第28話 兆し

「毒?」


(頭でもイカれたか此奴?)


「まあ不思議に思うのも無理はない。この毒というのは、あくまで比喩的な表現として自分が言ってるだけだからな」



 と、どこか得意げに言った東堂の姿にその場にいた3人と1体は疑問を投げかけるが、そのような反応を気にすることなく自身の辿り着いた仮説を唱えた。



「この毒というのは、自分たちが想像するような代物じゃない。不可視で、人間では殆ど気付きもしないものだからな」


「一体、それって?」


「君が受けていた毒、それは――音だ」


「お、音?」



 予想外の答えが出されたことで、またさらに3人と1体の頭に疑問符が浮かび上がった。毒と音、そしてそれがどう大蜘蛛との関連性が全く見いだせなかった為である。しかし、東堂の仮説を聞くことで、その疑問は霧散していくのであった。



「音と毒って、何にも関係無い気がするんだけどよ」


「普通はそう思うのも仕方無い。だが自分は大蜘蛛が今使っている毒の正体がそれだという確信があるんだ」


「音が毒になるものなのかなぁ?」


「なるのさ、意外なことにな」



 携帯を取り出した東堂は検索機能を使用し、とある記事に辿り着くとそれを全員に見えるようにさせた。



「これは?」


「調べて分かったことだが、人間の可聴域を示した図だ。人間は最低でおよそ20Hz、最大で14,000Hz~20,000Hzの音を聞き取れる。だが今回注目してほしいのは、100Hz以下の低周波の音域に注目してほしい」


「それが何か、関係があるのかい?」


「この低周波の音域にある音は、人間が浴び続ければ様々な健康被害を齎すとされている事象が起きるんだ。低周波騒音といってな」


「低周波騒音……いや、待ってそれじゃあ!」


(成程。見えてきたぞ、お前が可笑しくなった絡繰りが)



 何かしらに気付いた康平と駈剛がごうは、その想像が間違いでないことを東堂の答え合わせによって知る。その被害が、今の今まで放置されていたという事実に。



「湖里君の思っている通り、その大蜘蛛はこの低周波の音を使用することで人間を惑わしていたんだ。幻覚や苛立ちといった症状を発生させるからな」


「幻覚や苛立ち……苛立ちって、ああ! 康平君、あのとき物凄く情緒不安定だったのは!」


「この低周波騒音による被害だろう。それに湖里君は自分たちよりも長く中央区に居たことを考えると、その影響を自分ら以上に受け続けていたんだ。精神的な被害は相当なものだったはず」


「ちょ、ちょっと待ってくれ! なんで中央区に行っただけでそんなことになるんだ!? まさか中央区の全てに、その低周波騒音が流れてたって言うのかよ!?」


「いや、たぶん今も流れ続けている」



 康平の言葉に反応し、全員視線を彼のほうへと向けた。ありえないとは思いながらも、まさかと思わざるを得ない仮説を突き付けられ、どちらを信じるべきか頭を悩ませているが、康平の意見に誰もが納得せざるをえなくなった。



「最初、中央区を探索したときに晴彦きよひこ君、言ってたよね。って。もしかしたら、晴彦君が聞いたのがその低周波騒音の音だったとしたら……!」


「その線は確実だろうな。それにおそらく、6年前から発生している中央区での暴行事件、乱闘事件もこの大蜘蛛による低周波騒音の被害によるものだろう。」


「中央区のあれが、大蜘蛛の仕業!? でも、なんで?」


(確かなことはわからんが、大方3~6年前のは実験なのだろうな。その力で人間にどのような作用が起こるのかといった。そして3年前を境に沈静化したのは、実験は終了し実行段階に移す時だと判断してのことかもしれん)



 康平は聞いた駈剛の話をそのまま3人に伝えた。実験と称してそのような事を引き起こしたのかもしれないという真実に近しいかもしれないその仮説は、今この場に居る3人を納得させるのに十分なものだった。



「だとしたら、6年前からその大蜘蛛は中央区を支配下に置いてるのは間違いないだろうな。そして人を食ってる可能性も」


「んなことが起きてるってのかよ……!?」



 康平の手が固く握り締められ、その手から熱がこもり始める。熱く滾る闘争心と、大蜘蛛への黙認できない全てに対しての怒りを募らせているように、力強く。



「一刻も早く、潰さないと……!」


「その通りではあるが、その前に待ってほしい」



 今すぐにでも大蜘蛛退治のために飛び出しそうな康平を制止する声を、東堂は掛ける。康平の意識が彼の方に向けられたところを確認すると、これからについて相談する前にあることを康平に訊ねた。



「湖里君、あの大蜘蛛は一度とはいえ君と駈剛さんから逃げ切った。なぜ逃げ切れたのか、について考えて対策を立てなければ同じ轍を踏むことになる」


「……そうだね、うん。今度も逃げられたら、それこそ本末転倒だ」


「わかってくれて助かる。それで、あの大蜘蛛はどうやって逃げ切れたんだ?」



 康平はあの時の鬼ごっこのことを思い出す。大蜘蛛は様々な罠を用いて逃げ続け、車を飛ばしてきたり噛みついて毒を与えたりと、中々に巧く頭を使ってきていたが、一番印象深かったのは、領域外に逃げ出せたこと。これに疑問が募った康平は駈剛に訊ねる。



「駈剛、あの時大蜘蛛は領域外に逃げていたよな」


(間違いなくな)


「あれは、出来るものなのか? 遊戯の最中に領域の外に出られるって、有り得るのか?」


(いや、それはない。領域に閉じ込められた対象は、遊戯の条件のもとに勝つことが出来るまで外に逃げられることは出来ん。ましてや、領域の外は人間どもが住まう外界だ。名無しのルールがある以上、直接的に人間を襲わぬようになっておるはず)


「領域から出るには、遊戯に勝利してから。そして名無しの影響で、本来は領域の外から出られない。」



 その前提条件が存在する中で、大蜘蛛はどのような絡繰りを使って逃れたのかということを考えようとしていたところに、晴彦の声が割って入った。



「皆、そろそろ5分前だし、戻った方がいいかも」


「む、もうそんな時間か」



 東堂も同じように時間を確認し、そろそろ次の授業が差し迫っていることを知ると、一旦それぞれのクラスに戻り、授業の時間に戻った。しかし康平の頭の中の大半を占めているのは大蜘蛛が領域の外に逃げられることが出来た理由であった。


 その謎が解明されるまで、目の前で板書される内容をノートに書く手は止まらないが頭に入ることは無いだろう。中々器用にやるものだが、はたして学生としてそれで良いのかという問題も浮上してくるが。


 康平はふと、あのとき自分たちが領域をどの辺りまで支配していたのか考えた。そして逃げられた場所についても考え、思考の海に漂い始める。次第に周りの音さえも遮断されていき、いつしか周りの音は聞こえなくなりつつあった。


 気付けば5限の授業の終わりの鐘が鳴り、次の授業の用意をするまでに休み時間を少し潰してしまったのだった。









 放課後になり、メッセージを使って内田にも大蜘蛛のしている所業や中央区に蔓延している低周波騒音による被害に関する仮説を伝え、ひとまず中央区の外で集まり車内で対策を立てていた。同時に、康平がずっと考えていた領域外に逃れられた絡繰りを解明するために知恵を集めてもいる。



「しかし、低周波騒音か。すぐにでも調べられそうな物だと思っていたが、当時の治安を鑑みれば難しいことだったかもしれないな」


「気になったんだけどよ、その低周波騒音って実際そこまで聞き取りにくいものなのか? 話聞いてて今更思ったけどよ」


「それについては自分が実際に聞いてみた限り、かなり注意深く聞いてないと音として認識しないぐらいなのは確実だ。よければ今聞くか?」


「遠慮しとくわ」


「そうか。ではあの大蜘蛛がどうやって領域の外に逃れられたのかについてだが、湖里君と駈剛さんは何か分かったことは?」


「分かったことは無いんだけど、少し気になった事なら」



 後部座席にいる康平は、持っていた携帯の画面を全員に見せるようにする。映し出されていたのは地図アプリを使用中の状態であり、現在地から離れた場所を示している。この辺りの場所に、内田は見覚えがあった。



「ここは、君を回収した辺りの近くか」


「はい。ちょうど……この辺りで大蜘蛛に領域外に逃げられて」


「いやここって、道路じゃないか」


「そこから落ちちゃって、それで他人の車をパアにしちゃって……。」


「落ちたぁ!?」


「君、よく無事だったな」


「神通力が体に馴染んで、肉体の強度が上がってたから取り敢えずは。って、それより見てほしいんだけど」



 康平は画面に映る地図を二本指で縮小させると、それを見ていた4人の内、2人。内田と東堂がある事実に気が付いた。



「これは……」


「どうしたんすか?」


「よく見れば、その大蜘蛛の逃げた先が同じ中央区だ」


「えっ。あ、本当だ。でも何で?」



 大蜘蛛が逃げた先である進行方向に注目してみると、中央区の範囲であることに気づいた一行は、これがどういったことを示しているのか考えているうちに、不意に秀司が発した一言によって解決へと導かれた。



「複数あんのか?」



 秀司以外の全員の視線が彼の方に移動する。その視線に気づいた秀司は、少々遠慮気味に自身の考えを言った。



「や、もしかしたらってだけで全然確証は無いけどさ! 似たようなのはゲームとかであんじゃん! 実は相手の核が三つありましたーとかって! 全然、妄想の類なんだけどよ」


「いや、案外その線はありだと思う」



 顎のあたりに手を触れながらそう言った東堂に視線が集まり、彼は自身の想像する考えにどこか自信を持ちながら言う。



「もしかしたら、領域は湖里君や駈剛さんが見た物とは別に他にもあるのかもしれない。大蜘蛛が逃げられた理由が、単に自分の領域を行き来しているだけだとすれば、辻褄は合う」


(阿保を抜かすな、領域は怪異一体につき1つまでだ。そう易々と数が増えることなど有り得ん)


「怪異の領域は1体につき1つまで、じゃあどうやって?」


「自分の領域の中に領域を作ってるのかも……」



 ポツリと、呟いた晴彦の言葉に全員が何かに気付いたかのように閃きを得た。



「そうか、それならいけるかも!」


(成程。範囲のほどは分からぬが、自身の領域内に別の領域を作るというのなら話は変わってくる。支配された領域内から自分の領域へと移動するだけならば、外界に出るという判定では無くなってくる。あの蜘蛛め、中々どうして頭が回る)


「でかした。となると後は領域の数とその範囲だけになるが……湖里君、大蜘蛛を追いかけ始めた場所は?」


「確か、この辺りだ」


「携帯を借りても?」


「どうぞ」



 言われた通りに自身の携帯を貸し与えると、東堂は画面を操作して何かを考え始めた。ただその作業もすぐに終わり、携帯を康平に返すと眼鏡を直す。



「予測が終わった。領域の範囲はまだ漠然とした予想程度だが、数は3つだという結論に至れる」


「3つ?」


「そう、3つだ。次に大蜘蛛が出現するポイントを考慮すれば、その数で中央区全体をカバーできる。」


「次に大蜘蛛が現れる場所って――もしかして、康平君のお母さんが居る病院じゃ!」


「話を聞く限り、既にマーキングされているのであれば狙ってくるのは確実だろうな。だが、逆に言えばこちらも迎え撃ちやすい状態にある。」


「そうか。確かに向こうからやってくるのであれば、わざわざこちらから探す必要は無い。だが問題は」


「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」



 話が進む中、それを遮るように秀司が慌てて割って入る。



「お前ら、それ分かってて言ってんのか!? 康平の母ちゃんを囮に使うって言ってるようなもんだぞ!」


「……あぁ、そうだ。」


「康平もなんで言わないんだよ!? 他に方法があるかもしれないだろ!」


「秀司、ありがとう。でも間に合わないんだ、それだと」


「康平、お前」


「時間が足りないんだ、あの大蜘蛛を倒すのに。でも、ありがとう」



 康平の母にかけられた大蜘蛛の呪い、それを防ぐための効力を有している木札も、おおよそ2日のみのタイムリミットがある以上、確実性を求められる。となれば大蜘蛛の性格を鑑みると、彼女が死ぬ前に病院にやってくるのは明白であり、そのような絶好の機会を逃すような真似は出来ないのだ。


 母を救うために、母を囮に使う。胸の内が締め付けられながらも、その身の全てに炎が回るような熱さを康平は感じていた。彼の意思を聞き届けた内田と東堂は重くなっていた自身の体に喝を入れて仕切り直す。



「よし、なら早速対策に移ろう」


「対策って、東堂君なにか考えてる事があるの?」


「一応は。ただ、重要な対策は康平君にやってもらう必要がある」


「僕に?」


「君には駈剛さんとともに領域の範囲を調べてきてほしい。二重三重に領域がある状態なら、何かしらの違和感を感じる事ができるかもしれないと見込んでだ」


「駈剛、どう? 行ける?」


(やってみなければ分からぬ。だがその低周波騒音についてはどうするつもりだ? あれがある限り、また同じような事が待っておるぞ)


「そこを何も対策しないで僕に頼んでるわけじゃないでしょ。東堂君、あるんでしょ?」


「あぁ、これを」



 東堂は自身のバッグからあるものを取り出し、それを康平に手渡す。見てみると、大きめのイヤーマフだった。



「あらかじめ伝えておくが、これもあくまで一時凌ぎにしかならない。低周波の音を完全に遮音できるものではないからね。もし心身に異常を感じ始めたらすぐに中央区から離れてくれ」


「わかった、気をつけるよ」


(今回は俺様も気をつけるとしよう、お前の暴走は洒落にならんのを身に染みて理解したのでな)


「頼りにしてるよ、駈剛」


「なら、これからどうする?」



 内田が彼らを見て訊ねる。東堂が掛けられたメガネを直し、答えた。



「このまま湖里君と駈剛さんには指定領域の範囲を調べてきてほしい。自分らは大蜘蛛への対抗策を準備します」


「準備? 聞いてねぇけど」


「今言ったからな、だが協力しない選択肢は取らないのだろう?」


「まぁそうだけどよ……というか、対策って何をするんだ?」



 秀司がそれを訊ねた途端、東堂は口角を上げ瞳孔が広がっていく。くつくつと笑い始めた彼の笑みは、俗にいうをしていたのである。



「向こうは絶対的な強者だと思い込んでいるようだが、所詮蜘蛛でしかない。ならばこちらは存分に弱点を突いて相手を追い詰めるだけだ」


「うっわぁ、スゲェ活き活きしてるぞコイツ。あのガリ勉そうな東堂がこんな性格だったとは」


「学校ではうまく隠しているだろう?」



 そのような会話の後、康平は内田の運転で中央区西側に到着し領域を範囲を調べにかかり、あと残った者は大蜘蛛に一泡吹かせるために行動を開始した。









 日は流れ、夜闇が空を支配した時間帯に、病室のベッドで眠っている女性が1人。眠っているのは康平の母であり、なんの反応もないまま静かにしていた。しかしただそうしているのではなく、実際は体内に埋め込まれた蜘蛛が効力の弱まった守護の力から抜け出そうと必死になっている。


 それを見ることの出来る者は今この場に居らず、彼女の危機を察知できる者も居ない。怪異に対して何も出来なくなっている現代に、ゆっくりと大蜘蛛は病院の壁を這って現れた。


 窓ガラス越しに見える彼女の中に埋め込まれた蜘蛛の様子を見て、下衆な笑みを浮かべ滴り落ちる涎を隠そうともしていない。



【あぁ、今か今かと待ち遠しいぞ。まさかこのような上玉がこの世にまだ居たとは、生きていれば良いこともあったものだ。これを食らえば、儂は今まで以上に力を得ることができる。そうなれば、あの名無しを倒して支配者として統べるのも時間の問題だけよ】


「人の母親をジロジロと見てんじゃねぇよ、糞蜘蛛」



 大蜘蛛は視線を動かし、屋上からの声の主の姿を見た。大蜘蛛の4つの眼に映っていたのは、月明かりに照らされながら大蜘蛛を見下ろしていた康平人間の姿であった。

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