大好きな人がいました

釧路太郎

第1話

 取り調べというものはもっと怖いものなのかと想像していたのだけれど、私はとても丁寧に対応されていた。

 社会的な立場はもう無いに等しいと思うし、このまま解放されたとしても私の顔も名前も日本中に知れ渡っているので普通に暮らすことなんて不可能だろう。それならば、いっそこのままこの閉ざされた空間で一生を終えることにしたいのだ。


 なぜあんな事をしたのかと刑事さんにも弁護士にも聞かれたのだけれど、私自身がなぜそれを実行したのか理由を知らないのだ。覚えていないのではなく、本当に理由を知らない。そもそも、そんな事をする必要だって無かったのだ。

 その時の私は好きな人に振られてショックを受けてはいたのだけれど、その悲しみが自分ではなく他人に向いてしまったという事は申し訳なく思っている。でも、その事を本当に私がやったのか記憶に残っていないのだ。

 いくら鑑定をされたところで私は覚えていないのだから嘘をついているわけではないので結果は目に見えている。

 多くの命を奪ってしまったという事は聞かされているし実際に映像も見せられているので理解はしているのだが、それを本当に私が行っていたのかと言われると、本当に覚えていないのだ。それはまるで、私の中にいる別の人が勝手にやってしまったという感覚でしかないのだ。

 謝罪の言葉を述べるにしても、私には何に対して謝ればいいのか理解していない。謝りたいとは思うのだけれど、本当に私は何に対して謝ればいいのかわかっていないのだ。

 結局、私は精神に異常をきたしているという事でしばらく病院に入院することになったようなのだが、この生活がいつまで続くのかはこの先にある裁判次第ということになっていると聞かされている。弁護士の話では、精神に異常が見つかったとしても無罪放免という事にはならず、この病院のような場所で改善されるまで過ごすことになるそうだ。ただ、私はどこもおかしなところなんて無いと思っているので、ここから出ることはもう無いだろう。


 病院での生活は自由な時間もあるのだが、基本的にはすぐ側に誰かがついているという事が多かった。

 私以外の人も同じような状況だったので私だけが特別扱いされているという事ではなかったのだが、私だけ渡される食器はプラスチックの安っぽいスプーンだったのだ。ナイフやフォークなんかは他の人も使ってはいないのだけれど、箸すら使わせてもらえないのは私と自分でご飯を食べることが出来ない女だけだったのだ。

 私は今の状況を見て悪い意味で特別な状況に置かれているのだと実感することが出来たのだ。


 病院での生活がどれくらい続いていたのかもう覚えていないのだが、私は毎日同じことを繰り返していた。朝起きてご飯を食べて軽く運動をしてよくわからない話を聞いてまたご飯を食べる。そんな生活の繰り返しなのだが、夕食の時間だけはテレビを見ることが出来ていた。当たり障りのない普通のニュースが多いのだが、他にこれと言って楽しみのない私にとっては最高の娯楽であった。

 その日のニュースでは海開きの様子が取り上げられていたのだが、私はそこで自分の目を疑うようなものが映しだされていたのだ。今までずっと落ち着いていた私がその映像を見て急に取り乱してしまったので周りも騒然となってしまったのだが、私は他の人に迷惑をかけることも無くその場で泣き崩れてしまっていたのだ。

 どうして急にそんなことになったのか誰もわかっていないのだが、それも当然だろう。テレビに映し出されていた幸せそうな家族の父親は、私の事を振ったあの男だったのだ。ずっと顔も声も忘れていたのだが、テレビに映し出されていた男を見た瞬間に忘れていた過去を思い出してしまったのだ。


「じゃあ、この男が原因であんなことをしたって事ですか?」

「はい、私は二人で幸せな時間を過ごしていたと思っていたのですが、私の体だけが目当てだったのだと知って、傷付いてしまって、そのショックでおかしくなってしまったんだと思います」

「そうですか。それは困ったな」

 私は覚えていることをそのまま刑事さんに話したのだが、裁判が終わっていたので私の状況が変わることは無かったのだ。彼がきっかけだと嘘をついてしまったのだ。


 今も変わらずに病院で過ごす私ではあったが、以前と少しだけ変わったのは、時々私に面会に来る人がいるという事だ。

 その人の話では、近いうちに参考人として裁判所に行くことになるそうなのだが、その時に彼に会うことが出来るみたいなので楽しみであった。

 私が彼に告白して振られたのも告白する前に体の関係にあったのも本当なのだが、彼に振られたショックで事件を起こしたのではないという事は私が一番よく知っている。彼がきっかけかもしれないけど、事件を起こしたのは彼が理由ではない。

 幸せそうな彼が不幸になれとは思わないけれど、私の事も思い出してもらえたらいいな。

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