第29話 蜘蛛の謎

 あの時とは立ち位置が変化していた。化生となった大蜘蛛が下に居て、鬼と共に怪異を退治する人間が上に立つ。それだけで大蜘蛛の琴線に触れたと感じられるのは、彼に向けられる大蜘蛛の威圧感がそれを証明していた。


 途端に大蜘蛛は跳躍し、病院の屋上に降り立つ。大蜘蛛の視界には康平以外の人間が4人居ることが確認でき、3人は康平と同じぐらいに若い男であり、1人は彼らより老けている男だった。大蜘蛛の姿を初めて見た晴彦、東堂、秀司、そしてバッグを背負った内田の4人は、大蜘蛛の大きさを目の当たりにして身構えている。


 4つの眼が彼らを捉える。血のように赤く染められたそれは妖しく恐怖を駆り立て、康平以外は全員その感情を押し殺しながら大蜘蛛を見ていた。ただ1人、康平だけは大蜘蛛に対し怒りを向けており、威圧し返している。



【なんだ、前回の事が気がかりでお仲間でも呼んだのか? わざわざ贄を自ら用意して謝意を見せる腹積もりとは随分と人間臭いなぁ、擬きめ】


「勘違いするなよ害虫。この4人はお前の死を見届けに来ただけだ、無様に生にしがみついて泣きわめきながら死んでいく、お前の姿と一緒にな」


【戯けたことを抜かしおる。儂に負けておきながら、ようも減らず口を叩けるものだ】


「負けたのはお前も同じだろ。あんな簡単な遊びしか考えられない辺り、おつむの方は害虫らしいんだな」



 両者の睨み合いと罵り合いの応酬が続き、周囲を取り巻く空気が帯電しているようなそれを受けて、彼の後ろにいる4人は冷や汗が流れる。会話が止まり、漏れ出る力の余波が凍てついた空間を作り出している中、康平が拮抗状態を崩した。



「おい害虫、もう一度勝負だ」


【何を言うかと思えば、ほざけ。オヌシごときに構っておる暇など何処にもないのだ】


「負けるのが怖いのか? 人間を侮ってる癖に、やけに慎重だな。そこまでして戦いたくないのか……無様だな、所詮は害虫でしか無かったわけか」


【オヌシ程度、いつでも喰ろうてくれるわ。今は貴様よりも優先すべき餌が】



 言い終わる前に、康平はズボンのポケットから素早く石を取り出し、大蜘蛛に向けて投げる。サイドスロー気味に投げ出された石は時速200kmを超える速度で大蜘蛛に向かったが、大蜘蛛は跳躍することでその軌道から逃れ、康平らの上空を通り過ぎて反対側に着地した。


 康平は体勢を戻し、大蜘蛛へと振り返ることなく直立する。大蜘蛛は彼の姿を視界に捉えて、ふと彼の周りの空間が歪んでいるように見えた。しかしそれもすぐに消えて何なのか判断がつかないままでいた大蜘蛛に、康平はドスの聞いた声で威圧した。



「それ以上、喋ってみろ。今すぐ殺す」


【――おぉ、おぉ。怖い怖い。そういえば、あの女はオヌシの母であったな。そんなに大事なものなら、より一層丁寧に喰らわなければならんなぁ】



 火に油を注ぐことを躊躇わない様子でまだ煽り続ける大蜘蛛を前に、康平はゆっくりと振り返りながら大蜘蛛の方へと向かって一歩、足を踏み出す。ここでその場にいた人間や大蜘蛛はある異常を感じ取った。


 。一気に気温が上昇したかのように暑くなってきている。付いて来ていた4人はその暑さを実感しており、大蜘蛛もまた暑さをその身で体感していた。蜘蛛の肉体は他の生物種と比べて暑さに耐性を持っているにも関わらず。


 康平が大蜘蛛へと歩み寄っていく中で、暑さの原因が康平自身から発せられていることを悟る。彼を中心に陽炎らしき現象が発生しており、空間の揺らめきが彼の周りを取り囲んでいたのだ。


 この熱に、人が生み出されるべきではないこの現象に対峙し、大蜘蛛は奥底に眠っていた古い記憶が呼び覚まされた。かつて己の目の前に迫っていた恐怖、その再燃が目の前にある。大蜘蛛は僅かに後退した。



「どうした? なにビビってんだよ。ただお前に近づいてるだけだぞ、何に怯えてる?」



 ゆっくりと迫ってくる康平の眼は瞳孔が大きく広がり、大蜘蛛だけを捉え続ける。その目はもはや人間というよりも怪異のものに近く、人から人ならざるものへと変わり果てようとしているように見えていた。大蜘蛛の記憶の断片が復元し始めていた。


 しかしここで、どこからともなく突風が吹き荒れる。咄嗟に顔を守り、風の影響をある程度緩和させて勢いが弱まるのを待った。暫くして風の勢いが収まり、顔を守っていた両腕を解く。先ほどの風の影響か、はたまた康平の意識が逸れたからなのか、陽炎は消えており熱も消えていた。


 大蜘蛛は空を見上げ、視線の先に居る存在に吠える。



【何のつもりだ、烏天狗!?】



 大蜘蛛以外の全員が空を見上げる。月夜の空に浮かぶように佇む両翼を広げた人間のような肉体とは裏腹に、露出している顔や首に肌色は無く、艶消しされた黒色を見せている。そして、その顔に嘴があることから、大蜘蛛の言う烏天狗という名称が似合う何かがそこに存在していた。


 烏天狗はその位置のまま、翼をはばたかせることも無く留まりながら嘴を動かして言葉を発し始めた。



【双方、勝手な真似は控えろ。遊技にて勝敗を決めないのであれば、問答無用で罰を受けてもらう】


「駈剛、あれは……」


(名無しの配下よ。下手に抗おうとするな、発言通り俺様達が面倒な被害を受けかねん)


「名無しの――分かった」


【勝手な真似だと? 儂はそのような事はしておらん!】



 大蜘蛛は烏天狗に対し異議を唱えたが、烏天狗は大蜘蛛に一瞥することも無く応答する。



【対戦相手を焚きつけておいて何もしていないというのも、おかしい話だと思わないか? 大蜘蛛】


【そんなもの、あの人間の精神が弱いだけにすぎんだろう。直接的なことは何も】


【確かに直接的なことはしていないな。では自身の領域外に居た対戦相手の親族に蜘蛛を埋め込んだことに関してはどうなる?】


「……はっ?」



 烏天狗の言葉に一瞬何を言ったのか判断できなかったが、そのあとすぐに康平の中にあった怒りが再燃し始める。そうしてまた一歩と大蜘蛛に向かって歩みだそうとした途端、彼の目の前に烏天狗が立ち塞がった。



「ッ!?」


【人間、ここで争うのはやめておくことをお薦めする。名無しは常に見ているのだからな】


「…………あぁ」



 康平は3歩ほど後退し、距離を取ったところで大蜘蛛の影が烏天狗に被さった。だが後ろを振り向くことなく烏天狗は言う。



【妙な気を起こすのであれば、名無しはお前を喰らうぞ】


【それはオヌシも同様ではないか? 人間に肩入れするなど】


【知性と理性のない奴らと一緒にするな。私はあくまで中立の立場に居る者として判断しているに過ぎん】


【儂らから自由を奪っておいて、何を偉そうに。オヌシらさえ居なければ、儂らはもっと多くの人間を喰ろうていたというものを……!】


【その程度の浅はかな欲望、名無しが現れる前なら通用していただろうな】



 怪異同士の間で微妙な緊張状態が作り上げられる。ただ大蜘蛛も馬鹿ではない、名無しという存在の脅威に対して無謀にも吶喊を仕掛ければ、存在ごと消されかねないことを理解している。頭で理解している情報からもたらされる理性と、しかし制御しきれない情動のせめぎ合いは、いくばくかの時間が経って大蜘蛛は理性を選んだ。



【……ふん。まぁ良い、今は目の前にある極上の餌の方が優先だ。オヌシの言葉はひとまず片隅にでも置いておくとしよう】


【賢明な判断で何より。だが人間を喰らう前に、お前を捜してここまでやってきた挑戦者と戦わねばならんがな】



 大蜘蛛が康平に視線を移した瞬間、烏天狗の居た場所から風が吹き荒れ、少しして再び視線を戻すと烏天狗の姿はどこにも見当たらず、舌打ちをしたあと大蜘蛛はここに集った人間へと意識を向けた。


 康平以外、何の力も持たないただの人間ばかりだった。守る術さえも無くすぐにでも喰い殺せる有象無象のそれらなど、すぐにでも襲えば簡単に死ぬのは間違いない。だがそれを名無しの規則と、過去の嫌な記憶を思い起こさせる康平がそれを許しはしなかった。



【……あの烏の言葉に従う形になるのは不服だが、ここでオヌシを負かせば目下の憂いは消えてなくなるわけだ】



 全身の毛が逆立つような電流が流れたのではないかと錯覚するようなプレッシャーを大蜘蛛は出す。彼以外の人間はこの空気に耐えるのがやっとであったものの、ただ1人が見せる臨戦態勢を取っている姿に、気を強く持った。



【愚かな、わざわざ自らを差し出すような真似など。ならば望み通り全員相手をしてやるとしよう!】



 大蜘蛛を中心に世界が一変する。淡く白い月光と人工灯が照らしていた世界は、血の色の光を妖しく放つ月と赤紫に染まった空間に変わる。光源は月光しか灯っていないにも拘らず、彼らの視界にはこの世界がありありと見えていた。


 大蜘蛛は跳躍し、病院の屋上から離れると近くのビルの屋上に着地し5人から離れた場所から遊戯の開始を宣言する。



【これより、互いの命を賭けた遊戯を始める! 存分に愉しもうではないか、人間ども!】










 これから命をかけた怪異との遊戯が始まる。だがある懸念事項について康平は指摘した。



「それで、遊戯の詳細はどうするんだ?! まさかまた同じヤツをやれってわけじゃないだろうな!?」


【ハッ、態々負けに行くような真似など誰がするものか。今度は確実にオヌシを喰らうために、別のものを用意しておるわ戯け】



 その会話の後、大蜘蛛の影から5匹の人間大の蜘蛛が現れたと同時に大蜘蛛は跳躍して何処かへと去っていく。彼らの前に現れた5匹の蜘蛛は前脚を動かし、誘うような素振りをしてみせた。康平は何も言わずにその蜘蛛の背に乗ると、大蜘蛛の後を追うようにして蜘蛛は移動し始めた。


 残る4人は遠くなるその背中を視線で追うも、物理的な距離が離れていくのを皮切りに、残る4人も蜘蛛の背中に乗って移動していく。そして蜘蛛が辿り着いた場所は、中央区に建てられた10階建てのマンションの屋上であった。


 5人が乗っていた蜘蛛は、搭乗者の安全を配慮すること無く人間から離れていき、訪れた者たちを大勢の子蜘蛛とともに囲む。子蜘蛛の波がうねり、いつでも食い尽くせるように動くさまを見ている4人へ向けて、大蜘蛛が声を大にして勝負遊戯の説明を始める。



【これより、オヌシらは儂が出す問いに答えよ! 儂の出した問いに対してオヌシらは質問できるが、回答できるのは1人につきただ一度のみ! それまでに正解に辿り着き、実際に解答せねば、オヌシらは永久にこの領域の中で死に怯え続けることになろう!】


「これは……もしや」


「何か知ってるのか?」



 大蜘蛛の発言内容に心当たりがあるらしい東堂に、内田が反応して訊ねる。ある程度予想のついた物言いで東堂は自身の予測を語り始めた。



「おそらく、今から行うのは水平思考クイズです。有名なのはウミガメのスープなどでしょうか。実際に答える、というのが少し気になりますが……」


【それは、こういう事よ】



 大蜘蛛の発言の直後、呼応するように子蜘蛛の絨毯が2つに裂かれ、コンクリートの地面が露わになる。5人は拓かれた場所にあるものを見て、疑問と嫌な予感を募らせた。


 地面にあったのは、バットや凧、発電機に針金、上下揃った衣服と靴など。他にも携帯やペットボトル飲料など、何の脈絡もない物品が多数置かれていた。大蜘蛛は彼らの恐怖を助長させるために答える。



【解法は即ち、その身をもって解を答えること! 至極単純であろう?】


「……ッ! 糞野郎、ハナからオレたちを逃がす気なんて無い腹積もりか!」


「それって」


「誰かが実践して答える。言葉にすれば単純だが、問題の出題者があの大蜘蛛だとするとこう言えると思わないか? ――――誰かを犠牲にしなければここから出られないと」


「最初から全員を逃すつもりは無い、ということか……! 馬鹿げている」


【否。何時もの儂であれば、オヌシ等の心を乱すための術を仕込んでおった。だが此度はそれを使わん、正気を保ったまま儂との遊戯に臨めるのだ。慈悲深い選択をした儂に頭を垂れても良いのだぞ?】


「んなこと言われて、喜ぶ奴がどこにいんだよ!?」


【ん~? 何やら喚いておるようだが、聞き取りにくいのぉ。もっとハッキリと! 恭しく! 地べたに頭を擦り付け! 哀れで愉快な姿を見せつけてみせよ!】



 大蜘蛛の底気味悪い嘲笑いが領域内を走り渡る。それに呼応するように無数の子蜘蛛で形作られた波が、5人に触れるか触れないかといった距離まで襲い掛かった。生理的嫌悪感を催すその光景に、康平はただ1人煮えたぎるものを抱えながら大蜘蛛を見やった。


 同時に彼の周りの空間が、再度熱され始めた。その熱に子蜘蛛の群れは康平への接近を躊躇い、じわじわと後退していく。大蜘蛛は広がっていく熱と上昇する温度をその身で味わい、過去の記憶が呼び覚まされる。


 それは古い記憶。かつて大蜘蛛が、とある主の配下であった頃の忘れることの出来ない恐怖と、生物が本来持つ根源的な恐怖。怪異以上に恐ろしく、獰猛で容赦を与えなかったの姿を康平と重ねた。



【……否、そのような訳あるか】



 そう呟いた大蜘蛛の言葉の意図を察する間も無く、へばりついた蜘蛛の巣を振り払うように思考を切り替えた大蜘蛛は、遊戯開催の合図を出す。



【これより、オヌシらの命を賭けた遊戯を始める! 儂の出す問いに質問を出し、答えに辿り着いた者は、自らの行動を持って答えるべし!異議は受け付けん! そして今より、問いを出す! 一度しか言わぬ故、耳をかっぽじって、よぉく聞け!】


【あくる日、1人の男が落ちれば死ぬ高さの建物から飛び降りた。案の定男は死んだが、男の死因は落下によるものでは無かった。この男の真の死因について答えよ】

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カイイユウギ Haganed @Ned

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