準備

 ガルダに案内され、俺たちは彼の営む宿屋に到着した。

 宿の入り口のドアを入ると、ふわりと温かい料理の匂いに包まれた。

「ミラ、ミラ!! お客様をお連れしたぞ!」

 ガルダがカウンターの奥へ叫ぶ。

「お帰り、あんた。もー忙しいんだからさ、飲みになんか行ってないで厨房手伝っておくれよ! 何よ、お客様って?」

 奥から出てきたのは、ふくよかだがてきぱきとフットワークの良さそうな元気な女性だ。ガルダと同じくらいの年回りだろうか。

「こんばんは、ミラおばさん」

「あら、アイラちゃん、今日はお仕事どうだったの? こんな遅い時間に街にいて大丈夫?……って、この変わった格好の人は……」

「ミラ、驚くなよ。今夜のお客様はな、とんでもねえVIPなお方だぞ!! 今日この国に着いたばっかりで、アイラちゃんが街を案内してるんだとさ」

「VIPって、あんたいつも大げさなんだから。……って、よく見ると随分綺麗なお兄さんだねえ? アイラちゃん、この人とどういう関係だい?」

「え、えっと……」

 宿屋のおかみさんの怪訝そうな顔とアイラの困惑した様子に、俺は咄嗟に使い慣れたビジネススマイルを作った。

「あ、俺はアイラの亡くなったお父さんの友人の古い知り合いでして!」

 口からとんでもない出まかせが飛び出して我ながらビビる。そんな噓ついて大丈夫か? まっまあ今はとにかく仕方ないだろ! 

 思わず俺を見上げたアイラに、とりあえず目配せを送って安心させる。

「……そうなのかい? そんなこと言って、まさか人攫いとかじゃないだろうね? アイラちゃんを騙してどこかの金持ちに売り飛ばすとか……」

「おいミラ、口の利き方気を付けろって! このお方はな、持ってるんだよ、あのフローラ様の『愛のカード』をな!!」

「はあ? 何言ってんだい、そんなカード持ってる人がそう簡単にいるわけ……」

「一応、これですが」

 俺は懐から再び例のカードを取り出して彼女に見せる。

 その途端、彼女の目もびっくりするほど丸くなった。

「……ほ、本当かい……偽物じゃないのかい?」

「違うよ、本物だってば!」

 アイラが必死にそう訴える。

「フローラ様から直々に渡されましたので、間違いなく本物です。まあ俺の場合は何と言うか資金の前借り的な物ですから、これからの成果次第なんですけどね」

 俺もちょっと苦笑いしつつざっくりとそう答えた。

「へえ……前借り? そういうカードもあるのかい?」

 彼女は少し不思議そうに首を傾げたが、俺の話の奇妙なリアリティにどうやら本物だと信じてくれたようだ。

「とにかくさ、今夜はこのイブキ様とアイラちゃんのために、ちょっと豪勢な夕食が準備できないかと思ってな。これから何かできるか、ミラ?」

「そういうことなら、ちょっと待っとくれ。バルザーさんとこの特級肉がまだ残ってるかもしれない。アルス、悪いけど今すぐ行ってきてくれるかい? 今日はちょうど農園から新鮮な野菜がどっさり届いたからね。うちの料理人たちが腕を振るっておもてなしするよ。

 とにかく、ようこそいらっしゃいました!……ええと」

「森園 伊吹と申します。イブキと呼んでください」

「イブキ……さんだね。こんな宿屋ですがようこそお越しくださいました。アイラちゃんも、さあこちらへ。うちで一番の上等な部屋にご案内しますよ」

 そんな明るく賑やかな空気の中を、俺たちは宿一番の部屋へと案内されたのだった。





 ミラについて階段を上り、通路の一番奥まで廊下を歩く。マホガニー色のどっしりとしたドアを開けて通された部屋は、よく手入れのされたブラウンのフローリングに、清潔なベッドが二つと、木製の洒落た丸テーブルに二つの椅子が揃ったさっぱりと気持ちの良い部屋だった。窓の外に、街の灯が明るく輝いている。けれど夜も賑やかなのはどうやらこの街の周辺だけで、月明かりを頼りに視線を遠くへ向けると、街の外には大きな森や畑が広がっているようだった。

「このノブを回しながら外に押すと、窓が開くよ。3階だしそう高さはないけど、身を乗り出したりして落ちないように気を付けとくれ。酒に酔ってうっかり落っこちたとか、洒落にならないからねえ。

 他のお客もいるし、夜遅くの大声や大騒ぎは控えておくれ。それと、明日の朝は希望があれば食事を用意するよ。どうする?」

「はい、是非いただきます。二人分お願いします。……あ、それでいいよね、アイラ?」

「うん。ここのお料理は美味しいんだってよくうわさ聞いてたから、すごく楽しみ! おばさん、よろしくお願いします!」

 そう言って花のように微笑むアイラをじっと見つめたミラは、もうこれ以上は我慢しきれないようにアイラに歩み寄ると、その華奢な体をボリューム満点な胸にぎゅうっと抱きしめた。

「アイラちゃん、本当によく来たね……! 

 あたしね、ずっとあんたが心配だったんだよ。まだこんな小さい可愛い子が、お母さんが喜ぶからなんて健気なこと言って、どんな奴がうろついてるかわからない街にまで来て仕事探してさ。……事情は知らないが、理由はどうあれ子供にこんなことさせていいわけがないじゃないか!

 広場の椅子に座って俯いてるあんたの寂しそうな顔見る度に、悔しさや悲しさがこみ上げてね。今まで何一つしてやれなくて……本当に、悪かったね」

 ミラの胸で、アイラはちょっと苦しそうに、そして様々な思いの入り混じったような顔でしばらく黙り込み……それから、小さく呟いた。

「おばさん……僕のこと、ずっと気にかけててくれたの?

 僕、今日一日で、びっくりするくらい優しい人たちにたくさん会えて……今、実は夢の中にいるんじゃないかって、ちょっと心配になってきた」

 ミラは、アイラの小さな頭を愛おしげにグリグリと撫でた。

「はは、夢なんかじゃないさ。

 ——もしかしたら、『愛のカード』を持ってるこのお人が、あんたにも幸せを運んでくれたんじゃないのかい?」

 アイラを胸から離し、ミラは俺を見つめて真剣な顔で言った。

「イブキさん。どうぞこの子をよろしくお願いします。

 どうか、この子をしっかりと守ってやってくださいな。この子は、これまであんまりにも残酷な場所に閉じ込められてたんだからね。

 さっきの話だと、これから何か新しい仕事に取りかかる予定なんだろ? 協力できることはなんでもさせておくれ。困ったりしたときは、いつでも相談に乗るからさ」

「——ミラさん、ありがとうございます。

 今、そういう言葉が、何よりも嬉しいです……」

「しかし、あんたも変わった人だね。

 とんでもないカード持ってて、もっと偉そうに自慢してふんぞり返ってもいいところなのに、そんな心細そうな顔してさ。

 そういう男はさ、優しい顔してちょいちょい女を振り回して困らせたりするんだよねえ、ふふっ」

 その途端、アイラがジロリと俺を見上げた。

「え、ちょっ、そんなことありませんから……!!」

「あははっ、冗談さ。

 夕食できたら声をかけるから、それまでゆっくりくつろいでおくれ」

「本当にありがとうございます、ミラさん」

 明るい笑顔で部屋を出ていくミラさんに、俺たちは深く頭を下げた。




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