第21話 毒

 中央区を全て巡るとまではいかなかったが、食事時間を除いておよそ四時間以上ほど歩いて探索して疲れ果てた一行いっこうは現在、集合場所であった立体橋東側出入口近くの駐車場に停まっている、内田の車の車内に乗り込んでいた。


 疲れ果て、各々が疲弊気味になっている中で康平が口を開く。



「ぜんっぜん見つからねぇ……。何の進展も無いって、どういうことよ?」


(今回の怪異は今までの奴等と比べてかなり面倒だな。足取りを残さぬよう、慎重すぎるぐらいに立ち回っておる)



 3人とも口には出さなかったが、康平の言葉におおむね同意していた。というのも目を使って記憶の残滓や反応を探ってみたものの、全く掠りもしなかったのである。普段ならば怪異が領域としている場所などはすぐにでも見つかるが、あろうことか駈剛に頼っても成果は現れず。


 結局、今回の相手がかなりの曲者であることが分かっただけ。居場所も、何もかもわからず仕舞いの中、今日の探索は一旦お開きにすることに決めたのである。



「痕跡もなく、手掛かりは動画と画像だけ。死亡現場近辺どころか、そこから離れた場所も探索してこれとは……強敵だな」


「できれば内田さんの予定と僕らの予定が合う日に事を進めたかったんだけど、仕方ない。明日は僕だけで行くよ」


「1人だけ? ボクらもついていくよ」


「まだ暴行事件が月1で起きてる中央区だよ? 今回は晴彦君の案で内田さんと一緒だったからまだ安全だったけど、僕だけだと2人を守れる保証はできない。だから明日は2人とも情報整理とか休息に充ててほしい」


「1人で大丈夫なのか?」


「ご心配なく、何かあったらすぐ逃げますから。怪異を倒して吸収してるので、他人よりいろいろと強くなってるので」



 そのあとすぐ、「また物を壊しかけましたけどね……」と小さく呟いたが、それは周囲に届くことはなかった。とにもかくにも明日は康平だけが探索に向かい、他は待機か自分のやるべきことに専念する方針と定め、内田の運転でそれぞれ家に送り届けられて本日の探索を終了した。


 晴彦とともに車から降り、家に帰宅した康平は「ただいま」と口にし、母親の発した「おかえり」という返事を聞いて少し安堵しつつ、靴を脱いでスリッパに履き替えて室内に入る。手洗いうがいを済ませ、自室に戻り荷物を勉強机の上に置いてベッドに倒れこんだ。


 いくら康平自身の肉体的に余裕があるとはいえ、精神的な疲弊に体力が引っ張られるとすぐに身を預けたくなるらしく。大きく溜め息をつき、明日の事を考えていると途端に眠気に誘われた。


 そのまま眠りにつきそうになるのを一旦堪えて体を起こし、部屋に置いていたガムのケースから二粒を取り出しそれらを噛んだ。清涼感が口いっぱいに広がり一時的に眠気は解消されたのを感じると、康平は勉強机に向かう。


 そこから勉強を始めたものの、15分ぐらいで集中力が途切れたため、本棚にある民法の判例についてまとめられた本を手に取り、気分転換しようとやってみたが眠気にあらがえず、座った姿勢のまま寝てしまった。次に目覚めたのは、それからおよそ30分後の17時22分のこと。


 今日の夕飯担当が自身であることを思い出しながら、席から立ち上がり康平は部屋を出て台所へと歩いていく。変な姿勢で座っていたためか首と腰に負担が掛かっているようで、多少の違和感を持ちながら料理を始めようとしたところに、康平の母が台所までやって来た。



「康平、今日の晩御飯なんだけど冷やし中華にできる?」


「ん、いいよ」


「じゃぁ、お願いね」



 自室へと戻っていく母の様子はどこか疲れているように見え、紛失物の一件で何かあったのだろうかと考えを巡らせるが、すぐにやめて冷やし中華の準備に取り掛かった。


 冷蔵庫の野菜室からきゅうりとミニトマトを、冷蔵室から4枚入りハム2パックと卵を2つ取り出し、すぐに机の上に置いて最後に冷やし中華用の袋麺を取り出して冷蔵庫の扉を閉める。まな板をキッチンシンクの上において、机に置いていた卵以外の材料を短冊状に切っていく。


 卵は塩、砂糖、酒を加えて卵焼き機で錦糸卵にして、麺を茹でたあと盛り付けに入った。それが終わると冷やし中華用のタレを作り、冷やし中華の上にかけて完成した。満足げな表情と共に康平の腹の虫が鳴ったので時間を見ると、18時30分と表示されている。


 康平は母を呼んで少し早めの夕食を摂ることにした。タレの絡んだ麺が甘酸っぱさを提供し、味付けされた錦糸卵などの具材が食感の違いを口の中で体感させる。涼感を感じられる食事に、外の熱さや湿気の不愉快な空気感を僅かに払拭する中、康平の母は溜め息をつく。



「そういやさ、無くしたものって見つかったの?」


「あーうん、一応見つかったんだけどね……。はぁ」


(この様子だともっと面倒なことになったようだな)


「その書類に何かあったの?」


「いや、そっちは問題はないの。その書類の紛失の件でメンバーの1人が当事者を責めてね」


「あらら」


「言いたいこともわかる、せっかくの休みなのに緊急事態で探さなきゃいけなくなったんだもの。それにその責めた人は、今日朝から奥さんと子どもと遊びに行く予定もあったのよ」


「なかなか不運な」


(縁がなかったな、其奴も)


「でもだからって、殴りかかろうとするのは違うと思うのよ。おかげで大変だったんだから」


「おぉぅ、それは……ご愁傷様」


「ほんともう疲れちゃってさ。あ、ごめんよ康平。こんな愚痴聞いてもらって」


「いいよ、特に気にしてないし」


「ありがとね。にしても、普段はあんなに怒る人じゃ無いんだけど」


「そうなの?」


「いつもは怒鳴るというより、淡々と諫める人なんだけどね。必要なことだけ言って、自分の私情は挟まないんだけど」



 そこまで聴いて、不意に蜘蛛のことが思い浮かんだ。とはいえ康平の母の職場は中央区の北側にあるものの、SNSに投稿されている映像は中央区の東側で撮影されている。あまり関係ないかもしれないが無視できない、いや考え過ぎかと思考を巡らせながら冷やし中華を啜る。


 どうにも後手に回っている印象を覚え、どこか焦りを生んでいるように思えてくる。何か心の隅にもやっとした感情が発露していることを、駈剛と康平自身は見逃さなかった。


 冷やし中華を食べ終え、空いた食器類を洗って乾燥機に入れたあと、康平は自室へと戻り少し落ち着いてから勉強を再開した。それから彼の身の回りでは、ひとまず何事もなく一日を終えることが出来たという。









 翌日、朝6時半と普段より少し遅めに起きた康平は、朝のルーティーンを行い朝食を食べ、午前10時に家を出て中央区へと向かった。前回探索しきれなかった箇所を徒歩で巡り、怪しいところがないか探すこと2時間半。


 ここまで探して何の成果も無く、康平は中央区の西側にあるファストフード店で遅めの昼食を摂っていた。窓際のカウンター席で外の景色を見ながら、店内の騒がしさをよそに駈剛と話を進める。



「全然手掛かりなし」


(見つからんな、分かってはいたが)


「気になったから北側にも行ったけど、特に何も見つからなかったし。本当に……厄介な相手だ」


(どうにも歯痒いのは同感する。ひとまずだが、今回の件を整理しておいたほうが良いやもな)


「現状そのぐらいしかできないか」



 そう呟いて康平はバッグから手帳とボールペンを取り出し、この一件について分かったことを纏めていく。


 発端は東堂が見せたSNSに投稿された1つの映像から始まった。有識者による画像解析の結果、そこに映っていたのは大蜘蛛だった。駈剛の判断により映像に映った大蜘蛛は本物だと判断され、それから探索に入った。


 その探索で自身の夫の行方を捜している奥方と出会い、大蜘蛛に関わる情報が手に入るかと思いきや何も見つからず、結果として何も進展は無かった。唯一分かったことは、この大蜘蛛はかなりの切れ者であるということだけ。


 幾つか気になったことといえば、昨日康平の母が言っていた暴力沙汰になりかけた話と、前日の探索で晴彦が”鳩を見かけない”、”何か聞こえた”という発言をしていたことのみ。駈剛や康平らも、ましてやそう発言した晴彦自身も気のせいだと考えていたが、ふとこう考えた。


 これがもし、単なる気のせいでは無かったらと。また行方不明である男性が最後にいたとされる場所にも蜘蛛の巣があり、それが単にあったというわけではなかったのならば……そのように考えると気にはなる。だがそのことについて予想を立てても、それを解決した所で居場所がわかるのだろうかと疑問を抱いた。



「ふーむぅ……、全然わからん。結局1歩も進んでない感じだし」


(ならば焦点を変えてみるか。大蜘蛛の居場所ではなく、何かしら異変が起きた場所を探ってみるのもありやもしれん)


「異変ねぇ」



 中央区立体橋の東側出入り口、身投げ場所であるビル、かめぼり中道通店とビル間の路地、康平の母の勤務先。今のところ分かるのはこれぐらいだが、これと大蜘蛛が結びつくかと言われれば怪しい。


 どうにも康平の中で点と点が結びついていない。怪異は人を襲う際、基本的に無差別に選ぶため被害者の共通点は無いに等しい。そこに関わりを持たせるにはまだ何かピースが――と考えてるところで店内の騒がしさを遮るように、店内を怒号が支配する。



「ふざけんなよクソアマ!」



 そのほうを見れば、怒号を発したであろう男性と、面と向かって言い合いの姿勢を取る女性、そして女性の脚にしがみつく子どもの姿があった。



「俺が買ったポテトをそのガキが勝手に食った上に、ガキの腕が紙コップに当たって中身がこぼれた挙句、買ったばかりの携帯が台無しになったんだよ! この責任はどうしてくれんだ?! えぇ?!」


「だ、か、ら! 子どものしたことで、謝ったじゃないですか!」


「謝って済む問題じゃねぇんだよ! お前親だろうが! そこのガキがウロチョロしてる時、ずっと携帯を見てただろうがよ! お前がきちんとガキを見てりゃこんなことにはならなかったのに、なに自分が理不尽な目に合ってますみたいな顔してんだよえぇ!?」


「はぁ?! 何でそこでアタシのせいってなるのよ?! 大体そんな場所に携帯を置いてるから台無しになったんでしょ?! それは自己責任ってやつでしょ?!」


「自分のガキの不手際は親のお前の責任だろうが! そんなこと常識だろじょ・う・し・き! 」


「そんな身勝手な常識振りかざさないでもらえますぅ!? というかポテトぐらいで一々うるさいんですけど! みみっちいんじゃないんですかぁ?!」


「そう思ってるのはお前だけ! 社会的に見たらお前みたいな奴の方が非常識っていうんだよ! さっさと謝って携帯を弁償しろや!」


「そんなことする必要あるわけないでしょ! 警察呼ぶわよ!」



 舌戦がヒートアップし、彼らの周囲にいた人だかりはそそくさと離れ、ある者はその様子を動画に撮り、ある者はその様子に辟易しながら見ているだけ。警察に通報する気配も無く、駆け付けた従業員が止めに入ろうとしても2人の口は止まる様子は見られなかった。



(世も末だな、この諍いを止める者がおらぬとは)


「まぁ、誰も自分に被害が及びかねない状況に自ら首を突っ込みたくないものさ」



 康平は携帯を取り出して110番通報をし、警察が来るように手配しようと動いたその時だった。


 ふと耳に入ってきた異音が気になり振り返ると、そのタイミングと同時に車がこちらに向けて迫ってきているのを目にした。間に合わないと判断した康平は咄嗟に椅子を足場にして跳び、上空へと逃げたと同時に康平の居たカウンター席に車が突っ込んだ。


 車はファストフード店内を通過し、向かい側に停められてあった車に衝突する形で動きを止めた。そしてその事故により、現場は凄惨な状況へと変わり果てる。


 車が通りすぎた跡には、ガラス片で切り裂かれたり、ガラス片が突き刺さって血を流す者。車を避けられず衝突し、痛みに悶えて倒れ伏せる者と、血を流し体の一部や首が変な方向に曲がって動く様子を見せない1人の店員と子どもがあった。


 間一髪で難を逃れた康平は、すぐにその店員と子どもの脈と瞳孔を確認し、その二名の死を悟った。奥歯を噛みしめ、110と入力してあった画面を119に変更しすぐに救急を手配しながら、離れていて無事だった1人の店員に警察の手配を要求した。



「店員さん! 警察の手配をお願いします! もしもし救急ですか?! モクターノ54番道路店で車が店内を突っ切る事故! 死傷者およそ15名、うち2人は即死しています! 成人男子と小学生ほどの――はい、はい。分かりました。

 そこの男性三人組の方! 倒れて動けなくなっている方をの周りからガラス片や机椅子を退かしてください! 怪我が悪化しかねないから下手に動かさないで! そこにいる女性は近くにいる方々と協力して自力で動ける方々を安全な場所に避難させてください!

 あとそこにいる動画を撮ってらした方! 警察が来るまで動画はSNSに投稿しないで!

 もしもし……はい、運転手ですね。今行きます」


(こなれてるな)


「うっさい」



 内心あまり余裕は無かったものの、駈剛の一言で多少は落ち着きを取り戻せた康平はすぐに先ほどの車を運転していた運転手のもとまで近寄り、容体を確認する。幸い衝突した際に車の窓ガラスは割れており、運転手にも見かけではどこかに怪我をしているわけではないようだ。


 エアバッグによって外傷も無く気絶状態であること以外に何もないことを確認し、電話の向こう側にいるオペレーターとの通話を終えて、康平は鍵を開けて車内から運転手を引きずり出し、安全な場所まで運ぶために持ち上げようとしてそれを見た。


 体の内側、運転手の首の辺りに、もぞもぞと蠢く蜘蛛のシルエットを。



「ッ!?」


(ほぉ、これは思わぬ収穫だ。まさか大蜘蛛の標的をこのような時に見つけるとは)



 まるで生きているように蠢く蜘蛛のシルエットは、進行方向を変えて進み、止まるといった動作を繰り返しており、まるで自身の巣のように人間の体内を悠々自適に動き回っている。その在り様は人の尊厳など何も考えていないようで。


 その蜘蛛に、ひいては今回の対象である大蜘蛛に対し嫌悪感を示しながら、康平は運転手を安全な場所に運び、姿勢を整えさせて安静にさせておくと、凄惨な状態になった現場に戻り、高校生とは思えぬ支持を行いこの喧噪を収束させるために動いていく。









【事態は我が手のひら、重畳といったところか。クカカカッ】



 青紫色に染まった世界でそれ――大蜘蛛はそう呟く。


 大蜘蛛の足元には見るからに悍ましいほどの数の蜘蛛がおり、アラクノフォビア蜘蛛恐怖症であってもそうでなくても嫌悪感を示すだろう。まるで絨毯のように敷き詰められた蜘蛛は僅かに波打っている。



【どうやら儂のことを探っておる輩もおるらしいが……なに、大したことではあるまい。向こうから狩場に来るものなら、それに越したことはあるまい】



 大蜘蛛はせせら笑う。聞いているだけで薄ら寒く感じる低い声が領域内に響き渡る。しかしその嗤い声も徐々に消えていき、大蜘蛛はどこか遠くを見据えて言葉を紡ぐ。



【あの化け物に辛酸を嘗めさせられ、次にあの名無しに勝手な制約を押し付けられ満足に人間を襲えぬ日々。散々な目にあったが、儂の力がこうも合うとは思わなんだ。――こうなれば、もはや何も恐れぬものは無い。

 震えて待っておるがいい、いずれ復讐の時は果たされよう】



 とても低い声から発せられた言葉には、妄執を孕んでいた。

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