出会い

 夕闇に包まれていく森の中で、俺は恐る恐る振り返る。

 見知らぬ国で、初めて会う異邦人。

 それは、金の絹のような髪と白い肌、スカイブルーの瞳をした、言いようもなく美しい少女だった。彼女はランプを手にしており、森の暗がりが暖かい光に照らされる。

 少女の服装は、俺たちの世界風な表現で言えばシンプルな丸襟の白いブラウスに、革バンドで吊った丈の短いレザー風のキュロット、皮製のブーツ。その素朴な服装が、彼女のピュアな美しさを一層キュートに引き立てていた。ほっそりと華奢な体つきを見ると、まだ10歳そこそこだろうか?

「お前、どっから来た!? まさか、魔界から来た邪悪なインキュバスか!? その格好、どう見ても怪しい!」

 澄んだ声が、静かな森に響く。確かに、こんな真っ黒いトレンチコート着てちゃ、まるで悪役だ。ってなんでインキュバス?? 違うわ!!

 などと狼狽える間にも、少女はボンっと手の中にいきなり弓矢を出現させ、鋭い矢を弓につがえて俺に向けて大きく引き絞った。え!? この子、もしかして魔法使い!?

「ま、まっ待ってくれ!! インキュバスなんかじゃない!! ほ、ほら、俺は正式にこの国に招待されてるんだ。これ見てくれ!」

 俺はとっさにジャケットの内ポケットに手を突っ込み、先ほど手に入れたゴールドカードを取り出して少女の方へ大きく突き出した。


「何、これ……え、ウソ!?」

 彼女は警戒した目つきを一瞬にして驚きに変え、俺の手にしたゴールドカードへ走り寄る。

「こ、これ、フローラ様の『愛のカード』だろ……な、なんでこんなすごいもの持ってんだお前!? ってかこれ本物か!?」

「……え。『愛のカード』?」

 あの女からあんなふうに渡されたカードが? そのネーミング、まじか?

 一瞬吹き出しそうになったが、この国ではフローラはきっと崇め奉られる存在なのだろう。その国の民に向かって大切な神を侮辱などできない。微妙な苦笑を引っ込め、俺はもっともらしく答える。

「その通りだ。偽物なんかじゃないぞ。さっきそのフローラ様に直接会って、これを渡されたんだ。『あなたはこの世界の救世主だ』と」

「……救世主……?」

 彼女の瞳に、再び疑わしげな色が浮かぶ。

「その話、本当なのか? 

 戦で勝利を収めた英雄や偉大な魔術師や、そういう特別な者だけがフローラ様のおられる『花の館』に招かれて、このカードを渡されるんだ。なのにお前は、見た感じ強そうでもなんでもないじゃないか……まあ顔は綺麗だが、ひょろっと細いし、武器の一つも持たず、魔術師のオーラも一ミリも感じない」

「ああ、それは俺自身も疑ってるところだ。いきなりこんなわけのわからない国に放り込まれて、救世主も何もあったもんじゃない」

 少女は、ギュッと眉間を寄せて、俺を睨みつけた。

「お前、何一つ技を持っていないのか? そんな奴にフローラ様が愛のカードを渡すわけがない! やっぱりさっきのカードは偽物で、お前は魔界から送り込まれたインキュバス……」

「いや、だから違うって!!

 もしも、彼女の占いが本当なんだとしたら……俺の持っている技は、『カウンセリングスキル』だ。それ以外にない……」

 そんなことを言いながら、俺の思考が少しづつこの現状を受け止めて動き始める。

 ——ってことは……

 つまり、フローラの占いのお告げというのは、俺がここでカウンセリングスキルを使って何か行動を起こせば、この世界を救える……という意味だろうか?

 そういうことなら……なんとなく、やる気が出てくる。

 この少女の話からも、さっきから魔界やら戦やら、物騒な言葉がポロポロこぼれ出してくる。どうやらこの国には、日々平和が脅かされる差し迫った状況があるようだ。

 それに、さっきフローラは確か、無事に仕事を成し遂げたら報償金を渡して元の世界に返してくれる、と言っていた。

 とにかく、このわけのわからない世界へ連れてこられてしまった事実は動かしようがないのだ。嘆いていても、状況は良くならないだろう。ならばいっそ、彼女の占いが示したお告げとやらに、本気で向き合ってみるべきだ。


「おい、黙ってないでなんとか言え! そのカウン……ナントカって技は一体何だ!」

 少女にそう言われ、俺ははっと我に返る。

 自分の立ち位置が見え始めたら、今度は目の前にいる少女のことが気になり出した。まだこんな年端もいかない美少女が、なぜ日暮れの森の中を一人きりで……? 

「ねえ。君、名前は? 歳はいくつ? 俺の名前は、森園 伊吹だ」

「モリゾノ イブキ……? ヘンな名前だな」

 急に自己紹介をされ、彼女は少し驚いたようだ。その拍子に、これまでの尖った空気が少しだけ和らいだ。

「はは、そうか? イブキでいい。君の名前と歳も教えてくれ」

「……アイラ。11歳だ」

「アイラちゃん、か」

「違う!」

「え」

「僕は男だ!!」

「……まじか?」

 俺は、その天使のような姿を改めてまじまじと見つめる。柔らかそうな金髪は肩に触りそうなふわふわな巻き毛だし、キュロットはほぼスカートっぽいし。すんなり白くて細い手足も、完全に女の子だと思い込んでしまった。

「これは失礼をした。許してくれ。ならば、よろしく。アイラくん」

「アイラでいい」

「わかった。

 しかしさっきは驚いた。君は魔法を使えるのか? そういうすごい能力を持ってるなら、多少の危険が身に迫っても大丈夫なのかもしれないが……こんな時間に、どうして一人で暗い森の中なんかを歩いてるんだ? ご両親が心配するだろう?」

 彼は、ふいと横を向いて、素っ気なく答えた。

「僕の魔法なんて……それに、家の者は、僕のことを心配なんかしない。むしろ、金稼ぐまで帰ってくるなって」

「は??」

「僕は、あいつらの本当の子供じゃない。今一緒に住んでいるのは、母親の兄と、その妻だ。

 僕の両親は、二人とも魔術師で、薬の調合を仕事にしていた。2年前、魔界からこの国に送り込まれた怪物達を倒すために軍隊と一緒に戦場へ連れて行かれて、そのまま二人とも戦死した。

 それからは母方の祖母と二人で暮らしていたけれど、去年、祖母も亡くなった。ひとりになった僕を、伯父夫婦が渋々引き取ったんだ」


「……」


「僕は、魔法学校での勉強を中断させられて、まだうまく使えない魔術で金を稼いでこいと、毎朝家から放り出される。女の子っぽい見かけの方が客が寄ってくるだろうって、こんな服をあてがわれて。

 運良く街でちょっとでも稼げた日はラッキーだけど、そうじゃない日は散々叱られて、嫌味や皮肉をこれでもかと聞かされる。『本当はお前を養う余裕なんか水一滴だってないんだ』って」


「…………

 酷すぎるな、それは……。

 それで、夕暮れにこんな森を一人で?」

「だって、稼ぎもゼロだし……あんなボロい弓矢を出す程度の魔法なんて、使えたって何の意味もない」

「そんなことはない!」

 俺は思わず大声を出した。

「ならば、そんな家にはもう戻るな! 君の存在を大切に思えないやつらなんかといればいるほど、君の心は傷つき、生きる力を奪われてしまう。

 俺も、突然この国に連れてこられて、まだこの世界のことを何一つ知らない。友達も知り合いもいない、一人きりだ。

 もし、君が嫌じゃなかったら……これから、俺と一緒に生活しないか?

 住む場所も、暮らしていくために必要ないろいろも、これから何とか手に入れなきゃならないが、このカードがあれば何とかなんだろ。

 そんな地獄みたいなところへ帰るより、これからは俺の仕事を一緒に手伝ってくれないか? 君ぐらいの魔法が使えるなら、上等だ。俺の仕事も大助かりだ」


「…………」

 アイラは、必死にそう話す俺の顔を、驚いたようにじっと見つめた。

 それは驚くだろう。俺自身、初対面の少年にまさかこんなことを言うとは思っていなかった。突然の申し出を微妙に反省しつつ、俺は小さく付け加えた。

「——でも、君が嫌なら、無理にとは言わない」

「嫌じゃないよ、全然!!」

 俺の言葉に、彼ははっきりとそう答えた。


「……そんなふうに僕を必要としてくれる人がいるって、思ってもいなかった。だから、すごく、嬉しい。 

 ……今日、この森をふらふら歩いてて、良かった」

「本当か?」

「うん」

 彼は、素直にコクリとうなずいた。そんな子供らしい仕草を見せたのは、これが初めてかもしれない。


「——よし! ならば、話はまとまったな。じゃ、今日からよろしく、アイラ!」

「……うん。これからよろしく、イブキ。どんなことでも、手伝わせてくれ」


 そうして、俺たちは初めてしっかり互いの手を握り合った。


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