第24話 生存競争
康平の周囲から子蜘蛛の群れが離れていき、拘束から解き放たれた康平は、蜘蛛に敗れた一般人の叫びを聞いて尚、極めて冷静そのものであった。誰かの死に対して感傷的になるわけでもなく、ただ敵だけを見据えていた。らしくない、と駈剛は思った。
(おい、お前……)
訊ねようとしたところに、あの大蜘蛛は康平の目の前に降り立つ。えらく静かな着地とともにやってくる風圧は、髪や服をたなびかせる程度に吹いた。見るものを委縮させる4つの目が彼を捉えるが、意にも介さず睨み返す。その反応に大蜘蛛は嘲笑いながら言った。
【次は貴様が食われる番だというのに、酷く落ちついておるなぁ。もしや諦めでもしたのか? あの男の断末魔を聞いて、儂には勝てぬと踏んだか?】
大蜘蛛の嗤いに呼応し、ほかの蜘蛛が反応した。群を成している子蜘蛛はうねりを作り波のように揺れ動き、人間大の大きさの蜘蛛は第一脚と第二脚を上げてその体を上下に動いた。同じように嘲笑っているのだろう。
しかし康平はそのような挑発に乗るような真似は無く、その眼光を大蜘蛛から逸らすことはなかった。10秒もした頃合いで大蜘蛛はその嗤い声を徐々にやめていき、不愉快なその目を見て疑問を呈した。
【何だ、その目は?】
「何が?」
【オヌシのその目だ。まるで自身が負ける気など毛頭ないと思っているような、儂に勝てるとでも思っていそうな、不遜な視線よ】
「自意識過剰なんじゃねぇのお前。オレはただ、今日の学業に支障が出かねないようにさっさと終わらしたいとしか考えてねぇよ」
【……粋がるなよ人間。オヌシ1人なぞ、簡単に始末できるのだからな】
「やってみろよ害虫」
互いに見合って数秒、十数秒か。膠着状態を解したのは人間大の蜘蛛が康平に近づき、背中に乗るよう指示してからであった。康平はその蜘蛛を一瞥し、大蜘蛛に睨みを利かせながらゆっくりと乗った。
何か言葉を発することもなく、康平を乗せた蜘蛛、ほか3匹の人間大の蜘蛛は跳躍して六角形の蜘蛛の巣の端に、大蜘蛛はどこかへと着地した。康平の居る場所の先には、ゴール地点である建物の屋上が見える。
準備が整ったところで、領域内に大蜘蛛の低い声が響き渡った。宣戦布告の合図である。
【これより”蜘蛛の巣”を始める! 勝利条件と遊び方は、もう言わずとも良いだろう。儂の餌となるがいい!】
「達成できねぇ目標をくっちゃべんな、蜘蛛風情が。このクソみたいな遊戯の攻略法は、もう見えてんだよ」
【ほざけ、人間!】
そうして康平と大蜘蛛は遊戯を開始した。先行の康平は手番に2度動けるため、まずは2つ先に前進した。大蜘蛛は3つの駒全てを、蜘蛛の巣の中心に向かって前進する。
手番が回り、康平はまた2度前進を選択した。ここまではあの時の男となんら変わりない進め方をしているため、大蜘蛛は内心でほくそえみながら、3つの駒全てをまた中心に向けて前進させた。攻略法とはいったが、無策を隠すためのハッタリであろうと蜘蛛は内心そう考えた。
そして3度目の手番が回ってきたとき、康平は1度だけ前進し、次に康平から見て右側の横糸へと移動する。その移動は横糸の3分の1辺りの地点で止まったことで、この5重目の横糸は3回の移動を要することが判明した。
大蜘蛛はその動かし方にどこか違和感を覚えながらも、全ての駒を前進させた。まさか本当に攻略法を見つけたのでは、と考えを巡らせている中で康平は横糸を渡り切り手番を終えた。
「ほらよ、次はお前の番だ。さっさと駒を動かせ。」
【指図するな。……時にオヌシ、儂は聞きたいことがある】
「知るか、答えてやる義理はない」
【そういうと思ったわい。無論ただでとは言わん、こちらの問いに答えれば、先ほど捕えたあの男を解放しよう】
「はぁ?」
(罠の可能性も否めん。もしくは取り決め事の範疇に無いことをしでかすやもな。どうする?)
駈剛の問いかけに暫く考えを巡らせ、無言を貫く。そうして手番が大蜘蛛のままで止まっているいる遊戯を一旦無視し、康平は決断した。
「……約束は守れよ、クソ蜘蛛」
【安心しろ、取引には忠実なのでな。先に男を解放しよう】
そのように言った大蜘蛛の言葉に従って、子蜘蛛の群れが蜘蛛の糸に包まれている男を運び込み、適当な5階建てのビル屋上に置いた後、蜘蛛の糸が裂かれて中から力なく男の体が転がり出てきた。ひとまず男の身柄は確保できたのを確認すると、康平は大蜘蛛の声に耳を傾ける。
【では、こちらの問いに答えてもらうとしよう】
その言葉には無言を貫いて返答。何も言わない彼の様子を確認した大蜘蛛は彼に問うた。
【オヌシは、この遊戯の攻略法を見つけたと言っておったな。真か?】
「嘘だって言ったら?」
【いいや、嘘だとは思えん。儂に向かって大口を叩きながらも、この遊戯に勝てた相手は未だおらなんだ。ここまで淀みない1手を繰り出せるのは、オヌシが初めてだ】
「ならその相手がとんだ間抜けだったか、お前に対してハンデ……あぁ、接待プレイでもしてたんじゃないのか?」
接待プレイという単語を大蜘蛛は理解できていなかったが、その意味合い的に手加減されていたのでは? というようなことを言われていたのだろうと悟る。しかし康平の言ったその仮説は、他ならぬ大蜘蛛自身が違うと言い切れるものであった。
大蜘蛛はこの遊戯の場でも、とある仕込みをしている。それは自身の支配域である箇所にも使用されているものだ。その仕込みの影響を受けて正常な判断能力が無くなり、そして犠牲者は大蜘蛛に敗れた。
大蜘蛛の見た限りでは、康平にも仕込みの影響を受けている節はある。しかしそれを一切感じさせないような精神力に、どこか歪な雰囲気を感じ取っていた。この違和感がなんであるか、というのは答えるつもりは無いだろうと、康平を見てそう大蜘蛛は考える。
【……ふん、もうよい。これ以上は無駄だろう】
「よく分かってるようで、さっさと駒を動かせ」
【この程度も我慢できんとは、厠にでも行きたいのか? 漏らせ】
「明日の授業で睡眠不足になりたかないんだよ」
大蜘蛛も康平も、かなり苛立ちが目立ち始めていた。言わずもがな、両者ともに時間を思いのほか掛けすぎていたため。大蜘蛛はゆっくりと考えて――康平から一番近い駒を中心に向けて前進させた。
次に彼の対角線上に居る駒を中心に向けて前進。最後に残った駒も同じように駒を中心に向かって進める。
康平の手番になると、彼は1回だけ後ろに下げ、右側の横糸へと移動した。5重目の横糸より長いが、3分の1辺りの箇所で止まると理解する。この遊戯の横糸を渡る必要回数は予め定められているのだと。
蜘蛛は予期していたことが当たり、焦りを見せる。康平の駒を追い詰めようとして、全ての駒を康平に近付けさせた。横糸をたった1回の移動で渡ったが、康平はここで2回の移動を使用し右に逃げた。
「終わり、だな。これでオレの勝ちだ」
大蜘蛛の駒は後ろには行けず、追いかけることも出来ない。結果として康平の乗っている人間大の蜘蛛は、ゴール地点であるビル屋上に到達し、彼はどこからか降り立った大蜘蛛と相対する。赤く光る4つの目が康平を捉える。
その視線に含まれているのは、怒り。隠しきれていないそれをひしひしと感じながらも、康平の胸中に渦巻く憎悪が大蜘蛛の発する威圧感を相殺させていた。互いの視線が交錯する中、大蜘蛛がほくそ笑む。
それが何であるのか考える前に、遠くの方で男の叫び声が聞こえた。下衆の笑い声が大蜘蛛の口から発せられ、言葉を紡ぐ。
【解放するとは言ったが、埋め込んだ蜘蛛をどうするかは言っておらんだろう?】
「……本当に、お前は。今日初めて会ったが、こんなにも殺したいって思ったのは、お前で2回目だ」
【何とでも言うがいい。高々人間風情のお前に、一体何が出来るというのだ? せいぜい指を咥えて無力な自分を呪うがいいわ】
空気を震撼させるほどの笑い声が領域内にこだまする。康平は怪異という存在が如何にして悍ましく、残忍で救いがたいものであるのか理解していたはずだった。けれど、この目の前の存在する怪異だけは、全ての敵とも思えるこの大蜘蛛だけは――
「殺してやる」
【やれるものならやって】
みろ、と言い終える前に康平は目の前の大蜘蛛目掛けて走り出し、その肉体に触れる。瞬時に領域が上書きされ、彼の肉体から駈剛が飛び出し蜘蛛の頭部を殴った。
大蜘蛛は仰向けになりながら吹き飛んでいくも、体勢を立て直し建造物の壁面に着地する。大蜘蛛は現れたそれを見て理解に苦しんだ、なぜ同じ存在であるものが人間に肩入れしているのか。そのような疑問は、支配権が変わった領域を見て1つの確信めいた答えを導かせた。
【まさか……! 儂以外にも居たのか、人間を使って力を得んとするものが!】
「駈剛、行くぞ」
【あぁ】
駈剛は康平の現状に対し、ひとまず後回しにしつつ宣言する。この領域で行われる鬼ごっこのルールを提示し宣戦布告を行い、カウントが始まる。10のカウントが1つずつ減っていく中、大蜘蛛はただの人間だと侮っていた康平の変貌していく様を見た。
怪異が人間と融合し、人間が怪異に変貌していく。あの鬼は、成長した
【8――9――10。では、鬼ごっこを始めるとしよう】
無情にもカウントは終了し、変異した姿の康平が大蜘蛛目掛けて突っ込んだ。咄嗟に大蜘蛛は康平の下を潜り込むようにして回避し、そのまま地面に降りる。すべての子蜘蛛に命令を出し、時間を稼ぐように指示。跳躍して腹を前に出すと、糸を射出しマンションの最上階辺りに引っ付け、振り子の要領で移動し始めた。
(逃がすなよ、小僧)
【誰に物を言って、るッ!】
建物の壁面に足をめり込ませていた康平は、その状態のまま壁面を走って大蜘蛛を追いかける。器用に糸を射出して、タイミングを合わせて切り離すことで移動しているが、それでも速さでは康平らに分がある。
ゆえに大蜘蛛は建物を利用し、子蜘蛛を利用し、翻弄する。体勢を変え、糸を射出することで右に方向転換した。康平は向かい側の建物を利用することで子蜘蛛の壁を避けつつ、大蜘蛛を追いかけていく。
30秒という制限時間のうち、ここまでで5秒。この調子でいけばすぐに捕まえられる、そう考えて激情に身を費やしながら大蜘蛛を追いかけた。
だがどうしたことか、康平は意図せずして動きを止めてしまう。その理由がなんであるか予想する前に、子蜘蛛が康平の周囲を取り囲み始めた。
【なっ、くそっ!】
(チィ、小僧! 俺様に変われ!)
【ふざけるな! まだやれる!】
(今のお前では力の出力がまだ安定していない! 下手をすればここで終わるぞ!)
駈剛の言葉に歯噛みするものの、徐々に蜘蛛の糸で封じられつつある自身の体を動かしづらくなっている事実を実感しているため、康平は一旦、主導権を駈剛に渡した。
駈剛はすぐさま全身から神通力を放出し、子蜘蛛と纏わりついていた糸を蹴散らすと、走りながら”百々目鬼”と言葉を発し能力を使用。肉体に現れる無数の目が大蜘蛛を捜すために飛び回る。
残り19秒。すぐに大蜘蛛らしき反応を見つけた駈剛は、すぐにその場所まで向かった。到着した先は大型の商業施設。広場や立体駐車場が併設されているため、敷地面積はかなり広い。反応を受け取った眼は建造物の屋上にあり、駈剛はすぐに屋上に到達したが……。
【どういうことだ、あの大蜘蛛は?】
(見失った? おい駈剛、どうなって)
行方が分からなくなったと周囲を見回していたところで、駈剛らは上から差し込まれた影に気付き上を見上げた。視界には5台もの乗用車が映り込み、それらを避けて立体駐車場の方向へと移動した。
それと同時に、立体駐車場から大蜘蛛が現し、駈剛に飛び掛かる。
【なにっ、ガッ!?】
【引っ掛かりおったな、マヌケェ!】
(駈剛!)
大蜘蛛は駈剛を口に咥えると、間髪入れずに
【毒か……!】
【貴様ァ、人間ではなく
【喋っている暇は、無いッ!━━オオヅメ!】
残り13秒。駈剛は右腕を長く、右手を大きく巨大化させるとその右手を屋上地面に突き刺し、引っ張る力に流されるまま勢いよく大蜘蛛に突っ込んだ。しかし力が入りにくくなっている今の肉体では満足な速度は出ず、難なく跳躍して駈剛の後方へと大蜘蛛は着地した。
【くッ!】
(駈剛変われ!)
【はぁ?! 今お前が出てもどうにもならんぞ、分かっているのか!?】
(いいからさっさと変われ! 毒はお前が何とかしろ!)
【……えぇい、ならばやってみせろ!】
残り8秒。康平に交代し、駈剛は解毒の専念に移る。多少ふらつきはあるが、康平はそれをどこからか湧き上がる執念でもって抑え、大蜘蛛を追いかけた。眼の能力とオオヅメは解除し、元の体格に戻って大蜘蛛を追いかけること4秒。大蜘蛛は大胆に笑った。
【ようやっとここまで来たぞ! ここまでくればあとは――】
【逃がすわけねぇだろ!】
【残念だったなマヌケども! どう足掻こうと儂は捕まえられんわぁ!】
残り3秒。康平はこれまでで1番、大蜘蛛に接近した。ここまでくればあとは左手で触れるだけだが、大蜘蛛は下衆な笑みをしたまま。
残り2秒。康平が左手を伸ばす。それと同時に不可解極まりないものを彼らは目撃した。大蜘蛛の後体の一部が、この領域から脱していた。
残り1秒。ついに左手が大蜘蛛に届くかと思われたその瞬間、大蜘蛛が勢いよく領域から抜け出した。
【なっ!?】
(マズいぞ、これは……!)
そうして、カウントは0になり、領域の支配権が消えたと同時に康平も元の姿に戻っていく。地球の重力に従って落下していき、康平の肉体は偶々下にあった乗用車の上に落ちた。神通力が肉体強度を底上げさせていたことによって、痛みだけが康平の肉体を襲った。
車のアラート音が周囲に鳴り響き、痛みをこらえながら何とかその場を離れると、康平は待っている内田に連絡を取った。迎えの足の要請と、大蜘蛛退治の失敗を。
車に揺られると、体の痛みがジクジクと響くため、康平は僅かに苦悶の表情を浮かべる。
今回の大蜘蛛退治は、内田からは「相手がかなり上手であった。確かに仕留めきれなかったのは痛手だが、どういった対策を立てられるかが重要になってくる」と次なる再戦に向けての言葉を康平に投げかける。
しかしそれがどうしようもなく、今の康平にとってはその言葉が響いてこない。暗く重く、深い深い海の底にいるような心内で、まともに聞くことのできる余裕は彼には無かった。
家にまで到着した時点でも、まだ康平の顔は暗い。ひとまず今夜は体を休めて次に備えるようにと内田から言葉を貰い別れた。痛む体に、重い足取り。自力での帰宅は無理と判断し、駈剛の助力を借りつつ自室のベランダに到着した。
窓を開けて痛む体を抑えながら、母を起こさないようにゆっくりと移動し引き戸を開けた。不思議なことに光が差し込んでいるのが見えた。なぜそうなっているのかは、すぐに判明した。
康平の視界に、床に倒れている母の姿を映した。
「母さん……?」
目の前の異常事態に、そう呟くことしか出来ず暫しその姿を見ていた。
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