幸せは作るもの
俺たちの相談所に、新しいルールができた。
・仕事に関する相談は無料。
・来談者にはカルナor秘密のソーダ水の無料サービスがつく。
・カルナや秘密のソーダ水を飲むだけの来店もOK。ドリンクのみの来店の場合はドリンク代が発生する。
・定休日は3ルカと10ルカ。営業時間は11時〜20時。
と、こんな感じだ。カルナを来所者に出す気は全くなかったのだが、不意にやってきたフローラにあんな風に味を評価されたことで、自分の淹れるカルナに密かに自信が芽生えての方向転換だ。
この国は基本的に8日間労働2日間休日、1日の時の刻み方は元の世界と同じ24時間制だ。仕事上がりや仕事のない日に相談に来たい人も多いだろう。そんなことも考え、営業時間は少し遅めにずらして設定し、1サイクルのうち3ルカと10ルカを定休日にした。元の世界で言えば水曜と日曜が定休日といった感じだ。9ルカを営業日にすることで、より多くの人が利用しやすくなるはずだ。
9ルカの日の朝。学校が休みのアイラと俺は街の文房具店に行き、大きめのウェルカムボードを購入した。黒いボードにカラフルな画材を使って相談所の新ルールを読みやすく書き込む。アイラは絵が上手く、ボードの空白をイラストで飾りつけてくれた。可愛らしいコーヒーカップやソーダ水のグラスのイラストが、心を明るく浮き立たせる。
玄関のドアにフックを打ちつけ、早速出来上がったボードを吊るした。
うん、いい。すごくいい。
「上出来だな、すごく」
「うん。よくできたね」
胸に込み上げる予想以上の感動に、俺たちはドアにかかったボードをじっと見つめた。
ふと、愛らしい声が背後からかかった。
「アイラ、おはよう」
振り向くと、そこには銀の髪をポニーテールにしたなんとも可愛らしい少女が立っていた。
「あ、レナ。おはよう」
「そこのお店のパニ買いに来たんだ。……アイラのおうち、ここ?」
「そうだよ」
アイラは少女の質問に迷いなく答える。
「へえ……アイラのお父さん、かっこいい。お父さんっていうよりお兄さんみたいだね」
「あー、この人はお父さんじゃなくて、お父さんの友達。だからお父さんよりも若いよ、多分」
いや、お父さんとそれほど歳は違わないと思うぞ。だってもう32だもん。俺が童顔気味だというだけで。という心の声は出さずにおく。
「ふうん、そっか。ねえ、ここ、何かのお店なの?」
父親の話には特にそれ以上興味もないようで、少女は相談所の建物を改めて見上げる。
「うん。仕事について困ってることや悩み事があったら、ここで無料で相談できるよ。あと、カルナとソーダ水も飲める。仕事の相談がなくても、飲み物だけ飲みに来てもいいよ」
「え、そうなの? ええっと、『秘密のソーダ水』……?」
少女はボードの文字を読みながら興味津々だ。
「うん。ソーダ水は僕が作る。作り方は秘密だけどね」
それを聞くと、少女は頬をぱっと染めて目を輝かせた。
「え! アイラが作るの!? わあ、飲みたい!!」
「そう? なら、11時にお店開くから、よかったらおいでよ」
「うん、絶対くる! お母さんに連れてきてもらう!! じゃあ、あとでね!」
彼女はもう楽しみを待ちきれないように、パッと駆け出して行った。
そんな出来事にも特に表情を変えないアイラに、俺はニマニマと近寄った。
「今の子、レナちゃんって言うのか?」
「うん。魔法学校で同じクラスの子」
「可愛いな〜。もしかしてアイラのこと好きだったりするんじゃないのか?」
「そういうのいいから」
俺のニマニマした問いかけに、アイラはボードの傾きを微調整しながら思い切りめんどくさそうに答える。
うーん。アイラ、やるな。半端ないモテキャラだろこれ。そしてめっちゃさりげなく客引きに成功している……ってかこの美少年ぶりなら立ってるだけで人が寄ってくる感じというか……
おい、負けてられないぞ伊吹! このままではここはむしろアイラの店になっちまう!!
だが、今の話の流れだと、この後とうとう念願のお客さん第一号がやってくるかもしれない。
この子には、心から感謝しなければ。
「よーし、準備完了! 少し休憩して、いよいよオープンだ!」
目の前の少年に向けて内心こっそり歯軋りと感謝をしつつ、俺は生成りのシャツの袖を勢いよくまくった。
*
11時の開店後間もなく、ドアの外のベルが鳴った。
アイラが出迎えると、パタパタと可愛らしい少女が三人、ドアから駆け込んできた。さっきの少女と、どうやらその友達のようだ。
「ここ、アイラのお店? すごい、かわいい〜!」
「アイラのソーダ水、楽しみすぎるよね!」
「ここ、前はおじいさんとおばあさんがやってたお店だったよね? 前はパニとかフルーツのお菓子とかもメニューにあったけど、今はないの〜?」
「いいじゃん、アイラの秘密のソーダ水が飲めるんだから!」
「ほらほらレナ、あんまり騒いじゃダメよ。すみません、娘が友達も連れてきたいって言うので……こんなに大勢で来ても大丈夫ですか? こちら、お仕事の相談所って聞きましたけど……」
レナの母親らしき女性が、そう言って困ったように微笑む。
「もちろん大歓迎です。実はこれがお客さん第一号なんですよ」
「あら、そうなんですか?」
「ええ、どうぞお好きな席にかけてください」
「ねえママ、窓際がいいよ! 外の通りがよく見える〜」
それぞれ楽しげに席につくお客様たちを、俺はじっと見つめる。明るい笑顔というのは、無条件に人を幸せにするものだ。
「ほらイブキ、オーダー取りに行かないと」
俺と揃いの給仕服に身を包み、てきぱきとグラスをテーブルに取り出してくるアイラにそう言われ、はっとする。おいだからしっかりしろってば俺!
急いでカフェエプロンのポケットからメモ帳とペンを取り出し、テーブルへ注文をとりに行く。
「ご注文をお伺いします」
「「「もちろんアイラのソーダ水!」」」
三人の少女の可愛い声が見事にハモった。
「うふふ、みんなアイラくんファンなんだから。私には、カルナをお願いします」
「かしこまりました」
そう答える俺も、思わず笑顔になる。
「でも、お仕事の相談所なんて、思えば今までどこにもありませんでしたね。私の周りにも、たくさんいるんです。今の仕事が辛かったり、合わなかったりで辛さや悩みを抱えいる人たちが。けれど、職場でそんな不平を言ってもしも仕事を失ったら、生活が回らなくなってしまう。
日々積み重なっていく辛さを誰かに打ち明けて、何か少しでも助言をもらえたら、どんなに楽になるか……。
この相談所のこと、夫や友達にも話そうと思います。店主さんは優しそうな人で、なんでも話せそうな場所だって」
「————
嬉しいです。……ありがとうございます」
柔らかく微笑んでそう話す母親に、俺は思わず深く頭を下げていた。
「オーダー入ったぞ、アイラ! 秘密のソーダ水三つだ」
「了解。ソーダ水三つだね」
オーダーを確認したアイラは、棚から取り出したグラスを三つトレイに乗せると、真剣な面持ちでカウンターの奥にある調理スペースへと入っていく。そうだよな、作り方は俺以外誰にも秘密だもんな。
少しずつ動き始めた相談所の空気にふつふつと喜びを感じながら、俺は淹れたてのカルナをカップにたっぷりと注いだ。
その夜は、ガルダの宿のテーブルには、俺たちのために豪華な料理が並んだ。
この国に来て以来、俺たち二人の夕食はほぼ毎晩ガルダの宿の食堂でお世話になっているのだが、この国に来た初日と同じくらい贅沢な内容の料理に俺は度肝を抜かれた。
「夕方、アイラちゃんが駆け込んできて、教えてくれたんだよ! やっとイブキさんの相談所に第一号のお客様が来たんだってね。お祝いさせとくれ!」
ミラが嬉しそうな笑顔を輝かせて、そんなことを言ってくれる。
「あ。さっきちょっと出かけてくるって飛び出してったのは、それだったのか、アイラ?」
「うん。だってこんなに応援してくれてるガルダさんとミラさんに、一刻も早く知らせたいでしょ?」
アイラはちょっと照れたように微笑んだ。
「ほんとに、こんな嬉しいことはねえよな。俺たちが宿を始めた時のこともよく覚えてるよ。一人目のお客が来た時の喜びってえのはいつまでも心に残るもんだ。これからやっていけそうだ、神様ありがとうって、感謝したくなるよな」
ガルダの言葉に、俺は深く頷いた。
「ええ、本当にそうですね。と言っても、今日のお客様はアイラの魔法学校のクラスメイトの女の子たちとそのお母さんで、アイラがお客を呼び寄せてくれたようなものなんです。でも、そのお母さんが、相談所のことを旦那さんや友達にも紹介するって言ってくれて。人との繋がりってこんなにも有り難いものなんだと、なんだか初めて生で実感できた気がします」
「誰がお客を呼び寄せたかなんて、関係ないよ。縁や運ってのは、そんなふうに思わぬ場所から少しづつ開けていくもんなんだからね。誰の手柄でもなく、あんた達二人が一歩一歩ここまで頑張ってきた努力が実ったのさ」
ミラの温かな言葉が、じんわりと胸に染みる。
と、隣でグスッと小さく鼻を啜る音がした。
見ると、アイラがぐっと俯いて、ぐしぐしと目元を指で擦っている。
「アイラ? どうした?」
「……僕さ、生きてるってこんなに楽しくて嬉しいんだって、今日初めて知った……」
小さく震えるアイラの肩を、俺は思い切り強く抱き寄せた。
「……アイラ。
今日のこの幸せは、君と俺の手で作った幸せだ。幸せって、待ってないで、作るものなんだな、きっと。
ここからも、一緒に頑張ろう。もっともっとたくさん、楽しいことや嬉しいことがやってくるぞ。間違いなくな」
俺の言葉に、アイラは強く頷いた。
アイラ同様にぐしっと小さく鼻を擦って、ミラが威勢のいい声をあげた。
「よし、じゃあみんなジョッキ持ち上げて! イブキさんとアイラちゃんの相談所がますます繁盛しますように。乾杯!」
そうして俺たちは、改めて今日の喜びを深く胸に刻んだのだった。
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