第22話 捕食者
事態の収拾を皮切りに康平は疲れた様子で、中央区警察署内の待合室に待機していた。突然発生した事故が、大蜘蛛の手引きによるものではないかという可能性と直面したのもそうだが、何より傍観者として他人事のように見ている人々に苛立っていた為である。
血を流し、ガラス片によって怪我をした同じ人間に対し珍しいものを見ているような態度であったこと。同じ人間のはずなのに、見ていられないと嫌悪感を示していた人々が居たことを彼は見て知っていた。
そんな傍観者たちの対応は、康平の胸中に言いようのない腹立たしさを生み出していた。がらにもなく貧乏ゆすりをして平静を装いもしない様子を見て、駈剛は珍しいものを見たといった様子で語りかける。
(そこまで傍観者どもが気に食わんか?)
「いきなりなに?」
(とぼけるな、あからさますぎて誰が見てもわかる。害を被った者に対し、ただ見ている輩や動画を撮っている輩に対して、憎悪の感情を発露させていたことなど)
康平は貧乏ゆすりを止め、パイプ椅子の背もたれに身を預けた。視線の先にある蛍光灯が嫌に眩しく目を細める。溜め息をつき、心境を吐露した。
「そうだよ。傍観者の目や態度がどうしようもなく腹立たしい。自分は関係ないって思ってそうな奴とか、汚いものを見ているような目をしている奴らが、どうしようもなく憎い」
(ではどうする? もう怪異退治はやめるか?)
「なに馬鹿なこと抜かしてんだ。オレは辞めるつもりはない、少なくとも母さんや友達の安全が確保できるまでな」
(ならいい。下らんことに神経を使い、目的を見失って無いようで何よりだ)
「ホントにお前さ、発破かけたいのか落ち込ませたいのか分かんないよな」
ともあれ、この会話で多少なりと落ち着きを取り戻せたことで、今自分がやるべきことに行動を移すのであった。まずは事情を知る3人へメッセージを飛ばし、大蜘蛛のターゲットを見つけたことを伝える。一番最初に東堂が反応して彼に問いかけ、次いで晴彦と内田が訊ねた。
事のあらましを簡単に伝え、大蜘蛛の標的は三沢市中央病院に運ばれていると答えるとすぐにでも話し合って作戦を練る必要があると東堂が言うが、康平は今警察署内で保護者を待っている状況なので、いったん迎えが来てから作戦を考えることを提案した。
そのメッセージを送信した直後、康平を迎えに来た母親が心配そうな表情で彼を抱きしめて、生きていたことに安堵したあと警察から退出した。母の運転する車に乗り込み、家への帰路についている途中、彼女は口を開く。
「康平、こんなこと言うのもなんだけどさ」
「なに?」
「康平は、しばらく外には出ない方が良いかもって思うのよ」
「……言いたいことは分かるよ」
「学校はさ、まぁ行かなくちゃいけないけど。ほら、通信制の方に転入すれば基本はネットで済むじゃない。だからさ、うん……」
彼女が言わんとしていることを、康平は理解できないわけではない。ここ最近から、怪異と関り命の危険に晒すことが多くなり、それに伴って心労が積み重なっているのだ。本人の意思を重視したいのは山々だが、しかし今の状況では安全を優先しなければならないのも事実。
そんな板挟みの中で、彼女は提案したのだ。強行するという手段を持ち合わせているにも関わらず。心ではすぐにでも安全な場所に連れて行きたいと思っているはずなのだ。
失う怖さを、空虚な心を、変わってしまったものを知っているから。
車の走行音だけを車内に反響させ、2人はまた閉口する時間を過ごす。康平としても、今自身が置かれている状況を説明する必要があるとは考えている。しかし、この事実が受けいられるかどうか怪しく、逆に理解を得られないのではないかと予想で来てしまう。
何より、康平は母にこのような危険を知ってほしくない。ただ平和に何の危険もなく日常を過ごしてほしいのだ。そこだけは絶対に譲れないし、無碍にすることは出来ない。
そのような心境を内に秘めながら、走行中の車内でも聞こえる程度の声量で言った。
「考えとくよ」
自室へと帰ってきた康平は戻ってきたことを3人に伝えると、行動指針についてメッセージ間で話し合った。おそらく大蜘蛛の対象と思わしき人物は現在、三沢中央病院に保護されており今晩にでも大蜘蛛の餌食になるだろうと、駈剛の推測を伝える。
すぐにでも向かう方が良い、と発言したのは晴彦だが明日は学校。あまり普段の生活に支障をきたすのは極力避けるべき、という意見のもと康平と内田のみが行くことになった。
今晩、康平は母が眠ったのを確認して家から抜け出すため、内田には0時近くに到着して拾うことを確約して準備に取り掛かる。今日は康平の母も出かける用事も無いので、玄関から靴を持ってベランダに置き私服を準備する。
夕食は久方ぶりに釜飯の出前を取り、康平は鳥五目釜飯を、康平の母はトマトチーズ釜飯を食して夜を過ごし就寝の時間に入った。時刻は午後11時25分、この時すでに彼女は眠りにつき、康平は私服への着替えを済ませベッドの上に座って目を閉じていた。
緊張か、執着か。どちらにせよ、どちらともであるにせよ、今の康平は交感神経が働いて脈拍が上がっており眠ることが難しくなっていた。しきりに開閉される瞼が完全な暗闇と、ほのかに見える自室の光景を交互に映した。
(やけに張り切っておるな。まぁ、そこまでやる気があるのなら、俺様としても特に問題は無い。名無しへの復讐を果たせる)
「……お前はそうだよな」
(あ?)
周りに聞こえないように小さく、そう呟いた。その言葉にはどこか苛立ちのようなものが含まれていて、駈剛はその態度に訝しむ。
「お前は結局、それなんだ。誰かを守りたいなんて感情を持ち合わせていない、人間とは違う存在。だから人の死を目の当たりにしても、感情が揺らぐことなんてない。誰かの安全なんて、どうでもいいんだ」
(一体どうした、そんな当たり前のことを言いおって)
「――なんでお前なんだ」
(はっ?)
「なんでお前が……もっと、誰かを助ける人らしい奴は居なかったのかよ」
(おい、お前本当に)
駈剛は彼の身に起きている異変を察知したものの、それを指摘する前に携帯に一通のメッセージが届く。内田からのもので「到着した」と一言だけの内容を見て、すぐに動いた。起こさないように音を極力立てずにベランダに出て窓を閉めると、鉄柵を乗り越えて地上に降りる。
降りた先の路地から道路に出て、内田の車を見つけるとそれの助手席側のドアまで向かい、康平は車に乗り込んだ。
「早いな」
「すぐにでも行けるよう、準備はしてましたから。中央病院までお願いします」
「ああ」
レバーがDの位置に変更され、内田がアクセルを踏めば車が前へと動く。暗闇をヘッドライトで照らしながら、2人は三沢中央病院まで向かった。昼とは違い酷く静かな道のりを康平は見る。車窓に薄らと映る自身の姿を捉えながらそうしていると、赤信号のためゆっくりと停車したところで内田が訊ねた。
「気のせいだったら申し訳ないんだが、何か気がかりなことでもあったか?」
「……いえ、特には。なぜそう思ったんですか?」
「ふむ」
青信号に変わったため、車を発進させ走行しながら少しの間考えていた内田は、自らの考えを口にした。
「どこか君に、余裕がなさそうに見えたからかもな」
「余裕、ですか……」
「あまり付き合いは無いから何とも言えないが、今の君には怪異と対峙するときの覇気のようなものが見えなくてな。どことなく危うく思えてくるんだ」
「そうですか」
「あぁ、今の答え方もそうだ。君はそのあと、自分は大丈夫だとアピールするために色々と付け加えるはず。私が知りうる限りの君ならばね」
肯定も否定もなく、ただその言葉に耳を傾けて黙っていた。胸中に渦巻く黒い感情が康平の思考を侵食していき、周囲から聞き取れるはずの声も環境音も閉ざされていく。
その思考が止まったのは、運転して隣に居る内田の大きな声がよく響いたからだった。呼びかける声に康平は彼の方を見やった。
「あ、はい。……えっと、何でしょうか?」
「大丈夫なのか? 本当に体調が優れないように見えるが」
「大丈夫、です。そう、大丈夫」
「いや、そういう時ほど大丈夫では――⁈」
「うおっ!?」
突然車が急停車したことで前に飛ばされそうになったが、シートベルトをしていたことで最悪の事態は免れた。とはいえシートベルトが体に食い込んで、息苦しくなったのは仕方ないことである。何が起きたのか康平は初めに内田を見る。
彼の視線が正面へと向けられており、すぐに康平もそちらへ視線を向ける。するとフロントの陰に隠れていた1人の人物が、慌てた様子で姿を現しその場から逃走した。その人物の顔を康平はよく覚えていた。
「っ! すいません降ります!」
「湖里君?!」
有無を言わせないような手際の良さで車から降車し、康平は先ほどの逃げた人物を追う。後ろから内田の制止する声が聞こえるが、今の彼にそのようなことを律儀に聞いている余裕は無かった。
細い路地に入って行った人物には強化された走力ですぐに追いつき、進行先を立ち塞いでその人物を捕まえると、携帯のライトを点けて情けない声を出している男の顔を確認した。
「やっぱり、貴方か」
拘束から抜け出そうとしている男の顔に康平は見覚えがあった。あの時保護した運転手その人である。今は病院に居るはずなのだが、どういうわけか脱走している。首元を確認するが蜘蛛は見えなかった。
いったん蜘蛛の事は置いておき、康平は目の前の男に訊ねようとしたが、拘束の中で必死にもがいていて聞く耳を持っていない様子を、まざまざと見せつけられる。その姿は大の大人が見せるには、とても情けなく哀れに思えてくる。
苛立ちを隠しきろうとしたが、康平は若干怒気を強めた声色で男に問いかけた。
「おい、アンタ。何でこんなところに居るんだ? 病院に居たんじゃないのか?」
「ひっ、ひいっ。はう、あぅ。ああ」
「……おい、アンタ!」
「ひいっ!?」
「湖里君!」
ただただ狼狽えるだけの男に痺れを切らしかけていたところで、内田が彼らのもとまで走り寄ってきた。男の怯えた表情が照らされているが、拡散されている光が康平の隠しきれていない怒りの表情をも露わにしている。
内田は男と抑えている康平の距離を取り、錯乱状態である男を落ち着かせる。次第に落ち着きを取り戻しつつある男は、ようやく話が出来るまでになった。
「よし、よし。大分落ち着いてきたな。貴方の事を聞いてもいいか?」
「は、はひ……」
「まず聞きたいんだが、なぜ貴方は脇目もふらず逃げるような真似を?」
「えっと、それは……」
そこを問うてみると、途端にしどろもどろになった男に康平はまた怒気を強めた口調で言う。
「蜘蛛だろ」
「へぇっ?」
(おい小僧、今それを言ったところで)
「アンタは蜘蛛の標的になってんだ、予想するに呼ばれてここまで来たか逃げてんだろ」
「く、くも? 一体何の話を?」
「湖里君、事情を知らない彼にその情報を与えても意味が無い。少し落ち着いて」
「どうなんだ、えぇ?!」
「ひっ!」
「湖里君!」
苛立ちを隠そうともしない康平は更に怒気を強め、脅すような形で問いかけても意味はなく。何かに怯えていた男は康平のその態度にも怯え、異変を確信した内田が止めに入った。
「どうしたんだ一体?! 何時ものような落ち着きはどうした?」
「落ち着けるわけないでしょう、こんな時に! 目の前にあの大蜘蛛の標的が居て、その標的が病院ではなくこんな場所に居る! やっと見つけた手がかりなんですよ?! ならどこに呼ばれているのか突き止めなきゃ、あの大蜘蛛に辿り着けない!」
「いい加減にしろ!」
怒号が飛ぶ。今の康平にはまるで余裕が見られない、本当に同一人物なのかと疑うぐらいに焦燥しており、対策などを考えて動くのが彼であるはず考えていた内田は衝撃を受けていた。
周囲に一時の静寂が広がる。辺りには3人の呼吸音だけが宵闇の中を木霊し、康平と内田は互いを見合った。そんな静寂を破ったのは、この二人の喧騒を傍から眺めていた男であった。
「あ、あのぉ」
「あ?」
「ん?」
「えと、その……くもがどうこう、は分からないんですけど。自分は、誰かに呼ばれたから来たって訳じゃないです」
「どういう意味だ?」
「ひぃっ! そ、そのままの意味ですぅ!」
康平の問いに未だに怯えながらもそう答えたことで、その事情を聴くために一旦2人は諍いを止めてその話に耳を傾けることにした。
「う、運転していたと思ったら急に意識が遠くなって、気が付いたら病院に居たんですけど。のどが渇いたので、水を飲もうとして外に出たんです。そしたら病院で、聞こえたんです」
「聞こえた、とは?」
「その……信じてくれないかもしれないんですけど、声が聞こえたんです。お前のせいだ、お前が……罪のない人を殺したんだって。それからずっと頭の中で声が聞こえて、居てもたっても居られなくなって」
「逃げ出したと」
「はい……」
言い終わると同時に男は意気消沈し、ぼそぼそと2人に聞こえない声で呟き始めた。この2人がただの一般人ならば、その発言は幻聴のそれとしか思えなかっただろう。大蜘蛛の仕業だと確信づける材料にはなったが、それはそれとして康平は彼に訊ねたいことがあったため、話し掛けた。
「いいかよく聞け、アンタは今ヤバい奴に狙われてる。ストーカーとかそんなみみっちい奴じゃない、人間の事を餌としか思ってない奴にだ。証拠にアンタの体内に蜘蛛が入り込んでる」
「へ? くも、くも?」
慌てて男は服の内側にある自身の肉体を見る。胴体、脚、袖をまくって腕を見たが康平からはそれらしきものは見当たらない。服を脱ぐように指示し、男は少々もたつきながら脱いだ。男の背中側に回れば、その背中に1匹の蜘蛛が居た。
「居た」
「……どこにだ?」
内田も同じように男の背中を見て、そう答える。携帯のライトで照らしているため蜘蛛の位置は分かるはずと考えて、もしかすれば自分だけにしか見えてないのではと予想する。
そうして時間が経過していき、ここで止まっていてはあの大蜘蛛に辿り着けないと思いすぐにでも捜したいが、如何せんどう動けばいいのかと悩んでいると、男は服を着てゆっくりと立ち上がり、2人に数回ほど頭を下げながら言う。
「あの、この度はご迷惑をお掛けしました。これからすぐ病院に戻ります」
「1人でですか? 送っていきますよ」
「いえ、そこまでしてもらうわけには!」
(此奴を囮にすればすぐにでも現れそうだが、今はお前の精神が乱れ過ぎている。今日の所は引け)
「今コイツを囮にすれば、大蜘蛛に辿り着くんだろ。なら帰させるべきじゃない」
「湖里君、いい加減に」
内田が康平を咎める発言をしようとして、その場にいた3人は突如として黒板を引っ搔いたような音が、頭の中を大音量で流れるじたいに出くわした。康平以外は咄嗟に耳を塞ぐが、その音量が減衰することは無い。
その直後、男の肉体に何かが付き上に向かって引っ張り上げられる。唯一立っていられる康平は勢いよく跳び、男の脚を掴むとそのまま上空へと消えていった。頭の中の音が聞こえなくなったのはそれからすぐのこと。
「ッぐぅ、大丈夫か2人とも……2人とも?」
内田が顔を上げると、そこに男と康平の姿は見えず、いやに静かな夜闇の景色だけが内田の視界に入った。それからすぐに、2人が領域の中に引きずり込まれたのだと知り、背筋に悪寒が走った。
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