第18話

 数日前から王宮どころか、王都全体の空気が浮ついている。城下は色とりどりの花や旗で彩られ、他国からの客人や国内の貴族は色彩豊かな町に目を奪われながらも王宮を目指していた。

「ああ……疲れた……」

 自室のソファへぐったり座り込んだテヘナに、ファリュンとベレニがそれぞれ「お疲れさまでした」と果実水や焼き菓子を差し出してきた。慣れないコルセットで絞められた腰が苦しい。男装や庶民の格好の楽さを思い出して懐かしくなった。もう二か月以上も着ていない。

「謁見ってあんなに人に会わなきゃいけないのね、知らなかった……次々に人が来るからいちいち顔も覚えていられないし……」

「ですがテヘナさま、王妃の務めとしてそこはしっかりなさいませんと。陛下は涼しい顔をしておられたじゃありませんか」

「シウバさまは慣れてるからでしょ」

「休憩が終わりましたら、明日の準備を致しましょう。明日はもっと着飾らなければいけませんから」

「逃げ出したい……」

「なりません」と侍女二人の声がそろう。笑顔を浮かべながらなのが恐ろしい。テヘナは愚痴をのみこみ、ちまちまと焼き菓子をつまんだ。しっとりした甘さが体に沁みて、荒みかけていた気分が少しだけ和らぐ。

 ――いよいよ明日なのね。

 テヘナがエストレージャ王国の王妃となったことを国内外に示すための宴は、あっという間に明日に迫っていた。ここ数日は謁見や準備に追われて考える間もなかったが、意識すると途端に緊張してくる。狩りをする時以上かも知れない。

 ノックの音が聞こえ、返事をするとファリュンが扉を開けた。訪問してきたのはヴェロニカだった。思わぬ客人にテヘナの顔が明るくなる。

「ヴェラ! 久しぶりじゃない!」

「ご無沙汰しております、王妃さま」

「どうぞ入って。あちこちに残された魔獣の始末をしていたって聞いたわ。疲れによく効くお茶を用意するから」

「恐れ入ります」

 神官によって魔獣化された動物は各地にいた。彼女はそれの浄化のためにしばらく王宮から離れていたのだ。思っていた以上に数が多かったですね、とヴェロニカは眉間にしわを寄せる。

「魔術師の数に対して魔獣は数倍いましたので……予想よりも時間がかかってしまいました」

「でも全て浄化出来たんでしょう?」

「はい、もちろんです」

「そうだ。ヴェラがくれたお守りは今も毎日つけてるのよ」

 ほら、と首元に輝くネックレスを指すと、ヴェロニカは驚きと喜びを瞳に浮かべる。これのおかげで魔力マナに侵されずに済んだことはまだ話せていなかった。改めて感謝を述べたところで、「ねえ」とテヘナは身を乗り出した。

「まだ時間はある? ヴェラともっとたくさん話をしたかったの。シウバさまの昔の話とか、色々聞いてみたくて」

「構いませんが、王妃さまはお疲れではありませんか?」

「心配しないで、ありがとう。大丈夫」

 ベレニが「明日の準備が……」と口を挟んできたが、テヘナが聞くわけがないと分かるようになってきたのか、最後まで言わずにお茶を淹れ直しに行ってくれた。ファリュンはやれやれと言いたげに小さく息をついている。

「それでは、何からお話ししましょうか。陛下とアタラムさまの可愛らしい喧嘩の話などいかがですか?」

「聞かせて」

 テヘナが目を輝かせると、ヴェロニカもくすくす笑った。


 なにやら鼻がむずむずしてくしゃみが出た。客人のいなくなった謁見の間に音が反響する。風邪ですかとアタラムに問われ、シウバは首を傾げながら立ち上がった。

「違うと思うけどな」

「では誰かが噂しているのかも知れませんね」

「『噂じゃ化け物って聞いてたけど意外と普通だったな』とか?」

 謁見には他国からの王族も当然いた。中には初対面の者も多く、シウバに関する恐ろしい噂話でも聞いていたのか、会う前から青い顔をしている、というのも少なくなかった。

「怯えてないのなんてフィリラディナト王くらいじゃなかったかな」

「テヘナさまの父君ですね」

 そう、とシウバは頷いた。

 疲れを訴えたテヘナを先に下がらせたあとにやって来たのが、彼女の父だった。テヘナに会うまで気付かなかったが、顔つきと髪色は娘によく似ている。よく焼けた肌を獣の皮をふんだんに使った衣で包み、堂々と立つ姿は狩猟を愛する王たる風格があった。

「『我が娘は陛下の心の扉を開けましたかな』って言われたよ」

「はい?」

「全部お見通しだったってことだろ」

 テヘナと一線を引こうとしていたのも、シウバの頑なな考えをテヘナが解いてしまうのも。

「陛下はなんとお答えしたんです?」

「『彼女無しで過ごすことは想像できませんね』って言っておいた」

「ずいぶん素直に本音を仰ったわけですか」

「事実だから――そういえばヴェラが帰ってきたんだっけ」

「ええ、今朝がた」

 レチア教と魔力、魔獣のつながりを明らかにすべくシカムの取り調べは進めていたのだが、ひと月ほど前、彼は死んでしまった。薬師であり魔術師であるゼクスト家が調べても分からない、原因不明の病だった。結果、残された魔獣から探るしかなくなったのだが、成果は芳しくないという。

「一部の他国ではレチア教が勢力を広げていると聞きます。噂を聞いていないか客人に聞いてみるのも手でしょう。教団自体に乗り込んではどうかという声もあるのですが、それにはまだ証拠がなさすぎますから」

「そうするよ。魔力や魔獣は広げていいものじゃない。どういう目的があるにしろ、必ずつきとめて手を打たないと。国が混乱に陥りかねないからね。魔術師も、ゼクスト家だけじゃ手一杯かもしれないし、もう一つの家に協力を要請するよう言った方が良いかも知れない」

「手配を整えさせます。ああ、それと、海神の器なのですが、議会では引退させるべきではとの意見が多数出ましたがいかがなさいますか?」

「特に反対はしない。今のところ寝る以外は自発的に動かないんでしょ? 器としての任を解いたところで元に戻るとは考えにくいけど、あの状態で続けられても下の神官たちが困るだろうし。いっそのこと、これを機に器なんて役目、無くしてもいいかもね。神のお告げを生活の頼りや指針にしてた地元民から反発はあるだろうし、器になるのを名誉と考えてる神官たちからも否って言われるだろうけど」

「今すぐの撤廃は難しいでしょうから、少しずつ時間をかけていくしかありませんね」

 どこからか軽やかな笑い声が聞こえてくる。声に引き寄せられるように進むと、テヘナの部屋からそれは聞こえていた。どうやらテヘナとヴェロニカが語らっているようだ。なにを話しているかまでは分からないが、楽しそうなのは確かだ。

「陛下」

「なに?」

「突然入っていって驚かせるのも悪くない、という顔をしていらっしゃいます」

「……してないよ、そんなの」

「気付かないとでもお思いですか。いけませんよ、邪魔をしては」

「分かってるよ」

 まだ準備しなければいけないことが残っている。彼女たちのお喋りに加わる時間は無い。シウバはため息をつき、最後にもう一度だけテヘナたちの笑い声を聞いて頬を緩ませた。



「さっきから何をそわそわしてるのさ」

「だ、だって……」

 婚姻の儀式でも纏っていたドレスを意味もなくいじったり、髪に差された花の位置を何度も整えたり、テヘナは落ち着かない気分をどうにか誤魔化そうと部屋の中をうろついていた。その様子を、ソファに腰かけたシウバが苦笑しながら見守っている。

「ちょっと落ち着きなよ」

「落ち着けません!」

 開け放たれた窓の向こう、庭に続くバルコニーの下からはざわざわと声が聞こえてくる。半透明のカーテンで景色は遮られているが、それでも大勢の人々が集っている様子は窺えた。

「ちょっと人の前に出て、笑いながら手を振るだけだよ。何も心配することはないって」

「あんなに人が集まってるだなんて思わなかったんです! てっきり昨日お会いした方々にまた顔を見せるだけだとばかり……!」

「今日は庶民だろうが誰だろうが王宮に入れるって言わなかったっけ?」

「聞いてません!」

 庭に集っているのは一目でも王妃を見ようと集った人々だ。身分や年齢に関係なく、テヘナとシウバがバルコニーから姿を見せるのを今か今かと待ちわびている。それを意識しただけで心臓が駆けたばかりの駿馬のようにどくどくと早まった。

 はー、と深呼吸を繰り返していると、シウバに「おいで」と腕を引かれた。大人しく隣に腰を下ろすと、乱れていた前髪を指で軽く払われる。

「大丈夫。隣には僕がいるんだから」

「でも……」

「なにがそんなに心配なの。散々これまで王宮を抜け出して民には接してきたんだろ?」

「そう、ですけど」きゅ、と膝の上で拳を作り、テヘナは視線を床に落とした。「不安なんです。シウバさまの王妃に相応しくないって思われたらどうしようって」

「なんだ、そんなこと」

「シウバさまにとってはそんなことかも知れませんけど……!」

「心配しなくても、僕の隣に立つのはテヘナ以外に考えられないよ。例え誰が文句を言おうとね」

「!」

 バルコニーで待機していたアタラムが室内を覗き、「陛下、王妃さま、そろそろ」と促してくる。先に立ち上がったシウバに手を引かれ、テヘナもバルコニーに足を進めた。その歩みに、もう迷いはない。

 外に出る直前、先に足を止めたのはシウバだった。どうしたのかと見やると「あのさ、テヘナ」と手を握られる。彼にしては弱々しく、自信なさげな握り方だった。

「なんでしょう」

「僕、言ったよね。〈核〉がある限り死なないし老いないって」

 確かに聞いた。猪の魔獣が現れ、負傷したテヘナを見舞ってくれた時に。

 テヘナが頷くと、シウバはどこか不安そうにこちらを見つめてくる。

「つまりさ、テヘナが年老いても僕の外見は変わらないんだよ」

「それがどうかしましたか?」

 話を聞いた時にそれくらいのことは予想していた。シウバは意外そうに目を瞬いているが、テヘナは「些細な問題です」と彼の頬に指を伸ばした。

「いえ、問題ですらありません。だって私は気にしませんから」

「今はそうかもしれないけど、将来的にもそう言ってくれるかな」

「当たり前です」

「……そう。ありがとう。じゃあさ、僕から一つお願いしてもいいかな」

「なんですか?」

「君が死ぬときに、僕も一緒に死にたいんだ」

 ――え。

 突然何を言いだすのかと返事に詰まるテヘナに、シウバはふふっと肩を揺らした。

「言っただろ。僕の隣に立つのはテヘナ以外に考えられないって。君が死んでしまったら、僕はきっと抜け殻のようになる。神の声が聞こえないと絶望した器の人みたいにね」

「…………それは、あまり考えたくありませんね」

「だろう? 君がいないのに生き続けていたって仕方ないし、どうせならテヘナと一緒に死にたい」

 シウバは〈核〉を壊されるか、摘出されるかしなければ死なない。彼はテヘナの手を己の胸に導き、懇願するような眼差しを向けてくる。

 ――この肌の奥に、シウバさまの〈核〉が。

 シウバの願いに応えない、という選択肢はなかった。

「分かりました。私が死ぬときは、シウバさまを道連れにします」

「なんか、もうちょっと別の言い方ないかな。道連れって物騒なんだけど」

「『一緒に死にたい』とか、最初に物騒な言い方をしたのはどちらですか」

「……僕だね」

「シウバさまと私は運命共同体です。これから先もずっと」

 他の誰かに〈核〉を傷付けさせようものなら許しませんからねと念を押すように言って手を強く握ると、了解、とシウバが嬉しそうに目を細めて笑った。

 どちらからともなくバルコニーに向かって歩き出す。

 万雷の拍手と歓声、燦々と輝く陽光が、二人を出迎えた。


          終

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異端の王―彼方に集う獣たち― 小野寺かける @kake_hika

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