吸血鬼シンドローム
清水出涸らし
吸血鬼シンドローム
私はよく読書をする人間で、仕事柄家に居ることも多かったので、自室の窓から差し込む日光を大変煩わしく思いました。長く読書を続けていると自分の影の位置が変わり、ページにかかるのです。細かい性格をしている私には、日ごろの生活の中でこれが一番のストレスでした。
ですから、この家を買ってすぐの頃にホームセンターへ行き、分厚い遮光カーテンを買ってきました。これは適当にそれらしい物を選んだにしてはなかなか優秀なカーテンで、常に私を忌々しい太陽光線から守ってくれました。また遮音性能も高く、時たま鳴る救急車のサイレンや、吹かすバイクのエンジン音など、大したストレスでもないけれど、確かに無くなったほうが嬉しい物をかき消してくれました。
私はこのカーテンに大変満足しました。もとよりインドア気質だった私は、このカーテンによって外界と全く隔絶された自室での生活に、ある種の安心感と、ある種の誇りを持ちました。むしろ、このカーテンを閉め切っていないと不安を感じてしまうほどでした。
妻はそんな私を見て大層気味悪がりました。「吸血鬼か何かのようである」と。私はささやかな反論を試みました。
「別に陽の光が嫌いな訳ではない。現に、日に一度は外出するように心がけている。ただ単に、日光が断りもなくプライベートスペースに我が物顔で侵入してくることに腹が立つのだ」
彼女は私の主張を「意味が分からない」と一蹴すると、カーテンを一息に開け放ちました。妻はどちらかというと、したたかなタイプの女性でした。
しかし、私はその固く閉ざされた門戸の開放に酷く怯えました。あんまり怯えたので手がすべり、縦に積んだ本の山を一つ崩してしまいました。そんな私に呆れ、見かねた彼女は仕方なしにまたカーテンを閉め切ってくれました。もう幾ばくか閉ざすのが遅ければあるいは、私は本当に灰になって死んでいたかもしれません。
そして、これは本来かなり不思議なことですが、そのすぐ後に妻と買い物に行った際はやはり、日光など何の負担にも思わなかったのです。私はとにかく「自室に光が入ること」、ただこれだけをひとえに嫌っていたのでした。
それからのしばらくを、私はこの完全密室たる自室を拠点に暮らしました。妻も最初こそ文句を言っていましたが、だんだん慣れてきたのか、単に諦めたのか、大して実害のないことに気が付いたのか、ついに何も言わなくなりました。
あるとき、家の真隣にあった月極駐車場が解体されて、新しく家が建てられることになりました。工事が始まると、なんだかわからない重機のなんだかわからない騒音、また振動が朝から晩まで我が家を駆け巡り、たまったものじゃありません。
すると、鳴り響くその不快な音に耐えかねた妻が、「ここが一番マシ」と私の部屋に入り浸るようになりました。カーテンの遮音性のおかげか、私の部屋だけは他より幾分か騒音に強かったのです。
妻は大概、私の本棚から適当に気に入りそうな本を見繕ってきては、私の横に座ってただ静かに読みました。私もまた本を読んだり仕事をしたりしていましたから、二人の間には大した会話も生まれません。しかし場を支配するのは静寂ではなく、カーテンによってやや毒気を抜かれた工事音。これがなんというか、絶妙なBGMになって心地良い。辛うじて聞こえる、どちらかがページをめくる音。そして時折鼻腔をくすぐる、彼女の髪の匂い。部屋の中に優しく横たわる空気は、なんだか夢のようにぼんやりとしていました。
彼女は私の部屋の密室性をあまり良く思っていませんでしたから、互いの懸命な譲歩の末、カーテンの端のほうをちょこっとだけ開けて一筋だけ光が差し込むようにしました。私はこれを、案外全然不快に思いませんでした。かえって二人の間の空気は神秘性を増して、私はこの空間を大変好ましく思いました。手放しがたい、とすら思いました。
私たち夫婦は、名前で区切って表せばまだ新婚と呼ばれる位置にありましたが、なんだか付き合い始めの時のようなこの雰囲気に、私は柄にもなく愛を再認識したりしました。
季節が変わり、絶えず鳴り響いていた工事の音が止むと、妻は部屋に来なくなりました。彼女は素直な性格ではないので、「騒音が止んだのだから、もうずっと居る理由はない」と言います。そして私もまたあまり素直な性格ではないので、「そうだね」と答えてそれきりでした。
彼女が少しだけ開けたカーテンの隙間をそのままにしていると、そこから侵入してくる太陽光線が的確に私の心の端っこに触れて、寂しさを灰にしていきました。
吸血鬼シンドローム 清水出涸らし @Degarashimizu04
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