【エイルの挑戦状8】落武者狩り

 西の空が茜色に染まり行く。

 炊事の煙が数条、まっすぐに空に向かいたなびき、揺らぎ、消えた。


 緑色の平原に通る道、沈み行く太陽を背にして駆け抜ける二騎の影。


鷹嗣郎ようしろう、無事かっ!」


 先を走る一騎から、喚くような声が響く。

 馬の背に突っ伏すような恰好で、肩や背から長い棒が伸びている異様な格好。


「なんとか……なんとか!」


 後ろに続く一騎も、似たような有様である。

 だが、ハリネズミのように、突き立つ棒の数は多い。

 それでもなんとか急所は外れているのか、先行する一騎に応えて喚き声を上げる。

 

 ガカッ、ガカッ、ガカッ


 騎馬が地を蹴る音が臓腑に響き渡る。

 丹田に力を籠め、下から突き上げる衝撃から臓腑を固定せねばならないが、力が抜け落ちて行くようでまるで目的を達せない。


 身体に力が入らない。

 全体が熱っぽく、頭もまともに思考できない。

 ただ一念、老いた身体に鞭を打ちこの苦しい逃避行を続けるのは、ひとえに後ろを走る孫である鷹嗣郎に家督を繋げるため。

 自分や祖先が大切に守ってきた家を、財産を、亡くなった息子に代わり、唯一の血縁である自分の孫に譲り渡すためだった。


 ガカッ、ガカッ、


 騎馬の振動は容赦なく主の体力を奪った。

 まるで拷問のような、いつ果てるとも知れぬ責め苦に、やがて老人は意識を刈り取られて行った。


***


(鷹嗣郎、無事か、鷹嗣郎!)


 まるで生暖かい泥の中でもがいているような。纏わり付く抵抗、腕で退けても忍び寄り、押しても引いてしまい手応えがない。


 まるで、泥の中で水練をしているようだ。

 力が抜ける。気持ち悪い。


 やけに重い顔をもたげると、向こうに力なく浮いている影が見える。

 影。影?

 いや、あれは鷹嗣郎、か?


 お主は何故、そのような所にいるのた!?

 なぜ応えないのだ!?


『鷹嗣郎!』


 戦場で鍛えぬいた叫び声とともに、かばと上半身を跳ね起こす。


 視界に差し込む光、ぼやける視界。

 荒く弾む息、身体中に纏わり付く汗。


 ……ここは、どこだ?


 辺りを見回そうとして、首を動かす。

 直後、背中を灼くような痛みが背筋を貫く。


 声にならない悲鳴を上げ、沈黙の中で突っ伏した。


「起きたのか?」


 まだ年端も行かぬであろうわっぱの声が耳に届く。


「鷹嗣郎は……鷹嗣郎は……!」

「まだうなされてんのか?

 そのヨーシローってな、何だ?」

「儂の後ろに……続いて……

 一緒に……駆けて……!」

「ああ? 誰かツレがいたんか?

 だけど、オレが見つけたのは倒れていたアンタひとりだけだったぞ?」


 その言葉を聞いた後か。聞く前か。

 混濁する悪夢の中に、意識は再び引きずり込まれて行った。


 ただし、今度は絶望という名の道連れと共に。


***


「ようやく落ち着いたか」


 あれから数日。


 文字通りのあばら家の床に敷かれた藁の束、そこに寝かされた老人、その怪我に苦しみ抜くこと幾夜か。

 絶望を傍らにした老人はそのまま生を終えるかとも見えたが、生来の負けず嫌いのせいか、はたまたわっぱの献身的な看病のおかげか。

 なんとか峠を越えることができた。


 入り口から差し込む朝日と共に入ってきたわっぱが差し出す椀を受けとる。

 中に入っているのは粟粥。といっても、ほとんどが粟なのだが。


 その汁をすする。

 ざらざらとした小さい粒、噛めば殻が砕けてざらつく。

 脱穀ができていない。


 そんな食事だが、不思議と、うまい。

 治りかけの身体が欲しているのだろう。

 もはや食事を取ることのない鷹嗣郎を想い生き残った己を浅ましいと思う反面、この粗食を噛みしめ味わうことで今までいかに慣例的に食べていたのか、などとも思う。


 そう思うのも、目の前の童のせいだろう。

 この少量の食事をむさぼるように食べる。雑草のような謎の草も付けて。

 それでも、この老人の方にむしろ多めによそっているのだ。

 とても食べたくないなどと言えない。


「すずめ、お爺さんはどうなった?」


 入り口からぴょこりと顔を出す女童めわらわ。童よりも体が大きい。

 浅く陽に焼けた肌は幼いためか滑らかであり、村娘にしてはちょっと珍しいほど整った顔立ちをしている。


 おお、起きたぞ、と言いながらそのまま粟粥をかきこむ。

 行儀もなにもあったものではない……とは、野暮というものか。


「これ、持ってきたんだ。

 良かったら食べておくれ」


 そう言って干し柿を三個ほどおいてから、じゃあね、と言って去って行く。


「お主、雀という名前なのか」

「ああ、みんなにはそう呼ばれている。

 本当の名前は知らね。おとさも、かかさも、よう知らんうちに死んじゃったからな」


 干し柿に頬ずりしながら、こちらも見ずに答える。


「雀みたいにちっちゃくて、どこにでもいて、役に立たないから、らしいぞ。

 オレはみんなに嫌われてるからな。

 まともに相手をしてくれんのは小夜さよくらいだ」

「小夜とは、先ほどの女童めわらわのことか」

「そうだ、名主んとこの娘で、みんなに大切にされてる。

 そのくせ、オレにまで気にしてくれる、いいヤツだ」

「そうか、それは良かった……な……」

「おい、まだ傷がなおってないんだ、そんながんばるな」


 暖かい物で腹がぬくくなったせいか、意識が遠ざかる。

 朦朧とする中で、童が近寄ってきて片付けて藁をかけてくれることを感じながら、すぅと意識を手放して行った。


***


「精が出るな」

「あ、お侍さん、お早うごぜえます。今日はどういったご用件で……」

「なに、少し歩いているだけだ。邪魔をしたな」


 あれから時が経ち、ようやく歩けるようになってきたため、時折村内を歩いて見回る。

 川が側に走る、ひなびた、ありふれた村だ。

 と、遠くからどたばたと走って来る、いささか丸っこい影が見えた。


「り、領主様ぁ! 領主様!

 私の村にいかな用事でございましょうか!?」


 丸い体で転がるように走って来る男。

 たしか、この村の名主、名は庄助と言ったか。

 つまり、小夜の父親か。似てないな、と思ってしまう。


「庄助か、そう慌てなくとも良い」

「し、しかし、何もお持て成しをできずに、申し訳もございません。

 先ほど、娘から聞きましたが、なんでも村はずれの小僧のところにおられるとか!

 今まで気づかず、全くもってお恥ずかしい限りですが、ご用意致しますため、今からでも当屋敷に……!」

「なに、気にしなくて良い。

 あの童に助けてもらわねば、儂は今頃は死んでいたであろう。

 お主のことは決して咎めることはないから、今は儂の事は構うな」


 そう言い捨てて、まだ何やら言っている名主を置いて歩き始める。


 最初は気づかなかったが、ここは自分の所領にある村であった。

 何度か視察で来た覚えがある。

 村の東側を流れる川、西側には丘陵が広がり、いささか交通に不便はあるが、川があるだけ水量があり、稲作も安定して行われる豊かさがあった。

 丘陵に沿った平地には、牛にすきを引かせて整地をしているのが見える。村で牛が飼えるのも豊かな証拠。

 村民にも比較的笑顔が多く見られる。


「……良い村だ……」


 ご先祖より受け継いだ村。

 だが、自分にはもう継がせるべき相手はいない。


 儂は何のために生きているのだろうか?


 自分の胸に問いかけても、返って来るのは虚ろな響きだけ。

 全てを虚しく感じ、無為に生き延びてしまった己の頑健さを呪いながら、何となく童のあばら屋へと帰途についた。


***


「アンタ、もう体はいいのか?」


 戻ってきたところを声を掛けられる。

 普段は炭焼きの仕事を手伝うことで、僅かばかりの金を貰ってくらしている雀は、よく全身真っ黒になっているが、今まさにその状態だ。

 辛い労働だろうが、その表情は決して暗くない。


「ああ、童のお陰で、もう歩けるようになった。

 世話になったな」

「いいってことよ。オレも爺さんには恩があるからな」


 はて。儂はこの童に何かしたことがあっただろうか。

 不得要領な顔をしていたためだろうか、童が説明をしてくれる。


「むかし、まだこの村に住み着いて間もないころな。

 その頃はもうととは居なかったらしいけど、オレがまだ大きくなる前にかかが死んじまって。そのあと、いろいろ面倒みてくれてた近所の婆さんも死んじまってな。その頃は、まだ小夜ともそれほど話せてなくて。

 村の厄介者みたいな感じで誰も相手にしてくれなくて。すぐに腹へって、道で倒れて、死にかけてたんだ。

 そんなオレを助けてくれたのが、爺さん、アンタだ。

 そんとき、握り飯をくれて、名主に一言いってくれたおかげで、オレはまだ生きているんだ。

 アンタの顔は、忘れないさ」


 悪いな、こんなマズい粟がゆくらいしかなくってさ、と俯いた童の顔は、少し赤くて、少し嬉しそうで。

 それを見ていると、こんな所で死んでいる訳にはいかないな、という想いが肚の底から湧いてくるのが不思議だ。


 成程、と突然理解する。

 あの豊かな村。あそこは今の生活に満足している。

 だから、余所者はいらないのだ。

 それでこんな村はずれに追いやられている。

 それでこの生活。

 あばら屋に住み、野生の粟を取ってきて食事にする。

 ほとんど交流も持てず、低賃金でこき使われる。


「そんなことよりさ、爺さん、この前の話の続きをしてくれよ!」

「……この前の話? はて、何か面白い話などしたものか……」

「ほら、爺さんのショリョウを見回る話だよ!」

「所領の巡回の話? ああ、その目的と観察すべき事柄、理由を軽く話したのだったか……あんな話が面白かったのか?」

「ああ、面白かったぞ?

 オレは、考えるのが好きだからな!

 誰も相手してくれないから、自分で川とか風とか、なんでも見て一人で考えるだけだったから、誰かが考えたことを聞くのが好きだ!」


 そんな事をいって目を輝かせる童。

 この野生児のような子と妙に話をしやすいと思ったが、そうか、元々が賢いのかも知れない。


「そうか、それなら暇つぶしじゃ、少し文字でも教えてやろうか?

 まだ動けるようになるには、ちと時間がかかるからの」


 嘘である。

 本当なら、便りを出していつでも屋敷に戻れる。

 だが、何となく、ここを離れ難かった。


「本当か!? 頼むわ!」

「なんの話? 領主様のご様子はどう?」

「おお、小夜か! 爺さんがオレにいろいろ教えてくれるってよ!

 一緒に話を聞こうぜ!」


 ちょうど訪ねて来た小夜は、その童の勢いに目を白黒させる。

 なんとも嬉しそうな顔。

 躾けられた自分の孫の鷹嗣郎は、あんな風に嬉しさをあけっぴろげに出さなかったな、などと思ってしまった。


***


 それから更に一週間が経った頃。

 縁の者に無事を知らせる便りを出した後で、受け取った返事にはこう書いてあった。


 藩の内部での争いは続いており、鷹嗣郎が討たれてしまった抗争は野盗討伐の不首尾として処理された。

 現在、敵は仕置家老を筆頭に所領の没収を狙っているが、奉行を引き入れて証拠を積み上げ城代と話しを始めたこちらが状況としては有利だ。

 いま戻って来ると奴らはなりふり構わず殺しに来る。

 今しばし待て。そして死ぬな。


 ……何をやっているのだ。

 先の大戦おおいくさで何とか拾った命を、一体何に使っているのだ、主らは。


 その返事を見ると、そう思わざるを得ない。

 特に、未来が潰えてしまった自分にとって、なおさら。


 しかし、彼奴等はこの村を自分のものにしたなら、おそらく搾れるだけ搾ろうとするだろう。

 大戦おおいくさを知らず、奢侈に美食に耽るようになった若い奴輩やつばらには、足元の民草が健康であることの意味を知ろうとせずに税収を欲する。


 だが。


 そうならぬよう厳しく躾けた鷹嗣郎は、本当に幸せだったのか。

 あの童の幸せそうな顔を見ると、どうにもその疑問を持たずにはいられない。


「爺さん、何を変な顔をしているんだ?」


 先の便りの内容について考えに耽っていると、横合いから声がかかり、思索が中断させられる。


「いや、何でもない。

 もういろはは覚えたのか?」

「ああ、覚えた! 炭焼きの見張りをしながら、ずっとやっていたしな!」

「おいおい、うっかり火の始末を忘れたりしないでくれよ」

「へっ! オレはそんなマの抜けたことはしねーよ!」


 そう言って、にししっ、と笑う。

 本当に嬉しそうだ。

 そして本当に賢い。この子は、天性の賢さを持って生まれてきたようだ。


「すずめ、本当に頭が良いのね。

 私は寺子屋に行かせてもらっているから知っているけど、覚えるのはもっと大変だったよ」


 小夜が目を丸くしている。

 女童も、親から言い遣ったからと言うが、良く顔を出してなにくれとなく面倒を見てくれる。そこに嫌味はない。

 なるほど、童が心を許しているだけあって、この女童は本当に童のことも気にかけているようだ。


 この二人を見ていると、何となく安らぐ。


「り、領主様ぁ!」


 そこに慌てて駆けて来たのは、女童の父である名主の庄助。


「大変です、変なお侍が、領主様のことを探してきて……!」

「なんだと? どんな奴だった?」

「へえ、蓬髪で、薄汚れた鎧を着こんでいるのですが、馬に乗っていらっしゃるんで。ご領主様の名前を出して、この辺に居るのではないか、と聞かれました」


 そんな野盗のような輩は、正規の侍であるはずがない。

 こちらの対策が終わらぬ前に、儂を消しに来た傭兵ずれか。


「それで主は何と答えたのだ?」

「へ、お侍さんに聞かれたんで、村はずれに居ると答えておきました」


 思わず頭を抱える。


「バカか、名主様は。

 そんな野盗みたいなの、まともなお侍なワケねーだろ!

 適当に知らないと言っとけばいいのに!」


 横合いから童が口を出す。

 それを聞いた名主は、見る見るうちに顔を赤くする。


「お前、何て口の利き方をするんだ!

 浮浪児の分際で、村から追い出すぞっ!」

「やめて、お父様!」


 吠える庄助、止める小夜。

 言っていることは童が正しいが、言うべきではないだろうに。

 そういう機微を教える大人が近くに居なかったのだろうかと、少し寂しくなる。


「しかし、ここに居続けるのは良くなさそうだな」


 儂は腰を上げる。

 頃合いだろう、ここを去るべきだ。


「行くのか?」


 童が聞く。

 そんなに寂しそうな顔をして欲しくない。


「……ああ。ここに居続けると迷惑がかかるだろうからな」

「……そうか……」


 それを聞いてあからさまに嬉しそうな顔をする庄助の顔を見て、小憎たらしい思いが湧き上がる――が、まあ、仕方がないだろう。


「童、儂と一緒に来るか?」

「いいのか!?」


 ぱっ、と表情が明るくなる。

 本当にころころと良く変る表情。

 こちらまで嬉しくなってきてしまうではないか。


「来ても良い思いはできんかも知れん。

 お前はいろはもまるでなってないからな。

 だが、まあ、努力を重ねれば、何かが変わるかも知れぬ」

「いい、いい!

 行くよ、爺さん!

 学びができるなら、何でもいい! オレ、何でもするよ!」


 童のその言葉に、顔を曇らせる女童。


「……行っちゃうの? すずめ……」

「ああ、行く! 小夜、オレは嬉しい! いっぱい頑張るよ!」


 童は、境遇に転機ができたことで、まだ女童と別れることに思い至っていないのかも知れない。


「しかし、雀、では名前としては何ともな……

 何か別名を考えないと。

 雀か。儂の孫は鷹の字を持って、鷹嗣郎と言ったが……」

「なら、雀嗣郎すずめしろうでどうだ!?」


 人の孫の名前をかっさらうとは、凄いことを言う。

 だけど、不思議と腹も立たない。

 いや、むしろ、そうあってくれると嬉しさすらも感じる。

 だが。


「儂の孫の名はそう簡単にはやれんぞ、雀。

 まあ、今後の精進の成果によっては考えてやらんでもない」

「わかった!」


 と言いつつも、密かに頭の中では雀嗣郎じゃくしろうと呼ぶことにしよう。

 変な名前だが、この少し変な子にはちょっと合っているようで可笑しい。

 なにしろ、ちょっとしたことで、まさに欣喜雀躍するのだから。


「さて、それでは――」


 そう言って支度をする。

 何しろ、戦装束で倒れていたのだ、鎧を着こむしかない。

 雀嗣郎が甲斐甲斐しく集めてくれていた装備、槍に弓矢まであるのだ。


 この荒ら屋を出て村に移動すると、人だかりが見えた。


「どうした?」


 名主が人だかりに向かい声を掛ける。


「それがよ、なんかお侍さんがいっぱい来てよ……」


 そこまで言ったところで、人だかりの更に向こうからだみ声がかかる。


「おう、お前が名主が?

 お前の村が落ち武者を匿っていたんだってな?

 お前らの手で捕まえて、早く俺らに差し出せや」


 ざわり、と村人達に動揺が走る。


「それで済むと思うなよ。

 匿った罪ってものんがあるかんな、村の女も五人ばかり差し出せ。

 年いってんのはいんねぇぞ。若ぇ、年頃のを寄越せ。

 おう、そうそう、そいつもな」


 そう言って破落戸ごろつきの一人が小夜を指さした。


「そ、そんな!

 これはわたしの娘でございます!

 金や食料で御勘弁ください!」

「ん? 金も一緒に出してくれんのか?

 そいつぁ楽しみだ」


 そう言ってげらげら笑う。

 その次の瞬間。


 ぴっ


 軽やかな音が響いたかと思うと、破落戸の額に矢が突き立つ。

 破落戸に緊張が走り、そこに二の矢が飛ぶ。


「ぎゃあっ」


 咄嗟に身を躱した破落戸の一人の肩口に矢が突き立った。


「ひぃっ!?」


 一目散に逃げ散る破落戸たち。

 まったく、口も軽ければ逃げ足まで軽いと来た。


「領主様、ありがとうございます!」

「……問題ない」


 庄助は泣きながら頭を下げている。

 今は必死で気づいてはいないのかもしれない。

 だが、破落戸の仲間を一人殺しているのだ。つまり……


「な、なあ、庄助さん。

 あいつらの仲間を一人殺っちまったけど、仕返しに来ないかな?」


 まあ、来るだろうな。

 本当はここで全員仕留めてしまいたかったのだが、まだ病み上がりではそうもいかないようだ。


「りょ、領主様?

 領主様のお手勢は、いらっしゃるのですよね?」

「……いや、今の儂は孤立無援じゃ。

 兵を動かすには数日かかるじゃろう」

「そ、そんなぁ!?

 では、我々はどうすれば良いというのですかっ!?」


 目を血走らせ、唾を飛ばして抗議するかのように吠える。

 先ほどは泣いて感謝していたのが、今ではこの様か。

 それに合わせ、村人も手に鍬や鋤を持ってじりじりと展開している。


 ――まったく、こいつらは、先ほどあれほどに怯えていた破落戸を一矢で斃したのが誰か、もう忘れてしまったのだろうか。

 小脇に抱えた槍をそっと構えなおす。


 と。


「ちょっと待てよ、みんな!

 良く考えてみろよ!

 もしあいつらに爺さんを差し出したとしたって、それであいつらがオレ達を許すなんて、そんなワケないだろう!?」


 雀嗣郎すずめが叫ぶ。

 至極もっともな言葉。

 しかし村人はありもしない都合の良い夢想に浸り、攻撃的に野次を返す。

 中には、雀嗣郎すずめがオレ達と言ったことに対して、お前なんか村の一員なんかじゃないと酷いことを言う者もいる。


 まったく、聞くに堪えない。


 ぴっ、と槍の穂先を庄助の鼻先に据えた。


「おい。その辺にしておけ。

 この童の言うことが正しい。儂を渡そうがなんだろうが、奴らはこの村を蹂躙する。

 お主も聞いたであろう、財貨を持ち出しても、要求を変えるどころか追加させることにしかならなかったことを」


 そ、そんな、と言いながら崩れ落ちる庄助、そして村人たち。

 しかし、ひとたび儂に敵意を向けた者どもには、情けをかける気も起らない。

 雀嗣郎すずめを伴い、その場を離れた。


***


「雀よ、お主はどうする?

 この村に未練などなかろう。いっそこのまま村を離れるか?」


 村の入り口まで来て、村人から十分離れたことを確認してから聞いてみる。

 この村の民からは、昔から疎かにされてきたのだ。

 正直、守るべきもののない雀嗣郎すずめは、すぐ村を離れてもいいと思った。


「……そうだな、村の奴らにはいい思い出はないや。

 でも、小夜は別だ。アイツはオレを昔から助け続けてくれた。

 オレは死んでもアイツを助けないといけない。

 ……そんで、アイツはオレだけじゃない。村の皆を大切に想ってる。

 だからさ、オレも村を守らなきゃいけないんだ」


 そういってこちらをみる雀嗣郎すずめの目。

 その優しげな名前に似ず、それは鋭い男の目だった。


「ごめん、爺さん。

 オレは、小夜を助けるために、村を助けたい。

 勝てなくても、あのゴロツキと戦う。

 せっかく誘ってくれて、本当にうれしかった。でも、オレ、残らなきゃ」


 そんな決意を固める男の頭にぽんと手を載せて、言い聞かせた。


「そんな目を潤ませて、悲壮な覚悟を決めんで良いわ。

 主がそうしたいならば、儂も力を貸そう。

 そろそろアレらの頭も冷めたであろう、戻ろうぞ」


 まったく、こんな童がなんと健気な。

 老骨に鞭打ってでも、助けてやりたくなるではないか。

 農民のような下々のものでも、追い込まれると意外や気骨があるのやも知れぬ。


 そう思っていた時期が、儂にもあったものだった。


「こ、これで良いかな!?」

「すまん、すまんな、お琴!

 これも村の為じゃ!」

「おみよ、大丈夫じゃ、命までは取られん!

 仕方ないのじゃ!」


 なんと、儂らが居なくなってからの時間で頭が冷えたと思っていたら、村から出す女子の選出をしておった。


「小夜!」


 その輪の中心には、あの女童がいた。


「名主、おまえ、恥ずかしくないのか!

 自分の娘をあんなゴロツキに差し出すつもりかよ!?」

「うるさい、キサマなんざ村のモンじゃねぇんだ、だまっとれ!

 こうするしかないんだよ!」


 顔を真っ赤にした庄助が叫んでいる。

 あの時に破落戸相手に叫んだのは何だったのか。


「すずめちゃん、いいの!

 わたしが行くわ。それで、わたし一人で許してもらうように話してみる!

 だから、行かせてほしいの!」


 女童の方が、よほど気骨があった。


 はぁ。

 まったく、これほど立派な者達を童だの女童だのと。

 外見でしか物事を見られない自分がつくづく嫌になるわ。


 だが、気分は悪くない。

 この子供達は、儂が命をかけても護ろう。

 それが儂が命を永らえた理由に思えるのだから。


「庄助よ、話がある。

 なに、悪い話ではない。村を守る話じゃ。

 だからその輪を解け」


***


「ひゃっはー!

 お前ら、ちゃんとあのジジイの首は用意したんだろうなぁ!」


 騎馬に乗った破落戸ごろつき、としか形容のしようがない集団。

 数にしておよそ二十ほど。

 おそらく戦場荒らしで得たのだろう、汚損した鎧だの兜だのを身に付け、碌に手入れもされていなさそうな武具を携える。

 どうせ馬だって、戦場で漁ってきたのだろう。


 その破落戸集団が見た物は。


 村の入り口に丸太だの角材だのが無造作に積まれており、雑ではあるが腰丈くらいまでの高さがある。

 その奥には大きな板を盾のようにして置いてあり、その更に奥に、人が蠢いている様子が見て取れた。


「頭領、どうしやすか?」


 頭領、と呼ばれた男。

 その男はやや痩身の身に、他の破落戸どもと異なり簡素だが手入れされた鎧を着こみ、弓と槍で武装していた。

 その鋭い目で周囲を見渡す。


 正面のあの無造作な材木。

 一見、雑に見えるが、正しく訓練されていない手下共の馬術では飛び越えられないだろう。馬とはもともと臆病で、腰丈くらいでも飛ぶのを躊躇するものだ。

 右手は雑木林が広がり、その奥は丘陵地帯になっていて、馬で一気に駆けるには技量が必要だろう。

 左手は川が流れている。流れは穏やかだが水量があり、水面の色合いから見て深さもありそうだ。こちらは論外。


 ちっ。

 巧いじゃねぇか、とつい舌打ちをしてしまう。


「頭領、なんか嬉しそうですね」

「なんか久しぶりに戦の臭いがするからな。

 どうして、即席にしてはいい陣じゃねぇか?」


 そう言って、嬉しそうに顎をひと撫でする。


「おい、吾介。

 お前、ちょっと四人ばかり連れて、裏に回れや」

「え? この村の裏手ですか?

 丘を少し大回りしないといけないので、ちょっと手間ですが」

「四の五の言ってねぇで、裏からまわれや、あぁ!?

 回ったら、あとはおめぇの好きに攻めればいい。略奪でも放火でも、好きにしろや」


 吾介と呼ばれた男は、一瞬顔をひきつらせた後で、相好を崩しながら仲間に声を掛けて来た道を逆走する。


「おい、遅かったらあとでしばくからなぁ!」


 手下の吾介がさぼらないよう、大声で念押しだけはしておく。

 その背中を眺めてから、改めて村の方を見て、そして叫ぶ。


「お前らぁ、火矢を使うぞ!

 奥の盾みてぇな板を狙うから、誰か火を持ってこいや!」


 手下に松明を持って来させ、自ら火矢を放つ。

 ひるるるる、と音を立てて飛んだ矢は、狙い過たずに板に突き立った。

 そしてぶすぶすと黒い煙を上げる様を見て、再び笑う。


「あの戸板みたいなのを、一晩水に漬けておいたのか?

 火が移らねぇ。いろいろやってくれんじゃねぇか」


 さて、どうするか。


 手前の木材を騎馬で飛び越えられる馬術の持ち主は自分くらいだ。

 どうせ村の有象無象など、自分一騎で突っ込んだところで取るに足らない。

 だが、敵はこれほど準備をして来ている。標的の爺さんだけならばともかく、もう一人でも同格が居れば危ういかも知れぬ。


 破落戸のような手下共でも、囮や盾にはなる。

 面倒だが、集団で右手側の雑木林の中を迂回してどてっぱらを衝くしかないか。


 頭領はそう考え、実行に移す。


「おい、お前らぁ! あの林を突っ切って攻めるぞぉ!」


 言うが早いが、自分が先陣を切り突っ走る。

 盾の戸板の裏側から爺さんが出てきて矢を放つが、流石に疾駆する馬にそうそう当たる物ではない。


 そうして矢に対する遮蔽効果もある雑木林に突っ込んで――


「お前ら、下に綱が張ってあるぞ!

 馬の脚に引っ掛けるな!」


 そう叫んだが、時すでに遅し。

 自分の直後に居た三騎がまともに引っかかり、騎馬ごと倒れ込む。


 ちっ、と舌打ちした頭領は、槍で綱を切り払いながら先へ進む。

 それを見た手下は、その後ろを通ることで確保された安全経路をたどる。


(俺が露払いかよっ!)


 腹が立つが、他に任せられる手下がいないのだから仕方がない。


 まあいい。

 まだ後続が十騎以上いるのだ、これだけいれば村人を蹂躙するのには釣りがくる。


 林を――抜けるっ!


 大きく迂回をして、村の中に突っ込む。

 そうして見つけた最初の村人を血祭りにあげるため、その槍を構えて――


 ぎぃんっ!!


 金属同士がぶつかり合う硬質な澄んだ音が響く。

 槍を持つ手が痺れる。


 そうして、雄敵の出現に頭領はニィと笑みを作る。


「爺ぃっ!! やるじゃねぇかぁ!!」

「お前の率いている集団でマシなのはお前くらいだな。

 あとは有象無象だ」


 目の前に獲物である落ち武者が居る。

 かなり歳は行っているはずだが、その様子は凛として隙が無い。


「ははっ、んなこと言って、テメェの仲間は農民だろうがぁっ!」


 あの機に矢を射かけたのがこの爺さんだけならば、他に腕利きはいないだろう。

 ま、いたとしても守るべき村人達が邪魔になって、碌に働けないだろう。


「いいぜ、俺はお前との勝負を楽しませてもらうぜ!

 爺ぃを討ち取っちまえば、それでこっちの勝利だ!」

「やれるものならな」


 そう言って、次の一撃を相手に見舞うべく、構えるのだった。


***


「げははははっ! お前ら、良くもやってくれたなぁ!

 これからは俺達の番だぜぇ!」


 次々に雑木林から抜けてくる破落戸ども。

 腕の立つ侍の爺さんは頭領が止めているので怖いものはなし。

 そう思い、無策、無防備に突っ込んで行く。


「うわあああっ!」


 叫びながら畑の中を逃げる村人。

 嗤いながら追いかける破落戸。


「おら、死ねぇ――え?」


 突然、馬が前のめりになり、前方に放り投げられる。

 その男が意識を失う前に見たのは、落とし穴に前脚を沈めた自分の騎馬であった。


***


「ヒャッハー、死ねぇ!」

「おらおら、逃げろ逃げろぉ!」


 家の裏手の方に逃げて行く女を追いかけ、ぐるりと回る。

 死角に消えた女もそこを曲がればすぐに見えて……


「がべっ!?」


 ちょうど曲がったところに立てかけられた物干し竿に破落戸たちは思い切り顔から突っ込んでしまい、視界が暗転した。


***


『おらぁあっ!! お前ら、抵抗しやがって、許さねぇぞ!!』


 大音声を放ちつつ、村の広場に突っ込んでくる破落戸。

 蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う村人たち。


『おら、わっぱぁ! 年端がいってなくても、容赦するなんて思うなよ!』


 立ち塞がる雀に、突っ込んでくる破落戸。

 大太刀を振りかざして――


「あほがぁっ!!」


 雀は叫び声と共に手にした柄杓を振り抜く。

 そこから飛び出した黒い塊は狙い過たずに破落戸の顔に向かい――


『ぼえっ!?』


 突然視界が暗転し、次いで鼻を襲う強烈な衝撃に狼狽える。


『くせえぇぇぇっ!?』


「だはははっ、肥溜めの味はどうだい、おっさん!?」


 桶に入れた肥溜めの中身を喰らった男はたまらずに地面に落ちて悶える。


「えいっ!」


 その後頭部に小夜の一撃を受けて、男の意識は深い底に沈んで行った。


***


 ぎぃん!

 ぎぃん!


 槍を突きかわす領主と頭領。

 技が冴える領主の攻撃も、怪我と老いのためか、次第に頭領の攻撃が上回る。


「ははぁ!

 どうしたどうした! もうバテたかぁ!」


 途中から甚振るように槍を繰り出している頭領であったが、油断はしていない。

 視界の端に現れた小さな影に即座に反応した。


「とりゃあああっ!」


 叫び声と共に飛んできた糞尿弾を軽く体を反って躱す。


「なんだぁ……?」


 頭領は突然現れた雀を見て、そしてその後方からぞろぞろとこちらを窺う村人たちを見て、大凡の事態を悟った。


 ちっ、と舌打ちをひとつして、くるりと馬首を巡らし、来た方向と逆側に走り始める。


「いかん、雀嗣郎すずめ、村の反対口を護っている村人に逃げるように言え!」


 その言葉を聞いた雀は弾けるように駆けだす。


 逃げろぉ!


 その叫び声に、間一髪で村の反対の入り口を護っていた者達は、駆け寄った頭領の凶刃から逃げ出すことに辛くも成功した。

 そのまま頭領は反対口の材木を華麗に飛び越えて、村の反対側にたどりついていた吾介たちと共に駆け去って行く。


「逃がしてしまったか……」


 後ろから走ってきた老領主は、息を切らせながら呟いた。


***


「守り切ったぞぉ!!」


 村人たちは大はしゃぎであった。

 普段、生活を脅かされている破落戸の類を自分達で撃退したのだ。

 それが誰のおかげであれ、その気持ちは分からないでもない。


 しかし、その報復を恐れないのだろか?

 それは怖れなくても良い根拠があった。


「もう数日すれば、我が手の者が応援に来る。

 そうすれば敵を蹴散らすことなど造作もない」


 そう、領主が話しているためだ。


 嘘ではなかった。

 領主の味方である奉行に相談し、今回の件で手勢を派遣してくれたのだ。

 敵で手強いのは、槍を交わした頭領くらい。

 侍が数名でかかれば、討ち取ることは可能だろう。


 おそらく、あと三日もあれば。

 そうすれば、全ては片が付くだろう。

 問題は、それを敵が許してくれるかどうか、なのだが。


 しかし、その想いも虚しく、翌々日には懸念が現実になって現れるのだった。 


***


『おらぁ! 爺ぃ、聞こえているかぁっ!

 逃げ場はねぇぞ、村を火の海にされたくなきゃ、とっとと出てきやがれぇっ!!』


 昼にして夜のように暗い曇天。

 分厚い雲の下、虚空に大音声が響き渡る。


 先頭にかの破落戸どもの頭領、周囲には手下ども、その後背には鎧武者達。およそ五十騎もいようか。

 あのように兵を動員して、後先も考えずに己を殺せれば良いと踏んだか。愚かしい。

 領内で私闘のため兵を動員するなど、家中に乱を持ち込むつもりか。


 なりふり構わないその行動に、ぎり、と歯がみする。

 だが、この場に限定して言えば、この程度の防衛線など一蹴されるだろう戦力を呼び込まれたことに違いはない。

 あの破落戸の頭領が前面にいるのは、この村で起こる全ての責任を彼の男になすりつける為であろう。つまり、すぐには騎馬武者が動くことはなかろうが、何かあれば容赦なく、それこそ目撃者を残さない程に完膚なきまでに殲滅に来る。


 詰んだ、な。


「爺さん、あいつらなんなんだ?」


 不安そうな表情を浮かべる雀嗣郎すずめ

 あの集団が敵であると理解している。


「頼みがある、雀嗣郎すずめ

 この書状を、ある男に届けて欲しいのだ。

 あの道のずっと先にある城下町に住んでおるのだ」

「えぇ? オレ、この村から出たことなんてないぞ?

 道なんか、分からないよ」

「難しいのは分かっている。だが、頼まれて欲しい。

 儂が行ったら奴らに囲まれるのだ」


 眉根を寄せて、じっとこちらを見る雀嗣郎すずめ

 その目を見返して、頼みを取り下げるつもりはないことを目で告げる。


「爺さんはどうするんだ?」

「儂は奴らに捕まったら死ぬしかない。だから、隠れて、逃げ延びる。

 助かるかどうかは、この書状に掛かっていると思って良い」


 怯んでいる表情。それはそうだろう。

 何しろ、今まで一歩も村の外に出たことがないのに、知らない町の知らない人間に使いに行かせるのだから。


「小夜嬢ちゃん。悪いが、主も共に行ってくれぬか。

 雀嗣郎すずめだけでは荷が勝ちすぎるであろうから。

 庄助には儂から説明しておく」

「……わかりました」


 小夜は気丈にうなずく。

 それを見た雀嗣郎すずめも覚悟を決めて、うなずいた。


「すまぬが、時間がない。

 あの雑木林を抜け、奴らに見つからぬように急いで行ってくれ。

 時の勝負だ、決してこちらを振り返ってはならんぞ。

 これは路銀だ」


 そう言って、十分すぎる金が入った袋を手渡した。

 餞別のつもりだ。


「さて、と」


 手を取り合って駆け去っていく二人の後ろ姿を見届けてから、向こうで喚いている破落戸の頭領の方を見る。


 きりきりきり、と音を立てて弓を引き絞り、そして放つ。

 ひょうっ、と音を立てて飛び行く矢文。

 訝し気な顔で、地面に突き立った矢に近づき、その文を広げる頭領。


 今だ!


 鎧具足の類いは身に付けずに身軽にして、前回の攻めで鹵獲した馬を駆り、走り抜ける。

 死角から突然飛び出してきた馬に驚き、咄嗟に反応できない騎馬武者たち。


「おいこら、爺ぃ! テメエ、なんのつもりだ!」


 間の抜けた面で文を握りしめてこちらを見る頭領。

 だが、それにこたえる必要はない。

 なぜなら、その文に全てが示されているのだから。


「クソッ、待ちやがれ!

 あ、おい、ちょっと待ってくれ、村を攻撃しないでくれ!

 ああ、チクショウ!!」


 背中越しに、喚く頭領の声を聞きながら、全力で馬を駆り走り去って行った。


***


「全く、やってくれたな」


 今回の騒動の元凶たる男、仕置家老が目の前に現れる。

 あの村から外れた場所にある打ち棄てられた古寺、その門。

 そこが、儂が指定した場所。


「それはこちらの言葉。

 藩内の有力家人を謀略の限りを尽くし追い込み、所領を没収し、力を蓄える。

 城代を追い落とすのが目的か?

 その強欲には吐き気がするわ」


 儂は門に一人、松明を持って待ち構える。

 対する相手は五十騎の武者と破落戸の頭領を従え、薄ら笑いを浮かべていた。


「約束通り、村に手を出さずに来てやったぞ。

 お主も約束通り、所領の一切を吾に譲るという署名入りの起請文を出すのだ。

 嘘をつくならば……わかるな?」


 そう言って下卑た笑みを深めた。


 ふん。

 そう簡単に事が運ぶと思うなよ。


 くるりと背後を向きざま、隠し持った半弓と松明の火を移した矢を放つ。

 火矢は狙い過たずに無人の本堂に突き刺さり、枯れ果てた建物は勢いよく燃え始める。


「……何をやっているのだ?」

「彼の本堂の中に、儂の起請文の隠し場所が示された文が置いてある。

 早く行かねば、燃えてしまうぞ?」


 そう言うと、嫌らしい笑みを驚愕の表情に変え、慌てて走り出す仕置家老。


「貴様! ふざけおって。

 お前ら、彼奴を捕えて置け! 起請文を見つけ次第、殺してやるからな!

 もしくは、嘘があったなら、あの村の住人全て命はないものと思え!」


 喚きながら本堂に走る野郎共を見ながら、儂は笑みを浮かべた。


 ああ、構わないさ。

 ちゃんと起請文は存在するし、実際に儂の所領を譲る旨も記載されいてる。

 それをそのまま提示すれば、城代家老も所領の承継を認めざるを得ないだろう。だからこそ、仕置家老にとって千金の価値がある。


 一度その書状を奴が手に入れたら、儂の命はなかろう。

 だが、簡単に見つかると思うなよ。

 本堂にあるのは起請文そのものではなく、それに至るための手掛かり。それを辿っても、目的の物にたどり着くまで優に三日はかかるだろうさ。

 そうして、その時間で奉行の手の者が村に到着し、村と、雀嗣郎すずめに小夜の安全は確保されるはずだ。

 それで良い。

 儂は、最後に見つけた儂の大切なあの者達を護れれば、この命など捨てて構わぬのだから。


 ……鷹嗣郎、見ているか?


 肌を冷やす夜の冷気を感じ、夜空を見上げた。


 儂に心残りはない。じきに、そちらに旅立つぞ。そうしたら、あの世で酒でも酌み交わそうぞ。

 ……とても愉快な土産話を持っていくでな。心行くまで……


***


「……これが、今回の騒動の顛末だ」


 雀にとって途方もなく大きな館。

 その主である、爺さんの親友と言う男が説明してくれた。


 雀と小夜は並んで座りながら、二人して眩暈を覚えていた。


「嘘……だろう? 爺さんが……死んだ?」


 そんな雀の様子を見ながら、溜息を一つついて、その男は続けた。


「私も嘘であって欲しいと願う。だが、事実だ。彼は亡くなり、その所領の大半は仕置家老に譲られる。

 野盗に襲われたという死体は既に検分され、相続の手続きも終わっている。

 ……皆が茶番だと分かっていても、止められないのだ」


 愕然としている雀に向かい、男は叱るように鋭く諭す。


「いいか、お前はそのような顔をしている暇はないのだぞ。

 私は、彼の御仁から、お前の後見たるよう頼まれているのだ。

 そしてお前が育った村、それだけは私が相続することになっている。

 いずれお前が一廉の男に育ったなら、お前に譲ってほしいとまで依頼されているのだ。

 手紙には、お前は不幸にもまともな教育を受けて来ていないから大目に見て欲しいとまで添えられていたが――私は、決して手加減などするつもりはない。

 あの人の無念を晴らすように、死ぬ気で精進せよ」


 そう言って、男は部屋を出て行った。


「すずめちゃん……あ、今は雀嗣郎じゃくしろう様、だっけ。

 落ち込まないで……」


 この家で奉公させてもらうよう、その文に添えられていたため、雀と一緒に厄介になることになった小夜が声を掛ける。

 その小夜の顔を見て、思う。


 そうだ。

 オレは、あの爺さんに途方もない恩義を受けた。


 爺さんはオレに宛ててくれた文に書いてくれた。

 お前は、お前が大切と思うものを護れる男になれ、と。

 無理に押し付けられた責務を背負いこむことはないのだぞ、と。


 その大切なもの。

 爺さん亡きいまとなっては、それは、目の前に居るこの少女と、僅かな爺さんとの思い出だけだ。


 呆然としている暇などないのだ。

 オレの周りは敵だらけ。

 爺さんを殺した敵だっている。あの破落戸の頭領だって、いつのまにか雇われて藩内をしたり顔で闊歩しているのだ。


「爺さん。なんでアンタがオレにそこまで良くしてくれるのか、分からない。

 でも、オレは一生をかけて、頑張って、そんでアンタの汚名を晴らす。失ったモンを取り返す。

 そんで、アンタの墓を守る。

 そうして、いつかオレがそっちに行ったときに、自慢してやるんだ。

 どうだ、オレ、凄いだろう、てな。なにとっとと逝っているんだ、いい余生を送れたのにもったいない、て笑ってやるんだ」


 ぽたぽたと目から滴る涙が畳を濡らす。


 そっと手を添えてくれる小夜の掌を感じながら、この日だけはいつまでも泣き続けた。

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