舞い降りた。

「違います! 私、悪戯しに来たとかじゃないんです!」

「ふうん? エルフは悪戯好きも多いからな。じゃあ、ここには何の用で?」

 アイラが鋭い口調で問いただす。

「あ、あの、ここの相談所のこと、噂で聞いたから……どんな場所なんだろうと思って」

 慌てたようにそう説明する目の前の少女の美しさに、俺は思わず息を呑んだ。

 透き通るほど白い肌に、エメラルドグリーンの瞳。絹のような銀の長い髪。背中に薄緑色の透明な羽。年頃は17、8歳くらいだろうか?

 彼女は、深いグリーンの繊細なレースで仕立てられたワンピースの短い裾を掴みながらもじもじと俺たちを見て、恥ずかしげに呟いた。

「あの……私、シェリって言います。風の妖精です。……自分のやっているお仕事のことで、少し悩みがあって……」

 鈴を鳴らすような可愛らしい声が耳をくすぐる。だが容姿や声に気を取られていては業務が回らない。まだ営業時間前だが、大切な来談者だ。俺はすっと感情を通常モードに切り替えて微笑んだ。

「風の精のシェリさんですね。初めまして、森園伊吹です。イブキと呼んでください、どうぞよろしく。

 本日は、お仕事についてのご相談ですね?」

「え、イブキ、まだ開店前……」

「いや、いいって。せっかく来てくれたんだから、始めよう。では、こちらへおかけください」 

 指定された奥のカウンター席の椅子をおずおずと引きながら、シェリが小さく問いかける。

「あの……ここは仕事のことならなんでも相談できるって、本当ですか?」

「ええ。どんなことでも。ここでお聞きしたことは、決して他言は致しません」

「そこの魔法使いさんは?」

「これは私のアシスタントで、アイラといいます。私同様、秘密は厳守いたします。どうぞご安心ください。

 では最初に、この用紙にご記入を……」

「そうか。ならばよろしく頼む」

 俺が言い終わる前に、彼女は目の前の椅子にどかりと座ると、腕を組んだ。

 同時に、聞き違いかと思うような男子レベルの低音が彼女の愛らしい唇から響いた。

「——イブキ。君は、エルフの存在意義とはなんだと思う?」

「…………は?」

「だから。エルフの存在している意味はなんだと思うか聞いてるんだ」

「え、ええっと……

 他のものを癒すとか、そういう的な……?」

「やはりそうだろう。ふん、癒すなどという曖昧な行為の一体どこにやりがいを見出せと言うんだ?」

 先ほどとは打って変わった声音と立ち居振る舞い、口調。あまりの違いっぷりに俺たちは唖然とする。しかしそんな内心は決して外に漏らしてはいけない。あくまで平常モードを貫いて相談に応じるのがプロのカウンセラーだ。落ち着け。

 そんな俺たちの動揺モードなどお構いなしに、少女は険しい言葉を続ける。

「エルフに付き纏うそのふわっとした曖昧さが、私にはどうにも我慢できないのだ。風の精など、結局いてもいなくてもいい位置づけじゃないか」

「ええと、お話は後ほどじっくり伺います。まずはこの用紙に記入を……」

「聞いてくれ。私の今の勤務先は、病院だ。渋々働き出して2年になる。私に与えられた仕事は、人々の心や体にできた傷に魔力を込めた風を送り、心身を癒すことだ。——どう思う? あまりにも実体のない、ふんわりとした仕事ではないか? 働いたという手触りがなさすぎる!」

「……」

 机をバンと叩きそうなその勢いに、俺は言おうとした言葉を飲み込む。彼女の中に溜まった激しい感情の噴出を、今無理やり止めてしまうべきではない気がしてきた。

『イブキ、僕、今日のソーダ水仕込んでくる』

『頼む』

 目配せで会話をし、アイラはそっと調理スペースへ入っていった。

 俺は引き続き彼女の訴えを聞き取っていく。

「私は12歳でエルフ専門学校に入学し、15歳で卒業した。両親ともエルフで、専門学校への入学は当然のように決まっていた。だが、3年もの時を費やしてそこで学んだのは妖力の強化と、あとは人間を癒し、喜ばせるファッション、表情、声、仕草、喋り方……どれもこれもがあまりに味気なくて、私は呆然とした。我々は人間を喜ばせるだけの存在なのか?

 それに、生まれつきのこの見かけもだ。銀の絹のような髪、透けるような肌。緑の瞳に、花のような唇。無駄に大きな胸、細く非力な手足、極め付けはこの薄っぺらい羽だ。はっ、この無意味にチャラチャラとした馬鹿っぽい容姿は一体なんなんだ? 鏡を見れば見るほど失笑を禁じ得ない」

「……その美しい姿に癒されてる方もたくさんいるのでは……」

「だから、その『癒し』という言葉が気に入らないんだ! そんな不確実な現象に、どれほどの価値がある? そんなもので自分が何かを成し遂げたという達成感が得られるか!?」

「……そうですよね」

 カウンセリングは、とにかくまずは相手の心に寄り添って話を聞き、ありのままを受け入れ認めることが大事だ。頭ごなしの反論はタブーである。

「——つまり、今のあなたは、自分自身の仕事に達成感を感じられずに苦しんでいる……そういうことですね」

 彼女は、大きく頷いた。

「まさに、その通りだ。——自分の存在意義が分からなくて、辛いのだ」

「……」


 キャリアシートの記入も促せないまま、俺は彼女の言葉に耳を傾ける。この子は相当に自己主張の強いタイプで、押しも強い。確かに、エルフとは全く違う仕事に適性がありそうだ。例えば、何かのリーダーになり社会を牽引するとか、政治の舵取りを担うとか。

「そこで、一つ君に相談なのだが」

 カウンセリングの方向性を探ろうとしていた俺に、彼女が唐突に問いかけた。

「はい?」

「ここでは、新たな仕事を紹介してもらうことは、できないのか?」

「……ええと、そこまでは……今のところ、求人情報の方はあいにく取り扱っていませんので……というか、あなたはもう転職をされる意思が固まっているのですか?」

「もちろんだ。エルフの世界で一生を終えるのは、私には無理だ。もう職場への辞表も用意してある。雇い主がなんと言おうと、自分の生きている意味が見出せないのだから、仕方ないだろう?

 とはいえ、こんな話をどこにどう相談したらいいのか、分からなくてな」


「うーん……」


 何か、俺にできることは……

 しばらくじっと考えてから、俺はシェリにこう伝えた。

「——もしも、あなたのご希望に近いと思われる何らかの求人情報を得た場合には、ご連絡しましょうか。必ずご連絡できるかどうかはわかりませんが」

「本当か!? それはありがたい! ぜひとも頼む!」

「では、こちらの用紙に、あなたのご連絡先と、希望する仕事内容、あなたの特技・自己PRなどを記載していただけますか?」

 シェリは目を輝かせながらペンを走らせ始めた。


 記入の間に、俺はいつものようにカルナを淹れ、来談者の傍にカップを置く。

 芳ばしい香りに気付いた彼女はやっと少女らしい柔らかな表情を作り、嬉しそうにカップに唇をつけた。

「エルフの女たちの会話の意味不明ぶりには、本当に頭を抱えたくなるよ。毎日毎日飽きもせず、髪はどう結えば可愛いかとか、コスチュームのベルトがダサくてこんなのつけられないとか、ピンクのブーツが欲しいとか爪の絵柄を変えたいとか……彼女たちは本気で悩んでいるようだが、私にはさっぱり理解できなくてね」

「……なるほど」

 これほど美しくハイレベルな要素を持っていても、彼女のエルフ適性はほぼゼロのようだ。

 逆に、適性に合致する仕事に就けば、彼女はその積極的でパワフルな能力をガンガン発揮することだろう。


 ——なんだか、また違う仕事が一つ増えそうだ。

 再び勢いよく動き出した彼女のペン先を見つめながら、俺は漠然とそんなことを思った。


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