やる気スイッチ

「この森を出てしばらく歩くと、街に出る。僕が案内するよ。料理やお酒を出す店や、宿屋もある」

「そうか、助かるよ。そう言えばかなり空腹だ」

 アイラがランプを手にして俺の前を歩いてくれる。木々の間から見える空はすでに夜の闇に変わり、ふくろうのような静かな鳥の声が時々森の奥から聞こえてくる。

 不意に、がさがさっと茂みの葉が揺れ、俺はぎくりと振り向いた。

「大丈夫。この森にはいろんな動物や妖精たちが住んでるから、そいつらがちょっとざわついてるだけだよ。ランプを持ってれば近づいて来ない」

「妖精か……君たちの国のことは、本当に何から何まで知らないことだらけだ。君みたいな魔法使いや、妖精や、そういう存在がたくさんいるのか?」

「うん。魔法を使える者はその力を魔法学校で鍛えて、卒業してからはその技を使って働くことになる。だから、学校でしっかり学ばないと、卒業してからが困るんだ。

 妖精に生まれた者は妖精としての力を操る方法を学び、武闘や剣の優れた者は兵士の養成学校に行って軍隊に入る。国が必要とする魔力や武術なんかの資質や才能がある者は、その能力を伸ばし、その力を使って働かなければならないと、最初から決まってるんだ」

「なるほどな。……でも、その生き方が自分には合わないっていう時はないのか?」

「……そんなこと、考えたって仕方ないじゃないか。そういう決まりなんだから」

 アイラはぶっきらぼうにそう答えた。

 考えたって仕方ない。そう思って生きている人々が、この国にはきっと他にもたくさんいるんじゃないだろうか?

「ねえ。ところで、イブキはどこからきたんだ?」

 話を変えるように、アイラが俺を振り向いて問いかける。

「ええと……なんて説明したらいいんだろう?

 いつものように仕事を終えて家に帰ろうとしたら、フローラ……様に呼び止められてな。あっという間にこの世界に連れられて来た。どこをどうやって移動してきたのかは全然わからん。ここはどうやら俺のいた世界とは異次元らしいから、まあいろんなものを一気に飛び越えてここにきちまったんだろう。

 占いで俺が救世主になるってお告げが出たと、彼女は言うんだけどな……よくわからないが、頑張ってみるしかない」

「ふうん……じゃあ、元いた国の知り合いや友達とはもう会えないのか?」 

「……さあ、どうだろうな」


 実は俺も、アイラとよく似てる。

 両親は、俺が大学の頃、二人で出掛けた旅行先で事故に巻き込まれ、もうこの世にはいない。父方の祖父は実業家で幸いそれなりの資産があり、俺の大学の学費等は全て引き受けてくれたが、祖父母とも俺とそれ以上の深い関わりは持とうとしなかった。アイラと同様、余計な面倒をみるのはごめんだ、という空気が常に伝わって来た。

 大学卒業後に就いたキャリアカウンセラーの仕事は割と自分に向いている気がしたし、意欲的にスキル向上にも努めてきたつもりだ。が、プライベートの方はこれまで特にいいこともなく……1年半付き合った恋人とはつい先月別れたばかりだし、特に関係の深い親友もいない。俺が急にいなくなって迷惑を被るのは勤め先くらいだが、まあ俺の代わりなんていくらでもいる……んじゃないか。


 思えば、あちらの世界にも別に深い執着はないんだな、俺。

 ならば——こっちで、目指してみようか。このゴールドカードを持つに相応しい功績を。せっかく白羽の矢が立ったのだから。


「イブキ、話の最中にすぐ黙っちゃうんだから」

 そんなアイラの声で、俺はまた現実に引き戻される。

「あっ、ごめん。ついいろいろ考えちゃってな」

「……仕方ないよ。突然知らない国に連れてこられたんじゃ。僕も、あの家に連れて来られてからずっとそうだった。誰かとこんなにたくさん喋ったのは久しぶりって気がする。

 喋りたくない時は、しゃべらなくていいよ。僕も黙ってるから」

 そんなことを小さく言いながら、アイラは再び視線を前へと戻した。


 ——この子は、一見無愛想でクールだけれど、とても賢くて、優しい子だ。

 俺のカウンセラーの勘が、そう告げていた。





 森を抜けると、細かった道が次第に広くなり、民家や小さな商店らしき建物が両側に並び出した。やがて道は、大きな通りへと繋がった。アイラの言った通り、多くの人の集まる繁華街と言ったところか。あちこちの店が通りにオープンテラス風にテーブルを出し、オレンジ色の明かりの下で客たちが酒や料理を楽しんでいる。思った以上にあっちの世界とよく似た風景だ。

 賑やかに笑い合う男達は皆素朴な布や革のシャツとズボン、丈夫そうなブーツを履き、女性はしなやかな布のワンピース姿が多い。長い髪を結い上げ、ベルトや紐でウエストをきゅっと結んだシンプルな装いは、あれこれ着飾るよりもどこか艶やかでどきっとさせられる。

 そういえば、ここの国には季節とかあるんだろうか? 歩いているうちに着込んでいたコートが暑くなってきた。脱ごうとした矢先、あるテーブルから大きなダミ声をかけられた。

「あれー、アイラちゃん、こんな時間までお仕事かい? お家はここからかなり離れた村じゃないか、お母さん心配するだろ……ってか随分変なやつ連れてんなあ、そいつ何?」

「あー。ガルダおじさん、気にしないで。この人は、遠くの国から今日この国に来て、まだいろいろよくわかんないんだって。だから、僕が街を案内してるの」

「へえ、遠くの国ねえ。そこって、まさか『闇の谷』じゃないだろうな?」

「魔界からの客なんか連れて歩くわけないでしょ。怪しい格好してるけど、悪い人じゃないよ。ね?」

 きゅるっとした目でいきなりアイラに話を振られ、俺はドギマギと男に向かって答えた。

「ええっと、そうですね。とりあえず怪しいものではありません。森園 伊吹と言います。イブキと呼んでください。これからここで当分お世話になります」

 ガタイのいいその髭面の男は、手にしていた酒のジョッキをテーブルに置くと、俺を物色するようにじろじろと上から下まで見た。

「ふうん……面白い名前だな。へえ、あんた綺麗な顔してるし、その辺の居酒屋でボーイでもすりゃ女がわらわら寄ってくんじゃねえか? へへっ」

「おじさん、酒に酔って下品な話やめてください」

「あーごめんなアイラちゃん! 俺はガルダってんだ。そこの宿屋の主人だが、この時間は毎晩ちょっとだけカミさんに店任せてここに酒飲みにきてんだよ。へへっ」

「宿屋」というワードに、俺の耳が素早く反応した。

「……あなた、宿屋のご主人ですか? 因みに、今夜ってまだお部屋空いてますか?」

「え? ああ、そうだな……さっき出てくる時は、二人用の部屋がまだ二つ空いてたが」

「それはありがたいです! 今夜はアイラと二人でそちらのお宿にお世話になっても良いでしょうか?」

「あ、ああ、それは構わないが……」

「お代ならば、これで払いますので」

 俺はスーツの懐から例のカードを取り出して提示する。

 途端に、ガルダの目が飛び出る程に大きく見開かれた。

「——はあ!!?

 あ、あんた、そのカードの保持者なのかい!? こりゃとんでもねえVIP様じゃねえか!?」

「い、いやそういうわけじゃなくて、俺の場合はちょっと前借り的な……」

「いやいやいやおったまげた!! 今すぐうちに戻ってカミさんに最上級の料理用意できるか確認しねえとな!!」

「あ、そういう特別待遇は全然必要ないんで……!!」

「いいじゃんか、もてなしてくれるっていうんだからさ。とりあえずよかったな、イブキ!」

「——ああ、そうだな。

 ありがとな、アイラ」


 ホッとしたように俺を見上げて微笑むアイラの柔らかい髪を、俺は温かな思いでくしゃっと撫でた。



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