第27話 静寂に潜む

 あれから約3時間ほど経ち、午後10時15分ごろ。意気消沈状態にある康平は現在、祖父母の計らいによって自宅のアパートではなく、ホテルの一室に身を寄せていた。ソファに座り1人でそのように過ごしていると、玄関の扉が開いて祖父が部屋に入ってきた。


 祖父はその左手に下げられたビニール袋を持って入ってきたが、鍵を開けたままにしている自身の孫の不用心さに呆れかえっていそうな事を示すかのような、そんな溜め息を吐いた。


 部屋に入り玄関の鍵を閉めて、小さな丸テーブルの上にビニール袋を乗せたあと、中身を取り出しながら口を開く。



「康平、お腹空いただろ。良さそうなの買ってきたぞ~、限定のおにぎりあったから食べな」



 そのように声を掛けたものの、返事が返ってくることは無く、まるで全てを見たくないとでも謂わんばかりに、康平はただ床へと視線を向けた。何度か駈剛も中で呼びかけはしたものの、この調子では何をしようと意味をなさないことを悟り、語り掛けることもしなかった。


 今の彼の様子に一筋縄ではいかないことは、誰から見ても明らかであるのだが。自分の家族に対して、ましてや自分の娘が腹を痛めてまで生んだ1人の孫を、あの男が残してしまった忘れ形見の今に無視をするという選択肢は、1人の人間として思い浮かぶことは無い。


 空いているもう一席のソファに腰かけ、いったんその身を預けるようにもたれた後、祖父は訊ねた。



「なぁ、康平。聞いてもいいかい?」



 無言を貫く。少しだけ彼は祖父の方へと頭を向けたが、視線は未だに下を見ているまま。それ自体は別に気にならないのか、祖父は続けた。



「何となくだけども、康平が色々と奔走しているってのは分かっちゃいた。あの時、娘の――風華ふうかの異変に気付けたのは、康平と家内だけだったしな。今日学校に行かなかったのも、そういう事だったんだろ?」



 視線を祖父から離すように、顔を逸らす。とはいえそれ自体は、言ったことを肯定しているのと同じことであると示していた。



「康平。気持ちはありがたいさ、何であれ助けようとしていたのは感謝している。……だが、もうこれ以上はやめてくれ」



 その発言でようやく、康平は祖父の顔を見た。康平自身はそれに対して、眼光を強くさせ睨みつけているが、効いている様子は全く見受けられなかった。



「今の康平に誰かが助けられることなんて、出来やしない」


「……どういう、意味さ」


「言葉の通りの意味だ、康平」


「じゃあ母さんを見殺しにしろってのか?! あと2日ほどしか猶予が残されていないのに! 自分の娘なんだろ、死んでいいってのか!?」


「いい加減にしろ、この馬鹿者がっ!」


「いい加減にするのはアンタの方だ! 今母さんを救えるのは俺しか居ないんだ! アンタに一体何が出来るんだよ?! 何にも知らないくせに、しゃしゃり出てくるんじゃねぇ!」


「今のお前に誰かを助けるなどと大言壮語なことを抜かせる資格はない!」


「ふざけるなよクソジジイ!」



 1歩程度の間隔しかない距離を詰め、康平は大きく引いて殴ろうと拳を出した。だがその行動は駈剛の手立てによってはばまれ、祖父は彼の頬を引っ叩いた。若干仰け反っただけになったが、すぐに康平の胸倉を掴み、視線を合わせた。



「ハッキリ言わせてもらうが、お前ひとりで何とかなった試しはあったのか!? たった1人で何とかしようと動いた結果、どうなったのか身をもって知っているだろう!」



 康平は口を噤んだ。確かに今まで、康平は1人で怪異を退治してきた訳では無い。駈剛の助けがあって事態を解決させられたし、事情を知った協力者と共に取り組むことで、どうにかして事態の鎮圧が出来たのだ。


 そして康平も、そこまで言われて今までの出来事を思い出せないほど痴呆ではない。駈剛は勿論のこと、晴彦、東堂、内田の手助けがあったことをすぐに思い出し、最初に駈剛と協力する事になった時に言っていた言葉を思い出す。


 で、やるんだ。どうしてか、忘れていた言葉が思い出され、康平は握り拳を解いた。途端に力が抜けて後ろに倒れかけたが、祖父が体を支えたことでそのようにはならずに済んだ。



「……あぁ、そうだった。そうだったや」



 なぜ忘れていたのだろうと、考えながら康平は力の入らない脚に力を入れて、1人で立つ。届いていたその呟きに、祖父は彼から手を離した。


 今までやらかしてしまった事を、ようやく認識した康平は、祖父に向かって90度腰を曲げて頭を下げる。



「ごめん、じいちゃん。オレ……オレ、どうかしてた。今の今まで、気付けなかった。本当に、ごめんなさい」



 その様子を見て、目が覚めたというのが分かったようで。大きく鼻から息を吐きだし、安堵したのか柔らかな表情へと変わり、口を開こうとした瞬間、康平から大きな腹の虫が鳴り一気に緊張が解けた。



「あうっ」


「くくふっ、まずは腹ごしらえとするかね」


「うん……」



 康平はソファに座り、丸テーブルに置かれたおにぎりや飲み物をビニール袋から取り出し、小さく“いただきます”と呟いてから食べ始めた。明太高菜山椒味と表記されていたおにぎりを頬張り、その辛さに吹き出しそうになったが、すぐにペットボトル緑茶の蓋を開けて流し込んで事無きを得る。


 なぜだか、食べているのに涙が出始めた。何度かおにぎりを頬張りつつも、数回に分けて鼻をかんだりと、中中にせわしない様子を見せながらであったが、祖父が買ってきたおにぎりを完食し、緑茶を飲んで喉を潤したあと、康平は携帯を取り出して電話を掛けた。



「もしもし。夜分遅くにごめん、今から会いたいんだ……直接、話さなきゃいけないこと。うん、うん。ありがとう、昔遊んだ公園で集合で良い? ――ありがとう、それじゃあ」



 電話を切り、すぐにこの部屋から出る準備を整えようとしていたところで、康平は肩を掴まれ動きを止める。振り返ると、祖父が一旦待つように言ったのでその通りに待つと、ホテルの部屋の鍵と諭吉が印刷された紙幣を1枚手渡した。



「持っていきなさい、タクシーでも呼ぶと良い。仲直りしたら、それを使って何か買って構わないから」


「……ありがとう、じいちゃん。でもさ」


「うん?」


「流石にポンと1万出されると、ちょっと遠慮しちゃうんだけど。あとでばあちゃんと母さんに怒られても知らないよ?」


「……秘密にしといてくれんかね?」


「渡す気なのは変わらないのね」









 午後10時30分、三原は目的地に到着していた。6月の終わり、そろそろ夜中でも半袖で過ごさなくてはならないといけない気温になろうとしている。そんな中で彼は康平を待つために、三角形の敷地になっている公園の中に足を踏み入れる。


 120cmほどのコンクリート壁で囲われた公園の右側には、1本の木が植えられていて、左側にはブランコと砂場、ジャングルジムだけが設置されているのみだが、2人は幼い頃、ここでお互いの両親を交えて遊んでいたことを、三原は昨日のことのように思い出す。


 だがあの時、怒り狂った形相の康平に殴られたことで地雷を踏んでしまったのではと、両手で顔を覆った。手の中で呼気がこもり、生暖かさが口元に広がっていく。すぐに目を外気にさらすと、ほんの僅かに涼しくなった。


 コンクリート壁に寄りかかって暫く待っていると、どこからともなく足音が聞こえてくる。足音というには、そのペースはとても早く、誰かが走っているにしては到底思えないものになっている。


 それでも今聞こえているそれが足音であると何となく感じられた理由は、直接会いたいと言った幼馴染の言葉が頭にあったから。


 その足音の主が、速度を落としながら待ち合わせの公園にやって来た。この暑い日に肩で息をするぐらいに走ってきたと思われる康平の姿を彼は目にした。互いに目を合わせると、何かを考える前に両者は駆け寄って、そのまま頭を下げた。



「「ごめん!……へっ?」」



 まさか息ぴったりに開口一番で謝罪の言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。2人して間の抜けた顔を合わせたので、中に居た駈剛が小さく吹き出した。それから次にどうすればいいのか分からなくなって、何となく三原はブランコのある方向を指し示しながら康平に尋ねた。



「取り敢えず、座るか?」



 康平は頷いて返答し、2人はブランコに座ったあと少しのあいだ何もしゃべらなかった。やがてこの静かな間に口火を切ったのは、またしても同時に行われた。



「「なぁ。」」



 ここまで息が合うことがあっただろうかと、一瞬考えはしたがすぐに本題に入ろうと話を進めた。



「……あー、先に康平からどーぞ?」


「や、先に秀司から」


「いや、俺は別にあとでも良いっていうか」


「やでも、待っててくれたんだし先に話しても」


(どっちでも良いから、さっさと話しを進めろ)



 変な譲り合いが発生したので、駈剛の言う通り康平から先に話題を切り出すことにした。



「その……あの時は、ごめん。殴ったり、罵倒したり、本当にごめん。秀司に許されないような事ばかりしてしまった。ありきたりな言葉でしか言えないけど、その……ごめんなさい」



 彼はそのように言った後、ブランコから立ち上がりまた頭を下げた。今度は先ほどよりも深々と、数秒ほどそのようにして、三原もブランコから立ち上がって康平の真正面に立った。



「康平、頭上げな」



 言う通り、康平は頭を上げた。その直後、康平の頬に向かって三原が右ストレートを叩き込んだ。叩き込んだのは良かったものの、康平は全く仰け反りもせず、逆に三原の拳が悲鳴を上げて痛みが伝わり、彼はその場で拳を空いた手で押さえながら蹲った。



「だ、大丈夫?」


「お、おま。なにこの……かったぁ」


(神通力が馴染んだことで骨や肉の強度も上がっておるからな、ただの人間が今のお前を傷つけることなど出来んぞ。其奴には聞こえておらんだろうが)



 痛みに悶え涙目を浮かべている三原に対して、心配そうになりながらしゃがんだ康平だったが、助けは要らないと手を軽く突き出して立ち上がった彼を見て、康平も同じように立ち上がった。



「いつつ。お前さ、どんだけ硬いんだよ。見た目と全然違うだろそれ」


「えぇっと、その」


「……アイツ等が言ってた、怪異退治とやらと何か関係あんのか?」


「――聞いてたの?」


「全然信じちゃいなかったけどな」



 三原は重力に身を任せる様にブランコに座った。頭を俯かせ、まるで現実を受け止めるための準備でもするような息を吐く。そのままの体勢で三原は、自身の思っていた全てをこぼした。



「綾部と東堂から聞いたけど、何かの冗談じゃないのかってぐらい突拍子もないことばかり言ってたんだ。康平が今この三沢市で起きてる不審な事件事故の裏に居る、怪異を倒してるってよ」


「……そうだよ。2ヶ月前から、ずっと」


「そうか。でも俺はそれが本当に起きてるわけがないって思ってたんだよ、お前たちのことを信じられなかったんだ」



 信じられない。怪異というものの被害に出くわさなければ、確かに信じられることなど到底無理なのは明白であり、三原の反応こそ普通なのは、実際その通り。そして怪異を見たとしても、何かの撮影ように使われるセットと思う人間がいる以上、怪異を信じる人間を不審がるのも当然のことだ。



「でも、そんな態度がお前の逆鱗に触れちまったんだよな。母ちゃんが、その大蜘蛛とやらのせいで苦しんでるってのに、俺はお前を見放した」


「秀司……」


「バカだよなぁ。康平のことは絶対に守ってやんなきゃって、誓ったくせにさ」



 三原は額を両手で覆って、脚の動きだけでブランコを揺らした。彼の脳裏に浮かんだのは康平の小さい頃の姿と、その時の彼のしていた恨むような鋭い眼つき。行動原理の全てが1人の男に対して向けられた憎悪による、子どもの許容を超えた異常な行動。


 それがとても痛々しく、見ていられなかった。幼いながらの競争意識のままに色んな勝負をしていた時間を共に過ごしていたからこそ、どうにかして助けたかったはずなのに。表面上で大人しくなっていた彼に、どこか甘えていたのかもしれないと。



「康平、俺の方こそごめん。お前のこと、突き放したりして。信じることをやめて、ごめん。

 救えないって言って、ごめん」



 三原はブランコから降り、そのまま土下座の姿勢をとった。彼の出来る精一杯の謝罪方法がこれで、康平がその様を見て、膝をつき三原の体を起こした。互いの視線がもう一度合ったところで康平は三原を立ち上がらせた。



「それは、もだよ」



 康平は柔らかな物言いで、かつての一人称で自身の事を示す。この一人称を聞くのは、怒りなどで感情が昂りつつある時ぐらいにしか聞かなくなったため、久方ぶりに聞いたなと三原は懐かしんだ。



「オレのこと、心配してくれてたんだろ。オレから突き放すような真似をしたのに、連絡して来てくれた……。1番の親友なのに――」



 涙ぐみ始めた事で、康平の声が詰まってくる。実に何年ぶりのことだろうか、久しぶりに流した涙の止めどなく流れるさまに、康平自身も困惑しながら言葉を紡いでいく。



「ほんとうに……ごべん……! ありがとう……!」



 どうしようもなく流れるそれに釣られて、三原は隠そうとして康平を抱きしめる。暗闇の中、離れていた友はもう一度共に居ることを選んだのである。










 翌日。朝早くに起きた康平は一度家に戻り教科書や課題などを揃えたあと、隣部屋に居る晴彦を訪ねて、彼にも謝罪した。三原のことは昨夜に解決し、怪異退治にもう一度協力してほしいと頼み込んだ。


 晴彦も、その様子を見て元に戻ったと確信したので、協力関係が消えた覚えはないと言って協力する姿勢を見せた。


 色々とあって学校に戻ると、あの優等生が無断で欠席したことにクラスメイトから尋ねられたりした。それらは普段のようにのらりくらりと躱し、先に来ていた東堂に昨日の事を謝罪する。


 「なら、今度気になっていた珍しいスイーツでも奢ってくれ」とだけ言って、それ以上の言及はしなかった。内田にも前回のことをメッセージで謝罪し、今度は焦りすぎるなよ、と言葉をいただいた。


 色々とあった中、昼休みに4人は人目を避ける様に校庭の中庭に集まり、新しく万バーに加わる三原に康平の事情を見せたりした。案の定そのような状態になっているとは思いもしなかった三原は、康平の手に現れた眼に驚き、異常な身体能力や肉体の強靭性に納得し始めていた。


 様々な事情を説明し、頭がパンクしそうになっている三原は何とか情報を纏めようと、口に出しながら現在に至るまでのあれこれを整理していく。



明里あかさと 詩音しおんっていう女の子が変化した化け物に、学校の七不思議の7つ目、幻を見せる巨大な蛤ときて、今がくそでかい蜘蛛って……お前ら、よく生きてたな」


「全部、湖里君の功労によるものが大きいけどもね」


(俺様を忘れるな馬鹿者)


「駈剛が忘れるなってさ」


「おっとすまない。確かに怪異退治には彼も必要不可欠だ」


「鬼が中に居るんだよな? 腹壊したりしてねぇのか?」


(おい)


「サルモネラとかみたいに、直接体に害を及ぼすようなヤツじゃないし」



 その発言に東堂が吹き出し、笑いを堪えているのを見て、駈剛が何故笑うのかと問いかける様に指示するが、それは無視し東堂が治まるまで待った。


 ひとしきり笑った東堂は、たまに思い出して笑いそうになるも、本題に入るとすぐにいつもの様子に戻った。



「さて、本題の大蜘蛛退治に移るとしようか。と、その前に色々と調べて判明したことがある」



 一体それが何なのだろうかと、不思議そうに3人と駈剛は東堂に注目した。そして彼の口から出たその発言に、彼らは戸惑うことになる。



「湖里君。君は今、ある毒に侵されている」

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